15歳(16歳)の少女に対する強姦事例

小さな資料集:『マギーが証言したこと』より

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 次は、「十五歳の少女」に対する強姦事例です。マギーは、事件の直後に現場に駆けつけ、少女を病院へ連れていき、そこでいろいろな話を聞いています。

○マギー証人 二月の一日に私は私の同僚の「フォスター」氏と昼食を共にして居りました。其の時に中国の一人の少年が飛込んで参りまして、日本の兵隊が女の子を探し廻つて居ると云ふ話でありました。

○サトン検察官 是は何年の二月一日ですか。

○マギー証人 一九三八年であります ― 私共は其の儘飛出しまして、約百「ヤード」程離れた所にある一軒の家に行つたのであります。所が其の入口の戸が閉められて居つたので、私共はそれに体を投付けて、其の「ドア」を破つたのであります。二人の日本の兵隊が寝台の上で十五歳になる娘と一緒に居りました。

 私共は其の中に飛込みまして、大きな声で呶鳴り付けました。さうすると其の兵隊は非常に驚き、さうして一人の兵隊は「ピストル」と薬莢とを?んで逃げて行つたのであります。

 もう一人の日本兵は非常に泥酔して居つたので、私共は其の日本兵を家の外に押出したのであります。私は其の泥酔した兵隊の後をついて行きました。さうすると其処に日本の歩哨が立つて居る所に参りましたから、私共はどう云ふことが起つたかと云ふことを漢字で書いて見せた。所が其の歩哨は唯笑ふだけでありました。

 其の娘の父の私に申します所に依りますと、其の娘は既に五回に亙つて強姦されて居りました。私共が行つた時にはもう既に遅かつたのであります。二月のことであります。それははつきりと日附けは憶えておりませぬが、約十五歳になる一人の少女を私は大学の病院に連れて行つたのであります。 

(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P97)

 

○サトン検察官 「マギー」証人、昨日閉会(廷)致します前に、あなたは南京に於きまして十五歳の少女を病院へ連れて行つたことに付て、御証言になつて居りましたが、引続きまして、日本軍が南京に於て執つた婦女子に対しての行動を述べて下さい。(モニターによる修正後の文)

○マギー証人  私は此の少女を一九三八年の二月頃であつたと思ひますが、病院へ連れて行きまして、それから何度も話をし、さうして診察致しました。  其の女の子は南京から約六十哩位の所にあります浦口の者でございました。そこへ日本の兵隊が参りました。彼の女の父は店舗を持つて居りましたが、彼の女の兄弟が兵隊であると日本の兵士が無理に申しました。さうして彼の女は、自分の兄弟は兵隊でないと云ふことを申しました。所が其の兄弟の妻が暴行を拒んだので殺されました。又もう一人の姉が、やはり暴行を拒んだので殺されました。其の間、父と母は兵隊の前に跪いて哀願して居りましたが、何れも其の面前で殺されました。

〔小野寺モニター 是等は皆銃剣に依つて殺されたのであります〕

 彼の女は気絶致しました。所が何処か分からない営舎に連れて行かれまして、二箇月間監禁されました。最初の月は毎日暴行を受けました。着物が剥がされて暴行を受けたのであります。其の後彼女は性病がひどくなりまして、兵隊はそれ以上暴行することを止めました。さうして或る日泣いて居りました所へ日本の一士官が参りまして、どうしたかと尋ねましたので、其の事情を話しましたら、同情しまして、約六十哩ある南京の金陵大学へ連れて行きました。

〔小野寺モニター 此の日本の士官は、我々が此の金陵大学へ中国の婦女子を匿つて居ると云ふことを知つて居つたのでありませう〕

そこで私は彼の女を見付けまして、教会の車で病院へ連れて行きました。

(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P98)

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