No. | P. | 内容 | 撮影者 初出誌 |
東中野氏の否定根拠 | 画像 click |
否定根拠への疑問 | 検証記事リンク | 写真判定 |
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秘蔵されていた「マリオン・フィッチ提供」写真=「秘蔵」という表現は東中野教授の『贋造』みたいです |
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82 | 145 151 |
(日本兵) (Fi) Look3811 |
写真82、85、90は同じ場所。 カメラマンがうろうろできたのが不思議だ。 写真82、89、90では同じ人物が 被害者になったり加害者になったり |
⇒東中野氏は、新聞社のカメラマンがウロウロしたかのように書いているが、そうではなく日本兵がカメラマンならば、ウロウロできるのです。 ⇒写真89の人物が写真82、90の人物に「似ている」だけで「同一人物」だというのは滑稽です。 ■Look誌 Nov.22, 1938 page55 での写真のキャプションは、 大きな少年は電話線を踏んづけたという理由で処刑された。 しかし、小さな少年の命はとらなかった。食糧の節約のた めに、刑場で多くの捕虜が処刑された。日本人の顔も中国 人の顔も西洋人を驚かす冷静さである。です。このLook誌には、銃剣刺突、斬首、生埋めの写真も同時掲載されていますが、これら写真の由来についても説明されています。 KILLING FOR FUN! ファーマー氏の手紙 |
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81 | 145 151 |
(日本兵) (Fi) |
写真82の左から2人目と同じ人物 | ■登場人物が重複したり、これらの写真に "演出" の匂いがする、ということは、私も強く感じます。東中野教授はそれをもって、「中国工作隊」の捏造写真ということを匂わせます。 ■しかし、世の中には"演出" の強い匂いがする凌辱写真、虐待写真というものがあります。このページにある「斬首」写真は、斬首の現場写真ではなく、模擬斬首を写真に撮ることによる「虐待」かもしれません。 アブグレイブ刑務所での虐待写真と対比してみてください。 イラク・アブ・グレイブ刑務所での虐待写真 ■倒錯した欲望と、征服したものへの優越感、そして刀をふりかざしたヒロイズム。これらが結びついたものが、「殺人を毎日の任務」とする戦地で沸騰し、虐待を軍規で抑制できなかったとしても、不思議はありません。 ■こうしたエキセントリックな将兵ほど、褒め称えるべき『良く闘う』愛国者だったわけですから。 |
"n/143"-81〜94 | |||
85 | 145 151 |
(日本兵) (Fi) |
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86 | 145 | 斬首 | (日本兵) (Fi) |
ゲートルが整然と巻かれていない | ||||
87 | 145 | (日本兵) (Fi) |
82の登場人物と同じ | |||||
90 | 146 151 |
(日本兵) (Fi) |
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89 | 146 151 |
ワインの肴に心臓をえぐりだした | (日本兵) (Fi) |
そんな惨酷なことを日本兵はしただろうか?したとしても。写真に顔をだしただろうか? | ■顔が似ているから "同一人物" といいだしたらキリがありません。 |
写真89の帽垂れについて→検証[283] | ||
83 | 145 | 日本兵が僧侶を銃殺 | (日本兵) (Fi) |
■私は想う。このピストルをかざして得意顔の日本兵とそれを撮影して喜ぶカメラを持つ同僚兵。彼らは、犬をけしかけてポーズをとるアブグレイブの米兵士たちと、全く同じ精神の構図。 イラク・アブ・グレイブ刑務所での虐待写真 ■なおネット上には、まことしやかに、 阿弥陀に軍帽をかぶった日本兵、腰の箱は一体何か?などと言う人がいますが・・その答えもWEB上にありました。 ⇒お腰につけたものは何? |
"n/143"-81〜94 | |||
84 | 145 148 |
日本人 CRW3810 (Fi) |
1、南京雨花台ではない 2、襟が折襟である |
■The China Weekly Review 1938年10月22日 によれば、日本将校が殺戮された中国市民を検分している。場所は蘇州。 ■なお、90式鉄帽の下に戦闘帽を被り、 服は98式軍衣に昭5式軍衣の階級証を付けた折衷型 1938年の中国戦線における典型的な日本陸軍将校の 服装。 ■将校の左肩から右腰にかけて、肩ベルトが写っています。 拳銃の入れ物は見えませんが、バックルの位置からは軍制式の 94式拳銃嚢に見えます。 左腰には”武人の魂”である軍刀が下がってますので、補助武器の拳銃は右に追いやられるのです。(ja2047さん掲示板投稿) |
"n/143"-81〜94 | |||
88 | 145 | 一億人 (Fi) |
フィッチ提供で間違いないか? 毎日新聞特派員撮影ではないか? 略奪は日本軍によるのか? |
■この写真に付いて詳細な検討を加えた、msqさんは次のように指摘しています 史詠氏ほかの写真集の Courtesy of Marion Fitch (=マリオン・フィッチ提供)とクレジットされた写真、21枚の内の1枚の■msqさんによる詳しい考察をご覧ください。 写真81〜94 マリオン=フィッチ所蔵の写真より 史詠ほか『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の考察(3/3)その◆写真88 ■『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の説明文はややオーバーランでしょう。 日本軍が突入し略奪した後の、かつての繁華街の中山路。■日本軍による略奪の跡かどうかは、写真からはわかりません。撮影日時がはっきりすれば別ですが。 しかし、中国兵が軍服から平服に着替えて逃げようとしたり、一二月一二日から一三日にかけての夜に中国兵や一般人が食糧品店に押し入ったという目撃談はありますが、この写真がその跡であるという根拠はありません。 ■《参考資料》スミス記者の講演:ここでは、逃げる中国兵などによる略奪と、攻める日本兵が分隊ごとに行動する "組織的" 略奪の、攻略前と攻略後双方の目撃が語られています。 |
"n/143"-81〜94 | |||
91 92 93 94 |
146 | (Fi) | ポーズのつけ過ぎなど | "n/143"-81〜94 |
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