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重慶爆撃 |
TimeLife |
「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」に掲載されたこの写真は一般市民を手当たりしだいに虐殺したかのような写真である |
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■う〜ん。「一般市民を手当たりしだいに虐殺したかのような写真である。」確かに写真は、説明を要するも無くそう見えます。肌蹴た衣服が悲惨さをいっそうかきたてます。でも、それは不当なことではなく、ウソではない事実です。
■また、ザ・レイプ・オブ・ナンキンの「1941年6月28日、中国の戦時首都であった重慶で日本軍の爆撃の犠牲者となった一般市民」というキャプションも間違いではありません。確かに、爆死であるか圧死であるかの差はありますけど、多くの市民が、軍事施設ではない都市に対する戦略爆撃の、犠牲になったことに変わりはありません。
■『直接の爆撃被害ではない』と偉そうに戦争賛美者が胸を張るのもいかがかと思います。正確に言い直せば、「市民を無差別に殺戮し厭戦気分を引き起こすために行った激しい空爆。敵機再来の警報によって起こったパニックで4千人の市民が圧死し犠牲となった。戦略爆撃の効果はこのような2次的影響としてあらわれた。」となります。
■東中野修道さん、高橋史朗さん、重慶爆撃とは、人間を殺さない爆撃だったのですか? (日本爆撃機を平和の使徒として歓迎する重慶市民の写真でも載せない限り、この御二人は満足しないでしょう)
■お二人の先生が神経をピリピリさせているのは、重慶爆撃が「戦略爆撃」のはしりであることを、余り知られたくないからです。
日本軍の重慶爆撃は「戦略爆撃」なる名称を公式に掲げて実施された最初の意図的・組織的・継続的な空襲作戦であった。ドイツ空軍のゲルニカ攻撃より約1年遅れはしたが、1日限りではなく三年間に218次の攻撃回数を記録した。空襲による直接の死者だけで中国側集計によれば1万1885人にのぼる。
『戦略爆撃の思想』
戦略爆撃『ウィキペディア(Wikipedia)』
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