銃剣刺突(n-099)

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東中野氏の否定根拠 画像
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否定根拠への疑問 検証記事リンク 写真判定
99 161 銃剣刺突  (日本兵)
Daily3709
LIFE3710
昭和12年では折襟の軍服を着ている筈はなかったから、写真の兵士が日本兵でないことは明らかだ。  ライフ
銃剣刺突 

東中野氏は・・昭和12年(1937)年秋にAP通信社が「日本人の支那人虐殺」と題して配信した写真の1枚が、同年9月30日付で「デーリー・ミラー」紙が載せた写真と同一のようである・・と記していますが、LIFE October 11,1937とCWR November 6, 1937に、写真99と写真Kが掲載されていることが分かっています。以下日本軍の残虐・暴行写真 (1)写真の出現した時期より
LIFEの写真説明によれば、APのカメラマンによって 9月5日に天津で撮影された。 CWRの写真説明によれば、CWR掲載の写真は、10月3日付 Chicago Tribune からの複製。

CWR解説記事によれば、APの編集長 Edward Stanley は、この写真はAPの在中国カメラマンが撮影した正真のものと述べ、この写真が日本人カメラマンによって撮影されAPにフィルムが売り込まれたという上海での噂を否定した。

また、Editor and Publisher 10月2日号の報道では、the Chinese Section of General Staff の高橋担大佐(Lieut.-Col. Tan Takahashi)が、ドイツへの途上、米国で、これは中国人が日本軍の軍服を着たものだと主張した。(CWR p.224)
兵装はあきらかに昭和12年の日本兵のものといえます。
日本兵の服装・装備は偽造か?
「軍服に日本軍の縦長の階級証が付いていないからニセモノ」という推測がなされています。

わざわざ拡大写真まで付けて、これを証明している、という形を取っているのですが、この写真の肩口のところには明らかに太い暗色の線が認められます。普通に写真を読めば、これは「階級証が写っている」と見るべきでしょう。

引用した写真はLIFE 1937年10月11日号に掲載された写真と、日本側撮影の写真を比較したものですが、左側は、1938年、5月23日 徐州入城時の写真です、階級証が明瞭に写っているのと、ついでに隣に昭5式軍衣を開襟で着用して「タオル巻」した実例が出ているので引用しました。 ご覧の通り、左写真の明らかに階級証であるものと、右写真の肩口の暗色の線が、別のものであると断定するのは困難であると思います。
ただしこの投稿では、写真99とKの真贋については保留されていました。兵士の服の白さについて、裏づけがとれない、という理由からでした。

検証16

検証[19-22]

検証[30] 
 
99K 164 フェンシング?  (日本兵)
LIFE3710
兵士の構えがフェンシングのようで日本刀の構えを為していない。
こうした写真は1919年頃から使われているのと同一のものである
短剣術の教練  日本刀ではなくて、鞘から抜かれた銃剣のようです。→片手短剣術

立派に形ができています。→片手剣の練習

問題は、捕虜を相手にこのような訓練を、本当にやったのかどうか、ということです。

保留されていた服の白さの謎も解けました→検証[413-22]

このように、東中野さんらの<思いつき検証>は、実証趣味オジサンたちの簡単な調査によって、次から次へと木っ端微塵に粉砕されていきます。
検証68

問答[30424]
 

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