No. | P. | 内容 | 撮影者 初出誌 |
東中野氏の否定根拠 | 画像 click |
否定根拠への疑問 | 検証記事リンク | 写真判定 |
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125 | 197 | 中華門? | スチール | 壁に「仁」の字があるから中華門だ。 | ■中華門であって、ゆう(手偏に邑)江門ではありません。例によって『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』編集者の早とちりです。困ったものです。 ■写真説明として東中野氏が紹介した文章は、ゆう江門の惨状としては間違っていないと思います。 ■したがって問題となるのは、後世の『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』編集者の手抜かりですから、スティール記者が紙面に掲載したかしないかの判断とは、全く無関係です。 ■世界に発信された南京事件のファーストレポート、『シカゴデーリーニュース』の記事は米艦オアフ号より電報で発せられたものです。写真を電送することはできません。15日に発信して同日に記事となった新聞に写真を掲載することなど、どう逆立ちしてもできないのです。 スチール記者はこれらの写真を撮っておきながら、自ら書いた新聞記事に、自ら撮影した写真を一枚も掲載していない。なぜだろう。状況を熟知していながら書いたこの文章は、世界第1報発信者スティール記者を貶めるためのものでしょうか。 ■スティール記者の世界発信第一報は、ゆうさんが収録しています。スティールの記事 |
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126 | 198 | 連行される中国兵 | スチール | これを撮影したスティール記者は、「こうして拘引されていって銃殺されたのだと思われます」と推量しているだけで、銃殺を確信していなかった。 | 「こうして拘引されていって銃殺されたのだと思われます」これは確信がなければ書かない表現です。もちろん銃殺されないことをスティール記者は願ってはいたでしょうが。 反対に "と推量しているだけで銃殺を確信していなかった"・・・こんな文章を書く東中野氏の心性を想うと、ゾクゾクっと血が凍って参ります。 |
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127 | 199 | 市内掃蕩放火 | スチール | 4人の日本兵のうち2人がカメラのほうを見ている。ということは、彼等はスティール記者が自分たちの行動をカメラに収めていることを認識していたことになる。日本兵が不謹慎かつ不都合な撮影と判断していたならば、厳重抗議ないしはフィルム没収の挙に出たことであろう。
しかしそうならなかったということは、占領直後の軍隊がしなければならない掃蕩という重要な課題をスティール記者が写していると了解済みであったことを意味していた。 |
■東中野氏が何故ここまで力説するのか、私にはとても不思議です。 火付け犯行の瞬間をとらえた写真であるとか、画面の中の兵士が火付け実行犯でるとか、そんな主張を誰もしてないのにです。 ■東中野氏はきっと、兵士の全員が『火をつけまわった』のでなければ、誰一人として『火をつけなかった』ことになる、とでも思っているのでしょうか。隠れている中国兵、中国人をいぶりだすために火をかけた、とすれば日本兵には疚しさはなかったとも考えられます。なお、阪神大震災でも分かるように、失火地点がさほど多くは無くても消火作業がなければ大火災になります。 ■東中野氏は別の論点で、難民区ではない掃蕩対象の街には『人っ子ひとりいなかったのだから民間人の虐殺など起こりようがない』と強調しています。だとしたら、人っ子ひとり居ない街で上がる火の手とは、一体何だったのでしょうか? |
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128 | 199 | |||||||
見過ごせない文章写真からは離れますが、P.196で東中野氏が書いている以下の文章は、見過ごすことが出来ません。スティール記者を一方的に貶めるものだからです。アーチボールド・スティール氏は『シカゴ・デイリー・ニューズ』の特派員であった。十二月十五日、南京を離れるやいなや、ただちに「南京虐殺物語」を打電して、十二月十五日(日本時間十六日」付『シカゴ・デイリー・ニューズ』に掲載している。東中野氏の主張はムチャクチャです。 東中野師の主張を鵜呑みにせず、ベイツ師の文章とスティール氏の記事全文を、素直に読み比べれば、東中野教授の間違いが誰にも分かるはずです。 原典資料は、すべてゆうさんのサイトにあります。「南京事件 小さな資料集」 お確かめください。
1)しかしその記事はティンパーリ編『戦争とは何か』の第一章とほぼ同じであった。が、単なる言いがかりであることがよくわかります。 |
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