佐藤振寿氏撮影写真(n-131-2)

No. P. 内容 撮影者
初出誌
東中野氏の否定根拠 画像
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否定根拠への疑問 検証記事リンク 写真判定
131 204 「百人斬り競走の両将校」常州にて佐藤特派員 佐藤振寿
日日
a 記事の中に写真131が挿入されたことが、読者を惑わしたのである。そう考えると『東京日日新聞』が11月下旬撮影の写真131を、12月10日正午撮影の写真であったかのようにつかった責任は大きい。

b いずれにしても、ここで検証したように、まず新聞記事から写真131を除かなくてはならない。つぎに、浅見記者の書いた記事を俎上に載せて、資料批判に耐えられるかどうかを見極めなくてはならないのである。 
 
■a は面白い主張です。この文章を書いた人はきっと、生まれついた時には既に人工衛星が何百も飛び回っており、その日に撮影した写真はその翌日の新聞には必ず掲載されると信じきっている世代のなかの、中学生以下の人に違いないでしょう。なぜなら高校生ともなれば、日中戦争時の通信事情に思いをめぐらすぐらいの事は、必ずするでしょうから。

私は、11月29日に常州で撮影された写真が、12月13日に掲載されたことを、当時の通信事情として理解していました。

なお、東京日日新聞の親会社である大阪毎日新聞には、12月7日朝刊の記事に同じ写真が掲載されています。東京日日新聞の12月6日付朝刊には写真の転送が間に合わなかったのでしょう。(おそらく東京-大阪間も東海道線特急で運んだ)

■なお、11月29日に常州で撮影されたというのは、11月29日常州発の記事東京日日11月30日朝刊大阪毎日があります。しかも11月29日という日付は日本軍の行軍記録とも一致しています。

■東中野教授は、当時の通信事情も顧みず、写真は撮影した日の取材記事に載せなければならない! と我が儘をおっしゃる。ならば、11月29日常州発の記事に写真を添えて進ぜよう。

これは東中野教授の迷論を試しに形にしたもので、このような記事が実際にあったわけではありません
東京日日新聞
1937年(昭和12年)11月30日朝刊 第1報
百人斬り競争!両少尉、早くも八十人
[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発]
常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある。

無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。

無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた

その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り、記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。

向井少尉

この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ

野田少尉

僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ


どうですか? 東中野教授が仰るようにお造り(シミュレート)してみましたが 記事が読者に与える信憑性は消えうせましたか?

■b はもしかして、日日記事が両少尉の話に基づいて、両少尉の承諾に基づいて成立していた、ということを、教授は消し去りたいということでしょうか。このサイトのもう一つのコンテンツをお読みください。⇒読める判決「百人斬り」- Hypertext 東京地裁判決〔8/23〕  
   
132 208 荷物を運ぶ(日本兵) 佐藤振寿
日日
たしかに乳母車は兵隊の持ち物ではない。誰かが長い戦闘の疲労と30キロもある背嚢の重さに耐えかねて、どこかで失敬したのかもしれない。しかし佐藤氏が・・・。この写真からは民衆の財産を略奪したという証拠も、それらを運んでいるという証拠もなにひとつ見受けられないのである。   
■左で「しかし佐藤氏が・・・」と中略したのは、東中野氏が略奪の開き直りに佐藤氏の言を借りる卑怯に閉口したからです。

ここでは、「勝手に乳母車を失敬したこともドロボウには違いないが、情状酌量してくだされ」というべきところではないでしょうか。それを、「民衆の財産を略奪したという証拠も、それらを運んでいるという証拠もなにひとつ見受けられない」とまでいってしまっているのですから、東中野氏とは、「略奪を失敬」といい「強姦も失敬」と開き直る人だ、と思われてもしかたないでしょう。

佐藤振寿氏まで心底卑しい仲間に引き込んでどうする!

■乳母車ぐらい・・大八車ぐらい・・馬車ぐらい・・舟ぐらい・・雑穀ぐらい・・羊ぐらい・・女ぐらい・・・そんなもの失敬したって略奪でも強姦でもないのだ。

そこまで居直らなければ戦争なんかできやしないさ、という信念でしょうか。

   

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