不動氏撮影写真(n-133-5)

No. P. 内容 撮影者
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東中野氏の否定根拠 画像
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否定根拠への疑問 検証記事リンク 写真判定
133 209 不動健治氏自身によるキャプションを調査していない 不動 中華西門から中華門にかけての城外と推定され「中山路」や「中央路」とは全く違うのである    ■同盟通信の従軍記者であった不動健治氏は、戦後「南京虐殺事件」を啓蒙するために積極的に活動しただけに、東中野氏の批判の対象になったのでしょう。しかし東中野氏による批判の仕方は、誉められたものではありません。

■この写真についていうと、不動氏本人によるキャプションが何かを求めもせず、『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』による「中山路と中央路は死の道路となった」を振りかざしています。そしてそれが、あたかも不動氏によるご都合主義であるかのようにスリカエを行っています。

■考証無頓着の『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』を山車に使って、南京事件に対する常識的な判断すら葬り去ろうとするやり方は、この本全体では一貫した基調です。『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』は日本語版出版が頓挫したもので、日本の一般国民には普通手にすることができません。そんなレアものが批判されても検証のしようがありません

誠実な論争ではなく罵倒合戦を行おうとするものには、そうしたやり方が有効なのかもしれませんが。

■また、不動氏自身の文章を何一つ引用することなく、佐藤氏の引用によって不動批判を行わせているのも、けっして堂々とした態度とはいえません。

■多くの死体が写っているような衝撃的な写真においては、撮影者自身の現場証言こそ重要です。そんな自明のことが無視されています。あとで登場する村瀬氏の写真に付いても、東中野氏は、撮影者本人のキャプションに耳を貸そうとしません。
「撮影者が分かっている写真で虐殺肯定に繋がるものは、本人によるキャプションは自分に不利だから無視する。写真には絶対添えてはならない!」
どうやらこれが、本書の編集方針のようです。(批判しやすい『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』のキャプションが、必ず掲載写真に副えられていることに留意してください)  
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134 210 中華門外側 不動 手前の死体を見ると、たしかに鉄兜をかぶった兵士が見える。日本軍と闘ってたおれた中国兵なのである。その写真説明は次のようになっている
「南京虐殺と捕虜収容所-----」
  ■「図説昭和の歴史」はおそらく不動氏も編修に携わった本でしょう。東中野氏はようやく本人の目をとおしたキャプションを引用しました。

(←クリックで拡大)
ところがどっこい、東中野氏は二枚組みの写真の片方しか見せずに、不動氏のキャプションがいかにドキュ〜ンであるかを、捏造したのです。これは、msq さんが、わざわざ図書館にいって「図説昭和の歴史」を開いて気がついたとのことです。"n/143+α"134 
   
135 212 捕虜対処組写真 不動 組写真に「兵市民の区別のつかぬ捕虜軍と殺害された人々」とあり、この捕虜収容所で次々と捕虜が殺されたような印象をあたえる   ■ここで挙げられた稲垣獣医のフィルムはぜひ一度見てみたいものです。しかし、そこに写っている情景が捕虜虐待で無いから殺害が行われなかった、とはいえないと思います。虐殺の直前直後でなければそうした緊張感はあらわれなかったでしょう。

■多くの文献に顕れている捕虜虐殺は、捕虜として収容されてからの虐殺ではなく、捕虜として収容しないための虐殺です。また、「日本兵より捕虜のほうが多いのだから、暴動がおきないように和気藹々としていなければならない」というのも珍妙な理論です。僅かな兵で大量の投降兵を手中にしたが故におきた虐殺が別のところで現に起きています。(幕府山事件)

■下麒麟門(南京城外の紫金山の東)に通常の捕虜収容所があったというなら、きちんとした軍公文書などもきっと見つけて頂きたいものです。

■不動氏の写真に付いては、msq さんが、東中野氏による引用の元となるものを詳しく検証しています。
不動氏が撮影した写真の中には、検証の対象とすべきでありながら東中野氏がスルーした虐殺写真がまだまだあるようです。"n/143+α"135
検証267〜   

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