「16枚の写真帳(恥の写真帳)」とは (n-16B)

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「16枚の写真帳」

16B 130 16枚の写真帳
(恥の写真帳)
16枚の写真帳
「恥の写真帳」とは
『屠城血証』映画の主人公のモデルの羅瑾が逝去:江蘇ニュースネット 2005年02月17日
1937年12月、日本軍の南京占領時、羅瑾は南京にある「華東写真館」で見習いをしていた。1938年1月のある日、1人の日本軍少尉が来て、2本の「120桜」フィルムを現像させた。
羅瑾は写真を洗ってさらした時に驚きのあまり呆然とした:その中の数枚は日本軍が中国人を切り殺す現場写真である!彼は胸のうちは怒りに振るえ数枚をこっそりと焼き増した。それ以後、彼はことのほか注意して、日本軍から届いたフィルムの中からこのような写真を30枚以上多くプリントし、自作のアルバムの中にまとめた。

心の怒りを表すため、羅瑾はアルバムの表紙の上に“血を垂らしたハート”と、右下の角に一振りの日本刀、“”と書いた。その後、極めて慎重に部屋の梁の上に隠した。

1940年、羅瑾は南京の毘庵寺の通信集訓隊にいた、日本兵の捜査から逃れるため、彼は便所の壁のレンガに穴を開けて、アルバムを押し込み、泥で塗り固めた。数日後に気がつく突然アルバムがなくなるなんてどうして予測できようか。予想外の出来事を防ぐため、羅瑾は南京から逃げて、福建の大田市で隠れて暮らした。

50年後、羅瑾はやっと知った、アルバムは別の1人の学生である呉旋の手に渡っていたのである。呉旋はそのれを菩薩の台の下に隠し、後に抗日戦争に勝利するまで転々と多くの所で収蔵していた。南京軍事法廷が日本の戦犯を裁く時に、“京字第1号”の証拠として法廷に提出した。(翻訳:熊猫さん)

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