マリオン・フィッチのコレクション ?(n-F1-2)

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初出誌
東中野氏の否定根拠 画像
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秘蔵されていた「マリオン・フィッチ提供」写真「秘蔵」という表現は東中野教授の『贋造』みたいです

F-1 144 『日寇暴行実録』や『外人目撃中之日軍暴行』にも載っているフィッチ・コレクション (日本兵)
(Fi)
50年間も門外不出であったのであれば、それが昭和13年に出た『日寇暴行実録』と『外人目撃中の日軍暴行』に掲載されるはずもないからである。   ■東中野氏はこれらを「第1期にも使われていたフィッチ写真」とし、その他をあたかも「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」で初出であるかのように思わせていますが、決してそのようなことはありますせん。『日寇暴行実録』や『外人目撃中之日軍暴行』になくても、当時のLife、Look、China Weekly Reviewなどで公表されたものもあります。

例えば、Look 1938年11月22日号
China Weekly Review,1938年10月22日号
など。

■50年も外に出なかったのは、フィッチ所蔵の「プリント」であって、同じ写真の別のプリントは、別ルートでいくらでも公表されています。写真館で現像され複数プリントされたものの一部がフィッチの元に集まったにすぎません。「プリント」の一つであったことは、
対日賠償要求同胞会のニューヨーク・タイムズの広告に載った写真が、ちょうどその中の一枚であったので、彼らもその当時の記憶を喚起できたという。
の一文からもわかります。「あ!私の家にも同じ写真があるわ!」ということですから。

つまり、「紀念南京大屠殺受難同胞聯合会」が載せた新聞広告をきっかけに、フィッチ家から連絡が入り、アイリスチャンが「同胞聯合会」を通じて、フィッチ所蔵「プリント」を知るに至ったということでしょう。

■「秘蔵」「門外不出」という言葉のトリック
 東中野氏は p143〜p147にかけて「秘蔵」「門外不出」という言葉を連発しています。「大切に保存して流失を避けた」ということを、わざと「秘蔵」「門外不出」と、違う意味にずらしているのです。

 そもそも「門外不出」の意味は【貴重な芸術品などで、めったに他人に見せたり貸したりせず秘蔵すること。また、その物。「―の古文書」[大辞泉]】です。

 南京での虐殺行為をアメリカ市民に知ってもらうために、写真を持ち帰ったというフィッチ一家の目的は、秘密めかした「秘蔵」とか「門外不出」とは全く逆のものです。英語の原文資料を取り寄せれば、言葉のトリックは直ぐに明らかになることでしょう。

(実際問題、本に引用された文章には「秘蔵」も「門外不出」もありませんよ)
"n/143-fitch"    
F-2 145 その他のフィッチ・コレクション (日本兵)
(Fi)
「中国で宣教師をしているときに撮った50枚の写真」といっておきながら「タッカー撮影」の写真が無い

日本兵撮影の根拠は?
写真店主の名は?
流通経路があやふや
写真保存の動機は?など。

■「タッカー氏撮影」への疑問は、単純な誤訳の問題ではないでしょうか。

東中野氏は、『南京大虐殺 日本人への告発』(東方出版、1992年)から文章を引用していますが、この文章自体が紀念南京大屠殺受難同胞聯合会」の英文を翻訳したものだと思われます。そう考えると、英文和訳のよくある間違いだということが、直ぐに分かります。

「彼女の叔父のタッカーは、中国で宣教師をしている時に撮った五十枚余りの写真を彼女に預けて保存させたが、その中の約三十枚が見るに忍びない日本軍の暴虐行為を撮ったものである。」

この撮ったは、誰が撮ったのでしょうか?

原文には果たして、"photographs taken by himself" と書いてあったでしょうか? "by himself"がなければ、「中国で宣教師をしている時代に撮られた五十枚余りの写真」と翻訳すべきものだったと思われます。英文解釈で良く減点される事例です。

"by himself"がなければ、誰が撮ったかは何も指定していないのですから、後半の「これの元は日本兵の手によって撮影されたものである」という文章内容と何の矛盾もありません。

こんな些細な言葉の行き違いまで、フレームアップに利用してしまう東中野教授のトリック才能には、脱帽してしまいます。

■写真の流通経路があやふやなのは、日本軍の占領下で日本軍の目を盗んで配布されたのですから、当然のことです。いろんな残虐写真が闇のルートで外国人に流れていた、と考えれば何の不思議もありません。

■また、60年もたってマリオンフィッチ氏が写真の保有者として名前を明らかにしたことを、東中野氏は、なにか複雑怪奇なことのように言い募っています。なぜそんな記述の仕方をするのでしょうか?

マリオンフィッチ氏はジョージ・フィッチ牧師の長女です。ジョージ・フィッチ牧師といえば、当時南京に滞在しマギー牧師撮影のフィルムを米国に持ち帰った歴史上のキーマンです。そうした由来を、ザ・レイプ・オブ・ナンキンの著者が詳しく紹介するのは当然です。

P143からの5ページにもわたる記述は、「ためにする言いがかり」としか思えないのですが、皆さんはいかがでしょうか?
    

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