当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
【否定派の写真検証を批判的に再検証するページとしてはタラリさんのページや、渡辺さんが問答有用に投稿したのなどがありますが、そういった再検証のまとまったサイトというのが欲しいと思うようになりました。

ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
と言う靴屋さんの発言をきっかけに設置しました。
投稿者は限定いたしますが、特に資格等はございません。歴史修正主義に対しきちんと反論せねばならない、とお考えの方はどんどんご利用ください。

当掲示板における写真資料等に関する考え方は当掲示板の目的を参照してください。
メンテ中検証板のメンバーの方は改めて登録する必要はありません。
登録するには[留意事項]をお読みください。
画像資料攻撃典型例
アポロの月着陸は嘘
911事件はアメリカの陰謀
【南京事件 「証拠写真」を検証する】
(東中野修道著)徹底批判
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[14]日本兵の服装は偽造か? ピッポ 05/3/20(日) 21:12
[15]Re(1):日本兵の服装は偽造か? ja2047 05/3/20(日) 22:59
[16]Re(2):日本兵の服装は偽造か? ピッポ 05/3/21(月) 0:24
[18]日本軍の便衣行為 ja2047 05/3/21(月) 21:55 [添付]
[19]例外だらけの装備品 ja2047 05/3/21(月) 22:02 [添付]
[20]軍装の例外[2] ja2047 05/3/21(月) 22:28 [添付]
[21]階級証の例外 ja2047 05/3/21(月) 22:37 [添付]
[22]Re(1):階級証の例外 ja2047 05/3/21(月) 22:37 [添付]
[25]Re:軍装の不統一 軍隊生活の自分史サイト ピッポ 05/3/22(火) 11:01
[26]Re軍隊生活の自分史サイト ja2047 05/3/22(火) 21:14
[28]Re(1):Re軍隊生活の自分史サイト とほほ 05/3/22(火) 22:29
[30]Re(1):階級証の例外:第十八聯隊史より 渡辺 05/3/23(水) 1:31
[33]ちょっとお遊び 熊猫 05/3/24(木) 2:05 [添付]
[34]さらにお遊び ja2047 05/3/24(木) 6:23
[40]日本側の武装市民 ja2047 05/3/24(木) 20:58 [添付]
[27]腰より上の水筒の例 ja2047 05/3/22(火) 22:19 [添付]
[68]片手剣の練習 ja2047 05/3/28(月) 22:23 [添付]
[126]Re(1):片手剣の練習 熊猫 05/4/2(土) 22:43
[228]>航空隊 ja2047 05/4/15(金) 22:13 [添付][添付]
[272]Re(1):>航空隊 熊猫 05/5/4(水) 1:34 [添付]
[273]Re(2):>航空隊 ja2047 05/5/4(水) 7:11
[82]わわ、いかん 訂正  <(_ _)> ja2047 05/3/29(火) 21:10
[113]Re LIFE 1937年10月11日号 ピッポ 05/4/2(土) 0:40
[114]Re(1):Re LIFE 1937年10月11日号 渡辺 05/4/2(土) 1:41
[120]Re(2):Re LIFE 1937年10月11日号 ピッポ 05/4/2(土) 14:55
[137]Re LIFE 1937年10月11日号 :高橋担 渡辺 05/4/5(火) 18:35
[343]うーん ja2047 05/5/7(土) 19:11
[354]戸山流と高山流 ja2047 05/5/8(日) 19:32
[355]Re(1):戸山流と高山流 ピッポ 05/5/8(日) 22:01
[359]Re(2):戸山流と高山流+鳥飼先生 渡辺 05/5/8(日) 23:39
[363]Re(3):戸山流と高山流 ja2047 05/5/9(月) 6:10
[413]服装がバラバラですが 熊猫 05/8/14(日) 1:43 [添付]
[414]Re(1):服装がバラバラですが ピッポ 05/8/14(日) 9:18 [添付]
[415]作業衣なんですけどね ja2047 05/8/14(日) 17:22 [添付][添付][添付]
[417]そうでもないかもよ 熊猫 05/8/15(月) 22:56 [添付]
[418]これで結論かな ja2047 05/8/16(火) 16:14 [添付]
[422]Re(1):これで結論かな:多謝 渡辺 05/8/17(水) 0:57
[423]Re(1):片手剣の練習 熊猫 05/8/27(土) 10:15 [添付][添付]
[429]出た出た ja2047 05/8/29(月) 21:16
[440]否定派さんに画像サービス 熊猫 05/9/1(木) 21:01 [添付][添付][添付]
[442]Re(2):片手剣の練習+銃剣=多謝 渡辺 05/9/3(土) 16:10 [添付][添付][添付]
[493]短剣術の訓練 熊猫 05/9/26(月) 22:32 [添付][添付][添付]
[105]パナイ号の写真 ja2047 05/3/31(木) 21:28 [添付][添付][添付]
[115]パナイ号関連資料 ja2047 05/4/2(土) 10:15 [添付]
[116]Re(1):パナイ号関連資料(謎の管理人の正体) とほほ 05/4/2(土) 10:27 [添付]
[147]Re:謎の管理人の正体 とほほ 05/4/6(水) 14:15
[271]ポケットの位置は? ja2047 05/5/1(日) 9:54 [添付]
[282]恥の写真帳 写真68 ja2047 05/5/5(木) 14:11 [添付][添付][添付]
[283]帽垂れ ja2047 05/5/5(木) 14:25 [添付][添付][添付]
[416]Re(1):帽垂れ 熊猫 05/8/15(月) 0:14 [添付]
[419]Re(2):帽垂れ ja2047 05/8/16(火) 18:31 [添付]
[420]Re(3):帽垂れ 熊猫 05/8/17(水) 0:16 [添付]
[421]失礼!訂正します。 熊猫 05/8/17(水) 0:32
[424]Re(1):靴が違う? ピッポ 05/8/29(月) 18:22 [添付]
[425]Re(2):靴が違う? msq 05/8/29(月) 20:22
[426]Re(3):靴が違う? ピッポ 05/8/29(月) 20:50
[428]Re(4):靴が違う? msq 05/8/29(月) 21:03
[427]「識者」ではないですが (^^; ja2047 05/8/29(月) 20:57 [添付][添付][添付]
[430]Re(1):「識者」ではないですが (^^; msq 05/8/29(月) 21:28
[431]あーそうか ja2047 05/8/29(月) 21:45
[432]Re(1):あーそうか msq 05/8/29(月) 22:03
[433]Re(2):引導渡し ピッポ 05/8/29(月) 22:53
[434]Re(3):引導渡し msq 05/8/29(月) 23:26
[435]Re(4):夜襲にも役立ちます ピッポ 05/8/30(火) 1:31
[436]まだ成仏してませんが ja2047 05/8/30(火) 23:16 [添付][添付][添付]
[439]地下足袋の話でしたら ゆう 05/9/1(木) 20:57
[441]もう一つ謎が解けたかも ja2047 05/9/2(金) 18:20
[437]南京戦は地下足袋を履いておりました。 熊猫 05/8/31(水) 0:15
[438]Re(1):南京戦は地下足袋を履いておりました。 ピッポ 05/8/31(水) 9:35
[559]Re(1):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/11(金) 20:45 [添付]
[560]Re(2):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/11(金) 23:18 [添付]
[561]Re(3):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/11(金) 23:24 [添付]
[562]Re(4):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/11(金) 23:39 [添付][添付][添付]
[565]どなたか精細な写真をお持ちでないですか ja2047 05/11/13(日) 11:02 [添付][添付][添付]
[566]Re(1):どなたか精細な写真をお持ちでないですか msq 05/11/13(日) 21:14 [添付]
[567]ちょっとどちらとも言えないですね ja2047 05/11/13(日) 22:10 [添付][添付]
[563]Re(2):お腰につけたものは何? 渡辺 05/11/11(金) 23:46
[564]Re(3):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/12(土) 0:10
[584]勝手ながら ja2047 06/4/4(火) 21:38 [添付]
[585]Re(1):勝手ながら ピッポ 06/4/5(水) 11:00
[586]Re(2):勝手ながら ja2047 06/4/5(水) 12:51
[587]Re(3):勝手ながら ピッポ 06/4/5(水) 19:53
[590]Re(4):勝手ながら ja2047 06/4/6(木) 6:06
[591]フォロー 熊猫 06/4/6(木) 7:58
[595]Re(1):フォロー ピッポ 06/4/7(金) 23:03
[588]Re(1):勝手ながら 熊猫 06/4/5(水) 23:03 [添付]
[589]防暑帽かな ja2047 06/4/6(木) 6:04 [添付]
[596]鉄兜二題 ja2047 06/4/9(日) 9:10 [添付][添付]

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[28]Re(1):Re軍隊生活の自分史サイト
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/22(火) 22:29 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
>戦史に詳しい方では、こちらが早くから面白い考察をされてます。
>http://homepage1.nifty.com/SENSHI/
>私もだいぶ参考にさせてもらってます。

このページの主催者さん、ハンドル名をなんと言いましたっけね?(^^;
実は初代思考錯誤掲示板で何度か積極的に投稿してくれてた方なのですよ、そいで私のHPの論説の笠原の南進論北進論を批判してくれた人なのですよね(^^ゞ

これはこの方の主張の方が正しいのかもしれませんが、笠原氏の主張の骨子とはあまり関係のないことのように思い修正しておくように言われたのをほっぽらかしている私です。
3,331 hits

[30]Re(1):階級証の例外:第十八聯隊史より
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 渡辺  - 05/3/23(水) 1:31 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
>そんな批判の中に、
>「階級証の位置が違うから日本軍ではないと証明された写真を改竄した」
>というものがありますので、面白い写真を上げておきます。

jaさん、ごぶさたしております。徐々にネットに復活しておりますので、よろしく(^^)

(1)肩章の件で気になるのは、通牒では「将校以下ノ襟章ヲ除カシムルコトヲ得」となっていて肩章は含まれていないことです。しかし、実際には肩章がない服装の写真があるので、厳密に考えると他に何か通牒や指示があったのでは、と思っています。

---
戦時諸部隊(留守部隊を除く)に属する将校以下の服制に関する件(昭和12年 「陸支密大日記 第11号」) [レファレンスコード:C04120108000]

今次事変ニ依リ戦時諸部隊(留守部隊ヲ除ク)ニ属スル将校以下ノ服制装具ヲ含ムニ関シ左記ノ通定メラレシニ付通牒ス
左記
一将校、准士官ノ服制装具ヲ含ムハ肩章以外ハ下士官兵ト同一ノモノヲ用ウルコトヲ得
二必要ノ場合ハ部隊長ニ於テ将校以下ノ襟章ヲ除カシムルコトヲ得
陸支密第五四四号 昭和十弐年八月廿九日
(以下省略)
---

(2)ところで、階級章を実際に外したという記録を兵東政夫『歩兵第十八聯隊史』(豊川堂、昭和39年)で見つけましたので紹介いたします。

---
(1937年10月27-30日頃についての記述)
いままで第一線をたたかいつづけてきた将兵は、ぼろぼろの夏服をまとってはいたが、その意気はまさにたかく、荒みきったともいうべきその顔と眼に新米の兵隊たちはにわかに緊張をかためた。上陸以来聯隊長以下ことごとく階級章もつけず、破れた地下足袋をはいた将兵を先頭にして、まなじりを決して、いよいよ蘇州河の敵前渡河にむかうのである。[p.289]

十一月十六日、この日は太倉へ入って三日目、上陸作戦も一段落したので軍紀維持の上から階級章をつけるように聯隊全員に命令が出された。また、一時手榴弾を返納することにもなった。[p.300]
---

 この連隊史は、まだ南京事件論争などなかった時代に書かれたので、他の連隊史に比べると率直に書かれている個所があります。
 放火隊が村を焼き払ったとか、「南京虐殺事件」も12月13日から15日のこととして、あっさり認めています。この期間には、18連隊は南京城内には入っていないらしいので、連隊には直接関係ないということでしょうか。

---
夜があけて各隊が出発すると、放火隊は部落を焼きはらうことがしばしばであった。いくさとはいいながら、暴支膺懲を叫びながら、戦斗部隊は中国民衆の生活をことごとく破壊し、通り魔の集団となってすすんでいく。それは、部隊が出発したあと、中国軍がその部落に布陣し、後続部隊がひどい損害をうけたため、それに懲りた日本軍の惨酷な報復と警戒の手段であった。[p.299-300]

南京虐殺事件がおきたのは十三日夜から十五日までの間であった。[p.300]
---

では。
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[33]ちょっとお遊び
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 熊猫 E-MAIL  - 05/3/24(木) 2:05 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : erwin.jpg
・サイズ : 114.3KB
  
添付画像【erwin.jpg : 114.3KB】 有名なロンメル将軍です。
しかし、ゴーグルはドイツ軍の物ではありません。
敵兵から、ぱくったゴーグルを着けています。「これはドイツ人の写真じゃない!」なんて誰も言わないと思います。
3,347 hits

[34]さらにお遊び
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 ja2047  - 05/3/24(木) 6:23 -

引用なし
パスワード
   ▼熊猫さん:
>有名なロンメル将軍です。

そーいえば、
パットン将軍が、米軍制式のコルト自動拳銃ではなく、
大時代なコルト回転拳銃をぶら下げていたのも有名な話です。
http://www.pattonhq.com/pistols.html
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[40]日本側の武装市民
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 ja2047  - 05/3/24(木) 20:58 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : vigilante.jpg
・サイズ : 89.6KB
  
添付画像【vigilante.jpg : 89.6KB】 市民の武装抵抗=ゲリラ=国際法違反 → いくらでも殺していいのだ

という主張をする人がよくいますが、これこそ平和ボケ。

ハーグ陸戦規約は市民の武装抵抗を全面的に禁じているわけではありません。


国際法の議論はさておき、日中戦争当時は日本人も「市民の武装抵抗」をしていた
という記録写真を紹介しておきます。
1937年7月、日中戦争(支那事変)開戦当時の写真です。

装備は1924年型モーゼル小銃とチェコ機銃のようです。
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[68]片手剣の練習
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 ja2047  - 05/3/28(月) 22:23 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : LIFE371011-2.jpg
・サイズ : 58.0KB
  
添付画像【LIFE371011-2.jpg : 58.0KB】

メッセージ16で、「南京事件 証拠写真を検証する」P161の銃剣刺突訓練の写真を考察しましたので、これと対をなして紹介される「片手剣術」の訓練の写真を取り上げてみましょう。

同書ではP164の「写真K」として掲載されており、
「兵士の構えがフェンシングのようで日本刀の構えをなしていない。」
とあります。

では、写真を詳細に見ていきましょう。
ごらんの通り、この「日本兵」は、略帽を被り、腰に「胴締め」と呼ばれるベルトを付けて、腰の左後ろに「剣差」を付け、剣差には銃剣の鞘を装着しています。
足には下士官用の長靴を履いていますので、階級は下士官であると思われます。

見たところ、銃剣は鞘から抜かれており、右手に持っているのがその銃剣であるようです。
「日本刀の構えをなしていない」のは当然です、右手に持っているものは「日本刀」ではないのですから。
これは「短剣術」と呼ばれる片手剣術であり、銃剣を銃に装着せず、短剣として格闘を行う技術の訓練なのです。
利き手で短剣を構えて、相手の喉元を狙うのが基本の技ですので、このような片手の構えになります。
短剣術の教練を示す適当な資料が手許にありませんでしたので、他ページへのリンクをご紹介します。
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage11.html
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/


なお、「南京事件 証拠写真を検証する」では、断定こそしていないものの、「ローダウン」氏の記事を引用して、この写真は1919年頃から使われているのと同一のものであるかのように書いてありますが、これは違います。 兵士が昭和12年仮制式の略帽を被っているところから、「満州事変」の時期以降に撮影されたものです。

ただ、一つどうしても解らないのが、服の色が奇妙に白いことです。
前線で活動する兵士の軍服は、後方の将校クラスのそれと比べて意外なほど明るい色で写真に写っていることがありますが、それでもこの左の写真の色ほど明るく写っているケースは見たことがありません。
私見では、仮にニセモノなのなら、どうせ後ろ姿なのだから、中国軍の軍服を着せるなり、今着ている服を汚すなりすれば、もう少しそれらしい写真が撮れます。
だいたいにおいて、ニセモノというのはホンモノ以上にそれらしくこしらえるものだと思うのですけどね。


4,072 hits

[82]わわ、いかん 訂正  <(_ _)>
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 ja2047  - 05/3/29(火) 21:10 -

引用なし
パスワード
   >なお、「南京事件 証拠写真を検証する」では、断定こそしていないものの、「ローダウン」氏の記事を引用して、この写真は1919年頃から使われているのと同一のものであるかのように書いてありますが、これは違います。 兵士が昭和12年仮制式の略帽を被っているところから、「満州事変」の時期以降に撮影されたものです。


こう言うところで間違えていたのではいけませんね。
旧陸軍における「略帽」の採用は”昭和7年”です。
したがって、 ”「満州事変」の時期以降に撮影されたもの” は正確ですが、”昭和12年仮制式の略帽”は誤りでした。
昭和12年は同じスタイルの略帽を海軍が採用した年です。

こういうトリビアルな事柄で他人様の「学問的業績(笑」の揚げ足を取っている雑文ですから、肝心の「事実」を間違えて記載したのではお話になりません (^^;

謹んで訂正いたします <(_ _)>

3,148 hits

[105]パナイ号の写真
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 ja2047  - 05/3/31(木) 21:28 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : panay_higashinakano.jpg
・サイズ : 74.8KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : panay_model_mirror.jpg
・サイズ : 35.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : panay_sinking_mirror.jpg
・サイズ : 44.4KB
  
添付画像【panay_higashinakano.jpg : 74.8KB】 添付画像【panay_model_mirror.jpg : 35.0KB】 添付画像【panay_sinking_mirror.jpg : 44.4KB】


> 「南京事件 証拠写真を検証する」のP82には、「日寇暴行実録」の「パナイ号」の写真について、「砲、マスト、煙突の形から見て、これはパネー号ではない」と書いてありますが、やはりパナイ号ではないかと思います。

上に、「南京事件 証拠写真を検証する」の該当写真、ワシントン海軍造船博物館蔵の模型、沈没するパナイ号の実写を上げておきます。(右の2枚は左右反転)
煙突やマストが基本的に同じものなのは明かですね。砲は形状が違うも何も、左の写真からは読みとれないのですが・・・

東中野氏が何を間違えたのかは不明ですが、この手の小型艦艇は艦橋回りや後甲板にキャンバスの覆いや風よけが設置できるようになってるので、これがあるとないとで、形が違って見えるのです。
また、マストに取り付けられたアンテナだの信号灯だのは、10年も就役してれば、何度か小改修を受けていても不思議はありません。
だいいち、これがパナイ号の写真ではなくて、同型艦のオアフ号だったり、ツツイラ号だったりしたら、南京での虐殺の有無になにか関係するのでしょうか? よく解りません。


で、その次のページを読んでいくとこんなことが書いてある
「たとえパネー号とともに取材機具や資料が沈んだとしても、外国人特派員が南京陥落前の虐殺を本当に自分の目で目撃していたのならば、その衝撃は脳裏に焼き付いていて、上海に着いたあと記憶にあるがままを記事にしてよかったはずだ。南京に残ったダーディン記者も記事にしていたはずだ。ところがそうした特派員はいなかった。記事にするような大虐殺の事実がなかったからである。」

・・・陥落”前の”と、さりげなく書いてあることにこだわって読む人は、ほとんどいないと思います (−−;
何なんだ、「陥落前の虐殺」って。 南京城内にいたダーディンが見てるわけないだろ、そんなもの。


3,369 hits

[113]LIFE 1937年10月11日号
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/2(土) 0:40 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
> メッセージ16で、「南京事件 証拠写真を検証する」P161の銃剣刺突訓練の写真を考察しましたので、これと対をなして紹介される「片手剣術」の訓練の写真を取り上げてみましょう。

[銃剣刺突]写真99と「片手剣術」写真Kともに初出は、LIFE誌なのですか?
LIFE 1937年10月11日号

仮に演出だとしたら、どちらも、ですね。
2枚のレイアウトとか、撮影者、場所とかの情報はありますか?

もし、LIFE現物がお手元にあるなら、教えてください。
3,132 hits

[114]Re(1):Re LIFE 1937年10月11日号
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 渡辺  - 05/4/2(土) 1:41 -

引用なし
パスワード
   「問答有用」板に投稿した、30424『日本軍の残虐・暴行写真 (1)写真の出現した時期』2004/10/29
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=30424&range=1
に、説明文と、小さいですが画像を掲載しております。
文章と写真一覧テーブルの間に空白ができていますので、下の方へスクロールしてください。
Lieut.-Col. Tan Takahashi を断定的に、高橋担大佐と訳していますが、「タン」という名前は珍しく、私が調べたところ、この人しか該当者がいませんでした。この人は、日中戦争前には、中国へ武官として赴任していたことがあります。
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[115]パナイ号関連資料
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 ja2047  - 05/4/2(土) 10:15 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : panay.jpg
・サイズ : 44.0KB
  
添付画像【panay.jpg : 44.0KB】


パナイ号自体の紹介、沈没時の状況の動画など関連資料をリンク集にしました。

艦自体の概説
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ships/PR/PR-5_Panay.html

沈没時の状況
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ships/dafs/PR/pr5-sinking.html

沈没時の記録フィルムが見られます。
http://www.hmsfalcon.com/Panay/Panay.htm

Yangtze River Patrol Memorial 
http://library.nps.navy.mil/home/yangtze/slides/YangSlidSho.ppt

1/192スケールのパナイ号文鎮、175ドルです (^^
http://www.steelnavy.com/Panay.htm

下関の難民、 管理人さんって、ひょっとして
http://otd11.jbbs.livedoor.jp/1102321/bbs_plain


 


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[116]Re(1):パナイ号関連資料(謎の管理人の正体)
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/4/2(土) 10:27 -

引用なし
パスワード
   ▼ja2047さん:
>下関の難民、 管理人さんって、ひょっとして
>http://otd11.jbbs.livedoor.jp/1102321/bbs_plain

ひょっとしなくてもクマさんですね(^^;
otdでもあーゆーカスタマイズが出来るんですね。
なーるほど、タグを使わせずに写真のurlだけで表示するシステムにしたのか、これは、このアイディアはここでもパクっちゃおう(笑)

歴史写真資料館ということで、こことは別の意味で意義がありますね。まだ公開前のようですが、クマさんに仕事をサボらせないために皆でブックマークして投稿しましょう(^○^)、、、(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
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[120]Re(2):Re LIFE 1937年10月11日号
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/2(土) 14:55 -

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   ▼渡辺さん:
>「問答有用」板に投稿した、30424『日本軍の残虐・暴行写真 (1)写真の出現した時期』2004/10/29
>http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=30424&range=1
>に、説明文と、小さいですが画像を掲載しております。
>文章と写真一覧テーブルの間に空白ができていますので、下の方へスクロールしてください。

どこかで見たと思ったら、渡辺さんの投稿だったのですね。有難うございます。

お礼のつもりで、渡辺さんの投稿の後に転載しましたら、管理人さんにご迷惑をかけてしまいました。(おお汗)
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<sage>

[126]Re(1):片手剣の練習
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 熊猫 E-MAIL  - 05/4/2(土) 22:43 -

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   長靴に悩まされているのですが、航空部隊の軍人ではないでしょうか?
空軍なんて言葉を使うと叱られそうですが、飛行場の写真には上下とも白い服装をして長靴を履いた軍人の写真があります。
残念ながら、アップの写真が無いため特定は出来ませんが.......。
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[137]Re LIFE 1937年10月11日号 :高橋担
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 渡辺  - 05/4/5(火) 18:35 -

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   渡辺:
>Lieut.-Col. Tan Takahashi を断定的に、高橋担大佐と訳していますが、「タン」という名前は珍しく、私が調べたところ、この人しか該当者がいませんでした。この人は、日中戦争前には、中国へ武官として赴任していたことがあります。

高橋担氏について追加します。
その後、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』を見ましたところ、Tan Takahashiは、高橋担に間違いなく、the Chinese Section of General Staff とは「参謀本部支那班」の訳のようです。
問題の記事が掲載された時期には「参謀本部支那班長」で、大佐になったのは、翌年3月でした。

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高橋 担[たん] (砲 香川)
  昭19・10・26中将 16・3・1少将
  13・3・1大佐 陸大38 支那駐在
  功四 功三
昭9・12・26北平在勤武官輔任官 10
・12・2参本支那班長 12・11・1参本附 13・2・18中支派遣軍参謀 14
・9・4第一三軍高級参謀 15・8・
1野砲二二聯隊長 16・3・1朝鮮軍参謀長 17・7・9南方軍総参謀副長
17・8
1兼軍政総監部総務部長 19
・10・14北支方面軍参謀長

[外山操/編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房、1981年、pp.373-4]
---
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[147]Re:謎の管理人の正体
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/4/6(水) 14:15 -

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   ▼とほほさん:
>ひょっとしなくてもクマさんですね(^^;

違ったみたいだ(^^;

あれーー、でもどういうわけか確信したんだよなー、何でだっけか忘れた。
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[228]>航空隊
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 ja2047  - 05/4/15(金) 22:13 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : suda.jpg
・サイズ : 45.4KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : type96_claude.jpg
・サイズ : 21.9KB
  
添付画像【suda.jpg : 45.4KB】 添付画像【type96_claude.jpg : 21.9KB】



▼熊猫さん:
>長靴に悩まされているのですが、航空部隊の軍人ではないでしょうか?
>空軍なんて言葉を使うと叱られそうですが、飛行場の写真には上下とも白い服装をして長靴を履いた軍人の写真があります。
>残念ながら、アップの写真が無いため特定は出来ませんが.......。

なるほどね。
その写真の時期と場所だけでもわかりませんか?

上左は1943年、ニューギニアの陸軍飛行第24戦隊の須田准尉です。
陸軍の防暑用飛行服はこういう明るい色でした。
右は同じ頃、海軍霞ヶ浦航空隊の写真です。
海軍の整備兵は白の作業服を着ています。
適当な写真がありませんが、陸軍の整備兵も明るい色の作業服を着ていることがあります。
ただ、航空隊の場合はいずれも上下つなぎの「煙管服」と呼ばれるジャンプスーツのことが多いです。
また搭乗用の長靴は乗馬用の膝下丈のものではなく、これよりかなり短い半長靴が標準です。で、整備兵は短靴が標準。

というわけで、その物ズバリの服装というのが思い当たりません。
あえて言えば、陸軍の衛生作業用の事業服というのが白の上下で、一番似た外観なのですが・・・
衛生兵の服着て捕虜の死体で銃剣術の訓練というのは、かなりブラックな場面ですね。 あまり考えたくない (^^;


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[271]ポケットの位置は?
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 ja2047  - 05/5/1(日) 9:54 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : hikaku2.jpg
・サイズ : 87.2KB
  
添付画像【hikaku2.jpg : 87.2KB】


「南京事件 『証拠写真』を検証する」のP142にこういう記述があります。

「写真66は軍服のポケットが日本軍の軍服(二○三頁参照)よりもやや下に位置している。」

比較してみましょう。

中央が問題の写真66,左隣が二○三頁の写真130です。
うーん (^^;
確かに高いかと言えば低い位置なのですが、着る人の体格、姿勢、服のサイズ、一着ずつの仕立ての差なども考慮すると、本当に「違うものである」と推定できるほどの差なのでしょうか。

他の写真とも比べてみましょう。
左端から1937年「郎坊事件」の満州駐屯独立第三守備隊堤支隊の兵士、写真130、写真66、写真68、1938年の江南作戦での第九師団歩兵三十五連隊の兵士、です。
写真66の兵のポケットが特別に低い位置に付いているわけではないことが判ります。
なお、右端のみ九八式軍衣に昭五式軍衣の肩章を付けた変則型の夏衣、他は昭五式軍衣ですが、左端と写真68は夏衣のようです。
写真130は冬衣ではないかと思いますが、荒い写真から、夏衣、冬衣を確実に見分けるのは不可能です。


「南京事件 『証拠写真』を検証する」全体に言えることですが、
「検証する」と言いながら、「素朴な疑問」を書き連ねるのみで、
何かを調べて裏付けを取ろうとする姿勢が極めて乏しいのですね。

こういうのは「検証」ではなくて、「催眠商法」と呼ぶべきものと思います。

 


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[272]Re(1):>航空隊
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 熊猫 E-MAIL  - 05/5/4(水) 1:34 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : kasima01.jpg
・サイズ : 342.8KB
  
添付画像【kasima01.jpg : 342.8KB】 『支那事變寫眞帖』(加島判)よりスキャンしました。
昭和十三年一月二五日発行となっていますから、それ以前の写真です。
九六の11型の搭乗員ではないかと思うのですが、う〜ん...悩むところです。
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[273]Re(2):>航空隊
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 ja2047  - 05/5/4(水) 7:11 -

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   荒鷲

▼熊猫さん:
>『支那事變寫眞帖』(加島判)よりスキャンしました。
>昭和十三年一月二五日発行となっていますから、それ以前の写真です。
>九六の11型の搭乗員ではないかと思うのですが、う〜ん...悩むところです。

はいはい、右上写真の左端に移っているのは九六陸攻の機首ですね。
たくさん並んでる白服の人は、操縦士用の縛帯(落下傘バンド)ではなくて、同乗者用の縛帯を着けていますので、陸攻の偵察員とか通信員です。
服は白の事業服(作業衣)だと思います。左端の人を見ると、上下つなぎではないですね。
後ろ姿の訓辞をしている人だけが、いわゆる飛行服を着ています。



右下の写真は九六式艦上爆撃機、パナイ号を沈めた機種です。
整備員の帽子が中間色に写っていますが、何色でしょうね。
のちには帽子も白になりますが、この段階ではカーキ色かグレーのような色だったというのは、初めて確認しました。

この写真はすべて海軍の航空隊ですが、問題の写真は航空隊関係だとしても陸軍の航空隊だと思うのですけどね。
しかし、右下写真の中央の人などは、写真の服装とよく似た色の服装です。
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[282]恥の写真帳 写真68
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 ja2047  - 05/5/5(木) 14:11 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : horyo_bayonett.jpg
・サイズ : 33.9KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : hikaku3.jpg
・サイズ : 62.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : heat_shield.jpg
・サイズ : 92.9KB
  
添付画像【horyo_bayonett.jpg : 33.9KB】 添付画像【hikaku3.jpg : 62.5KB】 添付画像【heat_shield.jpg : 92.9KB】

「南京事件『唱歌写真』を検証する」 の中では、突っ込んだ考察はされていないのですが、どうも私にはこの「写真68」は1938年になってからの写真の可能性があると思えます。

上の写真左側が写真68「捕虜に銃剣を突きつける日本兵」です。
軍服は昭五式軍衣の夏衣のように見えますが、南京攻略戦では上海から夏衣のままで進軍した兵士が多く存在したことはご存じの通りです。 服は時期の推定には使えません。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=60;id=imgbord#atop
装具は水筒だけなので、行軍中や戦闘中ではなく、戦闘終了後のものでしょう。
なにやら記念写真ぽく見える写真でもあります。
銃は三八式騎兵銃ですので、まず歩兵の写真ではない。
で、問題は鉄帽なのですが、奇妙に大きいのですね。
どうもこれは防暑帽ではないかという気がするのです。
防暑帽であるとすれば、南京戦では例を見ませんので、陥落後かなり経ってから、あるいは広東作戦以後の写真である可能性が高いと言えます。

上中に、鉄帽と防暑帽の比較写真を挙げておきます。
顔の幅とか肩幅とか個人差がありますので、断定はできませんが、大きめであることは見て取れると思います。

さらに、右に、鉄帽と複数の形式の防暑帽が写っている写真を挙げておきます。
1939年6月の汕頭作戦における第百四師団歩兵第百三十七連隊ですが、画面左側の2名は九○式鉄帽を、中央手前の兵とその右の何名かの兵は鉄帽の上に「提灯」のような構造を持つ軽量の防暑用カバーを付けていることが解ります。
さらに、右奥の兵は布製の防暑帽を、その左の兵はやや丈夫なヘルメット帽型の防暑帽を被っています。
装備がかなりバラバラなのが面白いところです。(一億人の昭和史 日本の戦史5 日中戦争3 P91)

写真がいま少し鮮明であれば、何を被っているかが明確になるのですが、この写真からははっきりしないので、これが実際に防暑帽の写真であるかどうか断言出来ません。
写真68の兵が被っているのが、この種の防暑帽、または防暑用の覆いであるとすると、1938年夏以降の写真である可能性が高くなってきます。
「恥の写真帳」の成立過程からして、1938年夏ごろの写真が含まれていたとしてもおかしくはないと思うのですが。

 


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[283]帽垂れ
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 ja2047  - 05/5/5(木) 14:25 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : C89.jpg
・サイズ : 38.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : joshuu.jpg
・サイズ : 54.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : heikeikan.jpg
・サイズ : 55.2KB
  
添付画像【C89.jpg : 38.7KB】 添付画像【joshuu.jpg : 54.6KB】 添付画像【heikeikan.jpg : 55.2KB】

続いて「帽垂れ」です。
いままでのところ、旧日本軍の軍装について、きちんと考察をする意志のある人が、否定派の立場で写真検証を行ったことがないので、注目されることがありませんでしたが、いずれ議論の俎上に載るかもしれないので、この際に取り上げておこうと思います。

上左に挙げたのが、写真89ですが、5名の兵士がいずれも、この「帽垂れ」を付けています。
布の戦闘帽の横から後ろにかけて、日よけの布をたらしていることが日本兵のシンボルのようになっていますが、これが帽垂れで、正式に採用されたのは1938年のことです。
1938年4月発令の徐州作戦ではこの帽垂れを付けた写真が多く見られ、夏以降はさらに軍全体へと普及します。
上中は金郷城付近で渡橋を組み立てる第十六師団兵士です(一億人の昭和史 日本の戦史4 日中戦争2 P68)
帽垂れを付けた写真は1938年春以降の写真である可能性が高いのです。

それでは、帽垂れを付けているからという理由で、1938年春以降の写真であると断定できるかというと、できません。
1937年時点で、まれに帽垂れを付けた写真が残っています。
上右は1937年9月、平型関の第五師団野砲兵第五連隊ですが、何名かが帽垂れを付けています。(一億人の昭和史 日本の戦史3 日中戦争1 P209)
ただし、付けている兵といない兵があり、色や形状も違うので、この時期帽垂れは標準装備になっていなかったことが窺える写真でもあります。


 


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[343]うーん
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 ja2047  - 05/5/7(土) 19:11 -

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   >ただ、一つどうしても解らないのが、服の色が奇妙に白いことです。

なんか、へんなもの見つけちゃいました。
服についてはちょっと再調査の要ありです。
「運動衣袴」かもしれません。
http://www.webdiva4hire.com/kenshinkan/ph_toyama.html
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[354]戸山流と高山流
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 ja2047  - 05/5/8(日) 19:32 -

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   旧陸軍に「陸軍戸山学校」という施設がありました。
今日では、陸軍軍楽の総本山としての方が有名ですが、元々は西洋式軍備の研究と普及のために明治6年に創設されたものであり、大正時代には戸山流という軍刀術が成立しています。
昭和の初めに戸山流軍刀術の師範に高山助政というかたがいたようなのですが、まだ詳しいことが確認できていません。
一方海軍の軍刀術は高山流というそうで、こちらも高山政吉というかたが有名であるようです。

両高山剣士について、もう少し調べてみようと思います。

http://www.webdiva4hire.com/kenshinkan/ph_toyama2.html
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200410100930000000036568000

なお、この件についても少し触れていますが、最近急速に充実しつつある鳥飼先生のページです。
http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/1937.html
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[355]Re(1):戸山流と高山流
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/8(日) 22:01 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
>なお、この件についても少し触れていますが、最近急速に充実しつつある鳥飼先生のページです。
>http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/1937.html


鳥飼先生もこの検証板の愛読者のようですね(笑)

本当に充実しつつあるのでビックリしました。が、充実すればするほど写真入ですから、重たくなりますね。私のページもそうですから、余り大きなことは言えませんが、
とりあえず、

(1)文字化け防止のメタタグを記入する
 shift_jis でアップした場合:
 <META http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS">
 EUCでアップした場合:
 <META http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=EUC-JP">

 ※ このおまじないさえ入れれば、ジオシチィーズでも、Shift_JIS でOKのようです。

(2)リンクは素早く本文に戻れるように、属性target="_blank"を付ける

 この2つをお願いできないものでしょうか。
 閲覧時のいらいらがなくなります。
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[359]Re(2):戸山流と高山流+鳥飼先生
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 渡辺  - 05/5/8(日) 23:39 -

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    中島今朝吾日記に「高山剣士」が試し斬りをした話が2度ほど出てくるので、何だろうかと思っていました。これは、高山流剣士ということかも知れません。

▼ピッポさん:
>▼ja2047さん:
>>なお、この件についても少し触れていますが、最近急速に充実しつつある鳥飼先生のページです。
>>http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/1937.html
>
>
>鳥飼先生もこの検証板の愛読者のようですね(笑)

 先生は、大分、愛読されておられる様子(^^)
 しかし、なー、いかんところがあるぞ(^^;
 もとはといえば、他人の画像だから私にも非があるので文句はいえないが...
 せめて出所は明示してくれないと私の投稿が新たな誤用写真の発信源になっても困るし。
http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/nanking.html
 「当サイトへのご訪問ありがとうございます。2005年4月25日以来,○○○○名の訪問者があります。写真,データなどを引用する際は,URLなど出所を明記してください。」ってか...こちらこそ頼みますよ(^^)
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[363]Re(3):戸山流と高山流
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 ja2047  - 05/5/9(月) 6:10 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
> 中島今朝吾日記に「高山剣士」が試し斬りをした話が2度ほど出てくるので、何だろうかと思っていました。これは、高山流剣士ということかも知れません。

なるほど、・実際に高山という人であった。 ・高山流の剣士という意味である。 ・高山流の師範は高山を名乗る習慣がある。(芸事ではよくあります) など、いろいろ考えられますね。


ちなみに、msg343でリンクしたサイトの解説には
http://www.webdiva4hire.com/kenshinkan/ph_toyama.html

「陸軍戸山学校の海軍式軍刀術師範である高山助政が陸軍戸山学校で教えられた戸山流居合い術の模範を示している」
とあります。

これなど読むと、戸山流と高山流は別の流派というわけではなく、戸山学校で教えられる高山流を「戸山流」と呼んだのかいな、と思うんですが、まだよく解りません。
ちょっと研究課題とさせて下さい。

 
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