当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
【否定派の写真検証を批判的に再検証するページとしてはタラリさんのページや、渡辺さんが問答有用に投稿したのなどがありますが、そういった再検証のまとまったサイトというのが欲しいと思うようになりました。

ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
と言う靴屋さんの発言をきっかけに設置しました。
投稿者は限定いたしますが、特に資格等はございません。歴史修正主義に対しきちんと反論せねばならない、とお考えの方はどんどんご利用ください。

当掲示板における写真資料等に関する考え方は当掲示板の目的を参照してください。
メンテ中検証板のメンバーの方は改めて登録する必要はありません。
登録するには[留意事項]をお読みください。
画像資料攻撃典型例
アポロの月着陸は嘘
911事件はアメリカの陰謀
【南京事件 「証拠写真」を検証する】
(東中野修道著)徹底批判
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[14]日本兵の服装は偽造か? ピッポ 05/3/20(日) 21:12
[15]Re(1):日本兵の服装は偽造か? ja2047 05/3/20(日) 22:59
[16]Re(2):日本兵の服装は偽造か? ピッポ 05/3/21(月) 0:24
[18]日本軍の便衣行為 ja2047 05/3/21(月) 21:55 [添付]
[19]例外だらけの装備品 ja2047 05/3/21(月) 22:02 [添付]
[20]軍装の例外[2] ja2047 05/3/21(月) 22:28 [添付]
[21]階級証の例外 ja2047 05/3/21(月) 22:37 [添付]
[22]Re(1):階級証の例外 ja2047 05/3/21(月) 22:37 [添付]
[25]Re:軍装の不統一 軍隊生活の自分史サイト ピッポ 05/3/22(火) 11:01
[26]Re軍隊生活の自分史サイト ja2047 05/3/22(火) 21:14
[28]Re(1):Re軍隊生活の自分史サイト とほほ 05/3/22(火) 22:29
[30]Re(1):階級証の例外:第十八聯隊史より 渡辺 05/3/23(水) 1:31
[33]ちょっとお遊び 熊猫 05/3/24(木) 2:05 [添付]
[34]さらにお遊び ja2047 05/3/24(木) 6:23
[40]日本側の武装市民 ja2047 05/3/24(木) 20:58 [添付]
[27]腰より上の水筒の例 ja2047 05/3/22(火) 22:19 [添付]
[68]片手剣の練習 ja2047 05/3/28(月) 22:23 [添付]
[126]Re(1):片手剣の練習 熊猫 05/4/2(土) 22:43
[228]>航空隊 ja2047 05/4/15(金) 22:13 [添付][添付]
[272]Re(1):>航空隊 熊猫 05/5/4(水) 1:34 [添付]
[273]Re(2):>航空隊 ja2047 05/5/4(水) 7:11
[82]わわ、いかん 訂正  <(_ _)> ja2047 05/3/29(火) 21:10
[113]Re LIFE 1937年10月11日号 ピッポ 05/4/2(土) 0:40
[114]Re(1):Re LIFE 1937年10月11日号 渡辺 05/4/2(土) 1:41
[120]Re(2):Re LIFE 1937年10月11日号 ピッポ 05/4/2(土) 14:55
[137]Re LIFE 1937年10月11日号 :高橋担 渡辺 05/4/5(火) 18:35
[343]うーん ja2047 05/5/7(土) 19:11
[354]戸山流と高山流 ja2047 05/5/8(日) 19:32
[355]Re(1):戸山流と高山流 ピッポ 05/5/8(日) 22:01
[359]Re(2):戸山流と高山流+鳥飼先生 渡辺 05/5/8(日) 23:39
[363]Re(3):戸山流と高山流 ja2047 05/5/9(月) 6:10
[413]服装がバラバラですが 熊猫 05/8/14(日) 1:43 [添付]
[414]Re(1):服装がバラバラですが ピッポ 05/8/14(日) 9:18 [添付]
[415]作業衣なんですけどね ja2047 05/8/14(日) 17:22 [添付][添付][添付]
[417]そうでもないかもよ 熊猫 05/8/15(月) 22:56 [添付]
[418]これで結論かな ja2047 05/8/16(火) 16:14 [添付]
[422]Re(1):これで結論かな:多謝 渡辺 05/8/17(水) 0:57
[423]Re(1):片手剣の練習 熊猫 05/8/27(土) 10:15 [添付][添付]
[429]出た出た ja2047 05/8/29(月) 21:16
[440]否定派さんに画像サービス 熊猫 05/9/1(木) 21:01 [添付][添付][添付]
[442]Re(2):片手剣の練習+銃剣=多謝 渡辺 05/9/3(土) 16:10 [添付][添付][添付]
[493]短剣術の訓練 熊猫 05/9/26(月) 22:32 [添付][添付][添付]
[105]パナイ号の写真 ja2047 05/3/31(木) 21:28 [添付][添付][添付]
[115]パナイ号関連資料 ja2047 05/4/2(土) 10:15 [添付]
[116]Re(1):パナイ号関連資料(謎の管理人の正体) とほほ 05/4/2(土) 10:27 [添付]
[147]Re:謎の管理人の正体 とほほ 05/4/6(水) 14:15
[271]ポケットの位置は? ja2047 05/5/1(日) 9:54 [添付]
[282]恥の写真帳 写真68 ja2047 05/5/5(木) 14:11 [添付][添付][添付]
[283]帽垂れ ja2047 05/5/5(木) 14:25 [添付][添付][添付]
[416]Re(1):帽垂れ 熊猫 05/8/15(月) 0:14 [添付]
[419]Re(2):帽垂れ ja2047 05/8/16(火) 18:31 [添付]
[420]Re(3):帽垂れ 熊猫 05/8/17(水) 0:16 [添付]
[421]失礼!訂正します。 熊猫 05/8/17(水) 0:32
[424]Re(1):靴が違う? ピッポ 05/8/29(月) 18:22 [添付]
[425]Re(2):靴が違う? msq 05/8/29(月) 20:22
[426]Re(3):靴が違う? ピッポ 05/8/29(月) 20:50
[428]Re(4):靴が違う? msq 05/8/29(月) 21:03
[427]「識者」ではないですが (^^; ja2047 05/8/29(月) 20:57 [添付][添付][添付]
[430]Re(1):「識者」ではないですが (^^; msq 05/8/29(月) 21:28
[431]あーそうか ja2047 05/8/29(月) 21:45
[432]Re(1):あーそうか msq 05/8/29(月) 22:03
[433]Re(2):引導渡し ピッポ 05/8/29(月) 22:53
[434]Re(3):引導渡し msq 05/8/29(月) 23:26
[435]Re(4):夜襲にも役立ちます ピッポ 05/8/30(火) 1:31
[436]まだ成仏してませんが ja2047 05/8/30(火) 23:16 [添付][添付][添付]
[439]地下足袋の話でしたら ゆう 05/9/1(木) 20:57
[441]もう一つ謎が解けたかも ja2047 05/9/2(金) 18:20
[437]南京戦は地下足袋を履いておりました。 熊猫 05/8/31(水) 0:15
[438]Re(1):南京戦は地下足袋を履いておりました。 ピッポ 05/8/31(水) 9:35
[559]Re(1):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/11(金) 20:45 [添付]
[560]Re(2):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/11(金) 23:18 [添付]
[561]Re(3):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/11(金) 23:24 [添付]
[562]Re(4):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/11(金) 23:39 [添付][添付][添付]
[565]どなたか精細な写真をお持ちでないですか ja2047 05/11/13(日) 11:02 [添付][添付][添付]
[566]Re(1):どなたか精細な写真をお持ちでないですか msq 05/11/13(日) 21:14 [添付]
[567]ちょっとどちらとも言えないですね ja2047 05/11/13(日) 22:10 [添付][添付]
[563]Re(2):お腰につけたものは何? 渡辺 05/11/11(金) 23:46
[564]Re(3):お腰につけたものは何? ピッポ 05/11/12(土) 0:10
[584]勝手ながら ja2047 06/4/4(火) 21:38 [添付]
[585]Re(1):勝手ながら ピッポ 06/4/5(水) 11:00
[586]Re(2):勝手ながら ja2047 06/4/5(水) 12:51
[587]Re(3):勝手ながら ピッポ 06/4/5(水) 19:53
[590]Re(4):勝手ながら ja2047 06/4/6(木) 6:06
[591]フォロー 熊猫 06/4/6(木) 7:58
[595]Re(1):フォロー ピッポ 06/4/7(金) 23:03
[588]Re(1):勝手ながら 熊猫 06/4/5(水) 23:03 [添付]
[589]防暑帽かな ja2047 06/4/6(木) 6:04 [添付]
[596]鉄兜二題 ja2047 06/4/9(日) 9:10 [添付][添付]

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[413]服装がバラバラですが
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 熊猫 E-MAIL  - 05/8/14(日) 1:43 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : muraoka.jpg
・サイズ : 233.9KB
  
添付画像【muraoka.jpg : 233.9KB】 撮影時期は、昭和13年12月10日以降であるとしか解りません。
輜重兵第六連隊のアルバムの写真です。村岡隊修理班とだけ手書きされております。
輜重兵第六連隊自動車隊(村岡一孝少尉)の部隊であることまでは解っています。

昭5式を着用しているのは、中央の兵士のみです。上下白い服装の兵士は鉛管服ではないように見えるのですが如何でしょうか?
3,900 hits

[414]Re(1):服装がバラバラですが
←back ↑menu ↑top forward→
 ピッポ E-MAIL  - 05/8/14(日) 9:18 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : muraoka[1].jpg
・サイズ : 157.5KB
  
添付画像【muraoka[1].jpg : 157.5KB】 熊猫さん

余計なことですが
写真をちょっとシャープに補正してみました。
3,834 hits

[415]作業衣なんですけどね
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 ja2047  - 05/8/14(日) 17:22 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : sityoubutai.jpg
・サイズ : 155.2KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : work_wear.jpg
・サイズ : 67.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : tank_trainees.jpg
・サイズ : 109.2KB
  
添付画像【sityoubutai.jpg : 155.2KB】 添付画像【work_wear.jpg : 67.6KB】 添付画像【tank_trainees.jpg : 109.2KB】

▼熊猫さん:
>昭5式を着用しているのは、中央の兵士のみです。上下白い服装の兵士は鉛管服ではないように見えるのですが如何でしょうか?

確かに白の服は明らかに上下別ですね。白服の場合袖が開いているように見えます。
これに対して、やや濃い色の作業服は袖を締めているように見えます。また、上下セパレートかどうかは写真からは明瞭ではありません。
私は、これは第一種作業衣(写真中、左の白服)と第二種作業衣(写真中、右の薄いカーキの服)ではないかと思います。
一般には第一種作業衣は、衛生兵勤務、炊事作業などに使われ、ヨゴレ作業には第二種作業衣を用いたと解説されているのですが、写真右のように油ヨゴレの作業を白い服でしている写真もあるので、ヨゴレ仕事での着用もあったのかなと思います。
しかしなー、衛生作業衣で刺突訓練というのはやっぱり釈然としませんね、気分的に (^^;


現物写真(Kontanさんのページへのリンク)

第一種作業衣
http://kon-tan.hp.infoseek.co.jp/catarog/A021.html

第二種作業衣
http://kon-tan.hp.infoseek.co.jp/catarog/A020.html
上下つなぎで、左胸だけに大きなポケットが付いています。


3,865 hits

[416]Re(1):帽垂れ
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 熊猫 E-MAIL  - 05/8/15(月) 0:14 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 001.jpg
・サイズ : 115.7KB
  
添付画像【001.jpg : 115.7KB】


>それでは、帽垂れを付けているからという理由で、1938年春以降の写真であると断定できるかというと、できません。
>1937年時点で、まれに帽垂れを付けた写真が残っています。

提示した写真は、第六師団輜重兵第六連隊が南京から蕪湖へ向かう際の写真です。
間違いなく、1937年には帽垂れを付けていますね。
写真の出所は支那事變出動記念寫眞帖高屋部隊からです。昭和15年に輜重兵第六連隊の記念として作成されたものではないかと思います。


3,090 hits

[417]そうでもないかもよ
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 熊猫 E-MAIL  - 05/8/15(月) 22:56 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : noguchi.jpg
・サイズ : 193.4KB
  
添付画像【noguchi.jpg : 193.4KB】 >しかしなー、衛生作業衣で刺突訓練というのはやっぱり釈然としませんね、気分的に (^^;

留意すべきことは、同じ時期に同じ場所で撮影された写真が2枚あるということです。
騎兵銃がヒントになることは、既に気が付いているはずです。
再度、輜重兵の写真(生写真です!)を提示してみました。今回は騎兵銃と白い服が偶然にアルバムの同じページにあるので、本能的にアップしました(^^)。
残念なのは、日本国内で撮影された写真と言うことでしょうか、これが中国で撮影された写真であれば「これでもか!?」と言うことになるのですが......。

むしろ、返り血で汚れてもいいように昭5や九八を着用しなかったと考えてもよいのではないかと思います。
3,816 hits

[418]これで結論かな
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 ja2047  - 05/8/16(火) 16:14 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : work_wear2.jpg
・サイズ : 134.4KB
  
添付画像【work_wear2.jpg : 134.4KB】


▼熊猫さん:
>むしろ、返り血で汚れてもいいように昭5や九八を着用しなかったと考えてもよいのではないかと思います。

確かに、輜重兵が馬匹の世話をするときに白の第一種作業衣を着ているケースがありますね。 というか、それが決まりだったみたいです。
http://www.geocities.jp/sakura_2652/daikouri/kouri2/kouri2.html

衛生兵ではない歩兵が前線まで作業衣を持ち歩くのは考えにくいと思ったのですが、輜重兵の場合は馬の世話にしろ車両整備にしろ作業衣は必要な装備であるし、持ち運びに困ることもないでしょう。

服は第一種作業衣袴、兵種は輜重部隊の可能性が高い、ということが、謎の白服についての結論と言うことになるかと思います。


3,854 hits

[419]Re(2):帽垂れ
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 ja2047  - 05/8/16(火) 18:31 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : sakai.jpg
・サイズ : 126.8KB
  
添付画像【sakai.jpg : 126.8KB】


▼熊猫さん:
>提示した写真は、第六師団輜重兵第六連隊が南京から蕪湖へ向かう際の写真です。
>間違いなく、1937年には帽垂れを付けていますね。

すると、12月20日前後の写真なのでしょうか。
どうも、日差しの弱い時期には帽垂れは不要のものと思っていました。
第六師団の場合、1938年4月発動の廬州攻略の坂井支隊の写真では、帽垂れの着用とともに、折り襟の軍衣の先行使用が確認できます(一億人の昭和史 日本の戦史 日中戦争2 P111)

南京攻略後、4月までの間に、折り襟の軍衣が先行して支給され、帽垂れ付の略帽も合わせて支給されたのではないかと思っていますが、時期が特定できません。
ちょうど2月〜3月という南京事件終息期に新軍服の支給があったとすれば、写真の年代推定にも影響してきます。時期を特定できる写真に気付かれたらぜひ公開して下さるようお願いします  m(_ _)m


3,138 hits

[420]Re(3):帽垂れ
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 熊猫 E-MAIL  - 05/8/17(水) 0:16 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : noguchi(2).jpg
・サイズ : 357.8KB
  
添付画像【noguchi(2).jpg : 357.8KB】 本来はモノクロでよいのでしょうが、折角の生写真提示なのでカラーでスキャンしました。背景に注意して下さい。熊本市で撮影されてあることが一目瞭然です。そして後列の二人の兵士が帽垂れをしているのが確認できます。
輜重兵第六連隊が日中戦争のため熊本を出発したのは、1937年8月10日です。
つまりこの写真は1937年8月10日以前の写真であるということです。

これは第六師団輜重兵第六連隊馬廠の写真です。南京陥落前から帽垂れはあったと解釈して問題ないと思います。
3,540 hits

[421]失礼!訂正します。
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 熊猫 E-MAIL  - 05/8/17(水) 0:32 -

引用なし
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   >南京から蕪湖へ向かう際の写真です。
これは私の間違いです。アルバムの同じページにある写真のキャンプションと見間違えておりました。除洲会戦の写真でした。お詫び申し上げます。
3,076 hits

[422]Re(1):これで結論かな:多謝
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 渡辺  - 05/8/17(水) 0:57 -

引用なし
パスワード
   ▼ja2047さん:
>服は第一種作業衣袴、兵種は輜重部隊の可能性が高い、ということが、謎の白服についての結論と言うことになるかと思います。

ja2047さん、熊猫さん、ありがとうございました。

下のurlの「問答有用」投稿に紹介したチャイナウークリーレビューの説明でも、軍服が日本軍のものであることについては高橋氏も認めていたようです。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=30424&range=1
当時、日本の行動を正当化する論陣を張っていた K.K.カワカミの『シナ大陸の真相』(福井雄三訳、展転社)にも同じ内容の高橋氏の発言が肯定的に引用されており、中国人が日本軍の軍服を着たものという主張です。この部分について、東中野は読者に誤解を与えるような記述をしています。けしからんオッサンだな...
3,845 hits

[423]Re(1):片手剣の練習
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 熊猫 E-MAIL  - 05/8/27(土) 10:15 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : kenjyutsu.jpg
・サイズ : 27.2KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : kenjyutu.JPG
・サイズ : 37.0KB
  
添付画像【kenjyutsu.jpg : 27.2KB】 添付画像【kenjyutu.JPG : 37.0KB】 >短剣術の教練を示す適当な資料が手許にありませんでしたので、他ページへのリンクをご紹介します。

昭和9年発行の「剣術教範」には短剣術が記述されています。
軍刀であろうが、銃剣であろうが「あり」です。
3,678 hits

[424]Re(1):靴が違う?
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 ピッポ E-MAIL  - 05/8/29(月) 18:22 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 71_c.jpg
・サイズ : 22.3KB
  
添付画像【71_c.jpg : 22.3KB】

 
すでに既出だったらごめんなさい。



公開斬首処刑写真C(東中野本P138)
この写真で著者は太陽の入射角を考察していますが、

ついでに写真説明の欄に、
「なお、この兵士の軍靴は日本軍のものでないようだ」
とさりげなく書いています。
勿論、判断の理由など書いていません。

識者の批判を請います。
3,986 hits

[425]Re(2):靴が違う?
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 msq  - 05/8/29(月) 20:22 -

引用なし
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   ▼ピッポさん

やはり識者に説明していただくのが本当でしょうが。

「なお、この兵士の軍服は立て襟ではなく、軍靴も日本軍のものではないようだ」と書いてありますよ。この兵士は肌シャツですが、脱いだ軍服はどこにも見えませんね。他の写真の説明にも思えますね。本当のところは、軍靴も含め別段意味のある記述ではなくて、とぼけてつけた単なる「ハテナ」のワンポイントではないかと思います。中身の人間はどう見ても、日本兵のようですし。
3,944 hits

[426]Re(3):靴が違う?
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 ピッポ E-MAIL  - 05/8/29(月) 20:50 -

引用なし
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   ▼msqさん:
>「なお、この兵士の軍服は立て襟ではなく、軍靴も日本軍のものではないようだ」と書いてありますよ。この兵士は肌シャツですが、脱いだ軍服はどこにも見えませんね。他の写真の説明にも思えますね。本当のところは、軍靴も含め別段意味のある記述ではなくて、とぼけてつけた単なる「ハテナ」のワンポイントではないかと思います。中身の人間はどう見ても、日本兵のようですし。

msqさん
早速のご回答ありがとう御座います。

ところで、私のは2月21日発行第3刷ですが、
軍服は立て襟ではなく、」
この部分はありません。不良品でしょうか(笑)???

msqさん お手元の謹製?(失礼)本は、何刷ですか?
3,951 hits

[427]「識者」ではないですが (^^;
←back ↑menu ↑top forward→
 ja2047  - 05/8/29(月) 20:57 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : gunka1.jpg
・サイズ : 162.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : gunka3.jpg
・サイズ : 139.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : gunka2.jpg
・サイズ : 39.7KB
  
添付画像【gunka1.jpg : 162.0KB】 添付画像【gunka3.jpg : 139.1KB】 添付画像【gunka2.jpg : 39.7KB】


▼ピッポさん:

>ついでに写真説明の欄に、
>「なお、この兵士の軍靴は日本軍のものでないようだ」
>とさりげなく書いています。
>勿論、判断の理由など書いていません。
>
>識者の批判を請います。


ふむふむ、代表的な歩兵用軍靴は「かかと」がもう少し明確に付いてますからね。
そういう意味では、典型的な歩兵用軍靴ではないですが、ちょっと解りません。
上写真左は徐州入城時の写真ですが、足元を見ると、右の兵士の靴が典型的な軍靴の形状、左の兵士はちょうど同じような底の平たい靴を履いています。
何という靴なのか、今特定できませんが、こういう靴があったのは確かでしょう。

斬首写真の方は、もう少し解像度の高い写真、どこかにないでしょうかね。


なお、「立て襟云々」は、私の持っている第一刷にはありますよ。


3,966 hits

[428]Re(4):靴が違う?
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 msq  - 05/8/29(月) 21:03 -

引用なし
パスワード
   ▼ピッポさん
>ところで、私のは2月21日発行第3刷ですが、

私のは、「2005年2月8日第1刷発行」となっています。おそらく値の出る?初版です。最近書店で見て刷が変っていることは気付いていましたが改訂もあったのですね。点検の要ありですね。第1刷はかなり変なところがありますから。もとはこの程度のいい加減さもあるわけです。
3,964 hits

[429]出た出た
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 ja2047  - 05/8/29(月) 21:16 -

引用なし
パスワード
   ▼熊猫さん:
>昭和9年発行の「剣術教範」には短剣術が記述されています。
>軍刀であろうが、銃剣であろうが「あり」です。


そうですね、「短剣術」の説明にも「「片手軍刀術」に準じた構えをとり、」とありますから、日本刀での「片手軍刀術」も同様の構えだったわけですね。
もともと日本の軍刀術はフランス式の「片手軍刀術」から始まり、軍刀がサーベル式から日本刀式になったため、大正期に「両手軍刀術」が導入されたのだから、長刀の片手剣術も「あり」なわけでした。
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[430]Re(1):「識者」ではないですが (^^;
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 msq  - 05/8/29(月) 21:28 -

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   ▼ja2047さん
ja2047さんのコメントの真ん中の写真の履物は先丸地下に似ていますね。輸出用には先丸地下というのは大正時代にあったようです。現在でも国内で売っています。兵士が地下足袋を使っていたという話は何かで読んだ覚えがあります。

参考:先丸地下 http://www.uni-work.co.jp/web/g/10054/
参考:つきほし歴史館 http://www.moonstar.co.jp/corporateinfo/
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[431]あーそうか
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 ja2047  - 05/8/29(月) 21:45 -

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   ▼msqさん:
>ja2047さんのコメントの真ん中の写真の履物は先丸地下に似ていますね。輸出用には先丸地下というのは大正時代にあったようです。現在でも国内で売っています。兵士が地下足袋を使っていたという話は何かで読んだ覚えがあります。

船舶部隊の兵の滑り止めや夜襲の際の足音の防止に地下足袋式の軍靴も使っていたということですが、先が割れてないものが有ったわけですね。
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[432]Re(1):あーそうか
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 msq  - 05/8/29(月) 22:03 -

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   ▼ja2047さん

本の名前を忘れてしまったのですが、装備が間に合わせで良くないという話として地下足袋の話が出ていました。現行品に股付きと先丸があって、先丸に形が似ている点、また月星の年表に大正14年に「輸出用先丸地下足袋製造開始」とあったということだけですから、それと斬首の方は一般の兵士じゃないようですから、やはり、どなたか詳しい方のご意見をいただいたほうがよさそうです。
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[433]Re(2):引導渡し
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 ピッポ E-MAIL  - 05/8/29(月) 22:53 -

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   msqさん
ja2047さん

私の愚問ですら、お二人に掛かったら即座に解決ですね(笑)。
ありがとう御座いました。
もう99%解決ですね。

東中野教授はなんで、お二人を共著者として高給で雇わなかったんでしょう?
そうすれば、読者をもっともっと騙すことが出来て、
トンデモ本の寿命も延びたのに、
と、つくづく思います。

(でも、これからも雇われないでくださいね)
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[434]Re(3):引導渡し
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 msq  - 05/8/29(月) 23:26 -

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   ▼ピッポさん

検索してみたら、こんなのを見つけました。

インターネット書籍―「軍隊生活全貌」 第五章 戦傷
http://www.mni.ne.jp/~proton/book5.html

おそらく昭和19年のことかと思いますが、
"「足は治っても、軍靴は履けない」と言って、衛生兵に中古の地下足袋と交換して貰った。股なし地下足袋で、復員して家まで履いて来た。野戦病院まで携行した兵器類と装具は、全部病院に納めた。"
とあります。
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[435]Re(4):夜襲にも役立ちます
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 ピッポ E-MAIL  - 05/8/30(火) 1:31 -

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   ▼msqさん:
>検索してみたら、こんなのを見つけました。
>
>インターネット書籍―「軍隊生活全貌」 第五章 戦傷
>http://www.mni.ne.jp/~proton/book5.html
>
>おそらく昭和19年のことかと思いますが、
>"「足は治っても、軍靴は履けない」と言って、衛生兵に中古の地下足袋と交換して貰った。股なし地下足袋で、復員して家まで履いて来た。野戦病院まで携行した兵器類と装具は、全部病院に納めた。"
>とあります。

私も、(戦場 地下足袋)で検索してみましたら

究極の戦場 沖縄
http://www11.ocn.ne.jp/~mino0722/okinawa11.html
というページがヒットし

米軍上陸後の沖縄戦で、米軍に夜襲を掛けるときに足音を忍ばせるために、地下足袋を履いた兵士の体験が載っていました。
 
この小波津の集落で、同じく負傷した兵士がいた。現在南 義雄である。
彼の場合は4月30日に、このあたりで負傷した。
所属していた歩兵第89連隊第1大隊第3中隊は、他の第89連隊の部隊と同様に、この時期運玉森地区で米軍と対峙していた。
「4月28日に運玉森について、4月30日の夜に第3中隊は夜間攻撃に出たんです」
前日の4月29日、この第1大隊は歩兵第32連隊第1大隊と交代し、この地区に駐屯した。
待ちに待った第一戦、初めての戦闘であった。
将兵は、張り切っていた。
「小波津(こはつ)の集落に、入っていったんだよ。 
 足音がしないように、靴ではなく地下足袋をはいていたね。
 すると突然照明弾が、あがったんだよ」
米軍は、待ち伏せをしていた。
迫撃砲が撃ち込まれ、激しい撃ち合いとなった。
「西島曹長と敵の後ろに回ろうとしたら、目の下に黒人兵が二人いたんだよ。
 自動小銃の弾が耳をかすめると、曹長がばったり倒れたんだ。
 曹長は手榴弾を投げると、黒人兵は逃げて行ったね。
 私は、曹長を引き摺って戻ったんだよ。
 始めは気がつかなかったけど、自分の地下足袋を見て驚いたね。
 右の足先が裂けて、小指がなくなっていたんだよ」
  現在も、彼の右足の小指はない。


なるほど。地下足袋は夜襲用の必携品だった(?)。
実技再現写真、地下足袋効果検証演習はこちら。

アルファフォース臨時定例ゲーム 2004
http://members.at.infoseek.co.jp/sencamgall2002/20040627.html
 
地下足袋装備のゲーマーも参加
一昔前には良く見られた装備
実際森林フィールドでの消音効果は非常に高い

地下足袋はビジター参加の山中さん
かつて帝国陸軍も夜襲では地下足袋で足音を消したそうです。


背嚢に地下足袋を一足いれておけば、宿営時の軽作業にも便利だったでしょうね。
71_c.jpg
この写真の斬首兵は、足裏がピタッと地面に吸い付く地下足袋を履いた方が、刀を振るには都合が良いと思ったのでしょうか?
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[436]まだ成仏してませんが
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 ja2047  - 05/8/30(火) 23:16 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : jikatabi1.jpg
・サイズ : 162.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : jikatabi2.jpg
・サイズ : 133.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : jikatabi3.jpg
・サイズ : 168.7KB
  
添付画像【jikatabi1.jpg : 162.7KB】 添付画像【jikatabi2.jpg : 133.1KB】 添付画像【jikatabi3.jpg : 168.7KB】


▼ピッポさん:
>東中野教授はなんで、お二人を共著者として高給で雇わなかったんでしょう?
>(でも、これからも雇われないでくださいね)

“高給“と聞くと少々心が動きますが (^^;
松尾さんの言動を見ているとあまり期待できそうにありません (^◇^

実は、これまで履き物については長靴と短靴の差ぐらいしか気にしていなかったのですが、このページにあるように、地下足袋というのはかなり広く使われたようです。
http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/jikatabi.htm

そのつもりで写真を眺めると、あるある、いっぱいある。
上記HPの説明どおり、上陸戦、船舶上、攻城戦、オフタイムは地下足袋だらけです。
特に、海軍特別陸戦隊の地下足袋姿が多いのは意外でした。

できれば背嚢の外に地下足袋をぶら下げて行軍している写真をupしようと思ったのですが、これはまだ見つかりません。

上左:1937.7.16 天津海光寺、軍司令部前の陸軍兵士
上中:1937.9.30 閘北、上海陸戦隊第二大隊
上右:1937.9.5 宝山城 第三師団飯田支隊
(いずれも、一億人の昭和史 日本の戦史3 日中戦争1)


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[437]南京戦は地下足袋を履いておりました。
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 熊猫 E-MAIL  - 05/8/31(水) 0:15 -

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   『熊本兵団戦史 支那事変編』熊本兵団戦史編さん委員会(熊本日日新聞社)P83〜P84
4 第六師団の上陸状況
 歩兵第十三連隊長岡本保之大佐は十一月五日未明、第二大隊(大隊長岡山誠夫少佐)につづいて第一大隊(十時和彦中佐)の順序に上陸するように部署し、第三大隊(渋田久雄少佐)を左先遺隊長の指揮に入れた。上陸第一線部隊は軍靴を地下タビにかえ、各人百二十ないし百八十発の小銃弾、数発の手榴弾と携帯口糧を天幕に包んで身につけ、背ノウ、外套などはすべて船中に残した。

杭州湾上陸参戦には、地下タビを履いて中国大陸に上陸しました。他にも南京までの行軍に地下タビが、履かれていた記述は探せばまだまだ出ると思いますよ。
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[438]Re(1):南京戦は地下足袋を履いておりました。
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 ピッポ E-MAIL  - 05/8/31(水) 9:35 -

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   ▼熊猫さん:
>『熊本兵団戦史 支那事変編』熊本兵団戦史編さん委員会(熊本日日新聞社)P83〜P84
4 第六師団の上陸状況
> 歩兵第十三連隊長岡本保之大佐は十一月五日未明、第二大隊(大隊長岡山誠夫少佐)につづいて第一大隊(十時和彦中佐)の順序に上陸するように部署し、第三大隊(渋田久雄少佐)を左先遺隊長の指揮に入れた。上陸第一線部隊は軍靴を地下タビにかえ、各人百二十ないし百八十発の小銃弾、数発の手榴弾と携帯口糧を天幕に包んで身につけ、背ノウ、外套などはすべて船中に残した。

>杭州湾上陸参戦には、地下タビを履いて中国大陸に上陸しました。他にも南京までの行軍に地下タビが、履かれていた記述は探せばまだまだ出ると思いますよ。

そういえば、
ご幼少の砌
潮干狩り、磯遊びには、足袋を履かされました(笑)。

濡れても乾くからです。革靴は潮水につかったらオシャカですね。
4,000 hits

[439]地下足袋の話でしたら
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/9/1(木) 20:57 -

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   「南京戦史資料集II」所収の佐藤振壽氏「従軍とは歩くこと」に、ちゃんと地下足袋の話が出てきます。以下、P526の引用です。

★★★★★★

軍靴と地下足袋とドロンコ道

(略)

 上海戦線に私が初陣した時は、ちょうど雨の後だった。先輩格の「大阪毎日」の藤田信勝記者や、佐藤成夫カメラマンの助言の結果、内地から持参したハイキングシューズはやめて、地下足袋をはいて出かけた。地下足袋だと少々の泥道も、平気
で歩いて行ける。しかし、一日歩いて帰ると濡れた足の裏がピンクに腫れあがってしまって痛い。

 呉淞クリークの戦いの頃、日本兵の大部分は地下足袋を履いていた。それも新型らしい、爪先が割れていない靴のような地下足袋である。親指が離れていると不都合なことがあるのかどうか知らないが、いうなれば革の軍靴が木棉の靴に代わったようなものである。

 呉淞クリークを渡河し、蘇州河を越して中国軍を呉淞地区から追い払った頃、兵隊は背嚢の左右に軍靴を縛り着け、履いていたのは地下足袋だった。兵隊は軍靴だと靴ずれができるので嫌いなようだ。

(以下略)

★★★★★★
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[440]否定派さんに画像サービス
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 熊猫 E-MAIL  - 05/9/1(木) 21:01 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : ken01.jpg
・サイズ : 142.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : ken02.jpg
・サイズ : 68.8KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : ken03.jpg
・サイズ : 85.3KB
  
添付画像【ken01.jpg : 142.1KB】 添付画像【ken02.jpg : 68.8KB】 添付画像【ken03.jpg : 85.3KB】 否定派の馬鹿共が、アホなことを言わないように画像をサービスしときましょう。
片手軍刀術・短剣術がありました。
もう一枚の写真の銃剣術というのもありました。
3,784 hits

[441]もう一つ謎が解けたかも
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 ja2047  - 05/9/2(金) 18:20 -

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   ▼ゆうさん:
> 呉淞クリークの戦いの頃、日本兵の大部分は地下足袋を履いていた。それも新型らしい、爪先が割れていない靴のような地下足袋である。親指が離れていると不都合なことがあるのかどうか知らないが、いうなれば革の軍靴が木棉の靴に代わったようなものである。
>(以下略)

『95B南京アメリカ大使館宛書簡
一月十四日
一九三八年一月十四日
南京アメリカ大使館
拝啓 アリソン殿
昨夜、四人の日本人が金陵大学付属中学校の教室へ入ってきました。彼らの行動の詳細は十分には分かりません。というのは、しかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました。』

「中国人の布靴」に見えたものは、先の割れていない地下足袋だったのかもしれません d(^^
4,072 hits

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