当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
【否定派の写真検証を批判的に再検証するページとしてはタラリさんのページや、渡辺さんが問答有用に投稿したのなどがありますが、そういった再検証のまとまったサイトというのが欲しいと思うようになりました。

ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
と言う靴屋さんの発言をきっかけに設置しました。
投稿者は限定いたしますが、特に資格等はございません。歴史修正主義に対しきちんと反論せねばならない、とお考えの方はどんどんご利用ください。

当掲示板における写真資料等に関する考え方は当掲示板の目的を参照してください。
メンテ中検証板のメンバーの方は改めて登録する必要はありません。
登録するには[留意事項]をお読みください。
画像資料攻撃典型例
アポロの月着陸は嘘
911事件はアメリカの陰謀
【南京事件 「証拠写真」を検証する】
(東中野修道著)徹底批判
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[1]笠原「南京事件」写真誤用について とほほ 05/3/17(木) 6:25 [添付]
[2]Re(1):笠原「南京事件」写真誤用について ピッポ 05/3/18(金) 21:38
[3]Re(2):笠原「南京事件」写真誤用について とほほ 05/3/19(土) 12:19
[319]表情は明るくない 熊猫 05/5/6(金) 12:14 [添付]
[321]襷をしている少年 熊猫 05/5/6(金) 13:59 [添付]
[323]Re(1):襷をしている少年 ピッポ 05/5/6(金) 14:24 [添付][添付]
[324]Re(2):襷をしている少年 熊猫 05/5/6(金) 14:50
[375]Re(2):襷をしている少年 熊猫 05/5/14(土) 18:37 [添付][添付]
[377]Re(3):襷をしている少年 熊猫 05/5/14(土) 19:53
[320]破壊された宝山 熊猫 05/5/6(金) 13:07 [添付][添付][添付]
[322]Re(1):破壊された宝山 ピッポ 05/5/6(金) 14:14
[325]Re(2):破壊された宝山 熊猫 05/5/6(金) 15:00
[327]Re(3):日本軍初の「慰安所」が開設されたところ ピッポ 05/5/6(金) 16:41
[328]Re(4):中国にとっては、抗日軍事反抗の輝かしい... ピッポ 05/5/6(金) 16:50
[329]Re(5):中国にとっては、抗日軍事反抗の輝かしい... ピッポ 05/5/6(金) 16:54
[330]Re(6):現在は、上海市宝山区 ピッポ 05/5/6(金) 17:02
[332]Re(7):現在は、上海市宝山区 熊猫 05/5/6(金) 18:39
[333]Re(8):現在は、上海市宝山区 ピッポ 05/5/6(金) 20:12 [添付]
[338]四行倉庫 熊猫 05/5/7(土) 16:28 [添付][添付][添付]
[339]Re(1):四行倉庫 熊猫 05/5/7(土) 16:32 [添付]
[326]宝山の農作業 熊猫 05/5/6(金) 15:25 [添付][添付][添付]
[331]Re(1):宝山の農作業 ピッポ 05/5/6(金) 17:50
[334]Re(2):宝山の農作業 ja2047 05/5/7(土) 8:19
[335]Re(3):宝山の農作業 ja2047 05/5/7(土) 10:01
[336]Re(4):宝山の農作業 ピッポ 05/5/7(土) 10:17
[337]Re(5):日の丸部落「野戦郵便旗」よりUpしました ピッポ 05/5/7(土) 12:55
[341]Re(6):日の丸部落「野戦郵便旗」よりUpしました 熊猫 05/5/7(土) 18:07
[342]Re(7):日の丸部落「野戦郵便旗」よりUpしました ピッポ 05/5/7(土) 18:39
[344]宝山 熊猫 05/5/8(日) 0:28
[346]宝山県の地図 熊猫 05/5/8(日) 1:33 [添付]
[347]Re(1):宝山県の地図 熊猫 05/5/8(日) 1:42 [添付]
[351]Re(2):宝山県の地図 ピッポ 05/5/8(日) 10:14 [添付]
[340]Re(1):宝山の農作業 ピッポ 05/5/7(土) 17:37
[378]先頭を歩く少女 熊猫 05/5/15(日) 0:26 [添付][添付][添付]
[7]『日寇暴行実録』(宝山の写真) 熊猫 05/3/19(土) 19:20 [添付]
[9]Re(1):『日寇暴行実録』(宝山の写真) ピッポ 05/3/19(土) 20:02
[10]Re(2):『日寇暴行実録』(宝山の写真) 熊猫 05/3/20(日) 1:40 [添付]
[107]鈴木貞吉の名前 ピッポ 05/4/1(金) 1:56
[181]Re(1):鈴木貞吉の名前 熊猫 05/4/11(月) 3:20
[29]『支那事変写真全輯−中』p.146 に掲載された写真 靴屋 05/3/23(水) 1:05 [添付]
[182]当時の戦争写真は節度なく掲載されていました。 熊猫 05/4/11(月) 16:19 [添付][添付][添付]
[188]Re(1):当時の戦争写真は節度なく掲載されていま... 渡辺 05/4/13(水) 13:10

[1]笠原「南京事件」写真誤用について
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/17(木) 6:25 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : capture.jpg
・サイズ : 45.0KB
  
添付画像【capture.jpg : 45.0KB】 下記の写真は
「南京事件、笠原十九司、岩波新書」
において笠原氏が誤用した写真である。

何を誤用したのでしょうか?
出典(撮影者)が未確認のまま「日本人に拉致される中国人女性」とのキャプションを付けて著書のある章の見開きの挿絵に使ったのである。氏は「これまで撮影者の特定できないものは使用をしない方針で執筆してきたが、これは私のミスである」と認め現在刊行されている「南京事件」では使われていない。

何が問題なのでしょうか?
これに対する否定派の主張が全く荒唐無稽でデタラメなのである。

つまり、否定派はこの誤用が「南京事件を捏造した証拠である」として主張するのである。笑止千万である。南京事件の研究者の中で写真資料を根拠に南京事件を検証している人間などいない。現にこの笠原氏が掲載したのもある章の見開き部分の挿絵のようなものとして掲載しているだけでその章の本文で検証されている内容と写真とはいささかも関係ないのである。

しかも否定論の言う捏造説は根拠薄弱である、これが「日本人に拉致される中国人女性」が写されている、と言う断定は確かに出来ないが、かといって「そうではない」、と言う根拠を否定派は全く示していないのである。笠原氏の誤用とは言えるが捏造とはとてもいえないし南京の真実に対していささかの影響も与えない。

とにかく一事が万事この調子である。今回当掲示板新設にあたりテストを兼ねてこの写真をサンプル使用したが、追記再検証等必要と思われた方は是非レスポンスをお願いします。またこの誤用事件に関してご意見をお持ちの方のレスも歓迎します。以上。
2,174 hits

[2]Re(1):笠原「南京事件」写真誤用について
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/18(金) 21:38 -

引用なし
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   思考錯誤の前板にこの問題のスレッドがありましたので、リンクを貼っておきます。

笠原氏の誤用写真と『現代史の争点』の混乱 
渡辺 <oogeblxyju> 2004/02/13 00:40:56
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/afwqrf/afwqrf.html
2,134 hits

[3]Re(2):笠原「南京事件」写真誤用について
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/19(土) 12:19 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>笠原氏の誤用写真と『現代史の争点』の混乱 
>渡辺 <oogeblxyju> 2004/02/13 00:40:56
>http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/afwqrf/afwqrf.html

このスレッドの渡辺さんの元記事を無断ではありますが問答版より転載します。
尚当掲示板用にHTMLや改行等を編集してあります。

---
 最近、ある掲示板を覗いたところ、笠原十九司『南京事件』の旧版で誤用された「日本兵に拉致される江南の女性たち」なる写真について議論がされていました。

 そこでは、笠原氏が誤用したという写真は『アサヒグラフ』から複写されたものが『日寇暴行実録』に転載された、ということを当然の前提として議論がされていました。
 どうでもいいような事ですが、その前提に疑問を感じたので調べたところ、どうやらその原因が秦郁彦『現代史の争点』の「ハレーションした姑娘像」の記述や、秦氏の写真のさし違いによるものらしいことが分かりました。また、『日寇暴行実録』の「原写真」は、『アサヒグラフ』でも『支那事変写真全輯−中』でもないことが分かりましたので、参考のため投稿いたします。

 まず、問題の写真を提示いたします。
(1) 笠原氏が転載した『日寇暴行実録』の写真(『現代史の争点』p.43)


(2) 『アサヒグラフ』1937年11月10日号 p p.12に に掲載された写真(画像処理で実際よりくっきりさせている)


(3) 『支那事変写真全輯−中』p.146 に掲載された写真(画像処理で実際よりくっきりさせている)


(4) 秦氏が『アサヒグラフ版』とする写真(『現代史の争点』p.43)


 秦氏は、「『アサヒグラフ』版の原写真(写真3.-3)」(p.42)としているのですが、「(写真3.-3)」は『アサヒグラフ』のものではなく、『支那事変写真全輯−中』のものが間違って掲載されています。もし、正しく写真が掲載されていたら、実は「原写真」と記述することはできませんでした。なぜなら、『アサヒグラフ』と『支那事変写真全輯−中』の写真では、鮮明度とトリミングの仕方が違いうのです。

 まず、秦氏がさし違えて「アサヒグラフ版」として掲載した『支那事変写真全輯−中』の写真が「原写真」とすると、左右のトリミングについてはつじつまが合いますが、鮮明さがかなり落ちるので、橋の丸太の側面は、『日寇暴行実録』の写真のように輪郭がはっきりしない部分があるのです。また、一番の女性の足元の橋げたが、はっきり写っていないのです。「原写真」に写っていないものが、複写された写真にくっきり写っていることはありえません。

 では、秦氏が正しく『アサヒグラフ』の方を「写真3.-3」として掲載した場合はどうでしょうか。鮮明さについては、著しく違いはないといえます。しかし、『アサヒグラフ』の写真でカットされた部分が『日寇暴行実録』の写真に写っているのです。右端の女性が引いている車のようなものの右端を注目してください。『アサヒグラフ』の写真に存在しない「ハ」の字のように見える部分が写っています。更に、『日寇暴行実録』の写真は他の写真に比べると右上がりに傾いており、右端の石垣も『アサヒグラフ』の写真に存在しない部分が写っているのです。一番左の女性の足元に写っている橋げたも『アサヒグラフ』の写真ではよく見えません。

 以上のことから、『日寇暴行実録』の「原写真」は、『アサヒグラフ』でも『支那事変写真全輯−中』でもない、別のかなり鮮明な写真だという結論になります。

 したがって、「写真のキャプションを正反対に書き換えた犯人は誰なのか」(P.44)などと短絡的に問うことはできません。『日寇暴行実録』の写真にキャプションをつけた人は、この写真が「江南」で撮影されたことは知っていますが、朝日新聞がどういうキャプションを付けたかまで知っていたとはいえないからです。

 『日寇暴行実録』について、秦氏は、左から二番目の女性が「ハレーション」でぼやけていることを、あたかも意図的かのように問題にし、「写真3.-3」について「そういわれて見直すと、先頭の女児も次の姑娘も、そして兵隊と並んだ少年もニコニコと笑っている。」と述べています。実は、秦氏が「アサヒグラフ版」として掲載した『支那事変写真全輯−中』の写真では、不鮮明で「先頭の女児も次の姑娘も」笑っているのかどうかは分からないのです。
 『アサヒグラフ』に掲載された写真から、左端の二名の女性を拡大したものを見てみましょう。


 確かに、先頭の「女児」は笑っていると言えば、そうも言えなくも無いのですが、「ハレーション」云々の「次の姑娘」は笑ってなどいないのです。秦氏は「ハレーション」について何を一体問題としているのか、「トリック」だ「悪質」だと、理解に苦しむところです。
 なお、「ハレーション」は、写真をカメラで複写したとき、写真の左端が反って浮き上がっているため光源による反射が生じたものと考えられます。これは、左端の「女児」が細長く変形していることからも言えます。

 新聞記者が撮影した写真は、自社以外の用途で焼き増しされることもあったようです。また、不思議なことですが、毎日新聞の発禁写真が軍事郵便の絵葉書になっていたというものがあるようです。ということで、新聞記者の撮影した写真が社外に流出していた可能性もあります。そういう写真が使われたのかも知れません。

 秦氏は岩波新書の担当編集者には「アサヒグラフ」の「元写真」を確かめる責任があるかのように記述しているのですが(pp.44-45)、やはり、編集者の「疑問があれば著者に聞け」がまっとうな回答であると思います。
 間違った写真は差し代えればよいわけです。針小棒大としかいいようがありません。秦氏自身も「アサヒグラフ版」に間違った写真を使い、論旨自体も間違った写真を前提としている部分があり、結果として混乱しています。秦氏には、もう少し冷静な議論を期待したいところです。

--- 問答有用[25595] ---
2,766 hits

[7]『日寇暴行実録』(宝山の写真)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/3/19(土) 19:20 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : kumaneko02.jpg
・サイズ : 228.8KB
  
添付画像【kumaneko02.jpg : 228.8KB】 私が提示しているのは、『南京事件「証拠写真」を検証する』P114の「写真H」と同じ写真です。『満州グラフ<支那事変特輯号>1938年1月号』のものではなく別の写真集から引用していることは一目瞭然だと思います。

■『支那事變寫眞帖』クラオン寫眞館(鈴木貞吉)上海文路三二六
上海在留邦人により昭和12年に出版されたものです。玉川写真館以外にも日本人が経営する写真館があり、民間人の撮影した或は、中国で現像された写真が上海周辺で流出していた可能性があり、『日寇暴行実録』の編集者の手に渡ったものと思います。

再度整理します。
1.『支那事変画報(大阪毎日)』:(玉川豊吉)玉川寫眞館
2.『満州グラフ<支那事変特輯号>』:(鈴木貞吉)クラオン寫眞館
この2件は間違いなく、上海で現像された写真が含まれておりますので、1.『支那事変画報(大阪毎日)』に掲載されている写真は玉川寫眞館ルートで、『日寇暴行実録』の編集者の手に渡ったと考えられないでしょうか?
また、両写真館は海軍陸戦隊の写真を多く撮影しており、海軍が民間人の戦場写真の撮影を容認していたことがわかります。
2,409 hits

[9]Re(1):『日寇暴行実録』(宝山の写真)
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/19(土) 20:02 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
貴重な「民間」写真集史料の開示ありがとうございます。
お陰様で、写真のソースが、東中野教授一派がいうような狭い範囲のものでないことが、よくわかりました。
また、
上海の写真館には民間カメラマンがいて、写真はさまざまに頒布され出版され、中国側が手に入れることも困難でなかったという、事情が理解できました。

ついては、
>私が提示しているのは、『南京事件「証拠写真」を検証する』P114の「写真H」と同じ写真です。『満州グラフ<支那事変特輯号>1938年1月号』のものではなく別の写真集から引用していることは一目瞭然だと思います。

(1)これは笠原教授の写真とは別写真ですね。・・・もしかすると別スレッドにしていただいたほうが分かりやすいかも。
(2)誰が何処に何を引用しているのか、文章中で明示的にご説明してくだされば、
大変ありがたいのですが。
(3)また、P114の「写真H」を東中野教授はどのようにいっているのですか?

・・・つまり、初心者がたちどころに分かるようにして下されば、助かります。
2,002 hits

[10]Re(2):『日寇暴行実録』(宝山の写真)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/3/20(日) 1:40 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : asd.jpg
・サイズ : 125.5KB
  
添付画像【asd.jpg : 125.5KB】 ▼ピッポさん:
>P114の「写真H」を東中野教授はどのようにいっているのですか?
特段のコメントはしていません。「同時期の宝山の写真としては、写真G、写真Hがあった。」・・・・とだけです(^^)。

とほほさんの提示した写真と、今回私が提示した写真が重要なポイントとなると考えています。旧掲示板でも投稿しましたが.......。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/11/dgrseh/dblseh.html#dblseh

つまり、1938年7月に出版された『日寇暴行実録』の写真は、この2枚の写真の検証より必ずしも、日本の雑誌から複写したものではないことが判ると言うことです。
しかし、それはそれで新たな疑問点が発生するわけです。「何故、日本の雑誌に掲載されている写真が、日寇暴行実録にも掲載されているのか?」って。
それを検証しているのです。私は東中野氏の間違いを指摘するだけでなく、更に一歩踏み込んで考えようとしているのです。

私としては鈴木貞吉の名前に驚いて欲しかったんですが......。
2,024 hits

[29]『支那事変写真全輯−中』p.146 に掲載された写真
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 靴屋  - 05/3/23(水) 1:05 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : kounan.jpg
・サイズ : 176.8KB
  
添付画像【kounan.jpg : 176.8KB】 管理人が何もないというのも恥ずかしいので、持ってる資料でも(^^;
ネット上でも渡辺さんやプロパガンダ写真研究会などで紹介されていますが、これは、図書館まで行って私がコピーしてきたものです。
コピーからのスキャンなので若干鮮明さは落ちると思いますが、色調はこんな感じだったと思います。あと、日本軍兵士が鶏持ってる写真(アサヒグラフ)も確かこの時探したのですが、資料自体がありませんでした。
1,993 hits

[107]鈴木貞吉の名前
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/1(金) 1:56 -

引用なし
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   渡辺さんの最新の投稿のリンク先を読んで、その名前の重要性に始めて気がつきました。

http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=30427&range=1
資料5:Carroll Alcott
(1938年から上海の放送局XMHAのニューズキャスターを勤めた。)
が言っている、Mr.Suzuki がまさしく、
■『支那事變寫眞帖』クラオン寫眞館の鈴木貞吉さんだったのですね。

 日本人のプロのカメラマンのあるものは、非常に営利的な視点を持っていた。
愛国的な市民として、彼らは政府に対する軍の重要性を否定することを翻し、市場価値のある、しかし鈴木にとっては大した価値のない、そういう人達のいる側でビジネスをしようとした。
 写真器材店は1932年と1937年の上海事変の戦場写真を、いそがしく商っていた。
 彼らは、彼らの軍隊が引き起こした破壊だけでなく、彼ら自身の軍隊によって行われた残虐行為の写真を売ることも躊躇しなかった。
 米国の刊行物に掲載された日本軍の残虐行為の写真の多くは、日本兵自身、あるいは日本のカメラマンのどちらかによって撮影されたものである。
 私が上海で購入したこの手の写真のほとんど全ては、日本のカメラマンのために働いていた浪人によって、私に売られたものである。ひざまずいた中国人の首に刀を振り下ろしている日本軍の部隊の写真、あるいは縛られた捕虜の背中に狙いをつけている写真は日本軍自身によって撮影されたものである。それ以外にそのような行為を撮影することができた者はいなかった。なぜならカメラを持った中国人や外国人は処刑の場に1マイルと近付くことは許されなかったからだ。

 日本人カメラマンは、頻繁に戦地や捕虜が捕らえられている後方を移動し、このような写真を、兵士達から料金を取って撮影した。しかし、多くの場合、兵士達は自分自身のカメラを持っていて、現像と焼付けのために、フィルムを日本人のカメラ店に持ち込んだ。店はネガやプリントを作り、更に余分に焼付けをして売りに出した。
 写真が反日宣伝として世に出るまで、日本軍司令部は、この悪習を止めさせる努力をしなかった。


ピンぼけのない斬首写真のヒミツが解けてきたような思いです。


そういえば、この写真の人物Bの帽子が、どうも軍帽でないような気がしていたのです。
1,962 hits

[181]Re(1):鈴木貞吉の名前
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 熊猫 E-MAIL  - 05/4/11(月) 3:20 -

引用なし
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   ピッポさん
Mr.Suzukiは鈴木庫三ではないかと思っています。マニアな方には佐々木少佐と言ったほうが早いでしょう。
安易に断定はしないほうがよいでしょうね。
まだ読んでいませんが.....。
『言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』佐藤卓己(中公新書)
『昭和言論史への証言』黒田秀俊(弘文堂)
『覚書 昭和出版弾圧小史』畑中繁雄(図書新聞社)
もとっも、鈴木庫三の著書を読んだほうが早いかも?
じつは、ゆうさんとは別な角度で南京事件とマスコミを整理しようと考えています。

「宣伝方針及要領」一九三二年九月十三日
 「対外宣伝ト国民精神ノ作興並世論指導トヲ併行的ニ実施ス而シテ即効的時局宣伝ヲ主トシテ遅効的文化宣伝ヲ従トス」
宣伝実施要綱
(一)「対米宣伝ハ対象ヲ国民大衆ニ置キ現実的問題ニ付通俗的啓蒙ヲ行フ之カ為主トシテ新聞、講演、映画、写真ノ利用及本邦在留米人ヲ目標トスル啓発ニ在米機関ヲ利用ス」
映画:「本邦映画会社、映画俳優中適当ナルモノヲ選定シ米国会社ト連絡セシム」
写真:「適当ナル新聞社ヲシテ『グラフ』発行セシム」

....このページは読む価値があると思いますので紹介します。
http://www8.ocn.ne.jp/~m20th/activity/resume_0524_1.html


図書館に行ってhttp://www12.plala.or.jp/stakumi/TS-room/info.htmlを調べてみようと思っています。
1,954 hits

[182]当時の戦争写真は節度なく掲載されていました。
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 熊猫 E-MAIL  - 05/4/11(月) 16:19 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : yoni00.jpg
・サイズ : 175.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : yomi01.jpg
・サイズ : 154.3KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : kasima00.jpg
・サイズ : 165.3KB
  
添付画像【yoni00.jpg : 175.7KB】 添付画像【yomi01.jpg : 154.3KB】 添付画像【kasima00.jpg : 165.3KB】


今回は、2冊の『支那事変写真帳』を提示しました。
左側と中央の写真は読売新聞版です。
多くの方が、中央の写真を見て「毎日新聞」をイメージするのではないでしょうか?『一億人の昭和史』にも使われており私も毎日新聞の記者が撮影したものとばかり思っていました。
またこの写真は、私が以前紹介しました玉川写真館の『支那事変写真帳』にも掲載されておりました。
右側の写真は加島版です。合成写真の事例として提示しました。おそらく、読売新聞の写真のパクリでしょう。飛行機を撮影した角度が違うことに着目して下さい。

提示した写真は投稿用に、画質を意図的に落しています。読売版の『支那事変写真帳』は入手が困難だと思いますので、必要な方は熊猫にメールして下さい。
私はパソコン音痴なので、大きなデータを添付して送信する方法を知りませんので知っている方はご指導していただければ幸いです。


2,010 hits

[188]Re(1):当時の戦争写真は節度なく掲載されていま...
←back ↑menu ↑top forward→
 渡辺  - 05/4/13(水) 13:10 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>多くの方が、中央の写真を見て「毎日新聞」をイメージするのではないでしょうか?『一億人の昭和史』にも使われており私も毎日新聞の記者が撮影したものとばかり思っていました。
...
>おそらく、読売新聞の写真のパクリでしょう。

 この写真は、読売新聞社『支那事変実記』の1937年11月だったかの表紙に使われています。
 写真は、軍が撮影したものや、同盟が配信したものもあります。撮影者が表示されていないからといって、違法に写真が使われたことにはならないと思います。月刊の『歴史写真』などは、出所不明写真の満載ですが、長年にわたって発行されていたということは、著作権は多分クリアしていたんでしょうね。
2,016 hits

[319]表情は明るくない
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 熊猫 E-MAIL  - 05/5/6(金) 12:14 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : niko17-1.jpg
・サイズ : 31.0KB
  
添付画像【niko17-1.jpg : 31.0KB】 写真の人物の表情で判断するのであれば、決して明るいものではなく、暗い表情をしているように思います。私は東中野氏が印象操作をしているようにしか思えません。
2,043 hits

[320]破壊された宝山
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 熊猫 E-MAIL  - 05/5/6(金) 13:07 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : niko17-2.JPG
・サイズ : 188.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : niko17-4.jpg
・サイズ : 90.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : niko17-3.jpg
・サイズ : 131.7KB
  
添付画像【niko17-2.JPG : 188.7KB】 添付画像【niko17-4.jpg : 90.6KB】 添付画像【niko17-3.jpg : 131.7KB】


写真から解ることは、宝山の人々が破壊された村落で暮らしていたと言うことです。
本来の橋ではなく、一旦破壊された後に臨時に造られたものであることが解ると思います。また、背景に写っているのは、破壊された建物であることが解ると思います。


2,213 hits

[321]襷をしている少年
←back ↑menu ↑top forward→
 熊猫 E-MAIL  - 05/5/6(金) 13:59 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : niko17-5.jpg
・サイズ : 14.4KB
  
添付画像【niko17-5.jpg : 14.4KB】 泣いている少年とも、笑っている少年とも受け取れる表情ではないでしょうか?
私は襷の意味が解りません。何かの目印の為につけていると思うのですが、宝山自治委員会の印であれば、襷ではなく腕章だと思います。
2,069 hits

[322]Re(1):破壊された宝山
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/6(金) 14:14 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>写真から解ることは、宝山の人々が破壊された村落で暮らしていたと言うことです。

なるほど!
宝山県自体が、村も人も「拉致」されたわけですね。

私も、雇われたエキストラの「家族」だけが「笑顔の演技」をしているような気がしています。熊猫さんご提供の写真も活用して、
わが日本皇軍の”プロパガンダ”を再現UPしてみました。

センブ村「日の丸部落」
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/higashi/143photos/HTML/hinomaru.htm

ところで、熊猫さん、右側の2点の写真はどこからのものですか?
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[323]Re(1):襷をしている少年
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/6(金) 14:24 -

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添付画像【r35d.jpg : 34.3KB】 添付画像【r35dx.jpg : 5.4KB】


襷をしている少年は、
「村長さん格におさまっている田窪忠司部隊長」の隣にいるようです。



▼熊猫さん:
>泣いている少年とも、笑っている少年とも受け取れる表情ではないでしょうか?
>私は襷の意味が解りません。何かの目印の為につけていると思うのですが、宝山自治委員会の印であれば、襷ではなく腕章だと思います。
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[324]Re(2):襷をしている少年
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 熊猫 E-MAIL  - 05/5/6(金) 14:50 -

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   ▼ピッポさん:
有難うございます。襷はリーダーか役員であることを、地域住民や日本兵に認識させるためにしているものである可能性が高いですね。
宝山の有力者の息子かも知れません。

>襷をしている少年は、
>「村長さん格におさまっている田窪忠司部隊長」の隣にいるようです。
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[325]Re(2):破壊された宝山
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 熊猫 E-MAIL  - 05/5/6(金) 15:00 -

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   ▼ピッポさん:
>ところで、熊猫さん、右側の2点の写真はどこからのものですか?

『支那事變寫眞帖』(クラオン寫眞館)をスキャンしました。
宝山城内の残敵掃蕩なり・・・・・・・・・

と、なっています。
1,957 hits

(2)につづく


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