当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
【否定派の写真検証を批判的に再検証するページとしてはタラリさんのページや、渡辺さんが問答有用に投稿したのなどがありますが、そういった再検証のまとまったサイトというのが欲しいと思うようになりました。

ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
と言う靴屋さんの発言をきっかけに設置しました。
投稿者は限定いたしますが、特に資格等はございません。歴史修正主義に対しきちんと反論せねばならない、とお考えの方はどんどんご利用ください。

当掲示板における写真資料等に関する考え方は当掲示板の目的を参照してください。
メンテ中検証板のメンバーの方は改めて登録する必要はありません。
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画像資料攻撃典型例
アポロの月着陸は嘘
911事件はアメリカの陰謀
【南京事件 「証拠写真」を検証する】
(東中野修道著)徹底批判
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[274]マギーフィルム画像と解説書 ピッポ 05/5/5(木) 12:58
[286]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 053,054 ピッポ 05/5/5(木) 15:10
[289]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 059 ピッポ 05/5/5(木) 15:46
[292]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 065 ピッポ 05/5/5(木) 16:02
[294]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 069 ピッポ 05/5/5(木) 16:15
[295]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 070 ピッポ 05/5/5(木) 16:17
[300]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 085,086,087 ピッポ 05/5/5(木) 16:40
[302]Re(1):写真19 銃剣で刺されて死んだ7歳の少年 ピッポ 05/5/5(木) 20:24
[303]Re(1):写真26 輪姦され病気となった十六歳の... ピッポ 05/5/5(木) 20:31
[304]Re(1)写真27 治療をうける右足を失った14歳... ピッポ 05/5/5(木) 20:36
[318]東中野修道は稀代の詐欺師、平成の天一坊か おおおっか 05/5/6(金) 10:21 [添付]
[305]Re(1):写真28 日本軍のせいで下腹部に火傷を負... ピッポ 05/5/5(木) 20:40
[306]Re(1):写真116,A 兵士の疑いで連行される夫や... ピッポ 05/5/5(木) 20:47
[307]Re(1):写真117、鉄の棒で叩かれ頭を銃剣で刺さ... ピッポ 05/5/5(木) 20:54
[308]Re(1):写真118、安全を求めて新しい避難所に移... ピッポ 05/5/5(木) 20:59
[309]Re(1):写真119 「夏琴淑さん事件」 ピッポ 05/5/5(木) 21:05
[367]Re(2):写真119 「夏琴淑さん事件」 ピッポ 05/5/11(水) 7:57
[368]Re(3):東中野修道氏のトリック ピッポ 05/5/11(水) 8:36
[580]「夏淑琴さん事件」 リンク集 ピッポ 06/3/28(火) 0:36
[581]旧思考錯誤板 検索結果 ピッポ 06/3/28(火) 10:17
[582]Re(1):「夏淑琴さん事件」 リンク集 ピッポ 06/3/28(火) 10:43
[583][309]についての注釈 ピッポ 06/3/28(火) 22:40
[310]Re(1):父親は銃剣で刺殺、母親は歩兵銃で射殺、... ピッポ 05/5/5(木) 21:29
[311]Re(1):日本兵がホテルに放火させようとして拒否... ピッポ 05/5/5(木) 21:36
[317]Re(2):ムービー・サイト ピッポ 05/5/5(木) 22:09
[312]Re(1):気管部に銃剣、死ぬべく放置された兵士 ピッポ 05/5/5(木) 21:40
[313]Re(1):顎を撃ち抜かれた後、ガソリンに浸され、... ピッポ 05/5/5(木) 21:43
[314]Re(1):強姦され、首を斬られ脊柱の筋肉を切断さ... ピッポ 05/5/5(木) 21:49
[315]Re(1):強姦に抵抗しため、日本兵に何度も刺され... ピッポ 05/5/5(木) 21:54
[316]Re(1):銃剣で強打し、耳のうしろの頭蓋骨に大き... ピッポ 05/5/5(木) 21:59
[345]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 渡辺 05/5/8(日) 1:17
[348]Re(2):マギーフィルム画像と解説書 ピッポ 05/5/8(日) 8:55
[349]Re(3):マギーフィルム画像と解説書 ピッポ 05/5/8(日) 9:14
[352]Re(4):マギーフィルム画像と解説書 渡辺 05/5/8(日) 19:06
[356]Re(5):マギーフィルム画像と解説書 ピッポ 05/5/8(日) 22:12
[353]Re(3):マギーフィルム画像と解説書 渡辺 05/5/8(日) 19:10
[357]Re(4):マギーフィルム画像と解説書 ピッポ 05/5/8(日) 23:28
[358]Re(5):マギーフィルム画像と解説書 ピッポ 05/5/8(日) 23:38
[364]16mmの白黒リバーサルフィルムは有ったけど ピッポ 05/5/9(月) 10:01 [添付][添付][添付]
[365]Re(5):マギーフィルム画像と解説書 渡辺 05/5/9(月) 23:18
[366]Re(6):マギーフィルム画像と解説書 ピッポ 05/5/10(火) 1:39
[374]Re(7):マギーフィルム画像と解説書:2月10日とい... 渡辺 05/5/14(土) 17:31
[376]Re(8):マギーフィルム画像と解説書:2月10日とい... ピッポ 05/5/14(土) 19:15
[379]Re(9):マギーフィルム画像と解説書:2月10日とい... 渡辺 05/5/15(日) 0:33
[380]Re(10):マギーフィルム画像と解説書:2月10日と... ピッポ 05/5/15(日) 0:57
[381]Re(11):マギーフィルム画像と解説書:2月11日の... ピッポ 05/5/15(日) 7:48
[382]Re(12):マギーフィルム画像と解説書:2月12日記述 渡辺 05/5/15(日) 15:02
[383]Re(13):マギーフィルム画像と解説書:2月12日記述 ピッポ 05/5/15(日) 16:20
[387]Re(14):マギーフィルム画像と解説書:2月12日記述 渡辺 05/5/20(金) 23:24
[669]見せてもらったものは「映画」でなくて「解説書... ピッポ 08/5/1(木) 12:59
[670]Re:「解説書」は現像前に ピッポ 08/5/1(木) 13:23
[369]Re(6):私の頭の中の困った事象 ピッポ 05/5/11(水) 15:07
[370]Re(7):訂正です ピッポ 05/5/11(水) 15:13
[389]Re(6):解説書:Film 10解説 と埋葬数 渡辺 05/5/22(日) 3:05
[390]Re(7):解説書:Film 10解説 と埋葬数 熊猫 05/5/22(日) 9:57
[391]Re(8):解説書:Film 10解説 と埋葬数 渡辺 05/5/23(月) 1:07
[350]Re(2):マギーフィルム画像と解説書 msq 05/5/8(日) 9:16
[360]渡辺さんのページ、削除危機回避委員会 とほほ 05/5/8(日) 23:57
[384]Re(3):再登録お試しになったらいかがですか ピッポ 05/5/16(月) 17:31
[388]Re(3):マギーフィルム画像と解説書 渡辺 05/5/20(金) 23:34
[527]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 ピッポ 05/11/4(金) 23:32
[557]御礼 管理人様 ピッポ 05/11/7(月) 13:06
[558]Re(1):御礼 管理人様 とほほ 05/11/7(月) 14:17
[606]ロシア兵では? 熊猫 06/7/9(日) 1:13
[607]Re(1):ロシア兵では? ja2047 06/7/9(日) 10:03
[608]Re(1):慰安所への移送? ピッポ 06/7/9(日) 18:42 [添付][添付]
[609]Re(2):慰安所への移送? とほほ 06/7/9(日) 19:22
[610]Re(3):慰安所への移送? ピッポ 06/7/9(日) 21:36
[611]Re(4):慰安所への移送? とほほ 06/7/9(日) 22:01
[612]Re(5):慰安所への移送? とほほ 06/7/10(月) 6:18
[613]Re(6):慰安所への移送? ピッポ 06/7/10(月) 10:27
[616]NHKスペシャル「日中戦争」のなかで ピッポ 06/8/24(木) 12:17

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[274]マギーフィルム画像と解説書
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 12:58 -

引用なし
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   マギーフィルムは、マギー牧師が南京事件を現認撮影したもので、文書記録と照合されれば、一級の資料ですよね。

しかしながら、当時4本のコピーをとったといわれるフィルムの、その後の行く末が、なかなか明らかになっていません。
1938年にジョージフィッチがアメリカに持ち帰ったもの。
1990年代に、マギー牧師の息子の家から発見されたもの。
それらがその後どうなったのか?

残されたフィルムの考証がしっかりとなされていないことからくる、アイマイさ、あるいは、考証不十分のまま2次使用されたフィルム。
東中野氏は、そうした隙をついて、マギーフィルムとそこから得た写真の史料価値を、不当に貶めようとしています。

私は、歴史と映像の専門家がきちんと考証して、Magee Film の史料価値をしっかりと定着していただきたいと、つとに望むものです。
また、さまざまな日記や史料との照合も厳密に行っていただきたい、とおもっています。

もう既に、現実体験をした証言者は失われていきます。ですから誰の目にも否定できない事実としての、裏づけを急がねばなりません。疑い得ない事実は、「量」よりも「質」です。精選すべきかもしれません。

本来は専門家にやっていただきたいことでは有りますが、ここでは、「マギーフィルムの解説書」との対応を、皆さんのお力を借りて試みたいと想います。

ゆうさんが、お忙しい中、「小さな資料集」の当該ページに精密な黙示をつけて下さいました。さっそく、それを活用させていただきます。

まずは写真を列挙します。

=======================

東中野氏が Magee Film 関連として紹介したのは、次の13点です。

(1)分断掲載されたマギー映像

写真19、P100

写真26、P104

写真27、P105

写真28、P105

写真A、P189

写真117、P190

写真118、P191

写真119、P192


(2)映画「マギーの証言」に紛れ込んだ別映像

写真120、P194

写真121、P194

写真122、P194


(3)映画「マギーの証言」にもない別映像・・・これは「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」の誤りを指摘しただけ

写真123、P196

写真124、P196


============================

(4)東中野氏がスルーした映像
http://pipponan.fc2web.com//mg_images/album.html 「マギーの証言」より



































=======================

「マギーフィルムの解説書」などとの対応付けについて、ご意見を寄せていただければ幸いです。
3,055 hits

[286]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 053,054
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 15:10 -

引用なし
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記事は私には不明です。
3,191 hits

[289]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 059
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 15:46 -

引用なし
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記事はどれか?
3,020 hits

[292]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 065
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 16:02 -

引用なし
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写真に当てはまりそうな記述はあるが・・・
2,946 hits

[294]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 069
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 16:15 -

引用なし
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2,926 hits

[295]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 070
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 16:17 -

引用なし
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2,922 hits

[300]Re(1):マギーフィルム画像と解説書 085,086,087
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 16:40 -

引用なし
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この、火傷で死んだ子供の記事は不明です。
2,937 hits

[302]Re(1):写真19 銃剣で刺されて死んだ7歳の少年
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 20:24 -

引用なし
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   写真19、P100


これは、ゆうさんがUPした解説書では、フィルム2の(七)ではないかと思います。

http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#2-7

「(七)これは、大学病院(伝道団施設)〔鼓楼病院〕に入院して三日後に亡くなった七歳ぐらいの少年の死体である。かれは腹部に銃剣で五か所の傷を負い、そのうちのひとつが胃を貫通した。」<BR><BR>おそらく、ラーベの日記やウィルソン医師の日記にもあるのでは・・・?

いかがでしょうか?
3,032 hits

[303]Re(1):写真26 輪姦され病気となった十六歳の...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 20:31 -

引用なし
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写真26。
実は、ウィルソン医師、極東軍事裁判ではしっかりとこの少女に言及しています。ちょっと調べればすぐにわかるのですが、東中野氏はスルーしてしまったようです。(ゆうさん)
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=231;id=imgbord#atop

極東軍事裁判のマギー牧師の証言にもこの少女の記録があります。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P98)。そこでは、彼が目撃し救助した強姦被害者多数が語られている。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/higashi/143photos/16girl.htm
「さう云ふ事件は多数に上つたのであります。私共外国人と致しまして最も困難な問題は、男子を(※日本軍が安全区から)連れて行くことは阻止することは出来ませぬでしたが、婦人を強姦することは(※現場に駆けつけることによって)到る処で止めることが出来ました。」
3,366 hits

[304]Re(1)写真27 治療をうける右足を失った14歳...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 20:36 -

引用なし
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   写真27、P105


これは日寇暴行実録以外に記述はないのでしょうか?
3,487 hits

[305]Re(1):写真28 日本軍のせいで下腹部に火傷を負...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 20:40 -

引用なし
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   写真28、P105


「老農夫が日本軍のせいで下腹部に火傷を負わされて」という記述は見つかりません。
2,978 hits

[306]Re(1):写真116,A 兵士の疑いで連行される夫や...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 20:47 -

引用なし
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   写真116,A、P189


これは、マギーフィルムの解説書の フィルム二の(2)
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#2-2

(二)一九三七年一二月一六日。南京、上海路の中国人女性たち。息子や夫たちが元兵士の疑いで手当たりしだいに集められたため、脆いて日本軍にかれらの命乞いをしている。何千人もの一般市民がこのように縄で縛られ、下関の川岸や、池のへり、空き地に連れて行かれ、機関銃、銃剣、歩兵銃、さらには手榴弾で殺害された。<BR><BR>他の史料にもあるのでしょうね、きっと。
2,919 hits

[307]Re(1):写真117、鉄の棒で叩かれ頭を銃剣で刺さ...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 20:54 -

引用なし
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   写真117、P190


これは、解説書 フィルム三の〈六)と思われます。
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#3-6

「(六)この少年は、日本軍が常州を通過したとき、かれが呉淞からきた難民であったにもかかわらず、日本軍によって連行された。かれは一三、四歳で、およそ三週間、日本軍の下でかれらのために働いた。<BR><BR> 一二月二六日、二日問まったく食べ物を与えられなかったので、仕えていた兵士に家に帰りたいと言った。すると、かれらは少年を鉄の棒で叩き、頭を銃剣で刺した。この映像は、かれが血まみれで診療所に運ばれてきた直後に撮られたものである。かれは回復した。」
2,959 hits

[308]Re(1):写真118、安全を求めて新しい避難所に移...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 20:59 -

引用なし
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   写真118、P191


ほんとうにこれ、笑顔なのかなあ?

動画が見れます。
http://www.geocities.com/nankingatrocities/Table/table.htm
(Video)
China Invaded --- Female refugees moving one camp to another in search of safety
http://www.geocities.com/nankingatrocities/Videos/nanking_femalerefugees.rm
2,875 hits

[309]Re(1):写真119 「夏琴淑さん事件」
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 21:05 -

引用なし
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   写真119、P192


これは、解説書、フィルム四の(九)
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#4-9

(九)一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。

 夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。赤ん坊は銃剣で刺殺された。

 何人かの兵士が隣の部屋に踏み込むと、そこには夏夫人の七六歳と七四歳になる両親と、一六歳と一四歳になる二人の娘がいた。かれらが少女を強姦しようとしたので、祖母は彼女たちを守ろうとした。兵士は祖母を拳銃で撃ち殺した。妻の死体にしがみついた祖父も殺された。二人の少女は服を脱がされ、年上の方がニ、三人に、年下の方が三人に強姦された。その後、年上の少女は刺殺され、膣に杖が押し込まれた。年下の少女も銃剣で突かれたが、姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた。

 さらに兵士たちは、部屋にいたもう一人の七、八歳になる妹を銃剣で刺した。この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。

 傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。二人の子どもは、ふやけた米と、米を炊いたとき鍋についたコゲを食べて暮らした。

 撮影者は、この八歳の子から話の部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した。この子が言うには、兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行ったが、二人の子どもは古シーツの下に隠れていたので発見されなかった。

 このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。一四日後、フィルムに映った老女が近所に戻り、二人の子どもを見つけた。彼女が撮影者[の私]を、死体が後に持ち去られた広々とした場所へ案内してくれた。

 彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。このフィルムは、同じころに殺害された人の屍の群に横たわる一六歳と一四歳の少女の死体を映し出している。夏夫人と彼女の赤ん坊は最後に映し出される。

*「ゆう」注 この事例は、「夏琴淑さん事件」として知られています。
3,828 hits

[310]Re(1):父親は銃剣で刺殺、母親は歩兵銃で射殺、...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 21:29 -

引用なし
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この少女はおそらく、フィルム二の(六)かと思われます。
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#2-6

(六)この一一歳ぐらいの少女は、日本兵が侵入してきたとき、難民区内の待避壕のそばで両親といっしょにいた。日本兵は父親を銃剣で刺し殺し、母親を歩兵銃で射殺し、少女の肘には銃剣でこのひどい切り傷を負わせた。彼女は回復するであろうが、腕は不自由になろう。
2,962 hits

[311]Re(1):日本兵がホテルに放火させようとして拒否...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 21:36 -

引用なし
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マギーの解説書、フィルム四の(八)か?
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#4-8

(八)一月二四日、日本兵はこの男性に、大学病院からほど近い双竜巷の川合ホテルに放火させようとした。かれが拒否すると、かれらはこの男性の頭を銃剣で刺した。裂傷が三か所あったが、どれも重傷ではなかった。撮影時、この男性ははとんど回復していた。

ムービーでも確かめてください。
2,890 hits

[312]Re(1):気管部に銃剣、死ぬべく放置された兵士
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 21:40 -

引用なし
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フイルム三の(五)か?
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#3-5

(五)この男性は中国軍兵士だったが、日本軍に捕らえられたとき、武器をすべて取り上げられた。かれは頭部に二か所、気管部に一か所銃剣による傷を負っていた。かれは死ぬべく放置されたが、鼓楼病院での治療の後、回復した。

?付き
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[313]Re(1):顎を撃ち抜かれた後、ガソリンに浸され、...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 21:43 -

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この犠牲者は、フィルム三の(四)とおもわれ
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#3-4

(四)この男性は、長江に一艘の小型の平底舟を所有していた。かれは日本兵に顎を撃ち抜かれた後、ガソリンに浸され、火を放たれた。胴体は上郡も下部もひどく焼け、かなり黒く焦げていた。鼓楼病院に二日問入院した後、亡くなった。
2,922 hits

[314]Re(1):強姦され、首を斬られ脊柱の筋肉を切断さ...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 21:49 -

引用なし
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首に深い傷を負った少女<BR><BR>フィルム四の(一)
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#4-1

(一)この女性は、日本軍将校の衣服を洗うために、他の五名とともに難民センターから連行された。彼女は、軍の病院として使用されているらしい建物の二階へ連れて行かれた。彼女たちは日中、衣服を洗濯し、夜は日本兵を楽しませた。
 彼女の話によると、年かさの不器量な女性は一晩で一〇回から二〇回強姦されたが、若くて綺麗な方は一晩で四〇回も強姦された。フィルムの女性は、あまり美人ではない方の一人だった。

 一月二日、二人の兵士が、同行するよう彼女に誘いをかけた。彼女はかれらについて空き家に行った。そこでかれらは彼女の首を切ろうとしたが失敗した。彼女は血の海のなかで発見され、鼓楼病院へ運ばれ、いまは回復している。

 彼女の首のうしろには深い裂傷が四か所あり、脊柱の筋肉が切断されていた。また手首に一か所、胴体に四か所の深い傷がある。この女性は、なぜかれらが自分を殺そうとしたのかまったくわからず、他の女性がどうなったかもわからない。
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[315]Re(1):強姦に抵抗しため、日本兵に何度も刺され...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 21:54 -

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これは、李秀英事件 フィルム二の(四)
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#2-4

(四)一九歳のこの女性は、難民区のアメリカンスクールにいた避難民だった。彼女は妊娠六か月半で最初の子を身ごもっていた。強姦に抵抗しため、日本兵に何度も刺された。彼女は顔面に一九か所、足に八か所、腹部には深さ二インチの傷を一か所員っている。大学病院に入った翌日、これが原因で流産した。彼女はこれらの傷から回復した。

*「ゆう」注 この事例は、「李秀英事件」として知られています
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[316]Re(1):銃剣で強打し、耳のうしろの頭蓋骨に大き...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 21:59 -

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これは、フィルム三の(二)と思われ
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html#3-2

(二)これは、あるほうろう製品店の店員の映像である。ある日本兵が店員に煙草を求めたが、店員が差し出せなかったため、日本兵はかれの頭部を銃剣で強打し、耳のうしろの頭蓋骨に大きな穴をあけた。この映像はかれが鼓楼病院に入って六日後に撮られたものである。脳の脈動をはっきりと見ることができ、相当量の脳がすでになくなっていて、そのため右半身が完全に麻痺していたが、意識を失ってはいなかった。かれは入院して約一〇日間生きた。
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[317]Re(2):ムービー・サイト
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/5(木) 22:09 -

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   >ムービーでも確かめてください。

http://www.china918.org/movie/ever1/mj.asf
「マギー牧師の証言」(中国語版)

そのカット一覧(スチル画像集)
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/mg_images/album.html


http://www.ch815.com/zuanti/nankingnew/dashiji/moive/moive.htm
「南京大屠殺」(中国語版)

http://www.geocities.com/nankingatrocities/Table/table.htm
"China Invaded"(Magee film)
"The Battle of China"(American propaganda)
"Nanking"(Japanese propaganda)
以上オリジナル音声付クリップ

http://www.geocities.jp/nan_king_mame/nanking.html
ビデオ「南京」と思われ 徳川夢声ナレーション
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[318]東中野修道は稀代の詐欺師、平成の天一坊か
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 おおおっか  - 05/5/6(金) 10:21 -

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東中野修道は稀代の詐欺師、平成の天一坊か
====================

まず鷺漢、東中野某の一文(『南京事件「検証写真」を検証する』P104)を読んでいただきたい。



写真27は「南京で日本軍に左腿を撃たれて傷ついた14歳の児童が、鼓楼病院で医師の治療を受けている光景」と説明されている。しかしこの男性は20歳前後の男性と見受けられないだろうか。ウイルソン医師の日記風の手紙を見ると、彼は、12月11日に片足を吹き飛ばされた男性に、「足の下部を切断」する手術を、15日に施している。この男性がそれに該当するとすれば、陥落2日前に、戦闘中に片足を吹き飛ばされたのであろう。

善良なる読者、とくに「南京虐殺など無かった」と思いたい読者は、この一文をどのように読むだろうか? 他人を疑いたくない善良な読者は、膨大な「ウィルソン医師の日記」から。該当する描写をみつけた"教授の慧眼"に敬服するのであろうか?

まずは、「ウィルソン医師の日記」とはどのようなものかを見て欲しい。

「小さな資料集・・ゆうのページ」
ウィルソン医師の手紙(1) http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson1.html
ウィルソン医師の手紙(2) http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson2.html
ウィルソン医師の手紙(3) http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson3.html

これを読むと、ウィルソン医師は南京陥落後の1ヶ月に渡って、膨大な数の手足切断手術を施している。

十二月十四日

・・・・・・・
 私はきょうやむをえない切断手術を含めて一一の手術を行った。現在は一〇〇人を大幅に越える患者がいるので、きょうは全員を診て回ることができなかった。一棟分を残さざるをえなかった。
・・・・・・・

十二月十五日

・・・・・・・
 きのう一一件の手術をしたと書いた。きょうは病棟の患者の回診のほかに、一〇件の手術をした。今朝は早く起きて、朝食をとりに家に帰る前に一つの病棟の回診を済ませた。朝食を食べてから午前中は他の病棟を回診して、昼食後に手術を開始した。


 最初の患者は警察官で、腕に爆撃を受けて骨はメチャメチャで筋肉の四分の三が切断されていた。彼はおよそ七時間も止血帯を使用し続けていたが、さらに出血を止めようとするなら、手のほうに流れる血液を完全に止めてしまうことになる。切断する以外に方法はなかった。

 二番目の患者は気の毒だった。彼は、大きな金属片が頬に入り、下顎の一部が潰れていた。金属片は取り除かれ、同様に潰れた下顎に埋め込まれていた歯も取り除かれた。

 それからトリムに助手をしてもらい数名の患者が続いてX線透視を使う手術となった。一人は耳下腺に榴散弾の破片が刺さり、顔の神経を切断していた。もう一人は横腹に弾丸が入っていた。弾丸は上腹部から入り、胃を貫通していた。彼は大量の吐血をしたら気分が少しよくなった。彼の状態は上々で、開腹手術の必要はまったくないと思う。弾丸は横腹から難なくとれた。別のもう一人の患者は四日前に片足を吹き飛ばされた。彼は中毒症状がひどく、足の下部で切断した。

 また別の患者は日本兵に銃剣で刺されたあの床屋だ。銃剣は靭帯を切り抜け、脊髄管に達する首の後ろの筋肉をすべて切断した。彼はショック状態にあり、おそらく死亡するだろう。彼は床屋にいた八人のうち唯一の生存者で、残りは全員殺害されている。


 一般市民の殺害は、ゾッとするほどだ。強姦や想像を絶する蛮行について書こうとすればきりがない。

 銃剣で負傷した二人は、七人いた道路清掃人のうちの生存者だ。彼らは詰所に座っていると日本兵が入ってきて、いきなり五、六人(原文どおり-訳者)を殺し、二人を負傷させた。この二人はどうにかこうにか病院に辿り着くことができた。戦争が終わって、また元の生活にもどれるのはいつのことだろう。


十二月十八日

・・・・・・・
 この二日間におきた出来事をふり返ってみよう。きのうの夜、大学の中国人職員の家に侵入があり、親戚筋の女性二人が強姦された。難民キャンプの一つで、年の頃一六ぐらいの少女二人が、強姦されて死んだ。八千人が避難していた金陵大学附属中学校に、昨晩は日本兵が一〇回も塀を乗り越えて押し入って、食料や衣類を盗み、気のすむまで強姦を犯していった。

 彼らは小さな男の子を銃剣で刺して殺した。私は今朝一時間半かかって別の八歳の少年の縫合をしたが、彼は銃剣により五ヵ所も負傷し、うち一ヵ所は胃まで達して、腸の網膜が一部外に飛び出していた。彼は助かると思う。

 姿をくらましていた兵隊が見つかったので、ちょっと時間がとられた。彼は四階の看護婦寮にいた。そこには一五人の看護婦がいて、息の根も止まらんばかりに怖がっていた。私が行くまでにどのくらい獲物を獲得したか分からないが、それから後はなにもしなかった。
・・・・・・・

 現在私が担当している一五〇人の患者を回診してから、夕食をとりに病院を出ると、紫金山の上に満月が昇っていて、何とも言えない美しきだった。けれど月が照らしているのは、太平天国以来、最も荒廃した南京だった。町の九割の地域から中国人の姿がなくなり、かわって、略奪を働く日本兵が隊を組んでうろつき回っている。残りの一割の地域に、恐怖におののいた二〇万人に達する中国人がひしめき合っている。
・・・・・・・

十二月二十六日

・・・・・・・
 きょう午後はまた切断手術で始まり、二、三のさほど重傷でない患者を診た。切断したのはこの二週間ほどの問、救おうとしていた脚だった。患者は着実に下り坂に向かっていて、脚と命のどちらをとるかという選択しかなかった。結果はまだ決して落ち着いたわけではない。というのも、彼はその両方をもなくす可能性があるからだ。手術が終わってから、まだ回診していない患者が二つの病棟に七〇人もいる。
・・・・・・・

十二月二十八日

・・・・・・・
 この患者の話によると、この数百人の男性は町の西にある丘に連行され、銃剣の練習台にさせられたそうだ。彼には何人が生き残ったか見当がつかないという。

 彼には銃剣の傷が五ヵ所あり、うち一ヵ所は腹膜を突き破っていた。腸も刺されているのではないかと思いながら手術をしたが、腹腔に多量の黒い血を認めただけだった。銃剣はほとんど身体の中心に刺さったが、斜めに入ったので、腹膜の下方四分の一のところを刺して血管をいくつか傷めたものの、腸には達していなかった。腹膜炎が重症でなければ、彼はおそらく回復するだろう。
・・・・・・・

 トリムがきょう午後病院にいたので、二人でX線透視をいくつか行った。ひとりの男性は仙骨から右の下腹部にかけて貫通した弾丸の傷があり、明らかに右の腸骨の近くの動静脈に外傷性の動脈瘤ができていた。現在の感染状況を見れば、手術や修復処置は問題外で、さりとてそうしなければ右脚がつけ根から壊疽を生じるし、彼の運命はきまったようなものだ。
・・・・・・・


十二月二十八日

・・・・・・・
 今朝、こざっぱりとした身なりの中国人の商人が危険を冒して安全区から外に出て、自分の家と商店の跡を調べに行った。彼が三人の同行者とともに估衣廊教会の前を歩いていると、日本兵が数人彼らに向かって銃を発砲した。その理由は未だに不明だ。

 一人が死に、この男性は腹部の傷口から小腸が四フィート飛び出したまま仲間に病院まで運び込まれた。弾丸は左腹部から入り、右に抜けていた。弾丸はズボンの中にあったので、私のコレクションに加えられた。

 この男を開腹すると、小腸は六ヵ所も完全に分断され、この他にも六ヵ所、穴が開いたり傷んでいた。私は傷ついた部分をすべて切除し、腸老瘻管をつけたが、生存できる可能性は〇・一パーセントよりはるかに少ないと思う。前回報告した患者はとてもよくなり、回復する見込みが大きい。


 きょうのもう一人の患者は、膿胸が進んできている胸部の患者で、肋骨を一本切除した。胸を撃たれた患者は一〇人はいるに違いない。脳のかなりの部分を吹き飛ばされた患者は、病院にきてから一週間目にとうとう亡くなった。

 一〇歳の少年の足を救おうと努めている。頚骨と腓骨の間の下三分の一のところがメチャクチャに挫傷している。着実に体力が落ちてきているので、生命とひきかえに、足を切断しなければならないかもしれない。


 トリムがまた完全に復帰して、産科の患者を引き継いでくれている。私が手がけた男の赤ちゃんに、極く小さな余分の親指が、通常の隣に小さな肉茎としてついているのに気がついた。分娩の時は気づかなかった。きょうその部分を切除した。

 一七歳の少女が、ある晩陣痛が始まる直前の一時間半前に強姦されて、今は明らかに淋病の症状が進んできている。一時は体温が四〇度五分まで上がり、見通しは暗い。赤ちゃんは、ヒルクレスト学校の地下で腹部を銃剣で刺され、早産して自分の赤ちゃんを亡くした少女に一時的に預けている。彼女は十分母乳がでる。
・・・・・・・

一月三日

・・・・・・・
 興味ある患者が三人きょう現れた。一七歳の少年が持ってきた話によると、年のころ一五歳から三〇歳くらいまでの中国人男性およそ一万人が、十四日にはしけ近くの川岸に連れ出されたそうだ。そこで日本軍は彼らに野戦砲、手榴弾、機関銃をぶつ放した。

 ほとんどの死体が川の中に押しおとされ、残りの死体は山と積み上げられて焼かれたが、三人はかろうじて逃げのびてきたという。少年のあげた数字によると、一万人のうち六千人が元兵隊で、四千人が一般市民だった。彼は胸に弾丸の傷を負っているが、深刻なものではない。


 四〇歳くらいの女性が来て話すところによると、表向きは将校たちの衣類を洗濯するというのが目的で、難民キャンプから十二月三十一日に連行されたという。六人が連れ出された。昼間は衣類を洗濯させられ、夜は強姦されたという。五人は一晩に一〇人から一二人の相手をさせられ、残りの一人は若くて美人だったので四〇人の相手をさせられたそうだ。

 三日目に兵隊二人がこの女性をみんなのいるところから連れ出して人気のないところに連れて行き、首を切り落そうとした。一人が四回も首切りを試みたが、うしろ首の筋肉をやっと背骨のところまで切断することができただけだった。

 彼女は他にも背中、顔、腕の六ヵ所に銃剣の刺し傷を受けていた。おそらく回復するだろう。彼女がこうした状態で倒れていたとき、別の日本の (!)兵隊が彼女を見つけて安全な場所に連れてきてくれた。


 三番目の患者は一四歳の少女で、彼女は強姦に耐えられるように体ができてなくて、相当な外科の修復手術が必要だろう。


 きょうの午後は五つの手術を行った。うち二つの弾丸が私のコレクションに加えられた。

 前回六人の子持ちの母親が、目から弾丸が入り首に達したことを書いたが、弾丸がまだ出てこなかったので、きょう摘出した。大腿部つけ根の複雑挫症の患者に対して自信がなくなってきた。まったくよくなってこない。

 そのような患者の一人が、病院に来てから六週間目のきょう亡くなった。感染症が着々と上部に達してきて、二、三目前から傷口より出血が始まった。あまりに上部で止血帯は役に立たず、切りこむにしても両手のこぶしが入るくらいいまいましいほど食い込んで切らねばならず、一部は背中にまで達してえぐることになる。股は上部で全体がしめ上げられた。急いで足を切断しようとしたが、遅かった。もう少し早く処置したとしても、効果があったとは思わないが、そうすべきだったかもしれない。
・・・・・・・

一月六日

・・・・・・・
 病院では外来部門が再開しつつあるので、中国人医師は一日中ほとんど忙しくしている。私たちは来週月曜日から、外科と内科診療という通常スケジュールにもどるつもりだ。

 きのうは午後をまるまる血行を圧止しているヘルニアの手術にかかりきりだった。血行が五日間止まっていたので壊疽化して、小腸を八インチほど切断する必要があった。
・・・・・・・

一月九日

・・・・・・・
 おまえがここに居た時に書いた最初の部分と合わせてみると、一つの立派な物語になる。スティールやスミスが検閲を受けないで届けたページを、おまえは受け取ったものと思う。

 安全のため、こちらにコピーを一部残している。公式の記録はルイス・スマイスがほとんど一切を引き受けている。彼は、目撃したことないしは目撃者から聞き取りした一連の事例を編集している。私自身の体験としてここに書いたような話は、彼のリストに入っている。


 きょうは日曜日だ。いつもより少し遅い朝食をとってから回診をほとんど済ましたところでジョン・マギーに会って、前回撮らなかった写真を少し撮ったなら一六ミリフィルムが終わることが分かった。

 けさ、私たちは首二ヵ所に長い深傷を負った年配の男性の写真を撮った。彼は日本兵から女性を周旋するよう求められたが、その要求に応えることができなかったことが罪となった。

 次に撮ったのは、背中、胸、腕に銃剣の傷を受けている一八歳(いや、二二歳だ)の警官だ。この男性には何の罪もなかった。

 三番目は、前にも書いたように、他の五人とともに連行されて、日中は衣類の洗濯をさせられ、夜は慰みものとなった女性だ。首のけがは次第によくなってきている。彼女は肺炎になりかけていると思っていたが、どうやらならずに済んだようだ。

(『南京事件資料集 1 アメリカ関係資料編』 P289〜P299)


長々と引用したかに見えるが、これはごく一部に過ぎない。そして重要な留意点は、足の切断手術はかず限りなく行われていたということだ。この膨大な日記に記述されない患者が膨大に存在した、ということだ。

にも拘わらず、東中野は、

12月11日に片足を吹き飛ばされた男性に、「足の下部を切断」する手術を、15日に施している。

だけを選んだ。これは果たして「教授の慧眼」か?
慧眼であるはずがない、この記述を選んだ理由が少しも書かれていない。

しかし冷静に考えれば、かれの選択の理由は良く分かる。すなわち、

市民に対する虐殺はなかった
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/12-2.html

という立場から、膨大な「ウィルソン医師の日記」から兵士の手術例を探し出したに違い有りません。つまり、はじめに結論ありき、です。
そうして、こうした「魂胆」を覆い隠すために東中野は、

しかしこの男性は20歳前後の男性と見受けられないだろうか。

という一言を忍ばせたのです。

東中野本のP105の写真27。この小さな写真を見て、患者が14歳か20歳前後か、いったい誰が見分けることができるでしょうか? 東中野の検証は全くインチキにも拘わらず、そのインチキ性を一言でいいきることも、難しいのです。

おそらく写真27の鮮明で大きな写真をみれば、14歳に見えるに違いないと思います。日寇暴行実録の原本を見ればこのインチキも直ぐに見破れるのに、私の手元にそれがないのが悔しい限りです!


これが、『平成の天一坊』東中野修道の常套手段です!!

ウイルソン医師の日記や、マギー牧師の証言などを読んで、「民間人虐殺などなかった」という天一坊のウソを瞬時に見破ってください!!

私は、日本皇軍の残虐行為をことさら強調したいわけではありません。
しかし、
史実を無かったことにしたり、免罪して欲しいという願望を通り越して、侵略非行を「顕彰」すらしようとする曲学阿世の言動に、腹の底から我慢がならないのです。



マギーフィルムの解説書
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html
マギー牧師の東京裁判における証言
http://www.geocities.jp/yu77799/magee.html
ウイルソン医師の手紙
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson1.html
ウイルソン医師の証言
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson4.html
ヴォートリン日記・殺害事例
http://www.geocities.jp/yu77799/vautrin.html
ヴォートリン日記・連行事例
http://www.geocities.jp/yu77799/vautrin2.html
ほか


以上、
『小さな資料集』に学び『平成の天一坊』と戦う『市井の越前』記
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[345]Re(1):マギーフィルム画像と解説書
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 渡辺  - 05/5/8(日) 1:17 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>マギーフィルムは、マギー牧師が南京事件を現認撮影したもので、文書記録と照合されれば、一級の資料ですよね。
>
>しかしながら、当時4本のコピーをとったといわれるフィルムの、その後の行く末が、なかなか明らかになっていません。
>1938年にジョージフィッチがアメリカに持ち帰ったもの。

 この件に関しては、フィルムを所蔵していた方が下記のような記事を書いています。
"About George Fitch and the Film"
http://www.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NMMage.html
 フィルムの一部は失われたようですが、修復され13分になったものを Library of Congress film department に寄贈したとしています。まだ、事実確認はしていません。2年ほど前に記事投稿者と連絡をとろうと問い合わせしましたが、サイト管理者から回答がありませんでした。
 The Battle of China に使われたものはフィッチが持っていったフィルムのコピーではないかと思います。従って、米国政府機関のどこかにそのコピーが所蔵されているものと思います。これは、Timperleyが編集したものです。

>1990年代に、マギー牧師の息子の家から発見されたもの。

 これは、『天皇の名のもとに』にオリジナルのフィルムやカメラの映像がでてきます。この映画に収録されたものは、マギー家所蔵のフィルムからと思います。

 Timperley編集のフィルムが日本に持ち込まれたことは、蒋介石宛て機密文書の記述にもありますので、ほぼ確実とみられます。その後、そのフィルムがどうなったかは知りません。400フィートの長さに編集されていたようです。
 1938年に英国の下院でTimperleyが映画を上映し、その結果、観客は気分が悪くなったとチャールズ・ティンパレーという人が回想録に書いています。新聞記事が出典とみられますが、まだ該当記事をみつけていません。(著者は高齢で病気とのこと、インタビューできませんでした。)下院の議事録(膨大)も機会をみて調べる予定です。時期的にみても、マギーのフィルムと思われます。英国に、そのフィルムが現存しているかもしれません。
 ティンパレーは、その後、米国へ行き、1939年3月頃、英国から重慶に入り、4月頃、中央宣伝部の顧問になったと考えられます。

 従って、フィルムのコピーは、米国とドイツの他に、日本と英国に行ったものと思われます。また、中国政府も複製を持っていたと考えるべきでしょう。

>残されたフィルムの考証がしっかりとなされていないことからくる、アイマイさ、あるいは、考証不十分のまま2次使用されたフィルム。

 はい、その通りです。マギー家所蔵のオリジナルフィルムが編集なしで公開されることを期待しています。
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[348]Re(2):マギーフィルム画像と解説書
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/8(日) 8:55 -

引用なし
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   渡辺さん、

詳しいご回答ありがとうございます。
渡辺さんのような先学のご努力を知らずに書き散らした不明をお許しください。
おかげさまで、
マギーフィルムに対するさまざまな疑問の輪郭が見えてきました。もちろん、謎も深まりました。

私の知りうる史料は、渡辺さんもお示しになった、
"About George Fitch and the Film"と、それと同じページにある"About Reverend Magee's Documentary"です。
http://www.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NMMage.html
私の英語読解力の無さをご理解いただくために、拙訳をアップしております。
マギー・フィルムとは?
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/mg_images/youshi.htm

及び、WEB上で見られる「マギー牧師の証言(中国語版)」(「天皇の名のもとに」と同一か、その短縮版?)
http://www.china918.net/91802/nj1213/index.asp
が私の資料です。


これらから私が類推したことは、
==============

1、マギー牧師は16ミリのモノクロリバーサルフィルムの100フィートロールを使って撮影した。

(リバーサルフィルムだと現像すればそのまま映写できる。ネガフィルムはネガを編集してからポジのプリントをとる。素人カメラマンである牧師さんならば、ネガよりもリバーサルを使ったであろう。ただし、リバーサルが手に入るならばが前提。100フィートロールは撮影時間約3分。400フィートロールは大きなマガジンを付けねばならず、撮影は三脚が必須、とても一人ではできません。)

2、撮影したものは、「南京事件」だけでなく「日本訪問」や「宗教儀式」なども含まれる。

3、それらは、上海のコダックの現像所で現像された。

(ただし、上海と南京との行き来が自由なときの撮影済みフィルムは既に現像されて、マギーの手元にあったと思われる。ジョージフィッチがマギーから託されて上海に運び現像された物は、9月以降撮影の未現像の100フィートフィルム×4ロールであろう。これは、13分という長さにも照合する)

4、「解説書」はジョージフィッチに托された未現像フィルムに添えられた送り状であろう。100フィートロール4本分。マギーは見れば分かる映像の説明は省き、「患者」が受けた残虐行為を中心に記した。「字幕をいれて編集する」といっていた、Timperleyへの手紙かもしれない。

5、100フィートロール4本なら、ジョージ・フィッチの外套の中に隠すことができたかもしれないが、400フィートロール4本は無理である。

6、上海に届いたフィルムはまず現像された。そうして4本のコピーが取られたのだが、
現像とコピーの間に「編集」が介在したのかどうかは不明である。つまり、上海にいたTimperleyが編集したかどうか? 

(私はそれは構想倒れに終わったと思う。実際、字幕((合成スーパーではなく撮り切りのパターン))を作成する職人の動員が、1938年の上海租界で可能だったとは思えない)

7、結局、編集といっても、4本のつなぎめやカットとカットの間の露光部分を切除したに過ぎないと予想される。これなら、現像所の技術者が機械的にできる。出来上がったもの400フィート。

8、ここで、コピーを4本つくるために、マスターネガを起こしたと思われる。
つまり、上海でできた12〜13分のフィルムは

(0)マスターネガ → 不明(誰が管理か?)
(1)プリント1 → ジョージフィッチがアメリカへ→ "Invaded China"
(2)プリント2 → 誰かが日本へ(その後不明)
(3)プリント3 → ドイツ大使館からヒットラーへ(その後不明)
(4)プリント4 → Timperleyが管理 → "What War Means" 出版を記してイギリスへ

などが考えられるが、
「日寇暴行実録」などへの写真転載を考えると、プリントは4本に留まらなかったと思われる。のちに、マギー家に返還されたものはどれか?という疑問も残る。

9、マギー家所蔵のものが、必ずしもオリジナルとはいえないかもしれない。

(マギーが帰国する際に上海でフィルムを返還してもらうことが果たしてできたのだろうか? 多分そうではなくて、帰国してから、2次使用されたフィルムを収集したのかもしれない。 上海の爆撃ニュースや、Battle of Nanking のシーンが「マギー牧師の証言」に混ざっていることからも、その可能性は否定できない。)

※1 以上は今のところ私の勝手な妄想です。決して宣伝しないでください。
※2 映像にしても写真にしても、「プロパガンダ」用メディアだと思われていた時代。世界中のどの国も。ドキュメンタリー映画、なんていう言葉ができたのはずっと後世の1960年代。オリジナルがどうのこうのといい始めたのも、後世になってから。当時はわが国も全体主義国家ですから、もちろん。
※3 ヒロシマやナガサキ。映画にしても写真にしても「日本人カメラマン」が撮影でき、それを隠し持つことができて、本当によかったです。占領下のできごとで自国民による記録が残っていなかったら、きっと今ごろ同じように「原爆被害なんて捏造だ」といわれていたでしょう。
※4 10フィート運動の素晴らしさは「アメリカ人が撮ったフィルム」を「アメリカ人」に見せて、否定できない事実と認識させたことです。米国戦略爆撃調査団が撮った被爆「患者」は全体の中では軽症の人ばかりです。しかし「米国自ら残した証拠」という、記録としての強さがあったのです。これは「村瀬写真集」の意味に通じます。日本人のだれそれが撮ったか、完全にわかっている写真だけを使った「南京事件」。そうした著作があってよいかもしれませんね。
※5 蛇足ですが、このサイトでは2つの作品、"Battle of China"と"Invaded China"とを区別しています。
http://www.geocities.com/nankingatrocities/index.htm

▼渡辺さん:
>▼ピッポさん:
>>マギーフィルムは、マギー牧師が南京事件を現認撮影したもので、文書記録と照合されれば、一級の資料ですよね。
>>
>>しかしながら、当時4本のコピーをとったといわれるフィルムの、その後の行く末が、なかなか明らかになっていません。
>>1938年にジョージフィッチがアメリカに持ち帰ったもの。
>
> この件に関しては、フィルムを所蔵していた方が下記のような記事を書いています。
>"About George Fitch and the Film"
>http://www.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NMMage.html
> フィルムの一部は失われたようですが、修復され13分になったものを Library of Congress film department に寄贈したとしています。まだ、事実確認はしていません。2年ほど前に記事投稿者と連絡をとろうと問い合わせしましたが、サイト管理者から回答がありませんでした。
> The Battle of China に使われたものはフィッチが持っていったフィルムのコピーではないかと思います。従って、米国政府機関のどこかにそのコピーが所蔵されているものと思います。これは、Timperleyが編集したものです。
>
>>1990年代に、マギー牧師の息子の家から発見されたもの。
>
> これは、『天皇の名のもとに』にオリジナルのフィルムやカメラの映像がでてきます。この映画に収録されたものは、マギー家所蔵のフィルムからと思います。
>
> Timperley編集のフィルムが日本に持ち込まれたことは、蒋介石宛て機密文書の記述にもありますので、ほぼ確実とみられます。その後、そのフィルムがどうなったかは知りません。400フィートの長さに編集されていたようです。
> 1938年に英国の下院でTimperleyが映画を上映し、その結果、観客は気分が悪くなったとチャールズ・ティンパレーという人が回想録に書いています。新聞記事が出典とみられますが、まだ該当記事をみつけていません。(著者は高齢で病気とのこと、インタビューできませんでした。)下院の議事録(膨大)も機会をみて調べる予定です。時期的にみても、マギーのフィルムと思われます。英国に、そのフィルムが現存しているかもしれません。
> ティンパレーは、その後、米国へ行き、1939年3月頃、英国から重慶に入り、4月頃、中央宣伝部の顧問になったと考えられます。
>
> 従って、フィルムのコピーは、米国とドイツの他に、日本と英国に行ったものと思われます。また、中国政府も複製を持っていたと考えるべきでしょう。
>
>>残されたフィルムの考証がしっかりとなされていないことからくる、アイマイさ、あるいは、考証不十分のまま2次使用されたフィルム。
>
> はい、その通りです。マギー家所蔵のオリジナルフィルムが編集なしで公開されることを期待しています。
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[349]Re(3):マギーフィルム画像と解説書
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/8(日) 9:14 -

引用なし
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   付記です

10、マギーフィルムが東京裁判で証拠提出できなかったのは、本人の手元にオリジナルが残っていなかったせいかもしれない。中華民国政府の元にも残っていなかった。
決して、内容に証拠価値が無いわけではない。 
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[350]Re(2):マギーフィルム画像と解説書
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 msq  - 05/5/8(日) 9:16 -

引用なし
パスワード
   関係ないことですが、「渡辺さんのページ」の最上部に
"現在ご覧頂いているページは移行手続きが完了していない為、<<削除>>の対象となっています。" という表示が出ています。<詳細>に"移行期間は2004年10月5日〜2005年3月31日です。"とありますが、大丈夫ですか。管理者様、お手数ですが、用済みになればこのコメント削除して下さい。
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[352]Re(4):マギーフィルム画像と解説書
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 渡辺  - 05/5/8(日) 19:06 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>付記です
>
>10、マギーフィルムが東京裁判で証拠提出できなかったのは、本人の手元にオリジナルが残っていなかったせいかもしれない。中華民国政府の元にも残っていなかった。
>決して、内容に証拠価値が無いわけではない。 

 マギーの子息は、『天皇名のもとに』の中で、父親が東京裁判にフィルムを持っていったが、なぜか上映されなかった、と言っています。

 裁判でフィルムを証拠に使う場合、どういう争点の証拠とするのかということですね。そこまで、必要があったかですね。証言で十分だったとも考えられます。
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