東中野修道は稀代の詐欺師、平成の天一坊か
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まず鷺漢、東中野某の一文(『南京事件「検証写真」を検証する』P104)を読んでいただきたい。
写真27は「南京で日本軍に左腿を撃たれて傷ついた14歳の児童が、鼓楼病院で医師の治療を受けている光景」と説明されている。しかしこの男性は20歳前後の男性と見受けられないだろうか。ウイルソン医師の日記風の手紙を見ると、彼は、12月11日に片足を吹き飛ばされた男性に、「足の下部を切断」する手術を、15日に施している。この男性がそれに該当するとすれば、陥落2日前に、戦闘中に片足を吹き飛ばされたのであろう。
善良なる読者、とくに「南京虐殺など無かった」と思いたい読者は、この一文をどのように読むだろうか? 他人を疑いたくない善良な読者は、膨大な「ウィルソン医師の日記」から。該当する描写をみつけた"教授の慧眼"に敬服するのであろうか?
まずは、「ウィルソン医師の日記」とはどのようなものかを見て欲しい。
「小さな資料集・・ゆうのページ」
ウィルソン医師の手紙(1) http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson1.html
ウィルソン医師の手紙(2)
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson2.html
ウィルソン医師の手紙(3)
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson3.html
これを読むと、ウィルソン医師は南京陥落後の1ヶ月に渡って、膨大な数の手足切断手術を施している。
十二月十四日
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私はきょうやむをえない切断手術を含めて一一の手術を行った。現在は一〇〇人を大幅に越える患者がいるので、きょうは全員を診て回ることができなかった。一棟分を残さざるをえなかった。
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十二月十五日
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きのう一一件の手術をしたと書いた。きょうは病棟の患者の回診のほかに、一〇件の手術をした。今朝は早く起きて、朝食をとりに家に帰る前に一つの病棟の回診を済ませた。朝食を食べてから午前中は他の病棟を回診して、昼食後に手術を開始した。
最初の患者は警察官で、腕に爆撃を受けて骨はメチャメチャで筋肉の四分の三が切断されていた。彼はおよそ七時間も止血帯を使用し続けていたが、さらに出血を止めようとするなら、手のほうに流れる血液を完全に止めてしまうことになる。切断する以外に方法はなかった。
二番目の患者は気の毒だった。彼は、大きな金属片が頬に入り、下顎の一部が潰れていた。金属片は取り除かれ、同様に潰れた下顎に埋め込まれていた歯も取り除かれた。
それからトリムに助手をしてもらい数名の患者が続いてX線透視を使う手術となった。一人は耳下腺に榴散弾の破片が刺さり、顔の神経を切断していた。もう一人は横腹に弾丸が入っていた。弾丸は上腹部から入り、胃を貫通していた。彼は大量の吐血をしたら気分が少しよくなった。彼の状態は上々で、開腹手術の必要はまったくないと思う。弾丸は横腹から難なくとれた。別のもう一人の患者は四日前に片足を吹き飛ばされた。彼は中毒症状がひどく、足の下部で切断した。
また別の患者は日本兵に銃剣で刺されたあの床屋だ。銃剣は靭帯を切り抜け、脊髄管に達する首の後ろの筋肉をすべて切断した。彼はショック状態にあり、おそらく死亡するだろう。彼は床屋にいた八人のうち唯一の生存者で、残りは全員殺害されている。
一般市民の殺害は、ゾッとするほどだ。強姦や想像を絶する蛮行について書こうとすればきりがない。
銃剣で負傷した二人は、七人いた道路清掃人のうちの生存者だ。彼らは詰所に座っていると日本兵が入ってきて、いきなり五、六人(原文どおり-訳者)を殺し、二人を負傷させた。この二人はどうにかこうにか病院に辿り着くことができた。戦争が終わって、また元の生活にもどれるのはいつのことだろう。
十二月十八日
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この二日間におきた出来事をふり返ってみよう。きのうの夜、大学の中国人職員の家に侵入があり、親戚筋の女性二人が強姦された。難民キャンプの一つで、年の頃一六ぐらいの少女二人が、強姦されて死んだ。八千人が避難していた金陵大学附属中学校に、昨晩は日本兵が一〇回も塀を乗り越えて押し入って、食料や衣類を盗み、気のすむまで強姦を犯していった。
彼らは小さな男の子を銃剣で刺して殺した。私は今朝一時間半かかって別の八歳の少年の縫合をしたが、彼は銃剣により五ヵ所も負傷し、うち一ヵ所は胃まで達して、腸の網膜が一部外に飛び出していた。彼は助かると思う。
姿をくらましていた兵隊が見つかったので、ちょっと時間がとられた。彼は四階の看護婦寮にいた。そこには一五人の看護婦がいて、息の根も止まらんばかりに怖がっていた。私が行くまでにどのくらい獲物を獲得したか分からないが、それから後はなにもしなかった。
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現在私が担当している一五〇人の患者を回診してから、夕食をとりに病院を出ると、紫金山の上に満月が昇っていて、何とも言えない美しきだった。けれど月が照らしているのは、太平天国以来、最も荒廃した南京だった。町の九割の地域から中国人の姿がなくなり、かわって、略奪を働く日本兵が隊を組んでうろつき回っている。残りの一割の地域に、恐怖におののいた二〇万人に達する中国人がひしめき合っている。
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十二月二十六日
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きょう午後はまた切断手術で始まり、二、三のさほど重傷でない患者を診た。切断したのはこの二週間ほどの問、救おうとしていた脚だった。患者は着実に下り坂に向かっていて、脚と命のどちらをとるかという選択しかなかった。結果はまだ決して落ち着いたわけではない。というのも、彼はその両方をもなくす可能性があるからだ。手術が終わってから、まだ回診していない患者が二つの病棟に七〇人もいる。
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十二月二十八日
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この患者の話によると、この数百人の男性は町の西にある丘に連行され、銃剣の練習台にさせられたそうだ。彼には何人が生き残ったか見当がつかないという。
彼には銃剣の傷が五ヵ所あり、うち一ヵ所は腹膜を突き破っていた。腸も刺されているのではないかと思いながら手術をしたが、腹腔に多量の黒い血を認めただけだった。銃剣はほとんど身体の中心に刺さったが、斜めに入ったので、腹膜の下方四分の一のところを刺して血管をいくつか傷めたものの、腸には達していなかった。腹膜炎が重症でなければ、彼はおそらく回復するだろう。
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トリムがきょう午後病院にいたので、二人でX線透視をいくつか行った。ひとりの男性は仙骨から右の下腹部にかけて貫通した弾丸の傷があり、明らかに右の腸骨の近くの動静脈に外傷性の動脈瘤ができていた。現在の感染状況を見れば、手術や修復処置は問題外で、さりとてそうしなければ右脚がつけ根から壊疽を生じるし、彼の運命はきまったようなものだ。
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十二月二十八日
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今朝、こざっぱりとした身なりの中国人の商人が危険を冒して安全区から外に出て、自分の家と商店の跡を調べに行った。彼が三人の同行者とともに估衣廊教会の前を歩いていると、日本兵が数人彼らに向かって銃を発砲した。その理由は未だに不明だ。
一人が死に、この男性は腹部の傷口から小腸が四フィート飛び出したまま仲間に病院まで運び込まれた。弾丸は左腹部から入り、右に抜けていた。弾丸はズボンの中にあったので、私のコレクションに加えられた。
この男を開腹すると、小腸は六ヵ所も完全に分断され、この他にも六ヵ所、穴が開いたり傷んでいた。私は傷ついた部分をすべて切除し、腸老瘻管をつけたが、生存できる可能性は〇・一パーセントよりはるかに少ないと思う。前回報告した患者はとてもよくなり、回復する見込みが大きい。
きょうのもう一人の患者は、膿胸が進んできている胸部の患者で、肋骨を一本切除した。胸を撃たれた患者は一〇人はいるに違いない。脳のかなりの部分を吹き飛ばされた患者は、病院にきてから一週間目にとうとう亡くなった。
一〇歳の少年の足を救おうと努めている。頚骨と腓骨の間の下三分の一のところがメチャクチャに挫傷している。着実に体力が落ちてきているので、生命とひきかえに、足を切断しなければならないかもしれない。
トリムがまた完全に復帰して、産科の患者を引き継いでくれている。私が手がけた男の赤ちゃんに、極く小さな余分の親指が、通常の隣に小さな肉茎としてついているのに気がついた。分娩の時は気づかなかった。きょうその部分を切除した。
一七歳の少女が、ある晩陣痛が始まる直前の一時間半前に強姦されて、今は明らかに淋病の症状が進んできている。一時は体温が四〇度五分まで上がり、見通しは暗い。赤ちゃんは、ヒルクレスト学校の地下で腹部を銃剣で刺され、早産して自分の赤ちゃんを亡くした少女に一時的に預けている。彼女は十分母乳がでる。
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一月三日
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興味ある患者が三人きょう現れた。一七歳の少年が持ってきた話によると、年のころ一五歳から三〇歳くらいまでの中国人男性およそ一万人が、十四日にはしけ近くの川岸に連れ出されたそうだ。そこで日本軍は彼らに野戦砲、手榴弾、機関銃をぶつ放した。
ほとんどの死体が川の中に押しおとされ、残りの死体は山と積み上げられて焼かれたが、三人はかろうじて逃げのびてきたという。少年のあげた数字によると、一万人のうち六千人が元兵隊で、四千人が一般市民だった。彼は胸に弾丸の傷を負っているが、深刻なものではない。
四〇歳くらいの女性が来て話すところによると、表向きは将校たちの衣類を洗濯するというのが目的で、難民キャンプから十二月三十一日に連行されたという。六人が連れ出された。昼間は衣類を洗濯させられ、夜は強姦されたという。五人は一晩に一〇人から一二人の相手をさせられ、残りの一人は若くて美人だったので四〇人の相手をさせられたそうだ。
三日目に兵隊二人がこの女性をみんなのいるところから連れ出して人気のないところに連れて行き、首を切り落そうとした。一人が四回も首切りを試みたが、うしろ首の筋肉をやっと背骨のところまで切断することができただけだった。
彼女は他にも背中、顔、腕の六ヵ所に銃剣の刺し傷を受けていた。おそらく回復するだろう。彼女がこうした状態で倒れていたとき、別の日本の
(!)兵隊が彼女を見つけて安全な場所に連れてきてくれた。
三番目の患者は一四歳の少女で、彼女は強姦に耐えられるように体ができてなくて、相当な外科の修復手術が必要だろう。
きょうの午後は五つの手術を行った。うち二つの弾丸が私のコレクションに加えられた。
前回六人の子持ちの母親が、目から弾丸が入り首に達したことを書いたが、弾丸がまだ出てこなかったので、きょう摘出した。大腿部つけ根の複雑挫症の患者に対して自信がなくなってきた。まったくよくなってこない。
そのような患者の一人が、病院に来てから六週間目のきょう亡くなった。感染症が着々と上部に達してきて、二、三目前から傷口より出血が始まった。あまりに上部で止血帯は役に立たず、切りこむにしても両手のこぶしが入るくらいいまいましいほど食い込んで切らねばならず、一部は背中にまで達してえぐることになる。股は上部で全体がしめ上げられた。急いで足を切断しようとしたが、遅かった。もう少し早く処置したとしても、効果があったとは思わないが、そうすべきだったかもしれない。
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一月六日
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病院では外来部門が再開しつつあるので、中国人医師は一日中ほとんど忙しくしている。私たちは来週月曜日から、外科と内科診療という通常スケジュールにもどるつもりだ。
きのうは午後をまるまる血行を圧止しているヘルニアの手術にかかりきりだった。血行が五日間止まっていたので壊疽化して、小腸を八インチほど切断する必要があった。
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一月九日
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おまえがここに居た時に書いた最初の部分と合わせてみると、一つの立派な物語になる。スティールやスミスが検閲を受けないで届けたページを、おまえは受け取ったものと思う。
安全のため、こちらにコピーを一部残している。公式の記録はルイス・スマイスがほとんど一切を引き受けている。彼は、目撃したことないしは目撃者から聞き取りした一連の事例を編集している。私自身の体験としてここに書いたような話は、彼のリストに入っている。
きょうは日曜日だ。いつもより少し遅い朝食をとってから回診をほとんど済ましたところでジョン・マギーに会って、前回撮らなかった写真を少し撮ったなら一六ミリフィルムが終わることが分かった。
けさ、私たちは首二ヵ所に長い深傷を負った年配の男性の写真を撮った。彼は日本兵から女性を周旋するよう求められたが、その要求に応えることができなかったことが罪となった。
次に撮ったのは、背中、胸、腕に銃剣の傷を受けている一八歳(いや、二二歳だ)の警官だ。この男性には何の罪もなかった。
三番目は、前にも書いたように、他の五人とともに連行されて、日中は衣類の洗濯をさせられ、夜は慰みものとなった女性だ。首のけがは次第によくなってきている。彼女は肺炎になりかけていると思っていたが、どうやらならずに済んだようだ。
(『南京事件資料集 1 アメリカ関係資料編』 P289〜P299)
長々と引用したかに見えるが、これはごく一部に過ぎない。そして重要な留意点は、足の切断手術はかず限りなく行われていたということだ。この膨大な日記に記述されない患者が膨大に存在した、ということだ。
にも拘わらず、東中野は、
12月11日に片足を吹き飛ばされた男性に、「足の下部を切断」する手術を、15日に施している。
だけを選んだ。これは果たして「教授の慧眼」か?
慧眼であるはずがない、この記述を選んだ理由が少しも書かれていない。
しかし冷静に考えれば、かれの選択の理由は良く分かる。すなわち、
市民に対する虐殺はなかった
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/12-2.html
という立場から、膨大な「ウィルソン医師の日記」から兵士の手術例を探し出したに違い有りません。つまり、はじめに結論ありき、です。
そうして、こうした「魂胆」を覆い隠すために東中野は、
しかしこの男性は20歳前後の男性と見受けられないだろうか。
という一言を忍ばせたのです。
東中野本のP105の写真27。この小さな写真を見て、患者が14歳か20歳前後か、いったい誰が見分けることができるでしょうか? 東中野の検証は全くインチキにも拘わらず、そのインチキ性を一言でいいきることも、難しいのです。
おそらく写真27の鮮明で大きな写真をみれば、14歳に見えるに違いないと思います。日寇暴行実録の原本を見ればこのインチキも直ぐに見破れるのに、私の手元にそれがないのが悔しい限りです!
これが、『平成の天一坊』東中野修道の常套手段です!!
ウイルソン医師の日記や、マギー牧師の証言などを読んで、「民間人虐殺などなかった」という天一坊のウソを瞬時に見破ってください!!
私は、日本皇軍の残虐行為をことさら強調したいわけではありません。
しかし、
史実を無かったことにしたり、免罪して欲しいという願望を通り越して、侵略非行を「顕彰」すらしようとする曲学阿世の言動に、腹の底から我慢がならないのです。
マギーフィルムの解説書
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mageefilm.html
マギー牧師の東京裁判における証言
http://www.geocities.jp/yu77799/magee.html
ウイルソン医師の手紙
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson1.html
ウイルソン医師の証言
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/wilson4.html
ヴォートリン日記・殺害事例
http://www.geocities.jp/yu77799/vautrin.html
ヴォートリン日記・連行事例
http://www.geocities.jp/yu77799/vautrin2.html
ほか
以上、
『小さな資料集』に学び『平成の天一坊』と戦う『市井の越前』記