当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
【否定派の写真検証を批判的に再検証するページとしてはタラリさんのページや、渡辺さんが問答有用に投稿したのなどがありますが、そういった再検証のまとまったサイトというのが欲しいと思うようになりました。

ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
と言う靴屋さんの発言をきっかけに設置しました。
投稿者は限定いたしますが、特に資格等はございません。歴史修正主義に対しきちんと反論せねばならない、とお考えの方はどんどんご利用ください。

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画像資料攻撃典型例
アポロの月着陸は嘘
911事件はアメリカの陰謀
【南京事件 「証拠写真」を検証する】
(東中野修道著)徹底批判
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[515]『恥の写真帳』(再発見に至る経緯について) ピッポ 05/10/20(木) 20:28
[517]Re(1)中国第二歴史档案館 渡辺 05/10/21(金) 0:33
[518]Re(1):Re(1)中国第二歴史档案館 ピッポ 05/10/21(金) 3:00

[515]『恥の写真帳』(再発見に至る経緯について)
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/20(木) 20:28 -

引用なし
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   『恥の写真帳』について、基本的なことをお尋ねします。
それは、羅瑾氏が作製し隠匿したものを、呉旋氏が発見しそれを隠匿、南京軍事法廷に提出。
熊猫さんが訳出した
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/11/dgrseh/uqfseh.html#uqfseh
によれば

1)1937年12月、日本軍の南京占領時、羅瑾は南京にある「華東写真館」で見習いをしていた。
2)1938年1月のある日、1人の日本軍少尉が来て、2本の一二〇「桜」フィルムを現像させた。
3)それをきっかけに、写真30枚以上をプリントし自作の「恥の写真帳」の中にまとめた。
4)1940年、羅瑾は南京の毘庵寺の通信集訓隊にいた、日本兵の捜査から逃れるため、彼は便所の壁のレンガに穴を開けて、アルバムを押し込み、泥で塗り固めた。
5)数日後に気がつく突然アルバムがなくなるなんてどうして予測できようか。予想外の出来事を防ぐため、羅瑾は南京から逃げて、福建の大田市で隠れて暮らした。
6)実は、アルバムは別の1人の学生である呉旋の手に渡っていたのである。呉旋はそのれを菩薩の台の下に隠し、後に抗日戦争に勝利するまで転々と多くの所で収蔵していた。
7)南京軍事法廷が日本の戦犯を裁く時に、“京字第1号”の証拠として法廷に提出した。
8)このアルバムは南京中国第二歴史档案館に現存している。

ということですが、以下のことが良く分かりません。

a)30枚から16枚を選別?
b)南京軍事法廷後はだれが保管していたのか?
c)国共内戦時はどうなったのか?
d)それが再発見されたのは?
e)羅瑾氏や呉旋氏はいつ写真帳現物と再開したのか?
f)南京中国第二歴史档案館への移管はいつ?

分かる範囲で結構ですから教えてください。
1,116 hits

[517]Re(1)中国第二歴史档案館
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 渡辺  - 05/10/21(金) 0:33 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>f)南京中国第二歴史档案館への移管はいつ?

http://homepage2.nifty.com/z-gaot/page29.htm
の解説に
「接収した国史館および国民党中央党史編纂委員会所蔵档案史料の受け入れ機関として1951年に設立された中国科学院歴史研究所第三所南京史料整理処が起源。1964年中国第二歴史档案館と改称。」
とありますが、これでは不十分でしょうか。
なお、南京軍事裁判関係の史料は第二歴史档案館の所蔵です。
1,125 hits

[518]Re(1):Re(1)中国第二歴史档案館
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/21(金) 3:00 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>>f)南京中国第二歴史档案館への移管はいつ?
>
>http://homepage2.nifty.com/z-gaot/page29.htm
>の解説に
>「接収した国史館および国民党中央党史編纂委員会所蔵档案史料の受け入れ機関として1951年に設立された中国科学院歴史研究所第三所南京史料整理処が起源。1964年中国第二歴史档案館と改称。」
>とありますが、これでは不十分でしょうか。
>なお、南京軍事裁判関係の史料は第二歴史档案館の所蔵です。」

つまり、
南京軍事裁判関係の史料は、無傷で接収された。しかし、写真帳が脚光を浴びたわけではない。発掘されたのはむしろ羅瑾氏であって、かれの証言から、50年ぶりに写真帳が脚光を浴びるようになった、という可能性もあるわけですね。

『南京1937』や『屠城血証』『歴史的見証』を詳細に調べれば分かることかもしれませんね。また、羅瑾氏の遺志で寄贈された「本人自筆の著書の回想録などの文献資料」(侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館)にもあたる必要があるかもしれません。

渡辺さん、早速のおこたえ有難う御座いました。
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