当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
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ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
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[519]「撮った」か「撮られた」かマリオン・フィッチ提供写真 ピッポ 05/10/21(金) 14:33
[520]Re(1):「撮った」か「撮られた」かマリオン・フ... msq 05/10/22(土) 1:08
[523]Re(2):「撮った」か「撮られた」かマリオン・フ... ピッポ 05/10/22(土) 10:32

[519]「撮った」か「撮られた」かマリオン・フィッチ...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/21(金) 14:33 -

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   私のページの書き換えです。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/num/n-F1-2.htm

秘蔵されていた「マリオン・フィッチ提供」写真=「秘蔵」という表現は東中野教授の『贋造』みたいです

東中野本P144
『日寇暴行実録』や『外人目撃中之日軍暴行』にも載っているフィッチ・コレクション

(東中野さんの主張)
50年間も門外不出であったのであれば、それが昭和13年に出た『日寇暴行実録』と『外人目撃中の日軍暴行』に掲載されるはずもないからである。  

(私の主張)
■東中野氏はこれらを「第1期にも使われていたフィッチ写真」とし、その他をあたかも「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」で初出であるかのように思わせていますが、決してそのようなことはありますせん。『日寇暴行実録』や『外人目撃中之日軍暴行』になくても、当時のLife、Look、China Weekly Reviewなどで公表されたものもあります。

例えば、Look 1938年11月22日号
China Weekly Review,1938年10月22日号
など。

50年も外に出なかったのは、フィッチ所蔵の「プリント」であって、同じ写真の別のプリントは、別ルートでいくらでも公表されています。写真館で現像され複数プリントされたものの一部がフィッチの元に集まったにすぎません。

それを、北米在住のアイリスチャンが再発掘したということです。

■「秘蔵」「門外不出」という言葉のトリック
 東中野氏は p143〜p147にかけて「秘蔵」「門外不出」という言葉を連発しています。「大切に保存して流失を避けた」ということを、わざと「秘蔵」「門外不出」と、違う意味にずらしているのです。

 そもそも「門外不出」の意味は【貴重な芸術品などで、めったに他人に見せたり貸したりせず秘蔵すること。また、その物。「―の古文書」[大辞泉]】です。

 南京での虐殺行為をアメリカ市民に知ってもらうために、写真を持ち帰ったというフィッチ一家の目的は、秘密めかした「秘蔵」とか「門外不出」とは全く逆のものです。英語の原文資料を取り寄せれば、言葉のトリックは直ぐに明らかになることでしょう。

(実際問題、本に引用された文章には「秘蔵」も「門外不出」もありませんよ)


P145 その他のフィッチ・コレクション (日本兵)

(東中野さんの主張)
「中国で宣教師をしているときに撮った50枚の写真」といっておきながら「タッカー撮影」の写真が無い

日本兵撮影の根拠は?
写真店主の名は?
流通経路があやふや
写真保存の動機は?など。

(私の主張) 
■「タッカー氏撮影」への疑問は、単純な誤訳の問題ではないでしょうか。

東中野氏は、『南京大虐殺 日本人への告発』(東方出版、1992年)から文章を引用していますが、この文章自体が紀念南京大屠殺受難同胞聯合会」の英文を翻訳したものだと思われます。そう考えると、英文和訳のよくある間違いだということが、直ぐに分かります。

「彼女の叔父のタッカーは、中国で宣教師をしている時に撮った五十枚余りの写真を彼女に預けて保存させたが、その中の約三十枚が見るに忍びない日本軍の暴虐行為を撮ったものである。」

この撮ったは、誰が撮ったのでしょうか?

原文には果たして、"photographs taken by himself" と書いてあったでしょうか? "by himself"がなければ、「中国で宣教師をしている時代に撮られた五十枚余りの写真」と翻訳すべきものだったと思われます。英文解釈で良く減点される事例です。

"by himself"がなければ、誰が撮ったかは何も指定していないのですから、後半の「これの元は日本兵の手によって撮影されたものである」という文章内容と何の矛盾もありません。

こんな些細な言葉の行き違いまで、フレームアップに利用してしまう東中野教授のトリック才能には、脱帽してしまいます。

■写真の流通経路があやふやなのは、日本軍の占領下で日本軍の目を盗んで配布されたのですから、当然のことです。いろんな残虐写真が闇のルートで外国人に流れていた、と考えれば何の不思議もありません。

■また、60年もたってマリオンフィッチ氏が写真の保有者として名前を明らかにしたことを、東中野氏は、なにか複雑怪奇なことのように言い募っています。なぜそんな記述の仕方をするのでしょうか?

マリオンフィッチ氏はジョージ・フィッチ牧師の長女です。ジョージ・フィッチ牧師といえば、当時南京に滞在しマギー牧師撮影のフィルムを米国に持ち帰った歴史上のキーマンです。そうした由来を、ザ・レイプ・オブ・ナンキンの著者が詳しく紹介するのは当然です。

P143からの5ページにもわたる記述は、「ためにする言いがかり」としか思えないのですが、皆さんはいかがでしょうか?
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[520]Re(1):「撮った」か「撮られた」かマリオン・フ...
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 msq  - 05/10/22(土) 1:08 -

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   ▼ピッポさん

>それを、北米在住のアイリスチャンが再発掘したということです。

南京事件の写真を見たのは1994年と彼女自身が『論座』(1998年10月号)のインタビューに語っているようです。また『南京大虐殺 日本人への告発』によれば、1990年12月に「紀念南京大屠殺受難同胞聯合会」が載せた新聞広告をきっかけに、フィッチ家から連絡が入ったという経緯のようです。アイリス女史が「再発掘」というのは誤解を招くかもしれません。ちなみに、アイリス女史の『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』(ペンギンブック版)には各写真に丁寧にクレジットが付けてありますが、フィッチ家から提供を受けたのはジョージ=フィッチ師の肖像の1枚のみです。

>「ためにする言いがかり」としか思えないのですが

そのとおりと思うのですが、「フィッチ提供」に毎日新聞撮影が混じっているというのはやや気になりますね。

史詠氏ほかの写真集の「Courtesy of Marion Fitch」(マリオン=フィッチ提供)とクレジットされた写真、21枚の内の1枚の写真88(中山路。毎日のおそらく佐藤カメラマン撮影)は、明らかにクレジットが間違っています。これは『中国抗日戦争図誌・中巻』(1994年、p380)からの転載です。本来「Couretesy of Pictorial History of Sino-Japanese War」とするところを間違えたと思われます。『中国抗日戦争図誌』は「紀念南京大屠殺受難同胞聯合会(NY)」に謝意を示しているのですが、写真自体にクレジットがないので、ここから「フィッチ」の名前はおそらく出てこないでしょう。また同書の参考文献に『1億人の昭和史10不許可写真史』があります。史詠本は、かなり多くの写真を『中国抗日戦争図誌』から転載しています。毎日新聞撮影の写真がフィッチの収集した中にあったという東中野教授の話にはやや混乱しますが、史詠本の校正段階のミスを、教授がとぼけて利用したのでしょう。この1枚を除外すれば「門外不出」などは屁理屈であることは明白です。「フィッチ」の収集した写真の中に教授が強引に加えたともいえるでしょうね。詳細は以下参照願います。

http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/tron3.html#higasi088

教授は取り上げていませんが、史詠本のなかには、毎日新聞撮影の写真( 「毎日フォトバンク(ID:00047331)」)がマギー師撮影として入っています。これも校正ミスでしょう。

ミスに付け込むのは教授のやり方です。ミスはしないが良いに決まっていますが、故意とミスの判断がつかない、または、つけないというのは普通じゃないですね。
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[523]Re(2):「撮った」か「撮られた」かマリオン・フ...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/22(土) 10:32 -

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   msqさん
おはようございます。


▼msqさん:
>>それを、北米在住のアイリスチャンが再発掘したということです。
>
>南京事件の写真を見たのは1994年と彼女自身が『論座』(1998年10月号)のインタビューに語っているようです。また『南京大虐殺 日本人への告発』によれば、1990年12月に「紀念南京大屠殺受難同胞聯合会」が載せた新聞広告をきっかけに、フィッチ家から連絡が入ったという経緯のようです。アイリス女史が「再発掘」というのは誤解を招くかもしれません。

なるほど良く分かりました。下記のように書き改めることにします。

50年も外に出なかったのは、フィッチ所蔵の「プリント」であって、同じ写真の別のプリントは、別ルートでいくらでも公表されています。写真館で現像され複数プリントされたものの一部がフィッチの元に集まったにすぎません。「プリント」の一つであったことは、

> 対日賠償要求同胞会のニューヨーク・タイムズの広告に載った写真が、ちょうどその中の一枚であったので、彼らもその当時の記憶を喚起できたという。

の一文からもわかります。「あ!私の家にも同じ写真があるわ!」ということですから。

つまり、「紀念南京大屠殺受難同胞聯合会」が載せた新聞広告をきっかけに、フィッチ家から連絡が入り、アイリスチャンが「同胞聯合会」を通じて、フィッチ所蔵「プリント」を知るに至ったということでしょう。



>そのとおりと思うのですが、「フィッチ提供」に毎日新聞撮影が混じっているというのはやや気になりますね。
>
>史詠本の校正段階のミスを、教授がとぼけて利用したのでしょう。この1枚を除外すれば「門外不出」などは屁理屈であることは明白です。「フィッチ」の収集した写真の中に教授が強引に加えたともいえるでしょうね。詳細は以下参照願います。
>
>http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/tron3.html#higasi088
>
>教授は取り上げていませんが、史詠本のなかには、毎日新聞撮影の写真( 「毎日フォトバンク(ID:00047331)」)がマギー師撮影として入っています。これも校正ミスでしょう。
>
>ミスに付け込むのは教授のやり方です。ミスはしないが良いに決まっていますが、故意とミスの判断がつかない、または、つけないというのは普通じゃないですね。

史詠本の校正段階のミスの付けこんだ、ということをなんとか明記するように工夫します。

有難う御座いました。
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