当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
【否定派の写真検証を批判的に再検証するページとしてはタラリさんのページや、渡辺さんが問答有用に投稿したのなどがありますが、そういった再検証のまとまったサイトというのが欲しいと思うようになりました。

ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
と言う靴屋さんの発言をきっかけに設置しました。
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画像資料攻撃典型例
アポロの月着陸は嘘
911事件はアメリカの陰謀
【南京事件 「証拠写真」を検証する】
(東中野修道著)徹底批判
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[615]『外国人目睹中之日軍暴行』、複数の版が存在 渡辺 06/8/16(水) 0:53

[615]『外国人目睹中之日軍暴行』、複数の版が存在
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 渡辺  - 06/8/16(水) 0:53 -

引用なし
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   H.J.Timperleyの著書の中文訳『外国人目睹中之日軍暴行』には、複数の版(バージョン)が存在することがわかりました。

『外国人目睹中之日軍暴行』は1938年7月刊行となっているのですが、1940年代に複製が出版されているのではないかと疑っていました。
その理由は、次の3つです。
(1)複数の中国語の文献に『外国人目睹中之日軍暴行』が1940年代に国際宣伝処によって刊行されたとしている。
(2)東中野修道『南京事件「証拠写真」を検証する』pp.242-251で、『外国人目睹中之日軍暴行』に掲載されているとする写真に、戦前の邦訳(渓龍書舎の復刻版で確認)掲載の写真と異なるものが複数ある。(写真の枚数はいずれも31枚)
(3)『〜検証する』に掲載されている写真には、1938年7月刊行の単行本に掲載するのは不可能な時期の写真がある。一方、戦前の邦訳の写真に時期的に不審なものはない。
特に、坂本多喜二氏の写真と同じ場面の写真があるが、氏は7月末に日本から南京に向かっており、この写真が7月刊行の本に掲載されているのは不審である。

これらの問題の説明はいくつか可能ですが、掲載された写真が異なる複数の版が存在するという可能性が最も高いと考えていました。
最近、中国の某図書館所蔵の『外国人目睹中之日軍暴行』を目にすることができました。
この本には10枚の写真が掲載されていましたが、東中野の参照したものにも邦訳にも掲載されていない写真、例えば東中野本の「写真70」が含まれていました。
2002年4月に人民日報が陝西省で発見されたと写真入りで報じたことがあったのですが、私が保存していたその記事の画像を確認したところ、上記のいずれにも掲載されていない「写真82」が掲載されていました。
ということは、邦訳が使った原書、東中野が参照した原書、私が参照した原書、陝西省で発見された原書は、いずれも互いに異なるバージョンということになります。
私が参照した原書では、写真ページにはページ数がなく、また写真は2ページ連続としてページ数の偶数奇数が左右のページで入れ替わらないようになっています。これは、元版のページのレイアウトが変わらないように配慮したものと推察されます。
邦訳が使った原書が一番古く、その他は後年に写真を一部入れ替えた複製であると、私は推測します。

『外国人目睹中之日軍暴行』の中国語の前書きは、その内容や用語からも左派人士によるものであり、東中野が主張するようにこれが国民党の組織によって刊行されたなどということは考えられません。
しかし、国共合作という状況で、国際宣伝処がTimperleyの承諾のもとにその複製を利用した可能性があります。
さて、戦後の南京軍事法廷では『外国人目睹中之日軍暴行』という題名は一切使われていません。そのかわり、『日軍暴行記実』という題名で、国防部が英語原書から翻訳したものが使われています。(部分訳であり、一部に『安全区档案』からの翻訳が混入している。)
これは、すでに内戦となっていたため、左派人士の手になる書物は避けたということではないかと思われます。(なお、岡村寧次が中国側から見せられたというのは『外国人目睹中之日軍暴行』ではないかと思います。)

今後、東中野参照のものと陝西省で発見されたものの写しを入手して、更に詳しく比較してみたいと思います。
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