|
この2枚の写真は同じ被写体を撮影したものと判断しますが、皆さんの見解は如何でしょうか?
上の写真は『日寇暴行実録』に掲載された写真で、下の写真は江南セメント工場のシンバーグの個人アルバムにあった物を比較しやすいように、私がトリミングしたものです。そして2枚ともシンバーグの個人アルバムにあり、それ以外にも『日寇暴行実録』に掲載された写真と同じものがアルバムにはあり、全ての写真にシンバーグのものと思われるコメントが記載されていました。
写真のコメントは誰のものか? 江南セメント工場の写真に「我々の難民キャンプ」ときさいされており、国際委員会のメンバーではなく、江南セメント工場のシンバーグかギュンターである。そして今回提示した写真を中国の研究者(曹必宏等)は棲霞山のものと解釈しているが、シンバーグが所持していた写真というだけで、棲霞山の写真であるという根拠は全くありません。 写真に記載されている場所のコメントは「城外の小さな池(small
waterpond,nanking
outside)」であり棲霞山ではありません。江南セメント工場から南京へ行ったのはシンバーグであり、写真のコメントはアルバム所有者自身(Bernhard
Arp
Sindberg)のものと判断するのが妥当ではないかと思います。
シンバーグは南京周辺の写真撮影をしたのか? 中国の研究者が勘違いしたように、シンバーグといえば棲霞山の写真という先入観をもってしまうのは仕方のないことですが、「small
waterpond,nanking
outside」と記載されている以上、南京城外の写真と判断するべきでしょうが、それを裏付ける気になる記述があります。
ラーベの日記・12月23日 わが家の難民たちは、雨の中、庭でひしめきあい、おそろしくも美しく燃えさかる炎を息をのんで見つめていた。 [略] 今日シンバーグが棲霞山から持って来てくれた手紙には(彼は、江南セメント工場〜南京間をふつう一時間半で往復する)、棲霞山の一万七千人の難民が日本当局にあてた請願書が添えてあった。あちらでもやはり日本兵が乱暴の限りを尽くしているのだ。
ウイルソンの日記・12月24日 シンバーグはきょう市内に戻って来て、さらにいくつかのむごい話を持ち帰ってきた。彼の言うには、中国軍があちこち戦車を止めるために掘った大きな溝は、死んだ兵隊や負傷した兵隊で埋められているそうだ。戦車を通すのにまだ足りない場合には、その辺にいる人を無差別に撃って溝を埋めたとのことだ。カメラを借りて現場に戻り、証拠になるよう写真を何枚か撮ったそうだ。
シンバーグが誰からカメラを借りたのかは判りませんが、写真を撮ったというのは写真のコメントを裏付けているのではないでしょうか? 当時、南京城外の様子を最も見て回った外国人は、シンバーグではないかと思います。
トリミングなしの画像を提示します。
| |