以下、そよか板資料室より転載します。(渡辺さん、無断転載ごめんなさい)
上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真について No: 1339
投稿者:わっちゃん 01/05/05
Sat 00:57:42 (211.125.167.179)
taiekijieikan
さん、ご指定のHPに上海の子供の写真を「ヤラセ」として掲載しています。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/child.htm
多分このHPの作者は LIFE OCTOBER4,1937
を実際には見ていないんじゃないかな。
それから、 映画は The Battle of China
に引用された短い部分だけしか見ていないんですよね。
とりあえず要点を。
(1)この子供の映画は「上海南站」の惨状の一部であって、一連のシーンの中でなんら不自然な点はない。(私が所蔵しているのは
Universal系Castlefilmsの News Parade, The Year of
1937)
写真B,C,Dなどともっともらしく書いているが、もとの映画を見れば不思議なものではない。(この男性は子供を線路に置いているのではなく、プラットフォームの一方から、カメラ側のプラトオフォームに運んでいる。)
(2)LIFEのこの写真の右頁(P103)には、この子供が担架の上にいる写真がもう一枚載っている。なぜ、子供は泣き叫んでいるのか?それは、左腕の途中から吹き飛ばされてしまったからだ。
映像は子供が救出される場面だ。「やらせ」どころではない。この子供は腕を吹き飛ばされ苦痛で泣きさけんでいるのだ。
HPに紹介されている「証言」では「父親をブラシで消して赤ん坊が一人で泣いている写真にした」そうだが、どういう技術か教えてもらいたいものだ。
「『ライフ』に1頁大で載って有名になった写真です」というのも事実ではない。LIFE誌の該当記事によると、米国だけで映画と写真を見たのはそれぞれ25,000,000人と推定している。(世界中では、136,000,000人と推定)
大切なことは、駅にいる市民が爆撃を受けてたということ。何か、本質を見失っていないか。
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以下、参考資料:(「南京事件資料集」掲示板に投稿したものを一部修正してこちらに掲載)
The
Year of 1937
に収録されている映像
(1)「南站」(南駅)の駅名のあるプラットフォームと駅ビル
(2)遺体が少なくとも2つころがる道路と炎上する車1台、一人歩行者
(3)破壊された駅の瓦礫の中から遺体を引きずっている人が1名
(4)幼児が一人、線路上で泣いている(画面右側に屋根からたれ下がったものがブラブラしている)、後方にはまだ煙が上がっている
(5)引いた画面。右側のプラットフォームで線路上にいる黒い服の男性がプラットフォーム上の男性から幼児を受取っているような様子(細部不明)
(6)画面がアップになり、白い服の男性と黒い服の男性。黒い服の幼児を持った男性が右側のプラットフォームから線路を渡って左側プラットフォームへ歩いて行くのを追う。プラットフォームを上がろうとするところでこのシーンは終わる
なお、1938年に上海、香港、シンガポールで刊行された
SHUHSI HSU (徐淑希)'The War Conduct of The
Japanese'(中国語題名:日人戦争行為要論)によりますと、「南駅」爆撃の様子が下記のように書かれています。
(他の新聞では、日本軍の飛行機の数が若干違うが同様の記事が載っている。)
(1937年)8月28日 午後1:45頃、12機の日本軍の飛行機が上海南駅地区の上空をゆっくりと旋回して8個の爆弾を投下し、そのほとんどが爆発した。
南駅には、そのほとんどが女性と子どもからなる1,000人を越える難民が集まっていたが、4発の爆弾を受けた。
日本軍の飛行機がようやくその場を立ち去ったときには、濃い煙が空高く舞い上がり、一方プラットフォームと線路上には黒焦になりひどく損傷した遺体が散乱していた。
翌日発表された不完全な死傷者リストによれば、150人を越える人々が死亡し、同数の人々が負傷した。
死亡者の一人は駅警備員で、ほかの人々は一般市民であり、ほとんどは難民であった。
SHUHSI
HSU'Number 3, Political and Economic Studies The War Conduct of The
Japanese' (Kelly and Walsh, limited, Shanghai, 1938)
P4
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August 28. At about 1:45 p.m. 12
Japanese planes leisurely circled over Shanhai's South Station
sector and dropped eight bombs, most of which exploded.The station,
where over 1,000 refugees, most of whom were women and children, had
congregated, received four bombs.
As the Japanese planes finally
left the scene, dense smoke shot up high into the sky, while on the
platforms and tracks were scattered charred and badly mutilated
bodies.
According to an incomplete casualty list issued the
following day more than 150 were killed and an equal number
wounded.
Of the killed one was a railway guard and the rest were
all civilians, mostly refugees.
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