当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
【否定派の写真検証を批判的に再検証するページとしてはタラリさんのページや、渡辺さんが問答有用に投稿したのなどがありますが、そういった再検証のまとまったサイトというのが欲しいと思うようになりました。

ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
と言う靴屋さんの発言をきっかけに設置しました。
投稿者は限定いたしますが、特に資格等はございません。歴史修正主義に対しきちんと反論せねばならない、とお考えの方はどんどんご利用ください。

当掲示板における写真資料等に関する考え方は当掲示板の目的を参照してください。
メンテ中検証板のメンバーの方は改めて登録する必要はありません。
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911事件はアメリカの陰謀
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(東中野修道著)徹底批判
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[93]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真 とほほ 05/3/30(水) 13:00
[156]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真:東中野先生のス... 渡辺 05/4/8(金) 1:55 [添付][添付][添付]
[189]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真: LOOK'37-12-21... 渡辺 05/4/13(水) 13:57
[190]Re(1):上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真: LOOK'37... ピッポ 05/4/13(水) 14:42
[197]Re(2):上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真: LIFE 渡辺 05/4/13(水) 23:11
[201]Re(3):上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真: LIFE ピッポ 05/4/14(木) 0:24
[230]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真:映画+Shanghai'... 渡辺 05/4/15(金) 23:01 [添付][添付]
[237]Re(1):上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真:映画+Sha... ピッポ 05/4/16(土) 16:03 [添付]
[238]あ・・・・ ja2047 05/4/16(土) 16:26 [添付]
[239]Re(1):あ・・・・ ピッポ 05/4/16(土) 18:03
[242]ううう・・・ ja2047 05/4/16(土) 21:31
[243]Re(1):ううう・・・ とほほ 05/4/16(土) 21:49
[244]Re(1):ううう・・・ ピッポ 05/4/16(土) 22:22
[253]Re(1):ううう・・・:東中野本の変遷 渡辺 05/4/17(日) 21:48
[261][投稿者削除]
[262]訂正して投稿しなおしました。 ピッポ 05/4/21(木) 9:28 [添付]
[240]Re(2):上海南駅で泣き叫ぶ=プラットフォームの... 渡辺 05/4/16(土) 19:04
[241]Re(3):上海南駅で泣き叫ぶ=プラットフォームの... とほほ 05/4/16(土) 21:06
[245]この写真は日本軍も注目していました。 熊猫 05/4/16(土) 23:49 [添付][添付]
[246]Re(1):この写真は日本軍も注目していました。 とほほ 05/4/16(土) 23:59
[247]Re(1):この写真は日本軍も注目していました。 熊猫 05/4/17(日) 0:06
[248]Re(2):この写真は日本軍も注目していました。 ピッポ 05/4/17(日) 0:28
[250]Re(3):この写真は日本軍も注目していました。 熊猫 05/4/17(日) 2:48
[251]Re(2):この写真は日本軍も注目:LIFEを意識 渡辺 05/4/17(日) 13:57
[252]Re(3):この写真は日本軍も注目:LIFEを意識 熊猫 05/4/17(日) 21:39
[667]Re70年前の旧いデマを盲信する、ベテラン論説委... ピッポ 08/2/17(日) 9:34
[668]Re:1937年8月28日上海南駅赤ん坊救出劇の時系列... ピッポ 08/2/17(日) 13:13
[689]上海南站爆撃1937年8月28日(まとめ頁) ピッポ 08/10/26(日) 18:56

[93]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/30(水) 13:00 -

引用なし
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   以下、そよか板資料室より転載します。(渡辺さん、無断転載ごめんなさい)

上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真
上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真について No: 1339

投稿者:わっちゃん 01/05/05 Sat 00:57:42 (211.125.167.179)
taiekijieikan さん、ご指定のHPに上海の子供の写真を「ヤラセ」として掲載しています。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/child.htm

多分このHPの作者は LIFE OCTOBER4,1937 を実際には見ていないんじゃないかな。
それから、 映画は The Battle of China に引用された短い部分だけしか見ていないんですよね。
とりあえず要点を。
(1)この子供の映画は「上海南站」の惨状の一部であって、一連のシーンの中でなんら不自然な点はない。(私が所蔵しているのは Universal系Castlefilmsの News Parade, The Year of 1937)
 写真B,C,Dなどともっともらしく書いているが、もとの映画を見れば不思議なものではない。(この男性は子供を線路に置いているのではなく、プラットフォームの一方から、カメラ側のプラトオフォームに運んでいる。)
(2)LIFEのこの写真の右頁(P103)には、この子供が担架の上にいる写真がもう一枚載っている。なぜ、子供は泣き叫んでいるのか?それは、左腕の途中から吹き飛ばされてしまったからだ。

映像は子供が救出される場面だ。「やらせ」どころではない。この子供は腕を吹き飛ばされ苦痛で泣きさけんでいるのだ。
HPに紹介されている「証言」では「父親をブラシで消して赤ん坊が一人で泣いている写真にした」そうだが、どういう技術か教えてもらいたいものだ。
「『ライフ』に1頁大で載って有名になった写真です」というのも事実ではない。LIFE誌の該当記事によると、米国だけで映画と写真を見たのはそれぞれ25,000,000人と推定している。(世界中では、136,000,000人と推定)

大切なことは、駅にいる市民が爆撃を受けてたということ。何か、本質を見失っていないか。

--------------------------------------------
以下、参考資料:(「南京事件資料集」掲示板に投稿したものを一部修正してこちらに掲載)

The Year of 1937 に収録されている映像
(1)「南站」(南駅)の駅名のあるプラットフォームと駅ビル
(2)遺体が少なくとも2つころがる道路と炎上する車1台、一人歩行者
(3)破壊された駅の瓦礫の中から遺体を引きずっている人が1名
(4)幼児が一人、線路上で泣いている(画面右側に屋根からたれ下がったものがブラブラしている)、後方にはまだ煙が上がっている
(5)引いた画面。右側のプラットフォームで線路上にいる黒い服の男性がプラットフォーム上の男性から幼児を受取っているような様子(細部不明)
(6)画面がアップになり、白い服の男性と黒い服の男性。黒い服の幼児を持った男性が右側のプラットフォームから線路を渡って左側プラットフォームへ歩いて行くのを追う。プラットフォームを上がろうとするところでこのシーンは終わる

なお、1938年に上海、香港、シンガポールで刊行された SHUHSI HSU (徐淑希)'The War Conduct of The Japanese'(中国語題名:日人戦争行為要論)によりますと、「南駅」爆撃の様子が下記のように書かれています。
(他の新聞では、日本軍の飛行機の数が若干違うが同様の記事が載っている。)

 (1937年)8月28日 午後1:45頃、12機の日本軍の飛行機が上海南駅地区の上空をゆっくりと旋回して8個の爆弾を投下し、そのほとんどが爆発した。
南駅には、そのほとんどが女性と子どもからなる1,000人を越える難民が集まっていたが、4発の爆弾を受けた。
日本軍の飛行機がようやくその場を立ち去ったときには、濃い煙が空高く舞い上がり、一方プラットフォームと線路上には黒焦になりひどく損傷した遺体が散乱していた。
翌日発表された不完全な死傷者リストによれば、150人を越える人々が死亡し、同数の人々が負傷した。
死亡者の一人は駅警備員で、ほかの人々は一般市民であり、ほとんどは難民であった。

SHUHSI HSU'Number 3, Political and Economic Studies The War Conduct of The Japanese' (Kelly and Walsh, limited, Shanghai, 1938) P4
---------------------
August 28. At about 1:45 p.m. 12 Japanese planes leisurely circled over Shanhai's South Station sector and dropped eight bombs, most of which exploded.The station, where over 1,000 refugees, most of whom were women and children, had congregated, received four bombs.
As the Japanese planes finally left the scene, dense smoke shot up high into the sky, while on the platforms and tracks were scattered charred and badly mutilated bodies.
According to an incomplete casualty list issued the following day more than 150 were killed and an equal number wounded.
Of the killed one was a railway guard and the rest were all civilians, mostly refugees.
-----------------------


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[156]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真:東中野先生のス...
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 渡辺  - 05/4/8(金) 1:55 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : Look37-0.jpg
・サイズ : 24.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : Look37-1s.jpg
・サイズ : 98.4KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : Look37-2s.jpg
・サイズ : 111.6KB
  
添付画像【Look37-0.jpg : 24.0KB】 添付画像【Look37-1s.jpg : 98.4KB】 添付画像【Look37-2s.jpg : 111.6KB】

ようやく Look 1937年12月21日号を入手することができました。
Life 1937年10月4日号と同様に、担架の上で手当てを受ける幼児の写真が載ってるじゃありませんか。
左手を失って泣き叫ぶ幼児を、わざわざ駅に置いて撮影したとでもいうの、東中野先生、スルーしないでね(^^;

(左から表紙、p.52, p.53。雑誌はLifeと同じサイズなので、pp.52-53の画像は2回に分けてスキャンして合成しました。)


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[189]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真: LOOK'37-12-21...
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 渡辺  - 05/4/13(水) 13:57 -

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    LOOK 1937年12月21日号、pp.52-53 の写真のキャプションをスキャンしましたので、掲載いたします。

- p.52 -
A Chinese Baby Survives an Air Raid

On August 28, while hundreds of terrified Chinese huddled in Shanghai's
South Station, 16 Japanese planes bombed the building. Two hundred were
killed. The dramatic rescue of a child survivor is pictured here.

(左上写真)
1 An Infant Survivor of the Japanese
bombardment of Shanghai's South
Station was found lying on the railroad
tracks half hidden under the wreckage.
Here a young Chinese man picks up the
infant, starts for the opposite platform.

(左下写真)
2 The Baby Howls as his rescuer picks
his way through the wreckage. When
the bombs struck South Station it was
jammed with poor Chinese waiting to
escape war-torn Shanghai on a train to
the south. Two hundred were killed.

(p.52右写真)
3 They Near the Platform... Two squadrons of 8 planes each
bombed the station. At the same time, they bombed Nantoa, a
native residential section of South Shanghai. A civilian section,
Nantoa[ママ] was totally unprepared for the raid and the planes flew
away unharmed after the bombing. Previously the Japanese had
announced they might issue a warning if Nantoa[ママ] were to be
bombed, but the actual attack came without warning.

Page 52--LOOK--Dec. 21. 1937

- p.53 -
(p.53上写真)
4 His Rescuer Leaves the Terrified Baby on the platform and returns to the wreckage to help other victims of the raid. Then a child and a man ap-
proach (above) to take the baby to a near-by first aid station. At the right lies the body of a 14-year-old boy, one of the 15 children found dead after
the raid. In bombing Shanghai. Japan struck at China's largest wealthiest city. Planes also have bombed Nanking, China's capital.

(下写真)
5 Lying on a Stretcher on a sidewalk, the baby receives first aid from a
Chinese boy scout... Three weeks later, on the occasion of the Japanese
bombing of Nanking, the governments.of the U.S., Britain, and France sent
a note of protest to the Japanese government against the bombing of civilian

populations. But aerial raids continue, with an increasing toll of dead.
Chinese bombers and gunners, as well as Japanese, have been responsible
for some of the deaths of innocent non_combatants--American and Euro-
pean as well as Oriental--in this undeclared war. (International News photos)

(International News, Trans Pacific News Service photos) Page 53--LooK--Dec. 21, 1937
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[190]Re(1):上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真: LOOK'37...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/13(水) 14:42 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
> LOOK 1937年12月21日号、pp.52-53 の写真のキャプションをスキャンしましたので、掲載いたします。

有難うございます渡辺さん。
これを読むと、
(1)黒服の男が、被害の酷い右奥のプラットフォームから
   赤ん坊をこのプラットフォームに運んだようですね。
(2)そうして、黒服の男は赤ん坊を置いて引き返す。
(3)赤ん坊だけになったプラットフォームに、(有名な赤ん坊だけの写真)
(4)男の子を抱えた帽子の男がやってきた。(3人の写真)
(5)そうして、男の子をいったんここに置いて、(男の子だけの写真)
(6)赤ん坊を救助隊のところに運んだ。
(7)担架の上に赤ん坊が載せられた。(担架の赤ん坊)
リレーで救助していた様子だったのですね。

ところで、渡辺さんは、LIFE OCTOBER4,1937 もお持ちなのですか?
4,373 hits

[197]Re(2):上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真: LIFE
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 渡辺  - 05/4/13(水) 23:11 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>ところで、渡辺さんは、LIFE OCTOBER4,1937 もお持ちなのですか?

 ええ持ってますよ、2冊も。ただし、そのうちの1冊は、1937年の半年分だったかの合本に入ってます。合本自身の重みで崩壊寸前の状態ですが。
 LIFEは大した値段ではありません。1冊が、だいたい、$5-$15くらい、高くて$20の間ですが、数年ほど前にUSPの料金が劇的に値上げされたので、送料のほうがかさみます。LOOKは$15-$20くらいでしたが、送料が$13くらいでした。ただし、希望の号を探すには時間と根気が必要です。がんばってください(^^)
4,277 hits

[201]Re(3):上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真: LIFE
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/14(木) 0:24 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>▼ピッポさん:
>>ところで、渡辺さんは、LIFE OCTOBER4,1937 もお持ちなのですか?
>
> ええ持ってますよ、2冊も。ただし、そのうちの1冊は、1937年の半年分だったかの合本に入ってます。合本自身の重みで崩壊寸前の状態ですが。
> LIFEは大した値段ではありません。1冊が、だいたい、$5-$15くらい、高くて$20の間ですが、数年ほど前にUSPの料金が劇的に値上げされたので、送料のほうがかさみます。LOOKは$15-$20くらいでしたが、送料が$13くらいでした。ただし、希望の号を探すには時間と根気が必要です。がんばってください(^^)

いやいや、どうも。収集したいわけでは有りません。

東中野氏は3ページに渡って論じていながら、この写真の初出である LIFE OCTOBER 4,1937 のキャプションについては、一言も(一字も)言及していません。渡辺さんが仰る「東中野氏は現物に当たっていない」で2次情報3次情報の請け売りをしている証左なのでしょう。

このままでは、一般読者は批判対象物について何も知らされず、歪曲的批判だけを押し付けられます。現物をお持ちの渡辺さんから、なんらかのキャプション情報がいだだければ、東中野さんの無茶論の横行も防げるのではないかと思った次第です。
4,307 hits

[230]上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真:映画+Shanghai'...
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 渡辺  - 05/4/15(金) 23:01 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : Undeclared.jpg
・サイズ : 173.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : film.jpg
・サイズ : 192.5KB
  
添付画像【Undeclared.jpg : 173.0KB】 添付画像【film.jpg : 192.5KB】  LIFE 1937年10月4日号掲載、上海南駅の写真は、みなさんご存知のように、同じ場面のニュース映画があります。この映画は、1937年9月15日付で公開されたものと思われます。まだ、その映画を入手していませんので、代わりにキャスルフィルムズが米国で一般向けに販売したニューズパレイド・シリーズの The Year of 1937 に収録されているものから8枚の画像をアップしました。(右)
 これは、16mmの映画フィルムをテレシネで一旦ビデオに録画してから、パソコンのビデオキャプチャーで画像にしたものです。なお、元のフィルムはサイレントです。

 左の写真は、Shanghai Evening Post & Mercury の出版者 George C. Bruce が1937末か1938年初めに刊行した "Shanghai's Undeclared War"が同じ事件を扱った写真頁17です。

 これらの画像を綜合的に判断すると、上海南駅での惨状の一旦をイメージすることができます。

"Shanghai's Undeclared War"のキャプション:
TOP: (LEFT) Overhead railway bridge of the Shanghai South Station, Nantao, wrecked by Japanese bombs. (Right) Dead
bodies littered the station area following the explosions. MIDDLE: (Left) More death scenes taken immediately following the bomb-
ing. (Right) Scenes of wreckeage met the eyes following the terrific detonations which were audible throughout the Shanghai area
BOTTOM: (Left) Six Japanese beombers[ママ] flying in formation, high among the clouds over Nantao. (Right) Death and destruction,
too horrible to describe, met relatives and rescuers on their arrival at the scene of the bombing.
[George C. Bruce, "Shanghau's Undeclared War",Mercury Press, Shanghai,1937 or 1938, PAGE 17]

News parade, The Year of 1937 に収録されている映像:
(箇条書きの番号は画像に付けた1.〜8.に対応しています。)
(1)「南站」(南駅)の駅名のあるプラットフォームと駅ビル。
(2)遺体が少なくとも2つころがる道路と炎上する車1台、一人の歩行者。
(3)破壊された駅の瓦礫の中から遺体を引きずっている人が1名。半ズボン人は、救援活動中のボーイスカウトと思われる。
(4)幼児が一人、線路上で泣いている(画面右側に屋根からたれ下がったものがブラブラしている)、後方にはまだ煙が上がっている。
(5)引いた画面。右側のプラットフォームで線路上にいる黒い服の男性がプラットフォーム上の男性から幼児を受取っているような様子(細部不明)。
(6)画面がアップになり、白い服の男性と黒い服の男性。黒い服の幼児を持った男性が右側のプラットフォームから線路を渡って左側プラットフォームへ歩いて行くのを追う。(2つの遺体の間を歩く。)
(7)黒い服の男性が線路を渡る。遺体が線路脇にひとつ。LOOK誌によれば、14歳の子供の遺体。
(8)黒い服の男性がプラットフォームを上がろうとするところでこのシーンは終わる

なお、1938年に上海、香港、シンガポールで刊行された SHUHSI HSU (徐淑希)'The War Conduct of The Japanese'(中国語題名:日人戦争行為要論)には、「南駅」爆撃の様子が下記のように書かれています。
(他の新聞では、日本軍の飛行機の数が若干違うが同様の記事が載っている。)

 (1937年)8月28日 午後1:45頃、12機の日本軍の飛行機が上海南駅地区の上空をゆっくりと旋回して8個の爆弾を投下し、そのほとんどが爆発した。
南駅には、そのほとんどが女性と子どもからなる1,000人を越える難民が集まっていたが、4発の爆弾を受けた。
日本軍の飛行機がようやくその場を立ち去ったときには、濃い煙が空高く舞い上がり、一方プラットフォームと線路上には黒焦になりひどく損傷した遺体が散乱していた。
翌日発表された不完全な死傷者リストによれば、150人を越える人々が死亡し、同数の人々が負傷した。
死亡者の一人は駅警備員で、ほかの人々は一般市民であり、ほとんどは難民であった。

SHUHSI HSU'Number 3, Political and Economic Studies The War Conduct of The Japanese' (Kelly and Walsh, limited, Shanghai, 1938) P4
---
August 28. At about 1:45 p.m. 12 Japanese planes leisurely circled over Shanhai's South Station sector and dropped eight bombs, most of which exploded.The station, where over 1,000 refugees, most of whom were women and children, had congregated, received four bombs.
As the Japanese planes finally left the scene, dense smoke shot up high into the sky, while on the platforms and tracks were scattered charred and badly mutilated bodies.
According to an incomplete casualty list issued the following day more than 150 were killed and an equal number wounded.
Of the killed one was a railway guard and the rest were all civilians, mostly refugees.
---
6,819 hits

[237]Re(1):上海南駅で泣き叫ぶ子供の写真:映画+Sha...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/16(土) 16:03 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : station.jpg
・サイズ : 131.6KB
  
添付画像【station.jpg : 131.6KB】 図:上海南站駅空爆被害と撮影


▼渡辺さん:
> LIFE 1937年10月4日号掲載、上海南駅の写真は、みなさんご存知のように、同じ場面のニュース映画があります。この映画は、1937年9月15日付で公開されたものと思われます。まだ、その映画を入手していませんので、代わりにキャスルフィルムズが米国で一般向けに販売したニューズパレイド・シリーズの The Year of 1937 に収録されているものから8枚の画像をアップしました。(右)
> これは、16mmの映画フィルムをテレシネで一旦ビデオに録画してから、パソコンのビデオキャプチャーで画像にしたものです。なお、元のフィルムはサイレントです。



渡辺さん
こんにちは
テレシネまでして大変でしたね。お手数と費用、経験者としてよく分かります。

それにしても、上海南站は予想以上の凄い惨状だったのですね。
『戦争とは惨劇なり』、胆に銘じたいと思います。

今回の渡辺さんの投稿でわかったこと

1、群集をねらった爆撃
2、大被害だったこと
3、駅の様子
4、東中野トリックの原因

1、群集をねらった爆撃

(1937年)8月28日 午後1:45頃、12機の日本軍の飛行機が上海南駅地区の上空をゆっくりと旋回して8個の爆弾を投下し、そのほとんどが爆発した。
南駅には、そのほとんどが女性と子どもからなる1,000人を越える難民が集まっていたが、4発の爆弾を受けた。

2、大被害だったこと

日本軍の飛行機がようやくその場を立ち去ったときには、濃い煙が空高く舞い上がり、一方プラットフォームと線路上には黒焦になりひどく損傷した遺体が散乱していた。
翌日発表された不完全な死傷者リストによれば、150人を越える人々が死亡し、同数の人々が負傷した。
死亡者の一人は駅警備員で、ほかの人々は一般市民であり、ほとんどは難民であった。

3、駅の様子

上の図をご覧下さい。
写真は、"Shanghai's Undeclared War"では、
a,b
c,d
e,f
の順です。

4、東中野トリックの原因

映画のシーン4は、実際は乳児がプラットフォーB地点に運ばれた後のシーンです。
これは、上映前の編集で時系列を無視して、上にあげられてしまいました。そういえば、
駅の標識のシーン1はきっと編集で最初に持ってきたと思われます。なぜなら、こうしたショットは「説明ショット」といって、事件事故の差し迫った撮影が一段落したあとで、落ち着いて構図を確認しながら撮影するショットだからです。ニュース映画といえども、撮影時の時系列を無視した編集は当然行われます。私も映画、テレビの編集経験者ですから良くわかります。

この場合、乳児のカットを先に見せれば、次に黒服の男が誰を助けているのかわかります。
ナレーションをつけないでも分かるようになるからです。
つまり、「主語」を真っ先に!次のような文章を編集によって作るのです。

「乳児」(4:主語)は、破壊された「プラットフォーム」から(5)「黒服の男」(6)によって「運ばれた」(7)(8)

このように映像で文章を組み立てるのは映像編集の基本です。

ところが、写真だけがバラバラに一人歩きした結果、このような前後関係がわからなくなっってきました。その隙をとらえたのが、東中野氏(やその師匠である松尾さん)たちだったのです。

やれ、
「赤ん坊を線路にわざわざ運んで座らせた」だの、
「黒服は王(カメラマン)の助手だ」とか、
「帽子の男に緊張感がない」だの、
・・・・

そうして、肯定派もまた根拠無く弁護するから、尾ひれに尾ひれがついて、
デマは複雑化し、複雑化すれば更正困難になったというわけです。

これまでに分かったことを時系列で整理します。

1、黒服の男は、プラットフォームA(5)から
2、赤ん坊を運んだ(6)(7)(8)のあと、
3、プラットフォームBに赤ん坊をおいて、プラットフォームAに引き返しました。
4、そのときに、赤ん坊一人のショット(4=P72の写真A)が撮られました。
5、つづいて帽子の男が(5)に写っている男の子をプラットフォームBに運びました。
6、そのときのシーンが、P72の写真2です。「遭難後の父子」というキャプションは間違いでしょう。
7、帽子の男は、ここで男の子を下ろし、左腕を失った赤ん坊を優先して救助本部に運びました
8、そのときに、男の子を撮ったのがP73の写真Dです。
9.そうして、救助隊のいるところで担架に乗った赤ん坊が写されました。


デマの大元は、赤ん坊が線路の上にいるように見えた、善意の錯覚だと思われます。

【教訓】

歴史的なスクープを撮ったカメラマンは、しっかりと撮影記録を書き残しておかないと、死んだ後何をいわれるかわかりません。デマ屋たちの格好の餌食になります。


渡辺さんにお願いです。
先の渡辺さんのLookの投稿と写真
そうして今回の投稿、
また、東中野本の写真、
全てを網羅した「上海南站」ページを作りたいと思います。

下書きとして私が作りますので、
直して頂いた上で、渡辺さんのページに掲載していただけないでしょうか?
5,962 hits

[238]あ・・・・
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 ja2047  - 05/4/16(土) 16:26 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : baby_on_truck.jpg
・サイズ : 37.3KB
  
添付画像【baby_on_truck.jpg : 37.3KB】


▼ピッポさん:
>映画のシーン4は、実際は乳児がプラットフォーB地点に運ばれた後のシーンです。

いやー、てっきり今まで赤ん坊は最初線路の上にいるものだと思っていました。
言われてみれば、ホームの端の部分ですね。

これで、なぜ、ホームからホームへ運ばれるのかが理解できました。


4,365 hits

[239]Re(1):あ・・・・
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/16(土) 18:03 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
>いやー、てっきり今まで赤ん坊は最初線路の上にいるものだと思っていました。
>言われてみれば、ホームの端の部分ですね。


LOOK 1937年12月21日号 では、線路の上と書いてありますね。
初出のLifeではどうなのでしょうか?

ちなみに、東中野氏は、
「ザ・レイプ・オブ・南京の研究」では、

破壊された線路の上に、ひとり取り残された、いたいけな赤ん坊のすがた・・・

とLookを踏襲していますが、今回の本ではさすがに気がついたのか、

破壊された上海南市の停車場で幼児がひとり取り残され泣き叫んでいる・・・

としています。

そうして、写真の前後関係の不自然さを、掲載写真の並べ方で強調しています。

まるでコマーシャル撮影のように、
「はいOK、では次の人物!」
カメラの前に、とっかえひっかえ、いろんな人物を登場させた、
という物語を思わせています。
だから黒服は、カメラマンH.S.ワンの"助手"と言うことになってしまったのです。
・・・この部分はまだ私の想像ですが</p>
4,350 hits

[240]Re(2):上海南駅で泣き叫ぶ=プラットフォームの...
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 渡辺  - 05/4/16(土) 19:04 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>映画のシーン4は、実際は乳児がプラットフォーB地点に運ばれた後のシーンです。
>これは、上映前の編集で時系列を無視して、上にあげられてしまいました。そういえば、
>駅の標識のシーン1はきっと編集で最初に持ってきたと思われます。なぜなら、こうしたショットは「説明ショット」といって、事件事故の差し迫った撮影が一段落したあとで、落ち着いて構図を確認しながら撮影するショットだからです。ニュース映画といえども、撮影時の時系列を無視した編集は当然行われます。私も映画、テレビの編集経験者ですから良くわかります。

 いや、ピッポさんの眼力に驚きました。
 私もプラットフォームの上ではないかと疑ったことがあるのですが、そのときは、はっきりしませんでした。結局、やはり線路上かと思ってました。
 確かに、 LOOKの右頁上の写真に写っている「14歳」の子供の遺体と幼児との位置関係と比較すると、幼児はプラットフォームの上にいることは明らかですね。
 新しい資料を入手したときは、手元の資料に積み上げるという方式ではなく、めんどうではありますが、もう一度、手元の資料とすべて比較してみることが必要だということを思い知らされました。

 資料を投稿するのはなかなか手間がかかるのですが、こうやってみんなで調べると、多様な視点で物事を見ることができ、なかなか有意義です。

>デマの大元は、赤ん坊が線路の上にいるように見えた、善意の錯覚だと思われます。

 元のニュース映画のナレーションには何か説明があったんじゃないかな。
 幼児を運ぶシーンには、サイレント映画では分からない、何か意味があったんじゃないかと思ってます。
 最初のニュース映画が収録されているビデオ(市販されていない)は10万円以上するので、もう少し経済的余裕ができたら購入してみます。

>渡辺さんにお願いです。
>先の渡辺さんのLookの投稿と写真
>そうして今回の投稿、
>また、東中野本の写真、
>全てを網羅した「上海南站」ページを作りたいと思います。
>
>下書きとして私が作りますので、
>直して頂いた上で、渡辺さんのページに掲載していただけないでしょうか?

 ピッポさんご自身のアイデアで独自のHPを作ってくださって結構ですよ。
 「渡辺さんのページ」というのは、K−Kさんが私の投稿の中から選んでHPにしてくださったものです。(現在、削除対象の警告がでてますけど...)
 そろそろ自分でHPを作ってみようかと考えていますが、これはこれで時間がかかりますからね、まだ迷ってます。(私は中途半端に完全主義なもんですから...不完全な完全主義というのも変ですが...)
 今は、『季刊 中帰連』に南京事件関係で原稿を寄稿予定ですので、これを書き終えたら、『日中戦争=カメラは何を見たか』というような題名で、当時の写真や映画について原稿をまとめてみたいと考えています。
4,313 hits

[241]Re(3):上海南駅で泣き叫ぶ=プラットフォームの...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/4/16(土) 21:06 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
> 「渡辺さんのページ」というのは、K−Kさんが私の投稿の中から選んでHPにしてくださったものです。(現在、削除対象の警告がでてますけど...)

あれ、そうなんですか?<削除警告
容量オーバーですか?更新切れですか?
よかったらここのサーバー使いませんか?ジオシティーズは制約が多いのですよ。今あるジオシティーズのホームページをそのままこちらにミラーしちゃえば良いのです。ユーザーアカウントも発行できますから、最近k-kさんがお忙しそうでお姿を拝見しませんが渡辺さんとk-kさんが構わなければ使ってもらって結構ですよ。
普通のプロバイダでHPを持つのといっしょです。私がプロバイダになると思ってくれたら良いです。

ピッポさんもどうです?将来的にジオシティーズの制約は色々不便な点も出てくると思いますよ。他の方でもホームページの予定のある方は使ってもらって結構です、自分のプロバイダのサーバーは使いたくない方(個人情報が漏れる恐れがある等)は最適です、私が個人情報を知らなければ絶対に漏れる恐れがありません(^^;
4,307 hits

[242]ううう・・・
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 ja2047  - 05/4/16(土) 21:31 -

引用なし
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   実は、あれから、松尾さんの「プロパガンダ戦南京事件」と東中野センセの「南京事件「証拠写真」を検証する」の該当個所を再読したのですが、「赤ん坊が線路にいる」という記述を見つけられませんでした (^^;

これはひょっとして、すっかり騙されていたのでしょうか。 (誰に?)


去年の段階でこんなことを書いていたのに、全く気付きませんでした (−−;

***********************************:
[251]ja2047 04/08/31 6:46 PJY5JJVFBZS

>>247
横レスですが

>あの、線路に置き去りにされている赤ん坊を助けてプラットフォームに連れていくなら
線路からプラットフォームに連れていく映像になるんじゃないですか?

これが面白いのですね。

もともとあなたの言ってたのは、

>その中で、男が赤ん坊を抱えて線路の方に歩いて行く様子が写っている。
>つまり、線路に置き去りにされた子供を助けてるんじゃなくて、人の感情
>に訴える写真を撮るために、わざわざ線路に置きに行っているということだ。

だったのですが、

実は、私もつい先日まで、松尾氏のページには、「男が赤ん坊を線路に置きに行っている」
と、書かれていると信じていたのです。

ところが、現在松尾氏のページの写真説明には
「赤ん坊をホームに置きにいく父親らしき人物」
解説文には
「赤ん坊を抱き上げてホームへ向かうシーンも映っているものが残されている」
 と、書かれています。
http://www.history.gr.jp/nisesha/1.html
松尾氏の記述から、私が「書かれていないこと」を読みとっていたのだろうか、それとも
松尾氏が、いつの間にか正確な内容に気付いて中身を書き直してしまったのだろうかと、
首をひねっています。

いずれにしても、今現在、映像の直接写し出している「事実」についての把握は、
Wさんの理解と松尾さんの理解は、「ホームに置きに行く」で、一致しています。

***************************************:
(上記松尾ページのリンクは2005年4月16日現在死んでいます。)


どうも、“plat form”、“track”、“rail” が、英語と米語で示す範囲が違っていると言うことを聞いたことがあるので、これが背景にあるのかなという気もするのですが・・・・、

謎です。
4,388 hits

[243]Re(1):ううう・・・
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/4/16(土) 21:49 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
>>その中で、男が赤ん坊を抱えて線路の方に歩いて行く様子が写っている。
>>つまり、線路に置き去りにされた子供を助けてるんじゃなくて、人の感情
>>に訴える写真を撮るために、わざわざ線路に置きに行っているということだ。

そうですよね、このイメージを確かに持たされてます。このイメージがあるからこそ「やらせ」に説得力があったのです。報道写真ではよく議論される事ですが「そんな写真撮っている間に助けろ」と言う非難ですね、これが「カメラマンの功名心」→「やらせ」とイメージしてしまう。

実は救出後である、と言うことがわかりにくい写真なわけですね。にも拘らず悲惨な現状を得々と語るのですよね線路に置き去りにされた子供、は、、、。
これは偶然の産物ですね、否定論もそれ以外の人もそう思い込んでいたのかもしれません。

しかし松尾さんはかわいいとこあるじゃないですか(笑)
あの人、どうせそんな資料の細かいところを見る人間はいない、とたかくくっているから自分のページに書いてある資料と全く違う事を平気で言いますからね、写真の持つインパクトの強さを自覚はしているのでしょうね、細かい文字のしかも読みにくい文体の資料を読む人はいなくても映像資料はじっくり見られます。

実際、映像資料攻撃なんて百人斬り論争同様否定論の論点そらしそのものであって、私などは余り関わりたくないのですが、ここの掲示板検証が百人斬りのとき同様に否定論の「やぶへび」になったら面白いですね(^.^)
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[244]Re(1):ううう・・・
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/16(土) 22:22 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
>実は、あれから、松尾さんの「プロパガンダ戦南京事件」と東中野センセの「南京事件「証拠写真」を検証する」の該当個所を再読したのですが、「赤ん坊が線路にいる」という記述を見つけられませんでした (^^;
>
>これはひょっとして、すっかり騙されていたのでしょうか。 (誰に?)

>謎です。


犯人は
『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究』です。
初版は平成11年(西暦?)でしたっけ?
松尾、東中野、藤岡、おさん人の蜜月のころ??

さきほど図書館に返してしまったのですいません。
書き起こしがいまできません。
確かに、黒服の男が線路に持っていくと書いて有りました。
4,340 hits

[245]この写真は日本軍も注目していました。
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 熊猫 E-MAIL  - 05/4/16(土) 23:49 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : l001.jpg
・サイズ : 112.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : l000.jpg
・サイズ : 87.1KB
  
添付画像【l001.jpg : 112.6KB】 添付画像【l000.jpg : 87.1KB】


1938年2月9日〜2月27、東京・日本橋高島屋8階催場北四筋及びホール(ただし、ホールは9日〜11日まで)で『武器なき戦ひ、世界に渦巻く思想戦展覧会』が内閣情報部の主催によっておこなわれました。
提示した画像は『思想戦展覧会記録図鑑』のP100をスキャンしたものです。

海外の報道には随分と神経を使っていたということでしょう。


4,957 hits

[246]Re(1):この写真は日本軍も注目していました。
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/4/16(土) 23:59 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>提示した画像は『思想戦展覧会記録図鑑』のP100をスキャンしたものです。

はやーー(@_@)
こんなに歴史のある由緒正しい否定論だとは知りませんでした(笑)

ようは、否定論と言うのは【大本営発表】をそのまま復活させただけの代物、と言う事ですね?
4,231 hits

[247]Re(1):この写真は日本軍も注目していました。
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 熊猫 E-MAIL  - 05/4/17(日) 0:06 -

引用なし
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   Look 1937年12月21日号より1日早く印刷されていることが解ります。
LIFEを意識しての記述でしょう。
4,164 hits

[248]Re(2):この写真は日本軍も注目していました。
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/17(日) 0:28 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> Look 1937年12月21日号より1日早く印刷されていることが解ります。
>LIFEを意識しての記述でしょう。

この、貼ってある細かい字がぎっしりのが、「シカゴ・トリビューン・プレス・サービスのポウエル君」P81(小山栄三「戦時宣伝論」から引用)、の記事なんでしょうかね?

内閣情報部といえば、
阿羅健一が聞き書きした、渡辺義雄氏(戦後建築写真の大家になる)も元外務省情報部カメラマンとか
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/child.htm

その談話も根拠は同じあたりなのでしょうね。
4,165 hits

[250]Re(3):この写真は日本軍も注目していました。
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 熊猫 E-MAIL  - 05/4/17(日) 2:48 -

引用なし
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   『Look』1937年12月21日号が出版されたことにより、内閣情報部のプロパガンダ妄想が破綻したということでしょう。『思想戦展覧会記録図鑑』が出版(12月25日)される前に、『Look』は出版されておりますので記事の内容は信憑性が高いと思います。まあ、おバカな連中は新たな捏造写真の証拠だと言うかも知れませんけどね。

由緒あるプロパガンダ写真説を知らないで、誰かさんが暴走して頓珍漢な結論を出した為に、右翼の皆さんが盲信してしまっただけです。
普通に考えれば解ることなんですが、プロパガンダをするならあのような証拠は残しません。撮影者の意図を全く反対の解釈をして、好き勝手な想像をしているだけです。
4,181 hits

[251]Re(2):この写真は日本軍も注目:LIFEを意識
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 渡辺  - 05/4/17(日) 13:57 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> Look 1937年12月21日号より1日早く印刷されていることが解ります。
>LIFEを意識しての記述でしょう。


 面白い資料をありがとうございました。
 どの資料が、どの資料にに影響を与えているのかは、判断がむずかしいものです。
 しかし、ご提示の資料に掲載されている写真は 1937年にLIFEに載ったものではありません。1937年の刊行物で、私たちが目にできるものは限られていますが、当時は、多くのメディアで報道されたのではないかと思います。

 LOOKはハリウッド映画を中心とした娯楽雑誌ですので、あまり注目されていなかったのではないでしょうか。機会がありましたら、『出版警察報』でチェックしてみます。
4,173 hits

[252]Re(3):この写真は日本軍も注目:LIFEを意識
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 熊猫 E-MAIL  - 05/4/17(日) 21:39 -

引用なし
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   上海駅の写真だけでなく、『日寇暴行実録』やティンバーリィ本の写真について推論の段階ですが、私なりに見当をつけて調べています。現在、某書籍の入手に苦戦中です(^^)。
4,220 hits

[253]Re(1):ううう・・・:東中野本の変遷
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 渡辺  - 05/4/17(日) 21:48 -

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   ▼ja2047さん:
>実は、あれから、松尾さんの「プロパガンダ戦南京事件」と東中野センセの「南京事件「証拠写真」を検証する」の該当個所を再読したのですが、「赤ん坊が線路にいる」という記述を見つけられませんでした (^^;
>
>これはひょっとして、すっかり騙されていたのでしょうか。 (誰に?)

 藤岡・東中野『『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究』 p.57 では、『破壊された駅の線路の上に、ひとり取り残された、いたいけな赤ん坊の姿は、いつ見てもショッキングである。...しかし、これは明白な「やらせ写真」である。それを以下に証明しょう。』となっています。
 LOOK 1937.12.21号の写真については、「わざわざ赤ん坊を線路上に運んできた男」(p.59)というキャプションを付けています。
 ということで、今回は誤りに気が付いたということのようです。内容も『これは明白な「やらせ写真」』からは、大分トーンダウンしたようです。結局、『〜の研究』の「以下に証明」って、ありゃ何だったんでしょうか(^^;

>去年の段階でこんなことを書いていたのに、全く気付きませんでした (−−;

 とおりすがり氏だったかは、『〜の研究』をタネ本にしていたので、議論の前提が線路上ということになっていたんでしょうね。
 この写真を最初に見たのは中学生の頃、戦争だけをとりあげたシリーズものの写真雑誌の中です。そのときは、やはり線路の上と理解していました。

 ところで、その写真雑誌にはたくさんの写真があったのですが、この写真と、若い日本兵が小屋の中で銃口をくわえて集団自決している写真の2枚だけが強烈に記憶に残っています。路面電車の線路らしきものの上で幼児が座っている、死んでいるか生きているか分からない、といった受け止めかたでした。私が子供の頃、戦争に感じた恐怖の第一は、家族が離れ離れになることでした。ですから、この写真は非常に強烈でしたね。
4,421 hits

[261][投稿者削除]
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引用なし
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(05/4/23(土) 20:38)
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[262]訂正して投稿しなおしました。
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 ピッポ E-MAIL  - 05/4/21(木) 9:28 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : baby3(2).gif
・サイズ : 49.0KB
  
添付画像【baby3(2).gif : 49.0KB】 左は、
藤岡・東中野『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究』 における
キャプション改竄例です。

http://www.jiyuu-shikan.org/e/fujioka/frontlines11.html
に英訳としても載っています。

*************************************
暴かれた「やらせ」


わざわざ赤ん坊を線路上に運んできた男
(「LOOK」1937年12月21日号)
*************************************



これでは、
事情を知らない人は、
Lookに「赤ん坊を線路に運できた」と
書いてあると思うでしょう。



ところが、
「LOOK」1937年12月21日号にはそんなことは書かれていません。
渡辺さんが克明に教えてくださりました。[#189]

(左上写真)
1 An Infant Survivor of the Japanese
bombardment of Shanghai's South
Station was found lying on the railroad
tracks half hidden under the wreckage.
Here a young Chinese man picks up the
infant, starts for the opposite platform.

赤ん坊がもともと「瓦礫で半分うずまった線路上」にいた、
という Look のキャプションには疑問がありますが、
それはそれで、 Look が責任をもったキャプションです。

しかし、藤岡・東中野によるキャプションは、
あたかも Look が元々、
「赤ん坊を線路上に運んできた男」
とキャプションをつけたかのような嘘です。

自分が他人の写真に勝手なキャプションをつけるのと、
他人のキャプションを、その名を使って勝手に改竄するのと、
どちらの罪が深いのでしょうか?
4,417 hits

[667]Re70年前の旧いデマを盲信する、ベテラン論説委...
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 ピッポ E-MAIL  - 08/2/17(日) 9:34 -

引用なし
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   iza板から転載

70年前の旧いデマを盲信する、ベテラン論説委員の石川水穂さん
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/481131/



産経新聞論説委員の石川水穂さんといえば、筋金入りの論理右翼の重鎮で、「日本会議」「新しい歴史をつくる会」など、歴史復古運動のリーダーでもある方のようです。

その石川水穂さんは、昔学生時代にでもお読みになったのか、旧陸軍の情報戦資料を未だに信じていらっしゃるようです。

それは2週間ほど前にお書きになった論考。


【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 無差別爆撃の非道さを問う
01/26 06:54更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/118284/

その中にこんな一節があります。

映画の中で、ただ一つ残念な個所がある。冒頭の時代背景を説明するくだりで、米国の反日宣伝写真が挿入されていたことだ。中国・上海で、線路上に1人取り残された赤ん坊が泣き叫んでいる写真だ。日本軍による空爆の被害を訴える写真として、米国の雑誌「ライフ」の1937(昭和12)年10月4日号に掲載され、米国社会での反日世論が一気に高まったといわれる。撮影者は「ウォン」という中国系米国人だ。

 だが、この写真は反日宣伝のための創作だったことが、自由主義史観研究会などの調査で明らかになっている。1944年に米国で上映された反日宣伝映画「バトル・オブ・チャイナ」には、大人の男性が赤ん坊を抱きかかえて駅のホームから線路に運ぶ演出シーンが写っている





線路上に1人取り残された赤ん坊が泣き叫んでいる写真だ>
どうやら石川水穂さんは、昭和12年10月4日の『Life』誌に掲載された、この写真のことをいってるようです。


写真1



ところがニュース映画のひとコマであるこの写真、もともと、<線路上に1人取り残された赤ん坊>ではないんです。


この写真が当時、1937年8月28日上海南駅に対する日本軍による爆撃の悲惨を伝えるものとして、読者が選ぶニュース写真ベスト10に選ばれたものですから、日本陸軍の情報部は必死になってこの写真の影響を打ち消そうと、


線路上に1人取り残された赤ん坊>なんていう状況は有り得ない、だからヤラセ写真だ、上海南駅の空爆だってたいしたことない、とキャンペーンを張ったのです。石川水穂さんはおそらくそのキャンペーン文書の復刻版でも読んだのでしょう。



たとえば


クリック拡大


日本陸軍情報部のキャンペーンは、
1)赤ん坊が線路上に置かれているが
2)そんなことは有り得ないヤラセである
3)トタン屋根を集めたとか発煙筒まで焚いたとか
といったものでした。

ところが、
1)が間違いなのです。赤ん坊は線路上には置かれていません。赤ん坊はプラットホームに座っているのです。

写真2



ニュース映像の別のシーン(写真2)では、プラットホームに座っていることが良く分かります。そして、背景に映る瓦礫の位置関係アングルは、写真1と同じです。



「自由主義史観研究会」の調査も破綻し、<赤ん坊を線路の上に置いた>という旧陸軍情報部が流したウソは、流石に今では使わなくなっています。




もっとも、 「自由主義史観研究会」の調査で発見されたとする<写真2>ですが、これも意図的にトリミングされたものであることが、今では曝れ曝れになっています。



写真3=トリミングされる前の写真2です。





赤ん坊の背景にガレキがうずたかく積もっているだけでなく、右側の線路の上には、犠牲者の死体まであります。ヤラセどころではない惨状が表れています。




別の報道写真を見てみましょう。


クリック拡大


上海南駅は惨惨たる状況です。



そして、この赤ん坊も右手指と左腕を肩から失って、泣き叫んでいたのです。包帯を巻かれて応急処置を受けた後でも激しく泣きつづけています。







それでもなお、産経新聞論説委員の石川さんは、<この写真は反日宣伝のための創作だった>といいきるのでしょうか?




ニュース映画とニュース写真から、上海南駅の見取り図を書くと、


クリック拡大


となります。



産経新聞大重鎮大団塊


論説委員の石川水穂さん!


赤ん坊を抱えるこの男性は、


(LOOK 1937年12月21日号)




爆撃被害の酷い駅舎側のガレキの中から、反対側のホームへと赤ん坊を運んでいるのであって、<駅のホームから線路に運ぶ演出シーン>だなんてことはありませんよ。




だいいち、反日宣伝映画がもっとも隠したいはずのヤラセ演出シーンをおおっぴらに見せてくれるものなのでしょうか?




LOOK 1937年12月21日号

A Chinese Baby Survives an Air Raid



On August 28, while hundreds of terrified Chinese huddled in Shanghai's South Station, 16 Japanese planes bombed the building. Two hundred were killed. The dramatic rescue of a child survivor is pictured here.



1 An Infant Survivor of the Japanese bombardment of Shanghai's South Station was found lying on the railroad tracks half hidden under the wreckage. Here a young Chinese man picks up the infant, starts for the opposite platform.



2 The Baby Howls as his rescuer picks his way through the wreckage. When the bombs struck South Station it was jammed with poor Chinese waiting to escape war-torn Shanghai on a train to the south. Two hundred were killed.



3 They Near the Platform... Two squadrons of 8 planes each bombed the station. At the same time, they bombed Nantoa, a native residential section of South Shanghai. A civilian section, Nantoa[ママ] was totally unprepared for the raid and the planes flew away unharmed after the bombing. Previously the Japanese had announced they might issue a warning if Nantoa[ママ] were to be bombed, but the actual attack came without warning.




一連の写真は、空爆後硝煙くすぶる中での救出劇であることは確かです。石川さんが試写会で見た映画、『明日(あした)への遺言』が、無差別爆撃の始まり象徴としてこの写真を提示したのは歴史的事実としての深い重みがあるからです。









『事実から目をそむける論説』、それが産経新聞の伝統とならないことを、祈るばかりです。


【フォロー】
1937年8月28日上海南駅赤ん坊救出劇の時系列写真。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/483278/



2,992 hits

[668]Re:1937年8月28日上海南駅赤ん坊救出劇の時系列...
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 ピッポ E-MAIL  - 08/2/17(日) 13:13 -

引用なし
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   1937年8月28日上海南駅赤ん坊救出劇の時系列写真。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/483278/



前稿
70年前の旧いデマを盲信する、ベテラン論説委員の石川水穂さんhttp://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/481131/
をフォローしてみます。 

上海南駅赤ん坊救出劇


1937年8月28日日本軍によって空爆された上海南駅。中国人難民200人が死んだ現場から、赤ん坊が救出された。

その写真時系列。


1937年8月28日空爆された上海南駅に撮影隊が急行


(このショットは後から撮影した「情景ショット」かもしれません)



爆撃被害の大きな駅舎側ホームで救助活動する市民





右が駅舎側ホームです。





黒服の男性と白シャツパナマ帽の男性が、駅舎側ホームから子供たちを運び出そうとしている。





黒服の市民が、まず赤ん坊を反対側のホームに。




線路の上には、吹き飛ばされた死体も。





反対側のホームに座らされた赤ん坊。




引き続いて幼児も運ばれてくる。





赤ん坊が先に救護所に運ばれる





ボーイスカウトにか、応急救護される赤ん坊。




ごく自然な流れです。





2,977 hits

[689]上海南站爆撃1937年8月28日(まとめ頁)
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 ピッポ  - 08/10/26(日) 18:56 -

引用なし
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   上海南站爆撃1937年8月28日のページ


上海南站爆撃1937年8月28日

  ここで思考錯誤画像資料検証板で考察された写真資料を、カメラポジション、撮影時系列の点からまとめたものです。

  下記産経新聞記事にある「大人の男性がこの赤ん坊を抱きかかえ駅のホームから線路に運ぶシーンが出てくる。プロパガンダ写真研究会では『反日宣伝のやらせ写真を撮影するために現場を演出している課程が映像に写った』と判断し・・・」という説にはなんら根拠がないことがわかりました。

  一連の写真と映像は、酷い爆撃被害を受けた駅舎側から赤ん坊と幼児を救い出し反対側のホームに運び出す、救助の過程を写したものであることに間違いありません。『演出している過程』などではありません。 

(リンクページへ)
http://pipponan.fc2web.com/143photos/station/station.htm
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