当掲示板は南京事件等日本の戦争犯罪をなかったものにしよう、正当化しようとする言説に対抗して設置された掲示板式資料検証集です。
【否定派の写真検証を批判的に再検証するページとしてはタラリさんのページや、渡辺さんが問答有用に投稿したのなどがありますが、そういった再検証のまとまったサイトというのが欲しいと思うようになりました。

ともかく、肯定的な人でさえ、写真に捏造が多数あると思っている人も多いんです。私が知る限り、「捏造」されたものなんて知らないです。誤用はあっても。写真が南京事件を証明するもの、あるいは虚偽としたからといって南京事件を否定するものであるわけはないのですが、中国の印象を悪くする手段としてそうした捏造断定キャンペーンが行われている面が大きいわけです。】
と言う靴屋さんの発言をきっかけに設置しました。
投稿者は限定いたしますが、特に資格等はございません。歴史修正主義に対しきちんと反論せねばならない、とお考えの方はどんどんご利用ください。

当掲示板における写真資料等に関する考え方は当掲示板の目的を参照してください。
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画像資料攻撃典型例
アポロの月着陸は嘘
911事件はアメリカの陰謀
【南京事件 「証拠写真」を検証する】
(東中野修道著)徹底批判
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[35]日本皇軍の『戦場文化』? カメラを持つ日本兵 ピッポ 05/3/24(木) 14:42 [添付][添付]
[36]Re(1):日本皇軍の『戦場文化』? カメラを持つ... ピッポ 05/3/24(木) 16:00 [添付][添付]
[38]ちょっと揚げ足 ja2047 05/3/24(木) 19:24
[39]Re(1):ちょっと揚げ足 ピッポ 05/3/24(木) 20:53
[43]ちょっとピンぼけ ja2047 05/3/24(木) 22:04
[41]【36】の訂正です ピッポ 05/3/24(木) 21:02
[44]カメラの種類に付いて msq 05/3/26(土) 1:06
[45]Re(1):カメラの種類に付いて〜ベス単〜 ピッポ 05/3/26(土) 10:53 [添付]
[46]Re(2):カメラの種類に付いて〜ブローニー〜 ピッポ 05/3/26(土) 14:00 [添付][添付][添付]
[47]Re(3):カメラの種類に付いて〜ブローニー〜 ピッポ 05/3/26(土) 14:18 [添付]
[48]Re(4):カメラの種類に付いて〜ブローニー〜 ピッポ 05/3/26(土) 15:43 [添付][添付]

[35]日本皇軍の『戦場文化』? カメラを持つ日本兵
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/24(木) 14:42 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : njdtsrjzx_44_L.jpg
・サイズ : 46.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : njdtsrjzx_47_L.jpg
・サイズ : 51.3KB
  
添付画像【njdtsrjzx_44_L.jpg : 46.5KB】 添付画像【njdtsrjzx_47_L.jpg : 51.3KB】

************************

南京事件の写真、特に、捕虜斬殺(据え物斬り)や捕虜刺突の写真は、
とても不思議です。

☆どうして写真が残っていたのだろう
☆いったい誰が撮影したのだろう


私たちの、父、祖父、あるいは曽祖父、そんな残酷な人じゃないよ。
あるいは、いくら侵略軍とはいえ、日本の軍隊がそこまでやるか。
今の自衛隊をみたらとてもそんなことは想像できない。

私もそうです。
そう思いたい私の頭に爽やかな風を吹き込むのが、東中野修道先生のご本です。
「そんな写真はでっちあげに決まってるじゃないか!」
「そうだ」
「そうだ」

しかし現実は、爽やかな風は何処へやら。
上記の写真で吹き飛びます。

ローマのコロセウムで奴隷戦士の戦闘を見るように、
惨殺場面を兵士達が見世物見物しています。
そのうち、何人かはカメラを構えています。

残念ながら、『捕虜斬殺見物』は、日本皇軍の『戦場文化』だったのですね。


以下の文章は、思考錯誤常連投稿者であるmsqさんのサイトからの引用です。


" 南京事件 「証拠写真」を検証する" を検証する
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/nankin01.html より


写真撮影は禁止されていなかった

東中野氏は、特に斬首場面のような写真について、このような写真の撮影が許可されたはずは無いから、中国側の撮影した演出写真だというような主張をしています。ところがこの写真帳の写真の中に、この主張と矛盾する写真があります。それらは、上の写真の中で写真74、写真75となっているものです。

"Picturing the Nanjing Massacre, by Robert Chi" (PDF)http://www.feltrinelli.it/Fondazione/donwload/chi.pdfによると、斬首場面の写真の中で、写真機を構えているような日本兵が写っているカットがあるということです。しかしこの本では、画質が悪く分かりません。 南京大屠殺遇難同胞紀念館http://njdts.china1840-1949.net.cn/index.htmにある日軍暴行http://njdts.china1840-1949.net.cn/rjbx.htmというページに同じ写真があリます。確かに日本兵がこのような斬首の記念撮影をしていたということが分かります。以下2枚の画像はかなり残酷な場面ですので注意。

東中野氏は写真帳の写真を撮影した人物以外にこの場面を撮影した人物はいないとして話をすすめていますが、ご覧のように、5〜6台の写真機がこの一連の斬首を撮影してます。「門外不出」だの「許可を受けたうえで」などという理屈をつけて、一連の写真は中国側が中国軍の様子を撮影したものか、演出したものだと書いていますが、明らかに事実に反しています。

日軍斬殺中国軍捕虜之五
http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/his_photos/content.jsp?n_id=7402
刀を振り下ろした兵士の向こうの右に見える兵士の顔に注目。さらに右に2人目の下を向いている兵士。
日軍斬殺中国軍捕虜之六
http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/his_photos/content.jsp?n_id=7403
背後の見物の兵士の、右から3人目と5人目、右端の兵士の右手に持っているものもあるいは。

どれをだれがとはいえませんがこのほかに一から四までの写真はこれらの兵士により撮影されたと思われる写真があります。もちろん確かなことではありません。一から六はこの写真帳に含まれていると思われるものです(Webページ上に出典が明示されていないですが、洞富雄ほか『南京大虐殺の現場へ』によれば、ページの運営者の南京大屠殺遇難同胞紀念館には写真帳の複製が展示してあること、画像自体を東中野本と比較した範囲では6枚は写真帳のものと推定できます)。

ほかに、この2枚の写真を撮ったカメラが少なくとも1台あります。


※ 写真技術に詳しいmsqさんのこのサイトは、大変ために成ります。
  東中野修道氏の「研究」なるものが、その史料扱いの基本から好い加減であることが
  良く分かります。勝手な前提を自分で創作してそれが否定されるから、「南京事件は
  無かった」。そうした詭弁は、文章著作だけでなく写真に対してもふんだんに用いて
  いるようです。

※ 上記の写真は、msqさんのこのサイトで紹介されている、
  日軍斬殺中国軍捕虜之五日軍斬殺中国軍捕虜之六
  2×2倍に拡大したものです。(写真をクリックすると拡大します)


1,151 hits

[36]Re(1):日本皇軍の『戦場文化』? カメラを持つ...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/24(木) 16:00 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : njdtsrjzx_47_L_mark.jpg
・サイズ : 51.9KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : njdtsrjzx_43_L.jpg
・サイズ : 47.3KB
  
添付画像【njdtsrjzx_47_L_mark.jpg : 51.9KB】 添付画像【njdtsrjzx_43_L.jpg : 47.3KB】

************************

写真左は日軍斬殺中国軍捕虜之六http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/his_photos/content.jsp?n_id=7403
の拡大。
Aは一眼レフカメラ。Bは二眼レフカメラを覗いているようです。
二眼レフカメラとは、上から覗くカメラです。6×6版です。
http://www.mediajoy.com/camera_review/nigan/offer.html
http://www.mediajoy.com/camera_review/nigan/kouzou.html

>背後の見物の兵士の、右から3人目と5人目、右端の兵士の右手に持っているものもあるいは。

>どれをだれがとはいえませんがこのほかに一から四までの写真はこれらの兵士により撮影されたと思われる写真があります。もちろん確かなことではありません。一から六はこの写真帳に含まれていると思われるものです

一から四までの写真とは
http://njdts.china1840-1949.net.cn/rjbx.htm
の中の、日軍斬殺中国軍捕虜之一 〜四 のことです。

日軍斬殺中国軍捕虜之四を拡大したのが右の写真です。
髭面は、左の兵士Cと似ていますが同一人物であるかどうかは分かりません。


611 hits

[38]ちょっと揚げ足
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 ja2047  - 05/3/24(木) 19:24 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>Aは一眼レフカメラ。Bは二眼レフカメラを覗いているようです。
 
1937年と言えば、一眼レフカメラは普及してませんので、レンジファインダータイプのカメラと思います。(ライカのような)
実用的な一眼レフカメラの登場は1950年代以降だそうです。
598 hits

[39]Re(1):ちょっと揚げ足
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/24(木) 20:53 -

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   ja2047さん
誤りご指摘深謝します。

>1937年と言えば、一眼レフカメラは普及してませんので、レンジファインダータイプのカメラと思います。(ライカのような)
>実用的な一眼レフカメラの登場は1950年代以降だそうです。

あれあれ
ライカタイプも一眼レフではなかったですか? 確か親父がアサヒカメラを購読していた
1950年代はそうだったかと(笑)

でもそれは間違いですね。
一眼レフ=Single Lens Reflex
=撮影レンズ(Single Lens)に入ってきた像を鏡やプリズムを利用して反射させ(Reflex)、直接見ることができる。ファインダーに写る像のぼけ具合を見ながらピントを合わせる。

ライカタイプも、レンズは1つ(笑)。ただしファインダーはレンズの上についた測距計型です。それを、レンジファインダーというのですか? 測距計も視差利用ですが、ファインダーとレンズでは上下の視差がありますから、その視差には注意が必要でした。

で、ライカタイプは1眼レフではありません謹んで訂正します。


それに対して、ペンタプリズムを使った1眼レフは、1960年代に、ライカ、ニコンにつづく高級カメラとして普及しましたね。アサヒペンタックス。レンズを通った像でピントが見れますので、視差もありません。そうです、ニコンすらいつの間にかペンタプリズム。いつからでしょう。
(今WebSiteを見たら)超高級機としてのライカ型も残っているらしい


※ 戦前でも1眼レフはあったと思います。しかしそれはペンタプリズムでなくミラーを使ったものですから、それは二眼レフカメラと同じように、上からカメラを覗く方式でした。
http://leicahiroba.web.infoseek.co.jp/Leica_siryou01-06.html
(クラシック一眼レフ)


カメラが買える身分でなくなって久しいので、知識も遅れています(笑)。
587 hits

[41]【36】の訂正です
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/24(木) 21:02 -

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   (誤)
>Aは一眼レフカメラ。Bは二眼レフカメラを覗いているようです。
>二眼レフカメラとは、上から覗くカメラです。6×6版です。

を以下のように訂正します。

(正)
Aはライカ型カメラ。Bはレフカメラを覗いているようです。
当時のレフカメラはミラーを利用したもので、上から覗くカメラです。
有名な二眼レフカメラ、ローライフレックスは6×6版です。
568 hits

[43]ちょっとピンぼけ
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 ja2047  - 05/3/24(木) 22:04 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>カメラが買える身分でなくなって久しいので、知識も遅れています(笑)。

私も5年前に買った70万画素のデジカメを買い換えたいと思いつつ、
いまやケータイのオマケの方が画素数が多いもんで、そっちを使ってます (−−;
584 hits

[44]カメラの種類に付いて
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 msq  - 05/3/26(土) 1:06 -

引用なし
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   おそらく下のHPにあるような折畳式カメラと思います。
http://members.tripod.com/camera007/index_j.html
http://members.tripod.com/camera007/vpk.html
特にVPKは人気があったようです。これらは127フィルム用ですが、120用も同じような形式のものがありました、適当なHPが見つからなかったのでとりあえず。反射式ファインダーとして説明がありますが、このファインダーは上からのぞきます。
580 hits

[45]Re(1):カメラの種類に付いて〜ベス単〜
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/26(土) 10:53 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : パーレット.jpg
・サイズ : 11.9KB
  
添付画像【パーレット.jpg : 11.9KB】 パーレット  

1925年(大正14年)
KODAK VPKとピコレットの長所を兼ね備えたパーレットが国産初の127ロールフィルム量産カメラとして六櫻社(小西六、現コニカ)から発売された。その後改良を重ねながら1947年頃までの二十数年間に数多くのパーレットが作られた。

▼msqさん:
おはようございます。

>おそらく下のHPにあるような折畳式カメラと思います。
>http://members.tripod.com/camera007/index_j.html
>http://members.tripod.com/camera007/vpk.html
>特にVPKは人気があったようです。これらは127フィルム用ですが、120用も同じような形式のものがありました、適当なHPが見つからなかったのでとりあえず。反射式ファインダーとして説明がありますが、このファインダーは上からのぞきます。

さすが、研究御本人のご指摘です。
またまた、訂正させていただきます。


WEBで確認しましたが、
1937年では、ライカ型カメラも、二眼レフもまだ普及していないか、高嶺の花だったかもしれません。

ライカI(A)型がライプチヒの見本市に発表1925年
http://www.yodobashi.com/enjoy/more/shopping3/8647760.html

 ライカとコンタックス――最高級35mmフォーカルプレーンシャッターカメラの2大ブランド――。1932年(昭和7年)「ライカII型」、翌年「コンタックスI型」を相次いで発売。精密機器の王国ドイツの誇るライカ、コンタックスのカメラは、世界のカメラファンを満足させる超高級機として、熱狂的な支持を得ていた。
 その頃の大卒サラリーマンの初任給はおよそ70円。しかもそれは、銀行員などいわゆるエリートと呼ばれた限られた層の話である。そして、対するライカは420円。高級カメラは、庶民には気軽に手が届かない高嶺の花だった。
(中略)

こうしたことから、精機光学研究所、日本光学工業双方の思惑が一致し、日本光学工業の全面的な協力のもと、1936年(昭和11年)2月、キヤノンの第一号機「ハンザキヤノン=標準型 ニッコール50mm F3.5付き」の発売が実現する(1935年10月発売説もある)。

http://web.canon.jp/Camera-muse/history/canon_story/1933_1936/img/1936_hyo-han.jpg
記念すべきキヤノン初の製品「ハンザキヤノン(標準型)」

http://web.canon.jp/Camera-muse/history/canon_story/1933_1936/1933_1936.html

1920年 フランケ アンド ハイデッケ社設立
1929年 ローライフレックス6x6発表
http://www.rollei.jp/history.html

=====================

msqさんご指摘の
127フィルム(ベスト版)用蛇腹かめら〜ベス単〜3種

1915年頃に発売されたドイツのピコレット
http://members.tripod.com/camera007/index_j.html

ベストポケットコダック  Vest Pocket Kodak、大正元年に発売されたロールフィルムカメラ。頭文字をとって米国ではVPKと呼ばれて親しまれている。
http://members.tripod.com/camera007/vpk.html

パーレット  1925年(大正14年)
http://members.tripod.com/camera007/pearlette.html


 1925年(大正14年)、KODAK VPKとピコレットの長所を兼ね備えたパーレットが国産初の127ロールフィルム量産カメラとして六櫻社(小西六、現コニカ)から発売された。その後改良を重ねながら1947年頃までの二十数年間に数多くのパーレットが作られた。小西六の有名なヘキサーレンズのついたモデルもある。

 輸入のVPKやピコレットに比べて国産機のパレーットは若干値段が安ので国内に多くの愛用者がいたようだ。


ベス単の性能を実験した面白いページもありました。
http://taka-platz.s40.xrea.com/camemori/vpk/vpocket.html
http://taka-platz.s40.xrea.com/camemori/pearlette/pearlette.html
736 hits

[46]Re(2):カメラの種類に付いて〜ブローニー〜
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/26(土) 14:00 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : KodakBrownieNo2.jpg
・サイズ : 4.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : KodakBrownieNo3.jpg
・サイズ : 20.4KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : Ikonta520.jpg
・サイズ : 37.6KB
  
添付画像【KodakBrownieNo2.jpg : 4.1KB】 添付画像【KodakBrownieNo3.jpg : 20.4KB】 添付画像【Ikonta520.jpg : 37.6KB】


******************************

120(6×6ブローニーフィルム)用のカメラについて

Kodak Brownie No. 2 Autographic
http://www.pbase.com/cameras/kodak/brownie_no_2_autographic

Kodak Brownie No. 3
http://homepage.mac.com/morps/blogwavestudio/LH20040320162850/LHA20040830221747/

Zeiss Ikon - Ikonta C 520/2 (1930 - 1937)
http://www.vieilalbum.com/Ikonta520_2FR.htm

写真機の森
http://taka-platz.s40.xrea.com/
http://taka-platz.s40.xrea.com/toppage/38x4ikonta_9618.jpg

[管理人一回編集:レイアウト]


662 hits

[47]Re(3):カメラの種類に付いて〜ブローニー〜
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/26(土) 14:18 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : no1pocket.jpg
・サイズ : 14.3KB
  
添付画像【no1pocket.jpg : 14.3KB】 追記

KODAK No.1 POCKET CAMERA
http://www.pbase.com/cameras/kodak/no_1_pocket
http://cameras.bretculp.com/cameras.html
639 hits

[48]Re(4):カメラの種類に付いて〜ブローニー〜
←back ↑menu ↑top forward→
 ピッポ E-MAIL  - 05/3/26(土) 15:43 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : baby.gif
・サイズ : 15.9KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : semi.gif
・サイズ : 31.7KB
  
添付画像【baby.gif : 15.9KB】 添付画像【semi.gif : 31.7KB】 120型フィルムの6×9の半切であるセミ判(6×4.5)のスプリングカメラについておもしろい記事がありました。


紹介されているカメラは、
・バルダックス
・セミイコンタ
・セミミノルタ1型
・ベビーパール
です。


Internet Photo Magazine Japan
http://www.ipm.jp/index-j.html

These days 写真とともに
吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

バルダックス
http://www.ipm.jp/ipmj/these/these64.html
バルダックス(つづき)
http://www.ipm.jp/ipmj/these/these65.html

(一部引用)
 セミ判(6×4.5)のスプリングカメラは1932年のセミイコンタが始まりであった。国産でも翌年の1933年にはセミミノルタ1型が発表されているし、その翌年には小西六のベビーパールが発売された。バルダックスも最初の発売が1934年だからセミ判が世界的に流行しはじめた時期だったのだろう。

 当時のカメラの値段はよくわからないのだが、昭和9年に小西六から発売されたベビーパールは32円だったという記録がある。普通のサラリーマンの月給が50円から60円の時代だ。バルダックスがいくらで売られていたかわからないが、多分ベビーパールと同じくらいだったと思われる。

 バルダックスはレンズの焦点距離は75ミリだった。レンズの鏡胴を伸ばしたままだと大変にかさばるのだが、蛇腹がついていて、レンズ鏡胴にあたる部分を折りたたむことができた。しまいこんでしまうとタテ11センチ、ヨコ8センチ、厚さは4センチもないからポケットに入れて持ち運びができた。

この方は、写真を撮り始めたのが、戦後の学生時代ということですが、過去ログには参考になる記事があるかもしれません。
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