lectured by 熊猫さん prepared by ピッポ

第16師団の編成(南京攻略戦)

※昭和12年8月1日
師団が変われば内容も変わることを念頭に入れてください。あくまでも第16師団についての定員であり編成内容です。各隊個々のばらつき、時期による変動もあったでしょうから、数字は目安としてお考えください。

第16師団(京都)師団長:中島今朝吾中将(15期)(定員 25,179名)(馬が  7,513+α頭)
|−−−師団司令部
|     参謀長 中沢三夫大佐(24期)
|     参謀 大須賀応中佐(27期),専田盛寿少佐(30期),木佐木久少佐(33期)
|     副官 宮本四郎少佐(34期)
|    (定員 330名)
| 
|−−−歩兵第19旅団
|   | 旅団長 草場辰巳少将(20期)
|   |(定員 7,569名)
|   |−−−旅団司令部
|   |     副官 上妻慶加少佐(29期),伊都荘二中尉(47期)
|   |     通信班 犬飼総一郎少尉(48期)
|   |    (定員 75名)
|   | 
|   |−−−歩兵第9連隊(京都) 
|   |   | 連隊長 片桐護郎大佐(20期) 
|   |   |(定員 3,747名)
|   |   |(馬が  526頭)
|   |   |−−−連隊本部
|   |   |     副官 嶋村直樹少佐(33期),石原貞一中尉(幹)
|   |   |     通信班 杉江通中尉(47期),旗手 信定佐武三少尉(48期)
|   |   |     瓦斯掛 中村竜平少尉(49期)
|   |   |    (定員 224名)
|   |   |−−−歩兵第1大隊 
|   |   |     大隊長 青柳由郎少佐,副官 六車政次郎少尉(49期)
|   |   |    (定員 1091名)
|   |   |−−−歩兵第2大隊 
|   |   |     大隊長 児玉忠雄少佐(29期),副官 千代清太郎少尉
|   |   |    (定員 1091名)
|   |   |−−−歩兵第3大隊
|   |   |   | 大隊長 冨山武雄少佐,副官 野田毅少尉(49期)
|   |   |   |(定員 1091名)
|   |   |   |−−−大隊本部
|   |   |   |    (定員120名)
|   |   |   |−−−歩兵第9中隊  
|   |   |   |     中隊長 奥村国蔵中尉(少)
|   |   |   |    (定員194名)
|   |   |   |−−−歩兵第10中隊  
|   |   |   |     中隊長 村田弥蔵中尉(少)
|   |   |   |    (定員194名)
|   |   |   |−−−歩兵第11中隊  
|   |   |   |     中隊長 谷口成雄中尉(少)
|   |   |   |    (定員194名)
|   |   |   |−−−歩兵第12中隊  
|   |   |   |   | 中隊長 長尾大尉
|   |   |   |   |(定員194名)
|   |   |   |   |(小銃168・軽機関銃6・重擲弾筒6)
|   |   |   |   |−−−中隊本部
|   |   |   |   |    (定員?名)
|   |   |   |   |−−−歩兵小隊 1
|   |   |   |   |    (定員約60名超?)
|   |   |   |   |−−−歩兵小隊 2
|   |   |   |   |    (定員約60名超?)
|   |   |   |   |−−−歩兵小隊 3
|   |   |   |       |(定員約60名超?)
|   |   |   |       |−−−小銃分隊 1
|   |   |   |       |−−−小銃分隊 2
|   |   |   |       |−−−小銃分隊 3
|   |   |   |       |−−−小銃分隊 4
|   |   |   |       |−−−軽機関銃分隊 1
|   |   |   |       |−−−軽機関銃分隊 2
|   |   |   |−−−機関銃中隊
|   |   |   |     中隊長 赤尾喜六中尉(少)
|   |   |   |    (定員139名)
|   |   |   |    (92式重機関銃×8)
|   |   |   |−−−歩兵砲小隊
|   |   |         小隊長 向井敏明少尉
|   |   |        (定員56名)
|   |   |        (92式歩兵砲×2)
|   |   |         ※向井小隊長の歩兵砲小隊は1門破壊されて
|   |   |          いましたので、実際にはその半数くらいの
|   |   |          定員ではなかったかと思われます。
|   |   |
|   |   |−−−連隊砲中隊 
|   |   |     中隊長 服部忠三大尉(少)
|   |   |    (定員 161名)
|   |   |    (41式山砲×4)
|   |   |−−−速射砲中隊
|   |         中隊長 目片一大尉
|   |        (定員 89名)
|   |        (94式37粍砲×4)
|   |
|   |−−−歩兵第20連隊(福知山)
|         連隊長 大野宣明大佐(23期)
|        (定員 3,747名)
|        (馬が  526頭)
|
|−−−歩兵第30旅団
|   | 旅団長 佐々木到一少将
|   |(定員 7,569名)
|   |−−−旅団司令部
|   |    (定員 75名)
|   |−−−歩兵第33連隊(久居)
|   |     連隊長 野田謙吾大佐(24期)
|   |    (定員 3,747名)
|   |    (馬が  526頭)
|   |−−−歩兵第38連隊(奈良)
|         連隊長 助川静二大佐(19期)
|        (定員 3,747名)
|        (馬が  526頭)
|
|−−−騎兵第20連隊
|     連隊長 笠井敏松中佐(21期)
|    (定員 452名)
|    (馬が 429頭)
|−−−野砲兵第22連隊
|   | 連隊長 三国直福大佐(25期)
|   |(定員 2,894名)
|   |(馬が 2,269頭)
|   |−−−野砲兵第1大隊
|   |    (改造38式野砲12)
|   |−−−野砲兵第2大隊
|   |    (改造38式野砲12)
|   |−−−野砲兵第3大隊
|   |    (改造38式野砲12)
|   |−−−野砲兵第4大隊
|        (92式10糎榴弾砲12)
|−−−工兵第16連隊
|     連隊長 今中武義大佐(18期)
|    (定員 672名)
|    (馬が 99頭)
|−−−輜重兵第16連隊
|     連隊長 柄沢畔夫中佐(22期)
|    (定員 3461名)
|    (馬が 2612頭)
|
|−−−その他
     (師団通信隊・師団衛生隊・野戦病院・師団兵器勤務隊)
       ----------これらは、師団司令部とは別でしょうか?


これを見ると、唄にある「人馬ハススム」の言葉が実感的に
よくわかります。
そうして下記のように、南京攻略戦に携わった中支那方面軍は、
9個師団と他直属部隊多数からなっていたのです。、
その人員馬員は、並大抵のものではありません。当然、
食糧補給も、並大抵のものではなかったでしょう。


  中支那方面軍
  | 司令官 松井石根大将(9期) 
  | 参謀長 塚田攻少将(19期) 
  | 参謀副長 武藤章歩兵大佐(25期) 
  | 参謀:西原一策騎兵大佐(25期兼任),長勇歩兵中佐(28期兼任),公平匡武砲兵中佐(31期)
  |    本郷忠夫騎兵少佐(32期兼任),二宮義清工兵少佐(34期),吉川猛砲兵少佐(35期)
  |    芳村正義歩兵中佐(28期兼任),寺垣忠雄歩兵中佐(28期兼任),光成省三航空兵中佐(31期) 
  |    中山寧人航空兵少佐(33期),河村弁治工兵少佐(34期) 
  | 国際法顧問 斉藤良衛法学博士 
  |(定員 30万?)
  |(馬が ?)
  |
  |−−−上海派遣軍
  |    | 司令官 朝香宮鳩彦中将(20期) 
  |    | 参謀長 飯沼守 少将(21期) 
  |    | 参謀副長 上村利道歩兵大佐(22期) 
  |    | 参謀部第1課 【課長】西原一策騎兵大佐(25期)
  |    |    第2課 【課長】長勇歩兵中佐(28期)
  |    |    第3課 【課長】寺垣忠雄歩兵中佐(28期)
  |    | 法務部長 塚本浩次高等官(3) 
  |    |(定員 ?万)
  |    |(馬が ?)
  |    |
  |    |−−−第3師団(名古屋)師団長 藤田 進中将(16期) 
  |    |−−−第9師団(金 沢)師団長 吉住良輔中将(17期)  
  |    |−−−第11師団(善通寺)師団長 山室宗武中将(14期)  
  |    |−−−第13師団(仙 台)師団長 萩洲立兵中将(17期)
  |    |    |−−−山田支隊 支隊長 山田栴二少将(18期、第103旅団長) 
  |    |−−−第16師団(京 都)師団長 中島今朝吾中将(15期)
  |    |−−−第101師団(東 京)師団長 伊東政喜中将(14期)
  |    |−−−藤重支隊(台 湾)司令官 重藤千秋少将(18期)
  |    |−−−野戦重砲兵第5旅団
  |    |−−−他直属部隊(※)
  |
  |−−−第10軍
  |    | 司令官 柳川平助中将(12期) 
  |    | 参謀長 田辺盛武少将(22期) 
  |    | 参謀部第1課 【課長】藤本鉄熊航空兵大佐(26期)
  |    | 参謀部第2課 【課長】井上靖歩兵大佐(26期)
  |    | 参謀部第3課 【課長】谷田勇工兵大佐(27期)
  |    | 法務部長 小川関治郎高等(2) 
  |    |(定員 ?万)
  |    |(馬が ?)
  |    |
  |    |−−−第6師団(熊 本)師団長 谷 寿夫中将(15期) 
  |    |−−−第18師団(久留米)師団長 牛島貞雄中将(12期) 
  |    |−−−第114師団(宇都宮)師団長 末松茂治中将(14期)  
  |    |−−−国崎支隊 支隊長 国崎登少将(19期)
  |    |−−−野戦重砲兵第6旅団
  |    |−−−他直属部隊(※)
  |
  |−−−第3飛行団  
  |−−−中支那方面軍通信隊 
  |−−−中支那方面軍鉄道隊
  |−−−第2野戦測量隊
  |−−−第5野戦気象隊
  |−−−第3野戦築城部
  |−−−中支那派遣憲兵隊
  |−−−中支那方面軍直属兵站部隊
  |−−−第5野戦鑿井隊本部
  |−−−第1野戦建築部
  |−−−第3物資蒐集部


※ 陸軍士官学校の卒業年度は、1900年(明治33年)が12期、1935年(昭和10年)が47期だったかと?
   1905、1906、1937、1940、1943、などが変則年で加減算があわない場合がある。
  参照:陸軍士官学校期別卒業者数及び輩出大将数
※ ちなみに南京攻略1年前の1936年(昭和11年)に起こった、2.26事件の青年将校たちは、
   香田清貞 - 陸軍歩兵大尉(陸士37期)
   安藤輝三 - 陸軍歩兵大尉(陸士38期)
   栗原安秀 - 陸軍歩兵中尉(陸士41期)
  皇道派の中心人物は、
   真崎 甚三郎 陸軍大将(陸士9期)

陸軍士官学校校長時代、尊皇絶対主義の訓育に努め、安藤輝三、磯部浅一らを輩出。1932年参謀次長に就任後、荒木貞夫陸軍大臣とともに国家革新を図る皇道派を形成。反乱幇助で軍法会議に起訴、論告求刑は反乱者を利す罪で禁錮13年であったが、判決で無罪。1936年予備役編入。戦後、A級戦犯として逮捕されるが、極東国際軍事裁判で不起訴。

   荒木貞夫 陸軍大将(陸士9期)

犬養内閣、斎藤内閣の陸軍大臣となり、皇道派の雄として派閥人事を断行。精神的、反共的言動が右翼や青年将校に支持され、十月事件では首相候補に擬せられる。二・二六事件では関係者に同情的態度をとったため、いわゆる「粛軍人事」で予備役に編入された。戦後A級戦犯として極東国際軍事裁判にかけられ、終身刑となるが病気で仮出所、後に釈放。

※ 赤字は不明個所
参考:南京事件資料集:日本軍編成表 < 『南京戦史資料集1』

 

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