判決文その4:事実及び理由その3
(判断と結論)

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大項目目次


  第3 争点に対する当裁判所の判断
    2 争点(2)について
     (2)《両少尉各固有の名誉の毀損;裁判所の判断》
     (3)《原告固有の名誉毀損,プライバシー権侵害について》
     (4)《敬愛追慕の情の侵害について》
       ウ《一見して明白に虚偽であるかどうか》
     (5)したがって,原告らの主張にはいずれも理由がなく
        各請求は認められない。
    3 争点(5)及び(7)について
     (1)原告らの主張に理由はなく被告毎日に
                 対する請求は認められない
     (2)民法724条後段の除斥期間が経過している
     (3)請求権は除斥期間を経過したことによって消滅した
        ものと認められる。
  第4 結論
      主文のとおり判決する。

《 凡例 》

色Black:判決文表現
(色Green:判決書の原注)
《色Maroon:転写者の注釈》
色Olive:番地/リンク

判決文を読みやすくするために、文献目録リストに従って

"本件書籍一" を、"「中国の旅」" に,
"本件書籍一の1" を、"「中国の旅」単行本" に,
"本件書籍一の2" を、"「中国の旅」文庫本" に,
"本件書籍一の3" を、"「本多勝一集 第14巻 中国の旅」" に,
"本件書籍二" を、"「南京への道」" に,
"本件書籍二の1" を、"「南京への道」単行本" に,
"本件書籍二の2" を、"「南京への道」文庫本" に,
"本件書籍二の3" を、"「本多勝一集 第23巻 南京への道」 に,
"本件書籍三" を、"「南京大虐殺否定論13のウソ」 に,

用語定義個所を除いて、書き換えました。

事実及び理由

第3 争点に対する当裁判所の判断

  1. 争点(2)について 
    • (2) ところで,原告らは,本件各書籍の記載(*)により,両少尉各固有の名誉が毀損された旨主張する。

      しかしながら,名誉等の人格権は,いわゆる一身専属権であると解すべきところ,人は,その死亡によって権利能力を喪失するものであるから,上記の人格権も同様に消滅するものであって,死者の名誉等について,実定法がその法的保護の必要性を認めた場合において,その限りで死者の名誉等が法的に保護されるものと解するのが相当である。そして,私法上,遺族又は相続人に対し,死者が生前有していた名誉等の人格権について,これと同一内容の権利の創設を認める一般的な規定も,死者自身につき人格権の享有及び行使を認めた規定も存在しない。

      そうすると,死者の名誉等を毀損する行為は,私法上,独立の人格権侵害を構成しないこととなるから,両少尉各固有の名誉が毀損されたとする原告らの主張は,その余の点について判断するまでもなく,採用することができない。

    • (3) 原告らは,本件各書籍(*)の記載により,原告らの固有の名誉を毀損され,また,原告らのプライバシー権を侵害された旨主張する。しかしながら,前記認定事実のとおり,本件各書籍は,原告らの生活状況や原告らの経歴,行状などについては何ら言及していないから,原告らの名誉やプライバシーの権利を侵害しているものとは認めることができない。 したがって,この点に関する原告らの主張も,採用することができない。
    • (4) 原告らは,さらに,本件各書籍の記載(*)により,原告らの両少尉に対する敬愛追慕の情を侵害された旨主張する。
      •  

        死者に対する遺族の敬愛追慕の情も,一種の人格的利益であり,一定の場合にこれを保護すべきものであるから,その侵害行為は不法行為を構成する場合があるものというべきである。もっとも,一般に,死者に対する遺族の敬愛追慕の情は,死の直後に最も強く,その後,時の経過とともに少しずつ軽減していくものであると認め得るところであり,他面,死者に関する事実も,時の経過とともにいわば歴史的事実へと移行していくものともいえる。そして,歴史的事実については,その有無や内容についてしばしば論争の対象とされ,各時代によって様々な評価を与えられ得る性格のものであるから,たとえ死者の社会的評価の低下にかかわる事柄であっても,相当年月の経過を経てこれを歴史的事実として取り上げる場合には,歴史的事実探求の自由あるいは表現の自由への慎重な配慮が必要となると解される。

        それゆえ,そのような歴史的事実に関する表現行為については,当該表現行為時において,死者が生前に有していた社会的評価の低下にかかわる摘示事実又は論評若しくはその基礎事実の重要な部分について,一見して明白に虚偽であるにもかかわらず,あえてこれを摘示した場合であって,なおかつ,被侵害利益の内容,問題となっている表現の内容や性格,それを巡る論争の推移など諸般の事情を総合的に考慮した上,当該表現行為によって遺族の敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害したものと認められる場合に初めて,当該表現行為を違法と評価すべきである。

      •  

        以上を前提として,まず,本件各書籍において,死者が生前に有していた社会的評価の低下にかかわる摘示事実又は論評がなされているか否かについて検討するに,本件各書籍のうち,「中国の旅」文庫本の第24刷以降のもの,「南京への道」文庫本の第6刷以降のもの及び「本多勝一集 第23巻 南京への道の第2刷以降のものは,両少尉について,いずれも匿名で表記しているとはいえ,「M」「N」が本件日日記事において「百人斬り競争」を行ったと報じられていたこと及び南京裁判で死刑に処せられたことを具体的に摘示しており,本件日日記事に掲載され,南京裁判で処刑された「M」「N」は両少尉以外にいないものとみられるから,この程度の記載であっても,両少尉を十分特定し得るものと認められる。

        そして,前記認定事実によれば,本件書籍一ないし三《「中国の旅」,「南京への道」,「南京大虐殺否定論13のウソ」》においては,いずれも,婉曲的な表現や,基礎事実からの推論の形式による論者の個人的な一見解の体裁を採りつつも,結論的に,両少尉が,上官から,100人の中国人を先に殺した方に賞を出すという殺人ゲームをけしかけられ,「百人斬り」「百五十人斬り」という殺人競争として実行に移し,捕虜兵を中心とした多数の中国人をいわゆる「据えもの斬り」にするなどして殺害し,その結果,南京裁判において死刑に処せられたといった事実の摘示がなされている(以下,当該事実の摘示を「本件事実摘示」という。)と認められるところ,両少尉が,「百人斬り」と称される殺人競争において,捕虜兵を中心とした多数の中国人をいわゆる「据えもの斬り」にするなどして殺害したとの事実(以下「本件摘示事実」という。)は,いかに戦争中に行われた行為であるとはいえ,両少尉が戦闘行為を超えた残虐な行為を行った人物であるとの印象を与えるものであり,両少尉の社会的評価を低下させる重大な事実であるといえる。

        また,「南京への道」のうち,番号二の2,同二の3の記事(*)を掲載したもの及び「南京大虐殺否定論13のウソ」においては,両少尉が,前記「百人斬り」競争に関し,その遺書等において,向井少尉が「野田君が,新聞記者に言ったことが記事になり」と記載しているのに対し,野田少尉が「向井君の冗談から百人斬り競争の記事が出て」と記載して,互いに相反する事実を述べていることに対し,「一種なすり合いをしている。」として責任のなすり合いをしている旨の論評(以下「本件論評」という。)をしているが,両少尉が死刑に処せられるに当たり,その遺書等において,互いに責任のなすり合いをしたか否かという点は,両少尉の社会的評価を低下させるものであるといえる。

        もっとも,本件各書籍は,両少尉の死後少なくとも20年以上経過した後に発行されたものであり,問題とされる本件摘示事実及び本件論評の内容は,既に,日中戦争時における日本兵による中国人に対する虐殺行為の存否といった歴史的事実に関するものであると評価されるべきものであるから,当該表現行為の違法性については,前記アで述べた基準に従って,慎重に判断すべきであるといえる。

         
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      •  そこで,次に,本件各書籍における前記イで述べた本件摘示事実及び本件論評の基礎事実が,その重要な部分について一見して明白に虚偽であるといえるか否かについて検討する。
        • (ア) 本件摘示事実について
          1. 原告らは,そもそもいわゆる「百人斬り競争」を報じた本件日日記事自体が,浅海記者ら新聞記者の創作記事であり,虚偽である旨主張する。

            そこで,検討するに,本件日日記事は,昭和12年11月30日から同年12月13日までの間に掲載されたものであるところ,南京攻略戦という当時の時代背景や「百人斬り競争」の内容,南京攻略戦における新聞報道の過熱状況,軍部による検閲校正の可能性などにかんがみると,上記一連の記事は,一般論としては,そもそも国民の戦意高揚のため,その内容に,虚偽や誇張を含めて記事として掲載された可能性も十分に考えられるところである。そして,前記認定のとおり,田中金平の行軍記録やより詳細な犬飼総一郎の手記からすれば,冨山大隊は,句容付近までは進軍したものの,句容に入城しなかった可能性もあること,昭和15年から約1年間向井少尉の部下であったという宮村喜代治は,百人斬り競争の話が冗談であり,それが記事になった旨を言明した旨陳述していること,さらには,南京攻略戦当時の戦闘の実態や冨山大隊における両少尉の職務上の地位,日本刀の性能及び殺傷能力等に照らしても,両少尉が,本件日日記事にある「百人斬り競争」をその記事の内容のとおりに実行したかどうかについては,疑問の余地がないわけではない。

            しかしながら,前記認定事実によれば,
            • @ 本件日日記事第四報(*)に掲載された写真を撮影した佐藤記者は,本件日日記事の執筆自体には関与していないところ,「週刊新潮」昭和47年7月29日号の記事(*)以来,当法廷における証言に至るまで,両少尉から直接「百人斬り競争」を始める旨の話を聞いたと一貫して供述しており,この供述は,当時の従軍メモを基に記憶喚起されたものである点にかんがみても,直ちにその信用性を否定し難いものであること,
            • A 本件日日記事を発信したとされる浅海・鈴木両記者も,極東軍事裁判におけるパーキンソン検事からの尋問以来(*)(**),自ら「百人斬り競争」の場面を目撃したことがないことを認めつつ,本件日日記事については,両少尉から聞き取った内容を記事にしたものであり,本件日日記事の内容が真実である旨一貫して供述していること,
            • B 両少尉自身も,その遺書等(*)において,その内容が冗談であったかどうかはともかく,両少尉のいずれかが新聞記者に話をしたことによって,本件日日記事が掲載された旨述べていることなどに照らすと,少なくとも,両少尉が,浅海記者ら新聞記者に話をしたことが契機となり,「百人斬り競争」の記事が作成されたことが認められる。
                      
            また,前記認定事実によれば,昭和13年1月25日付け大阪毎日新聞鹿児島沖縄版(*)には,野田少尉から中村碩郎あての手紙のことが記事として取り上げられ,その記事の中で野田少尉が「百人斬り競争」を認めるかのような文章を送ったことが掲載されていること,野田少尉が昭和13年3月に一時帰国した際に,鹿児島の地方紙や全国紙の鹿児島地方版は,野田少尉を「百人斬り競争」の勇士として取り上げ,「百人斬り競争」を認める旨の野田少尉のコメントが掲載され,野田少尉自身が鹿児島で講演会も行っていることなどが認められ,少なくとも野田少尉は,本件日日記事の報道後,「百人斬り競争」を認める旨の発言を行っていたことが窺われる。

            もっとも,原告らは,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷し,救護班に収容されて前線を離れ,紫金山の戦闘に参加することができなかったと主張し,南京軍事裁判における両少尉の弁明書面や南京軍事裁判における冨山大隊長の証明書にも同旨の記載がある。しかしながら,前記認定事実によれば,両少尉の弁明書面や冨山大隊長の証明書は,いずれも南京軍事裁判になって初めて提出されたものであり,この点に関して南京戦当時に作成された客観的な証拠は提出されていないこと,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷し,雛隊しているのであれば,向井少尉直属の部下であった田中金平の行軍記録に当然その旨の記載があるはずであるにもかかわらず,そのような記載が見当たらないこと,犬飼総一郎の手記には,向井少尉の負傷の話を聞いた旨の記載がなされているものの,その具体的な内容は定かではないことなどに照らすと,向井少尉が丹陽の戦闘で負傷して前線を離れ,紫金山の戦闘に参加することができなかったとの主張事実を認めるに足りないというべきである。

            また,原告らは,紫金山の攻撃については,歩兵第三十三連隊の地域であり,両少尉とも紫金山へは行っていないと主張する。しかしながら,前記認定のとおり,冨山大隊は,草場旅団を中心とする追撃隊に加わり,先発隊として活動していたのであって,その行軍経路には不明なところがあるものの,第九連隊第一大隊の救援のため,少なくとも紫金山南麓において活動を展開していたと認められ,紫金山南麓においては,比較的激しい戦闘も行われていたようであって,本件日日記事第四報の「中山陵を眼下に見下す紫金山」なる場所に誤りがないとは限らないが,両少尉の所属する冨山大隊がおよそ紫金山付近で活動していたことすらなかったものとまでは認められない。

            さらに,原告らは,向井少尉が,昭和21年から22年ころにかけて,東京裁判法廷において,米国パーキンソン検事から尋問を受け,「百人斬り競争」が事実無根ということで不起訴処分となった旨主張する。しかしながら,向井少尉の不起訴理由を明示した証拠は何ら提出されておらず,また,パーキンソン検事が向井少尉に対して,「新聞記事によって迷惑被害を受ける人は米国にも多数ありますよ。」と述べたことを裏付ける客観的な証拠も何ら存在しないのであって,その処分内容及び処分理由は不明であるというほかなく,仮に向井少尉が不起訴であったとしても,東京裁判がいわゆるA級戦犯に対する審判を行ったものであることからすると,A級戦犯に相当しないと見られる向井少尉の行為が,東京裁判で取り上げられなかったからといって,当然に事実無根とされたものとまでは認められないというべきである。

            以上によれば,少なくとも,本件日日記事は,両少尉が浅海記者ら新聞記者に「百人斬り競争」の話をしたことが契機となって連載されたものであり,その報道後,野田少尉が「百人斬り競争」を認める発言を行っていたことも窺われるのであるから,連載記事の行軍経路や殺人競争の具体的内容については,虚偽,誇張が含まれている可能性が全くないとはいえないものの,両少尉が「百人斬り競争」を行ったこと目体が,何ら事実に基づかない新聞記者の創作によるものであるとまで認めることは困難である。
          2. また,原告らは,被告本多において両少尉が捕虜を'惨殺したことの論拠とする志々目彰らの著述内容等が信用できず,本件摘示事実における捕虜斬殺の点が虚偽である旨主張する。

            そこで検討するに,前記21ナ(エ)(*)で認定したとおり,志々目彰は,小学校時代に野田少尉の講演を聞き,その中で,野田少尉が,「百人斬り競争」について,そのほとんどが白兵戦ではなく捕虜を斬ったものである旨語ったところを聞いたとして,野田少尉による「百人斬り」のほとんどが捕虜の斬殺であった旨を月刊誌において述べていることが認められるが,そもそも,志々目彰が野田少尉の話を聞いたというのが小学生時であり,その後月刊誌にその話を掲載したのが30余年を経過した時点であることに照らすと,果たしてその記憶が正確なのか問題がないわけではない。

            また,前記2(1)ナ(オ)(*)で認定したとおり,志々目彰と同じ小学校で野田少尉の話を聞いたとするBは,百人斬ったという話や捕虜を斬ったという話を聞いたことがない旨陳述しており,その他,別機会に野田少尉の話を聞いたことがあるとする複数の者から,志々目彰の著述内容を弾劾する陳述内容の書証が複数提出されているところである。

            しかし,他方,前記2(1)ナ(オ)(*)で認定したとおり,志々目彰の大阪陸軍幼年学校の同期生であるKも,志々目彰と一緒の機会に,野田少尉から,百人という多人数ではないが,逃走する捕虜をみせしめ処罰のために斬殺したという話を聞いた旨述べていることも認められ,Aが野田少尉を擁護する立場でそのような内容を述べていることにかんがみれば,殊更虚偽を述べたものとも考え難く,少なくとも,当時,野田少尉が,志々目彰やAの在校する小学校において,捕虜を斬ったという話をしたという限度においては,両名の記憶が一致しているといえる。

            また,当時野田少尉を教官として同少尉と一緒に従軍していたという望月五三郎は,前記2(1)ナ(コ)(*)のとおり,その著作物において,野田少尉と向井少尉の百人斬り競争がエスカレートして,奪い合いをしながら農民を斬殺した状況を述べており,その真偽は定かでないというほかないが,これを直ちに虚偽であるとする客観的資料は存しないのである。

            これらの点にかんがみると,志々目彰の上記著述内容を一概に虚偽であるということはできない。

            なお,被告本多は,「南京への道」及び「南京大虐殺否定論13のウソ」においては,本件摘示事実の推論根拠として,昭和12年12月ころ,○(さんずいに栗)水において,日本軍将校により,14人の中国人男性が見せしめとして処刑された場面に遭遇した旨の襲其甫の話や,日本刀で自ら「捕虜据えもの斬り」を行ったとする鵜野晋太郎の手記を引用している。これらの話も,客観的資料に裏付けられているものではなく,その真偽のほどは定かではないというほかないが,自身の実体験に基づく話として具体性,迫真性を有するものといえ,これらを直ちに虚偽であるとまではいうことはできない。
          3. さらに,「百人斬り競争」の話の真否に関しては,前記2(1)ト(*)で認定したものも含めて,現在に至るまで,肯定,否定の見解が交錯し,様々な著述がなされており,その歴史的事実としての評価は,未だ,定まっていない状況にあると考えられる。
          4. 以上の諸点に照らすと,本件摘示事実が,一見して明白に虚偽であるとまでは認めるに足りない。
        • (イ) 本件論評について

          原告らは,本件論評が虚偽である旨主張する。

          しかしながら,本件論評においては,両少尉が,前記「百人斬り」競争に関し,その遺書等において,向井少尉が「野田君が,新聞記者に言ったことが記事になり」と記載しているのに対し,野田少尉が「向井君の冗談から百人斬り競争の記事が出て」と記載して,互いに相反する事実を述べていることが重要な基礎事実となっているというべきところ,前記認定によれば,その前提事実自体は真実であると認められる。そして,そのような相反する事実を述べている状態を「一種のなすり合いである」と評価し,そのように論評したとしても,これが正鵠を射たものとまでいえるかどうかはともかくとして,これを直ちに虚偽であるとか,論評の範囲を逸脱したものとまでいうことはできない。

          したがって,原告らの上記主張は採用することができない。

        • (ウ) 以上述べたところによれば,その余の点について検討するまでもなく,本件事実摘示及び本件論評により,原告らの両少尉に対する敬愛追慕の情を侵害された旨の原告らの主張には理由がない。
    • (5) したがって,本件各書籍によって,両少尉の名誉を毀損され,原告らの固有の名誉及びプライバシー権を侵害され,また,原告らの両少尉に対する敬愛追慕の情を違法に侵害されたとの原告らの主張には,いずれも理由がなく,被告朝日,被告柏及び被告本多に対する各請求は認められない。

     
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  2. 争点(5)及び(7)について
    • (1) 

      原告らは,被告毎日において,本件日日記事が虚報であることが明らかになったにもかかわらず,これを訂正しないという不作為により,両少尉の名誉を侵害し,また,原告らの両少尉に対する敬愛追慕の情を違法に侵害した旨主張する。

      しかしながら,前記2(4)ウ(ア)(*)で検討したところによれば,現時点において,本件日日記事が虚偽であることが明らかになったとまで認めることはできないというべきである。 したがって,その余の点について検討するまでもなく,原告らの上記主張に理由はなく,被告毎日に対する請求は認められないというべきである。

    • (2) 

      さらに,付言すると,前記争いのない事実等によれば,本件日日記事は昭和12年11月30日から同年12月13日までの間,4回掲載されたものであって,本訴提起の時点である平成15年4月28日において,60年余を経過していることが認められ,本件においては,民法724条後段の除斥期間が経過しているという点においても,原告らの被告毎日に対する請求は理由がないというべきである。

      この点,原告らは,被告毎日において,本件日日記事が虚報であり,それを訂正しなかったことによって両少尉が軍事裁判で銃殺刑に処せられたという先行行為が存在していたにもかかわらず,被告本多が「百人斬り競争」の記事を掲載して以降,現在に至るまで,自社の虚報を正さず,放置し続けており,かかる不作為によって,本件各書籍を始め,「百人斬り競争」を事実とする多数の書籍により,両少尉及び原告らに対する名誉毀損状態が生じているとし,本件日日記事の発行自体を問題としているのではないとして,被告毎日による不作為の違法行為が現在まで継続している旨主張する。

      確かに,作為の不法行為が継続して行われ,そのために損害も継続して発生する場合であれば,損害が継続発生する限り日々新しい不法行為に基づく損害として,各損害を知ったときから別個に消滅時効が進行することとの均衡上,日々新しい不法行為の各時点から,民法724条後段の除斥期間も進行するものと解される。しかしながら,先行する特定の作為が違法であることを前提として,その違法状態を是正しないことをもって不法行為の内容とする不作為の継続的不法行為についても,これと同様に解するとなると,実質的には先行する作為の違法行為を主張しているものと解されるにもかかわらず,請求者において不作為の継続的不法行為という形式を採りさえすれば,民法724条後段の除斥期間が及ばないこととなり,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の趣旨を没却することとなる。

      それゆえ,不作為の継続的不法行為であっても,先行する特定の作為が違法であることを前提として,その違法状態を是正しないことをもって不法行為の内容とする場合には,先行する特定の作為が違法であるとされて初めて不法行為の要件を充足するものであるから,これを実質的にみれば,先行する特定の作為の違法を理由とする作為の主張を含むものとみざるを得ないのであって,この場合,当該作為の終了した日をもって同条後段の除斥期間の起算点と解するのが相当である。

      本件についてこれをみるに,原告ら主張に係る不作為の継続的不法行為は,被告毎日による本件日日記事の発表を先行行為としている上,本件日日記事が虚報であり,当時においても,被告毎日において虚報を報道したこと自体を違法行為であるとし,先行する作為が違法であることを前提として,その違法状態を是正しないことをもって不法行為の内容としているものと認められるから,当該作為である本件日日記事の発表が終了した日をもって同条後段の除斥期間の起算点とすべきである。そして,本件日日記事の発表は,遅くとも昭和12年12月13日に終了しているから,同日から20年をはるかに超えた本訴提起の時点においては,同条後段の除斥期間を経過したものであると認められる。

    • (3) 

      したがって,仮に,原告らの被告毎日に対する不法行為に基づく損害賠償請求権が存在していたとしても,同請求権は,除斥期間を経過したことによって消滅したものと認められる。

 
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第4 結論 

以上のとおりであって,原告らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第6部

裁判長裁判官 土肥章大

裁判官 田中寿生

裁判官 古市文孝

 

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