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主文,{p01} 事実及び理由 第1 請求・・《民事原告からの請求内容》{p02} 第2 事案の概要 1 《どのような請求事案か》{p03} 2 争いの無い事実,{p04} 3 争点,{p05} 4 争点に関する当事者の主張 (1)争点(1)について,{p06} (2)争点(2)について 《本多著書が名誉毀損や敬愛追慕の情侵害などになるか》 {p07},{p08},{p09},{p10} (3)争点(3)について,{p11} (4)争点(4)について,{p12-1} (5)争点(5)について,{p12-2} (6)争点(6)について,{p12-3} (7)争点(7)について,{p12-4} 第3 争点に対する当裁判所の判断 1 争点(1)について,{p13},{p14} 2 争点(2)について (1)《証拠および弁論における事実:史料多数》 {p15}〜{p55} 詳しくは(1)をクリックしてください (2)《両少尉各固有の名誉の毀損;裁判所の判断》{p56} (3)《原告固有の名誉毀損,プライバシー権侵害について》 {p57} (4)《敬愛追慕の情の侵害について》 ア《敬愛追慕の情侵害、違法性の要件》{p58} イ《社会的評価の低下を招く事実の摘示》{p59} ウ《一見して明白に虚偽であるかどうか》 {p60},{p61},{p62} (5)したがって,原告らの主張にはいずれも理由がなく 各請求は認められない。{p63} 3 争点(5)及び(7)について,{p64} (1)原告らの主張に理由はなく被告毎日に 対する請求は認められない (2)民法724条後段の除斥期間が経過している (3)請求権は除斥期間を経過したことによって消滅した ものと認められる。 第4 結論,{p65} 主文のとおり判決する。
下記「判決文の構成」
《 凡例 》
判決文の構成
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《 判決文その1:主文 》 主文,[syubun],{p01} 《 判決文その2:事実及び理由その1 》 (提訴の概要) 事実及び理由・・ 《訴訟で双方から主張された事実とその理由》[jijitsu&riyu-1] 第1 請求・・ 《民事原告からの請求内容》[#1],{p02} 1[#1-1] 2[#1-2] 3[#1-3] 4[#1-4] 5[#1-5] 6[#1-6] 7[#1-7] 8[#1-8] 第2 事案の概要[#2] 1 《どのような請求事案か》[#2-1],{p03} 2 争いの無い事実・・ 《訴状の中の争点にならなかった部分》[#2-2],{p04} 3 争点[#2-3],{p05} 4 争点に関する当事者の主張[#2-4] (1)争点(1)について・・ 《本多著書における事実の摘示と論評》[#2-4-1],{p06} (原告らの主張)[#2-4-1-ge] (被告本多の主張)[#2-4-1-ho] (被告柏の主張)[#2-4-1-ka] (被告朝日の主張)[#2-4-1-a] (2)争点(2)について・・ 《本多著書が名誉毀損や敬愛追慕の情 侵害などになるか》[#2-4-2] (原告らの主張)[#2-4-2-ge],{p07} ア《実名とイニシャル》[#2-4-2-ge-a] イ《死者および遺族に対する名誉毀損》[#2-4-2-ge-i] ウ《遺族に対する敬愛追慕の情侵害》[#2-4-2-ge-u] エ《父や兄の戦犯処刑はプライバシー》[#2-4-2-ge-e] オ《虚偽性は違法性の要件ではないし・・・》[#2-4-2-ge-o] カ《記載内容は虚偽である》 [#2-4-2-ge-ka] (ア)《日日記事の「百人斬り競争」が虚偽であることは明らか》 [#2-4-2-ge-ka-a] (イ)《「殺人ゲーム」は日日記事とは無関係で、何の根拠も無い》 [#2-4-2-ge-ka-i] (ウ)《「百人斬り競争」が捕虜虐殺であった、は虚偽》 [#2-4-2-ge-ka-u] (エ)《両少尉が一種のなすり合いをしている、は虚偽》 [#2-4-2-ge-ka-e] (被告本多の主張)[#2-4-2-ho],{p08} ア《実名とイニシャル、死者及び遺族に対する名誉毀損はない》[#2-4-2-ho-a] イ《敬愛追慕の情侵害の要件はない》[#2-4-2-ho-i] ウ《プライバシーの記述はない》[#2-4-2-ho-u] エ《百人斬り競争、捕虜や非武装者の殺害は真実である》[#2-4-2-ho-e] (ア)《日日記事の「百人斬り競争」が存在していたことは,明らか》 [#2-4-2-ho-e-a] (イ)《「百人斬り競争」が戦闘行為中だけでなく,投降兵,捕虜,農民等に 対する殺害でもあったことは,明らか》[#2-4-2-ho-e-i] (ウ)《その他は下記の被告朝日の主張のとおり》[#2-4-2-ho-e-u] (被告柏の主張)[#2-4-2-ka],{p09} ア《イニシャル、名誉毀損の前提がない》[#2-4-2-ka-a] イ《歴史的事象に関して敬愛追慕の情侵害は当たらない》[#2-4-2-ka-i] ウ《プライバシーの記述はない》[#2-4-2-ka-u] (被告朝日の主張)[#2-4-2-a],{p10} ア《イニシャル、名誉毀損の前提がない》[#2-4-2-a-a] イ《名誉毀損、敬愛追慕の情侵害、要件である虚偽性もない》[#2-4-2-a-i] ウ《遺族のプライバシーに配慮してイニシャルとした》[#2-4-2-a-u] エ《百人斬り競争、捕虜や非武装者の殺害は真実である》[#2-4-2-a-e] (ア)《実名を表記していないから名誉毀損は当らない》 《虚偽の事実でないから不法行為は成立しない》[#2-4-2-a-e-a] (イ)《敬愛追慕の情を侵害する不法行為の要件》 《「中国の旅」「南京への道」で摘示した事実又は表明した論評のうち, 主要な部分は日日記事「百人斬り競争」の事実及び「据えもの百人斬り」 「捕虜虐殺」との論評》 《「据えもの百人斬り」「捕虜虐殺」との論評は真実ないし真実に基づく ものであって虚偽ではない》[#2-4-2-a-e-i] (ウ)《「百人斬り競争」「据えもの百人斬り」及び「捕虜虐殺」が 事実であることは,冨山大隊の関係者等の証言からも裏付けられる》 [#2-4-2-a-e-u] (エ)《南京軍事裁判での両少尉の弁明は,置かれた立場からやむを得ない 弁明というべきかもしれないが,重要な部分において虚偽である》 [#2-4-2-a-e-e] (3)争点(3)について・・ 《書籍の発行により損害を受けたか》[#2-4-3],{p11} (原告らの主張) (被告朝日の主張) (被告本多及び被告柏の主張) (4)争点(4)について・・ 《原告らの損害賠償請求権失効》[#2-4-4],{p12-1} (被告本多及び被告朝日の主張) (原告らの主張) (5)争点(5)について ・・ 《日日記事不訂正による名誉毀損と 敬愛追慕の情侵害》《原告らの損害賠償請求権》[#2-4-5],{p12-2} (原告らの主張)[#2-4-5-ge] (被告毎日の主張)[#2-4-5-ma] (6)争点(6)について ・・ 《原告は毎日の不作為により損害を受けたか》[#2-4-6],{p12-3} (原告らの主張) (被告毎日の主張) (7) 争点(7)について ・・ 《毎日に対する損害賠償請求権の消滅時効と除斥期間》[#2-4-7],{p12-4} (被告毎日の主張) 《 判決文その3:事実及び理由その2 》 (争点整理と証拠) 第3 争点に対する当裁判所の判断[#3] 1 争点(1)について・・ 《本多著書:事実の摘示か論評の表明か》[#3-1] (1)《事実の適示か論評か、その検討基準》[#3-1-1],{p13} (2)《本件各書籍における事実の摘示内容》[#3-1-2] ア《検討個所の確認と略記法》[#3-1-2-a],{p14} イ《「中国の旅」単行本記事における事実の適示》[#3-1-2-i] ウ《「中国の旅」文庫本及び「本多勝一集第14巻中国の旅」における事実の適示》 [#3-1-2-u] エ《「南京への道」単行本記事における事実の適示》[#3-1-2-e] オ《「南京への道」文庫本及び「本多勝一集第23巻南京大虐 殺」の記事における事実の適示と論評》[#3-1-2-o] カ《「南京大虐殺否定論13のウソ」の記事における 事実の適示と論評》[#3-1-2-ka] (3)上記(2)のアからカまでに記載のとおりの事実を摘示し,論 評を表明したものであると認められる。[#3-1-3] 2 争点(2)について・・ 《本多著書:名誉毀損等であるか》[#3-2] (1)前記争いのない事実等に加え,証拠(各事実末尾に掲記のもの) 及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。[#3-2-1] ア 第十六師団の行軍経路概略(丁14,19ないし21) [#3-2-1-a],{p15} イ その根拠資料(丁20、21ないし14)[#3-2-1-i] ウ 富山大隊の動向(田中金平記載:丁13)[#3-2-1-u],{p16} エ 富山大隊の動向(犬飼総一郎論述:甲115)[#3-2-1-e],{p17} オ ジャパン・アドバタイザー紙掲載記事{p18} (ア)1937年(昭和12年)12月7日付け記事(甲48)[#3-2-1-o-a] (イ)1937年12月14日付け記事(甲49)[#3-2-1-o-i] ティンパレー"WHAT WAR MEANS"(甲50) 「曾虚白自傳」等(甲53,54,90) 力 日日記事直後,他の新聞にも (ア)昭和12年12月1日付け大阪毎日新聞鹿児島沖縄版(乙9)[#3-2-1-ka-a],{p19} (イ)昭和12年12月2日付け大阪毎日新聞鹿児島沖縄版(丁8)[#3-2-1-ka-i] (ウ)昭和12年12月13日付け大毎小学生新聞(丁10)[#3-2-1-ka-u] (エ)昭和12年12月16日付け鹿児島朝日新聞(丁9)[#3-2-1-ka-e] (オ)昭和12年12月18日付け鹿児島新聞(丁11)[#3-2-1-ka-o] (力)昭和13年1月25日付け大阪毎日新聞鹿児島沖縄版(乙5)[#3-2-1-ka-ka],{p20} (キ)昭和13年1月26日付大毎小学生新聞(乙6)[#3-2-1-ka-ki] キ 野田少尉の昭和13年3月母校鹿児島男子師範学校附属小 学校などでの講演[#3-2-1-ki],{p21} (ア)昭和13年3月21日付け鹿児島新聞(丁3)[#3-2-1-ki-a] (イ)昭和13年3月22日付け鹿児島朝日新聞(丁4)[#3-2-1-ki-i] (ウ)昭和13年3月26日付け鹿児島新聞(丁5)[#3-2-1-ki-u] ク 向井少尉は,南京攻略戦の後,中尉に昇進した 昭和14年5月19日付け東京日日新聞(丁22)[#3-2-1-ku],{p22} ケ 東京裁判の検察官の尋問調書。浅海記者及び鈴木記者の パーキンソン検事による日日記事等についての訊問(丁1)[#3-2-1-ke],{p23} コ 向井少尉は,東京裁判に関し国際検事団から尋問を受けたが起訴される ことはなかった(甲25,26,103,弁論の全趣旨)[#3-2-1-ko],{p24} サ 両少尉は昭和22年ころ戦犯として南京軍事裁判所に押送され, 同年11月ころ検察官から審問を受け、審問を補足する答辮書を 提出した(甲23ないし26,76,103,弁論の全趣旨)[#3-2-1-sa] (ア)野田少尉の民國36年(昭和22年)11月15日付け 答辮書(甲23)[#3-2-1-sa-a],{p25} (イ)向井少尉の答辯書(民國36年(昭和22年)11月6日の 6日の検察庭における審問後提出。(甲25)[#3-2-1-sa-i],{p26} (ウ)野田少尉の民國36年(昭和22年)11月21日付け 答辯書(甲24)[#3-2-1-sa-u],{p27} (エ)向井少尉の答辯書(民國36年(昭和22年)11月15日の 検察庭における審問の後提出。(甲26)[#3-2-1-sa-e],{p28} シ 国防部審判戦犯軍事法庭検察官は,昭和22年12月4日, 両少尉を起訴した。起訴書の証拠及び所犯法条の項(甲27) 両少尉は予審庭尋問後、起訴書に対する論駁及び審問の補足 として申辯書を提出(甲28,29)[#3-2-1-si],{p29} (ア)野田少尉の民國36年(昭和22年)12月15日付 け申辯書(甲28)[#3-2-1-si-a] (イ)向井少尉の民國36年(昭和22年)12月15日付 け申辯書(甲29)[#3-2-1-si-i] ス 公判期日は,昭和22年12月18日と定められた。 両少尉は,浅海記者の証明書が到着しないおそれがあるとし て,同月10日,公判延期申請を行ったが認められず,両少 尉が以下のとおり最終弁論を行った上,結審した(甲30, 31,78,79)[#3-2-1-su],{p30} (ア)野田少尉の最終発言(甲30)[#3-2-1-su-a] (イ)向井少尉の最終辯論(甲31)[#3-2-1-su-i] セ 昭和22年12月18日,両少尉に対する死刑判決。判 決理由(甲32)[#3-2-1-se],{p31} ソ 両少尉は,昭和22年12月20日,同判決を不服として上 訴申辯書を提出し,冨山大隊長の証明書2通及び浅海記者の 証明書1通を添付した(甲33)[#3-2-1-so],{p32} (ア)冨山大隊長の証明書 (出典不明?)[#3-2-1-so-a] (イ)浅海記者の証明書 (出典不明?)[#3-2-1-so-i] (ウ)上訴申弁書の修正案(甲79)[#3-2-1-so-u] タ 両少尉は昭和22年12月28日南京軍事裁判所にあてて, 冨山大隊本部書記竹村政弘の証明書及び向井少尉の弟である 向井猛の書簡を提出した(甲34)[#3-2-1-ta],{p33} (ア)竹村政弘の証明書 (イ)向井猛からの書簡 チ 南京軍事裁判所は両少尉の不服申立てを認めず,両少尉は昭 和23年1月28日,南京雨花台において田中軍吉と共に銃 殺刑に処せられた。[#3-2-1-ti],{p34} (ア)向井少尉の遺書(甲35)[#3-2-1-ti-a] (イ)野田少尉の遺書(甲35,58)[#3-2-1-ti-i] ツ 昭和41年,大森実は「天安門炎上す」において,「百人斬 り競争」について記載。(証拠番号不明)[#3-2-1-tu],{p35} テ《昭和46年に始まった論争》 ・被告本多は,昭和46年朝日新聞紙上に「中国の旅」を連 載し,同年11月5日付け紙上において「競う二人の少尉」 との見出しの下,両少尉を「A」「B」と匿名で「百人斬り 競争」を表示した。(甲1,8)[#3-2-1-te],{p36} ・鈴木記者は雑誌「丸」昭和46年11月号に「私はあの"南 京の悲劇"を目撃した」を寄稿 ・志々目彰は「中国」昭和46年12月号に「"百人斬り競争" ―日中戦争の追憶―」を寄稿 ・洞富雄は昭和47年から昭和48年にかけて「歴史評論」誌 上などにおいて「百人斬り競争」の存在を肯定する論稿を発 表した(乙3,丁2) ・山本七平(イザヤ・ベンダサン)は,「諸君!」昭和47年 1月号において,「朝日新聞の『ゴメンナサイ』」を掲載し, ・これに対して被告本多が,「諸君!」昭和47年2月号で 「イザヤ・ベンダサン氏への公開状」を掲載し,以後同年4 月号まで同誌上で論争が繰り返された。 ・この論争の中で,両少尉は,実名を挙げて議論の対象とされ, このころ出版された「中国の旅」の記事においても,すべて 実名で掲載された。(甲103,106) ・鈴木明は昭和48年「『南京大虐殺』のまぼろし」を発表し, 山本七平は昭和50年「私の中の日本軍」を発表した。 ・洞富雄は同年に「"まぼろし"化工作批判南京大虐殺」を発表し, 鈴木らの見解に反論した。 ・被告本多は昭和52年に「ペンの陰謀」を発表し,その中で, 浅海記者及び鈴木記者の論稿を掲載するとともに,鵜野晋太郎の 論稿を掲載し,さらに昭和62年「南京大虐殺」を主に取り上げ た「南京への道」を出版した(甲9,10,16,87,乙1) ト「百人斬り競争」については,否定的な見解と肯定的な見解 とが対立しており,当裁判所に提出された各種書籍や論稿に は,以下のものがある。[#3-2-1-to] (ア)鈴木明単行本「『南京大虐殺』のまぼろし」(甲16){p37} 山本七平単行本「私の中の日本軍」(甲87)[#3-2-1-to-a] (イ)阿羅健一,昭和62年「聞き書 南京事件」を出版し, その後,同書の一部を「『南京事件』日本人48人の証 言」で文庫本化した(甲36) 阿羅は陳述書において・・(甲91)[#3-2-1-to-i],{p38} (ウ)北村稔は「『南京事件』の探求」において(甲52) また北村稔は,その論稿及び陳述書において(甲90,143) [#3-2-1-to-u],{p39} (エ)中山隆志は,その陳述書において(甲89) 犬飼総一郎は,その論稿において(甲115) このほかにも,南京攻略戦に関する論稿に対する批判や 本件日日記事や「据えもの百人斬り」を信用できないと する旨の供述がある(甲121,123ないし125,142) [#3-2-1-to-e],{p40} (オ)鵜野晋太郎は「ペンの陰謀」に「日本刀怨恨譜」を寄稿 し(乙1)[#3-2-1-to-o],{p41} (カ)洞富雄は,上記「ペンの陰謀」に「『"南京大虐殺"はま ぼろし』か」を寄稿し(乙1)。田中正俊は「戦中戦 後」において(乙2)[#3-2-1-to-ka],{p42} ナ さらに,両少尉の「百人斬り競争」に関連する記事,資料等 として,以下のものがある。 (ア)浅海記者に対する取材記事[#3-2-1-na-a],{p43} ・「週刊新潮」昭和47年7月29日号誌(乙4) ・「ペンの陰謀」に「新型の進軍ラッパはあまり鳴らな い」と題する文章を寄稿(乙1) ・なお,浅海記者は,阿羅健一からの取材要請に対して 記憶不鮮明を理由に断り,その際「この世紀の大虐殺 事実を否定し,軍国主義への合唱,伴奏となるような ことのないよう切望します」という返事をした(甲36,91) (イ)鈴木記者に対する取材記事[#3-2-1-na-i],{p44} ・「週刊新潮」昭和47年7月29日号誌上記事の中で 取材に答え(乙4) ・「丸」昭和46年11月号誌上において「私はあの "南京の悲劇"を目撃した」を寄稿し(丁2) ・さらに「ペンの陰謀」に「当時の従軍記者として」を 寄稿し(乙1) ・「『南京事件』日本人48人の証言」の中で,阿羅健 一からの取材に答えて(甲36) (ウ)佐藤記者に対する取材記事[#3-2-1-na-u],{p45} ・「週刊新潮」昭和47年7月29日号記事の中で取材 に答えて(乙4) ・平成5年12月8日発行の「南京戦史資料集U」所収 「従軍とは歩くこと」の中で(乙7) ・さらに佐藤記者は,その陳述書及び当裁判所における 証人尋問においても,両少尉から常州において直接話 を聞いたことを認めている(甲65,証人佐藤振壽) (エ)志々目彰の論稿[#3-2-1-na-e],{p46} ・「中国」昭和46年12月号所収「"百人斬り競争" ――日中戦争の追憶――」の中で(乙11) (オ)志々目彰の論稿に関する関係者の陳述等[#3-2-1-na-o],{p47} ・志々目彰の大阪陸軍幼年学校の同期生であるAは(乙3,11) ・Bは,その陳述書において,志々目彰と同じ小学校で(甲72) ・Cは,その陳述書において,鹿児島一中において(甲67) ・Dは,鹿児島一中において(甲73) ・Eは,その陳述書において,田代小学校4年生のころ(甲75) (カ) Fらの陳述[#3-2-1-na-ka],{p48} Fは昭和15年から約1年間,向井少尉の部下であった ところ,(甲114) Gは昭和15年から約1年間,野田少尉の部下であった ところ,(甲74) (キ) Hの陳述。昭和21年ないし22年ころ,X警察署に勤務 し野田少尉を連行した(甲76)[#3-2-1-na-ki],{p49} (ク) 鈴木明は,「『南京大虐殺』のまぼろし」において,南 京軍事裁判の裁判長であった石美瑜に対するインタビュ ーを記載し(甲16)[#3-2-1-na-ku],{p50} (ケ) 六車政次郎は陸軍士官学校時代に野田少尉と同期生で, 第一大隊の副官として南京攻略戦に参加している。同人 の著作「惜春賦―わが青春の思い出―」(丁14) 昭和47年5月「鎮魂第三集」(陸軍士官学校49期生会発行) に「野田大凱の思い出」を寄稿(丁15)[#3-2-1-na-ke],{p51} (コ)冨山大隊第十一中隊に属していた望月五三郎は,昭和60年 7月発行の「私の支那事変」において(丁12)[#3-2-1-na-ko],{p52} ニ 原告千惠子は[#3-2-1-ni],{p53} 昭和46年に被告本多が「中国の旅」を発表し,「百人斬り 競争」が論争されるようになると,周囲から向井少尉の子で あることを指摘されることが多くなった。 ・向井少尉の無実を訴えようと「諸君!」昭和64年新年特別 号に,「南京事件『百人斬り』『向井少尉の娘』の四十年」 と題する手記を寄稿(甲43) ・「週刊文春」昭和63年12月15日号記事は,上記「諸 君!」に掲載された原告千惠子の手記を紹介している (甲44) ・本多は平成元年10月原告千惠子を訪ね,「南京への道」の 文庫本化に伴い,実名をイニシャルにする相談をした ・原告千惠子は,南京軍事裁判の判決文を入手し,「正論」平 成12年3月号に,向井少尉の獄中手記とともに公表した。 ・産経新聞記者の鵜野光博は,「正論」平成13年8月号に 「『百人斬り競争」の虚報を証明した野田少尉の手記』を 寄稿(甲14,15,71) ヌ 原告エミコの人生。陳述と証拠。(甲16,69)[#3-2-1-nu],{p54} ネ 原告野田の人生。陳述と証拠。(甲70)[#3-2-1-ne],{p55} 《 判決文その4:事実及び理由その3 》 (判断と結論) (2)《両少尉各固有の名誉の毀損について;裁判所の判断》[#3-2-2],{p56} (3)《原告固有の名誉毀損,原告のプライバシー権侵害について》[#3-2-3],{p57} (4)《敬愛追慕の情の侵害について》[#3-2-4] ア 《敬愛追慕の情侵害も不法行為》[#3-2-4-a],{p58} 《歴史的事実と敬愛追慕の情》 《歴史的事実に関する表現行為においては》 イ 《本件摘示事実又は論評が、死者が生前に有していた社会的 評価の低下にかかわるものか》[#3-2-4-i],{p59} ウ 《もう一つの要件。一見して明白に虚偽であるかどうか》[#3-2-4-u] (ア)本件摘示事実について[#3-2-4-u-a] a 両少尉が「百人斬り競争」を行ったこと目体が,何ら 事実に基づかない新聞記者の創作によるものであると まで認めることは困難である。[#3-2-4-u-a-a],{p60} b 被告本多において両少尉が捕虜を'惨殺したことの論 拠とする志々目彰らの著述内容等をを一概に虚偽であ るということはできない。14人の中国人男性が処刑 された場面に遭遇した襲其甫の話や,日本刀で自ら 「捕虜据えもの斬り」を行ったとする鵜野晋太郎の手 記も、実体験に基づく話として具体性,迫真性を有す るものといえ,これらを直ちに虚偽であるとまではい うことはできない。[#3-2-4-u-a-b],{p61} c さらに,「百人斬り競争」の話の真否に関してその歴 史的事実としての評価は,未だ,定まっていない状況 にあると考えられる。[#3-2-4-u-a-c] d 以上の諸点に照らすと,本件摘示事実が,一見して明 白に虚偽であるとまでは認めるに足りない。[#3-2-4-u-a-d] (イ) 本件論評について その前提事実自体は真実であると認められる。これが 正鵠を射たものとまでいえるかどうかはともかくとし て,これを直ちに虚偽であるとか,論評の範囲を逸脱 したものとまでいうことはできない。[#3-2-4-u-i],{p62} (ウ) 以上述べたところによれば,その余の点について検討 するまでもなく,本件事実摘示及び本件論評により, 原告らの両少尉に対する敬愛追慕の情を侵害された旨 の原告らの主張には理由がない。[#3-2-4-u-u] (5) したがって,本件各書籍によって,両少尉の名誉を毀損され, 原告らの固有の名誉及びプライバシー権を侵害され,また, 原告らの両少尉に対する敬愛追慕の情を違法に侵害されたと の原告らの主張には,いずれも理由がなく,被告朝日,被告 柏及び被告本多に対する各請求は認められない。[#3-2-5],{p63} 3 争点(5)及び(7)について・・ 《日日記事不訂正による名誉毀損と 敬愛追慕の情侵害、その損害賠償請求権》[#3-3],{p64} (1)前記2(4)ウ(ア)で検討したとおり原告らの上記主張に理由は なく,被告毎日に対する請求は認められないというべきである。[#3-3-1] (2)さらに,本件においては,民法724条後段の除斥期間が経過 しているという点においても,原告らの被告毎日に対する請求 は理由がないというべきである。 《以下、不作為の継続的不法行為と消滅時効の関連検討》[#3-3-2] (3)したがって,仮に,原告らの被告毎日に対する不法行為に基づ く損害賠償請求権が存在していたとしても,同請求権は,除斥 期間を経過したことによって消滅したものと認められる。[#3-3-3] 第4 結論[#4],{p65} 以上のとおりであって,原告らの請求は,その余の点について判断する までもなく,いずれも理由がないから,これを棄却することとして,主 文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第6部 裁判長裁判官 土肥章大 裁判官 田中寿生 裁判官 古市文孝
なお、訴えられた書籍の番号表記は、「文献目録リスト」別紙1、2,3に従って書籍名に換えました。
争点(3)(4)(6)に付いての裁判所判断が判決文にないのは、損害賠償の前提となる不法行為(名誉毀損、プライバシー権の侵害、敬愛思慕の情侵害)が認定されなかったから、と思われます。
争点(3)書籍の発行により,損害を受けたか、受けたとすればいかなる回復措置が講じられるべきか。
争点(4)原告らの損害賠償請求権について消滅時効が成立しているか。
争点(6)原告らは毎日の不作為により損害を受けたか。受けたとすればいかなる回復措置が講じられるべきか。
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