「百人斬り」東京地裁判決(部分-006)

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《争点(1):どこまでが事実の摘示で、どこからが論評か》 m&s
  1. 争点に関する当事者の主張
    • (1) 争点(1)について
      • (原告らの主張)

        「中国の旅」は,別表記事番号一の1の1,一の2の1及び一の3の1の各部分(*)において,

        • @賞がかかった上官命令により,
        • A両少尉が句容から南京城まで3回にわたって百人斬り競争をし,3度目は百五十人斬り競争であったこと,
        • Bその対象は中国人であって,戦闘中ではなく,平時の殺人ゲームであったこと,
        • C両少尉が,紫金山の時点において,向井少尉については195人,野田少尉については183人の中国人を殺害していたことを事実として摘示し,また,別表記事番号一の1の2,一の2の2及び一の3の2の各部分(*)において,両少尉が「捕虜据えもの百人斬り競争」をしたこと,本件日日記事の報道した「百人斬り競争」が「捕虜据えもの百人斬り競争」であったことを事実として摘示している。

          「南京への道」は,別表記事番号二の1の1,二の2の1及び二の3の1(*)の「百人斬り"超記録"」の見出し及び本文部分において,「百人斬り競争」が記録としてあったこと,両少尉が,捕虜虐殺である「据えもの百人斬り競争」をしたことを事実として摘示している。

          「南京大虐殺否定論13のウソ」は,別表記事番号三の「第6のウソ 「百人斬り競争」はなかった」の見出し及び本文部分(*)において,「中国の旅」及び「南京への道」に摘示した事実に加え,両少尉が「百人斬り」を認めていたこと,両少尉が互いに罪をなすりつけようとしたことを事実として摘示している。
      • (被告本多の主張)

        本件各書籍は,原告主張に係る事実を摘示したものではなく,両少尉の「百人斬り競争」について,種々の資料批判の上で,戦闘行為だけで多数の人間を斬ることは不可能であることから,捕虜や非武装者が相当含まれていると考えて論評したものである。

      • (被告柏の主張)

        本件各書籍がどのような事実を摘示したものであるかは,一般読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきところ,「南京大虐殺否定論13のウソ」の別表記事番号三は(*),本件日日記事から62年,両少尉の死亡から52年を経過した後に出版されたものであって,東京日日新聞が報道した「百人斬り競争」に対する否定論の論評を紹介した上,関連する資料を検討することによって否定論に反論し,「百人斬り競争」の実相を究明しようとしたものであって,全体が史料考証による論評という性格を有し,両少尉に対する人格的な非難を伴うものではない。

      • (被告朝日の主張)

        「中国の旅」は,別表記事番号一の2の2のうち第16刷以降及び別表記事番号一の3の2において(*),「捕虜を裁判もなしに据えもの斬りにすることなど当時の将校には『ありふれた現象』(鵜野晋太郎氏)にすぎなかった。日本刀を持って中国に行った将兵が,据えもの斬りを一度もしなかった例はむしろ稀であろう。たまたま派手に新聞記事になったことから死刑になった点に関してだけは,両少尉の不運であった。」旨記載し,「南京への道」は,別表記事番号ニの1の1,二の2の1及び二の3の1において(*),志々目彰が直接聞いたという野田少尉の言葉を引用した上で,「これでは,あの武勇伝も実は『据えもの百人斬り』であり,要するに捕虜虐殺競争の一例にすぎなかったことになる」旨記載しているところ,これらは,本件日日記事,志々目の話,鵜野晋太郎の「日本刀怨恨譜」に基づいて,両少尉の「百人斬り競争」について,白兵戦のような状況で自分が傷つかずに百人も斬ることは常識的には無理な話であろうとの趣旨で論評したものであって,「据えもの百人斬りをした」,「捕虜を虐殺した」との事実を摘示したものではない。

       
m&s

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