「百人斬り」東京地裁判決(部分-015)

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《弁論・陳述・証拠の紹介:第十六師団の行動》
  1. 争点(2)について・・・《本多著書:名誉毀損等であるか》
    • (1) 前記争いのない事実等に加え,証拠(各事実末尾に掲記のもの。)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

      《「事実が認められる」とは、記述あるいは陳述された事実が認められる、という意味で、それら事実の真偽をこの項で判断した訳ではない。ここでは原告、被告双方が主張の根拠として提出した証拠の要旨を、判断無しに整理して記載したものと思われる 》

      《 なお、要約されたとはいえ膨大な資料なので、「判決文の構成」の該当部分をまず参照することをお奨めします 》

      •   《 被告側資料または弁論による?第十六師団の行動 》
        昭和12年11月13日に白茆口付近に上陸した第十六師団は,退却する中国軍を追って西進し,同月25日,無錫東方約6キロメートルの東亭鎮の拠点を占領した(丁21)

        これに先立ち,軍司令官は,中国軍が無錫から依然常州及びその西方に向かい退却中であることを知り,同月22日,第十六師団及び第十一師団に対し,その追撃隊をもって常州に追撃するよう命じた(丁19,20)

        第十六師団では,無錫を占領した直後から,既に追撃隊の先発隊(冨山大隊及び歩兵第九連隊第二中隊)が中国軍を追って常州に向かっており,さらに,追撃隊主力(草場旅団長率いる歩兵第二十連隊の主力)が同月28日に無錫を出発して先発隊を追い,次いで第十六師団主力もこれを追った。追撃隊主力は,同月29日に常州を占領し,軍の命令で更に丹陽に向かい,第十六師団主力も,同月30日に常州に達した後,追撃隊主力を追って丹陽に向かった(丁14,19,21)

        同年12月1日,南京攻略の命令が下り,上海派遣軍は,同月3日,第十六師団に,句容―湯水鎮―南京道に沿う地区を南京に向けて追撃させた。第十六師団追撃隊は,これに先立つ同月2日,丹陽を占領し,同月3日,白兎鎮に進出し,同師団主力は,丹陽付近に集結し,同師団は,同日,上海派遣軍からの句容攻撃の命令を受けた。追撃隊主力は,同月4日,歩兵第九連隊の復帰を得て,一斉に行動を開始し,同日夕方には句容東方約6キロメートルの太平庄に達し,同月5日,句容付近に陣地を占領した中国軍を突破した(丁19ないし21)

        追撃隊主力は,途中,湯水鎮進撃の命令を受けたため,歩兵第二十連隊の一中隊と砲兵により句容を攻撃し占領させる一方,歩兵第二十連隊主力と歩兵第九連隊主力の二縦隊となって,句容付近から湯山拠点南北の敵外周陣地に向かって進撃した。追撃隊主力は,同月7日,湯水鎖を占領し,更に追撃を続行して,同月9日には上麒麟門に進出した。分進した歩兵第九連隊主力は,同月8日,大胡山隘路口において敵を撃破し,復興橋に進出し,また,歩兵第二十連隊主力も蒼波鎮に進出した(丁19ないし21)

        中島今朝吾師団長は,同月10日,南京城外の中国軍主陣地に対する攻撃命令を下し,右側支隊(歩兵第三十八連隊)については,上・下五旗―蒋司廟―玄武湖東方500メートル―南京城東北角を,右翼隊(歩兵第三十三連隊)については,下麒麟門―中山門を連ねる線を,それぞれ戦闘地境とし,追撃隊を左翼隊とした。しかしながら,この攻撃命令が追撃隊には伝わらなかったため,追撃隊は,蒼波鎮を出発し,右翼隊の戦闘地域とは知らずに,中山陵南東の稜線を目指した。同師団長は,同日,第一線の進出状況を把握して,両翼隊の戦闘地境を二二七高地−明孝陵北端−明故宮東北端(城内)を連ねる線に変更した(丁21)

        草場旅団長は,右第一線の歩兵第九連隊主力を掌握するため,左翼隊予備の歩兵第二十連隊第二大隊を率いて東凹子に移動し,両連隊の戦闘地境を東凹子--遺族学校--古物保存所(城内)の各南端を連ねる線とした。同月11日,左翼隊右正面では,歩兵第九連隊第一大隊主力が桂林石屋を南下して右第一線となり,冨山大隊が霊谷寺北側から進んで左第一線となり攻撃を行ったが,戦況は進展しなかった。同月12日,左翼隊方面は,砲兵の支援により攻撃が進展し,右第一線の歩兵第九連隊正面においては,第一大隊が中山陵南南西稜線を,冨山大隊が美齢宮をそれぞれ攻略した。同月13日未明,歩兵第二十連隊は,第八中隊の一部をもって中山門を占領し,第二大隊主力は衛岡に進出し,歩兵第九連隊は,師団予備の第二大隊(1個中隊)を増強され,これを右第一線に加え,第一大隊,冨山大隊をもって明孝陵以南の線に進出した。同日,南京城の中国軍が退却したことが判明した(丁14,19ないし21)
      • イ 以上の第十六師団の行軍経路の概略は,別紙図1「南京攻略作戦経過要図」及び別紙図2「南京付近戦闘経過要図」(丁20)に示されており,第十六師団の各部隊の行軍経路の詳細は,別紙図3「要図8第16師団の外周陣地突破経過要図」及び別紙図4「要図10第16師団主力の紫金山攻撃経過要図」(丁21)に示されている。また,第十六師団第九連隊等の部隊の行軍経路が,別紙図5「南京攻略戦経過要図」,別紙図6「大華山系・南京外周陣地の攻略要図」及び別紙図7「南京・紫金山攻略要図」(丁14)に示されている。
        《別紙図1〜7 南京戦の経過要図は「文献目録リスト」より、それぞれ(※)をクリックしてください》

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