「百人斬り」東京地裁判決(部分-016)

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《弁論・陳述・証拠の紹介:冨山部隊の行動(田中金平)》
      •  冨山大隊の動向について,同大隊の第三歩兵砲小隊に所属し,向井少尉の直属の部下であった田中金平は,「我が戦塵の懐古録」に「第三歩兵砲小隊は斯く戦う」を寄稿し,その中で,以下のとおり記載している(丁13)《これは何年の執筆なのだろうか?》
        「  
        連隊長片桐大佐
        大隊長冨山少佐
        小隊長向井少尉
        (中略)
        • 11月21日−26日 無錫附近の戦斗に参加
          常熟よりクリークを利用して 大発にて進む。敵の迎撃を受け展開。人力で舟を曳行前進する。射撃開始直後 第一分隊砲側に迫撃砲弾炸裂し 砲は破損分隊長山田金治郎伍長,四番砲手山添銀治郎上等兵,五番砲手橋本徳太郎上等兵 戦死。爾後南京入城まで第二分隊の砲一門で戦う。
        • 11月27日−30日 常州附近の戦斗
        • 12月1日−3日 丹陽附近の戦斗
          無錫駅を出て 鉄路沿いに人力搬送で急進する。
        • 12月4日 句容附近の戦斗
          丹陽を占領して 初めて予備隊となり 旅団長の指揮する草場挺身隊に編入され 句容より左第一線を 湯水鎮西方より南京に向い迂回前進する。
        • 12月6日 湯水鎮附近の戦斗
          至る所に 要害堅固なトーチカ陣地があり,湯水鎮前面の戦斗に於て師団長自ら野砲を指揮し 負傷されたとか 吾が前面にも各所にトーチカ陣地が張り回らされていたが 吾々の目的は南京に向って錐揉み突入するにあり,冨山大隊長も 強い所は避けて通るのが戦法と 迂回して進む。お陰で犠牲は少ないものの 道程は三倍以上ともなり吾々砲部隊の苦労は並大抵のものではなく 徴発使役した水牛が 分解した砲や弾丸を 脊にしばってよく急坂難路を登り 大いに助かった。
          紫金山山頂より 馬群高地正面へ展開する。
        • 12月9日−12日 紫金山附近の戦斗。
          馬群警官学校前台地に陣地侵入し,鉄条網で幾重にも守られた トーチカ陣地の台地に突入せんとする小銃部隊の支援射撃に砲門を開く。後方一千米の道路上に展開した野砲四十八門の一勢斉射と 敵の大口経砲の反撃は 将に壮絶。この間 紫金山山頂より掃射と敵台地よりの十字砲火に五番砲手 安福三郎上等兵 腹部貫通銃創にて戦死。
          警官学校台地の陥落により前進,忠霊廟 五重の塔と陣地を進め 夜に入り林森邸 の陣地攻撃 壮絶の夜戦に谷口重蔵一等兵戦死す。
        • 12月13日 南京城内の掃蕩戦
          中山門より砲兵営,玄武湖 玄武門へと掃蕩 引続き城外掃蕩
        • 12月15日 南京入城式  」

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