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本年士官學校を出たばかりで○○○りですからそれくらゐのことはやるでせう。この間來た手紙にも友達は皆○○たる武勲を立て新聞に書かれてゐるが自分はそういふ○○がなくて残念だと書いてゐました 」
九月十六日○○上陸以來十月十七日まで一ヶ月のうちに百○里を追撃。まるで急行列車追撃戰でした。そのうち小○○,中○,大孫村では私の部隊が土戰部隊になって戰ひ,幾多の戦友,部下を失ひましたが弾丸の下の度胸は十分に出來ました。○郷では神田部隊と一足違ひで皆と逢ふことは出來ませんでしたが,同期生の加隅少尉が悠々「城山」を吟じながら戰死したことや○○少尉が名誉の戰傷を受けたことを聞いてひとしは励まされ羨ましくも思ひました。同僚の中でも六車や山口は新聞などにも書かれるほどの手柄を樹てました。
これから○○の新戰場に向かひます。次に來るものは何かこれはかねてから覺悟してゐるそれです。ついでがあったら煙草(バツト)を送って下さい。なほ大阪毎日と鹿児島の新聞を一部づゝ送って下さい。ほとんど一月おくれの新聞を讀んでゐるし,戦線では新聞が何より樂しみです 」
と記載された上,
南京が陥ちて,斯んな目出度いことはありません。無論子供は陛下に捧げた軍人ですから,戦死は覚悟の上ですが,たゞ新聞にこんな風に書かれた以上,百人斬らんうちに死んだら残念だがと,そればっかりが氣掛かりでしたよ,刀は田代村で神官をやってゐる伯父の田代宮熊といふのが,出征前に贈ってくれたもので無銘でしたが,二尺三寸の業物です,あれは父に似て五尺二寸足らずの小兵ですので聯隊區司令部の岩山中佐殿が,君には長過ぎるぞといはれましたが,背に浴びるやうな長い奴を擔いでいきましたよ,ワッハッハッハー あれの気性ですからまだこれから働いてくれるだらうと,大いに期待して居ます 」
と記載され,野田少尉について,
と紹介され,その後,「野田少尉手記」として,
と記載されている(丁9)。
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