「百人斬り」東京地裁判決(部分-028)

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《紹介:向井少尉の答辮書11月15日の審問後に提出》
        • (エ) 向井少尉の答辯書(民國36年(昭和22年)11月15日の検察庭における審問の後に提出されたもの。甲26

          「  私は,国際検事団の不起訴書を所持していない理由として,これを日本政府内務省戦犯課に提出したことを思い出したので,この事情と併せて国際法庭において私が召喚尋問を受けた状況について,以下のとおり答弁する。

            私は,昭和21年6月下旬,東京復員局法務長から,「国際検事団から東京法庭に出頭すべしとの命令があるから直ちに市ヶ谷法庭に出頭すべし」との電報を自宅で受領し,同月30日に復員局法務部に立ち寄った。その際,法務部員は,審査終了して不起訴釈放となったときは,書類を交付されるので,当該書類を内務省戦犯課に提出するよう告げた。自分は,翌日東京国際法庭に出頭した。  」

          「  審査終了時,国際検事団検事は微笑して,『あなたを召喚する以前において新聞記者を喚問して審査した結果,記者の証言により新聞記事の百人斬り競争の真相は全く事実無根の作為記事であることが判明した。あなたの答弁した当時の状況と符合し,無根の真相が一層明確になり,何ら犯罪事実は認められない。』と言明し,『遠路来庭させて驚愕苦慮させましたが,本件に関しては再度喚問することはないのでご安心下さい。新聞記事によって迷惑被害を受ける人は米国にも多数ありますよ。野田さんは終戦時に満州で死亡したとのことで気の毒です。』と謝し握手して別れた。

            釈放の際,上記検事は,英文の書類に署名し,私に交付し,私は,復員局法務部の注意に基づいて,その書類を内務省戦犯課に提出し,引替に喚問の日当及び帰郷旅費を支給されて帰宅した。私は,英語を読めないので,その書類の内容が分からなかったが,その書類は日本政府内務省に保管されているので,調査されれば明瞭である。  」   《「内務省戦犯課に提出した書類」なるものは調査されたのか?》

          「  『句容の戦闘において累計が向井が八十数名,野田が七十数名斬ったとの新聞記事があるがいかがか』と質問されたが,それは事実無根である。私は,丹陽砲撃戦で昭和12年11月末ころ負傷した後は,一切の戦闘行動から離脱し,入院していた。野田少尉の属する冨山大隊の主力は,丹陽東方から遠く北方に迂回し,湯水付近に進出し,句容は通過していない。したがって,句容において不在人物である二人が百人斬り競争をできるはずがない。  」

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