「百人斬り」東京地裁判決(部分-030)

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《紹介:南京軍事裁判所における両少尉の最終弁論》
      •  両少尉の公判期日は,昭和22年12月18日と定められた。両少尉は,この公判期日までに,新聞記事が事実無根であることを証明する浅海記者の証明書が到着しないおそれがあるとして,同月10日,公判延期申請を行ったが,認められず,同月18日に公判が開かれた。南京軍事裁判所は,両少尉申請の証人を採用せず,両少尉が以下のとおり最終弁論を行った上,結審した(甲30,31,78,79)
        • (ア) 野田少尉の最終発言(甲30)

          野田少尉は,最終発言において,

          自分が中国人7人の生命を救助したことがあること,浅海記者と冨山大隊長の証人召喚を希望すること,百人斬りについて,大阪毎日新聞の記事は興味本位の宣伝的創作的記事であり虚報であるから,もっとよく調査してほしいこと,起訴された以上は物的証拠を示してほしいこと,新聞記事をもって法律上の証拠とした事例は世界にないことなどを指摘し,無罪を訴えた。

        • (イ) 向井少尉の最終辯論(甲31)

          向井少尉は,最終辮論において,

          自らの中支における行動として,丹陽戦闘で受傷し,入院した状況について再度指摘するとともに,浅海記者が創作記事を書いた原因として,向井少尉が冗談で,「花嫁の世話を乞う」と言ったところ,浅海記者が「貴方等を天晴れ勇士に祭り上げて,花嫁候補を殺到させますかね。」と語ったのであり,そこから察すると,浅海記者の脳裏には,このとき,既にその記事の計画が立てられたものであろうと思われ,浅海記者は,直ちに無錫から第1回の創作記事を寄稿し,報道しており,無錫の記事を見れば,「花嫁募集」の意味を有する文章があって,冗談から発して創作されたものと認められること,浅海記者は,創作記事に両少尉の名前を使用した謝礼として「花嫁侯補云々」の文章を付記したと思われること,浅海記者は無錫から南京まで自動車での行程と思われるので,第一線に来ていないことは明白であることなどを主張し,無罪を訴えた。

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