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志々目彰は,上記「中国」昭和46年12月号所収「"百人斬り競争"−日中戦争の追憶−」の中で,
野田少尉が帰国後の昭和14年春ころ,鹿児島県立師範学校附属小学校で行った講演を直接聞いたと述べ,野田少尉が,
「郷士出身の勇士とか,百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ・・・実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四,五人しかいない・・・占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから,ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片つばしから斬る・・・百人斬りと評判になったけれども,本当はこうして斬ったものが殆んどだ・・・二人で競争したのだが,あとで何ともないかとよく聞かれるが,私は何ともない・・・」 と話した
旨記載している(乙3)。志々目彰は,その陳述書においても,同旨の供述をしている(乙11)。
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※ 上記論考の詳しい紹介は、WEBサイト「対抗言論」にあります。=『志々目証言』
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