「百人斬り」東京地裁判決(部分-046)

| 前に戻る | 判決文の構成 | 凡例 | Searchに戻る | file-listに戻る | 次に進む |

《紹介:志々目彰「"百人斬り競争"−日中戦争の追憶」(雑誌「中国」)》
        • (エ) 志々目彰の論稿

          志々目彰は,上記「中国」昭和46年12月号所収「"百人斬り競争"−日中戦争の追憶−」の中で,

          野田少尉が帰国後の昭和14年春ころ,鹿児島県立師範学校附属小学校で行った講演を直接聞いたと述べ,野田少尉が,
            「郷士出身の勇士とか,百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ・・・実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四,五人しかいない・・・占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから,ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片つばしから斬る・・・百人斬りと評判になったけれども,本当はこうして斬ったものが殆んどだ・・・二人で競争したのだが,あとで何ともないかとよく聞かれるが,私は何ともない・・・」  と話した  

          旨記載している(乙3)。志々目彰は,その陳述書においても,同旨の供述をしている(乙11)

-----------------------------------------------
※ 上記論考の詳しい紹介は、WEBサイト「対抗言論」にあります。=『志々目証言』

| 前に戻る | 判決文の構成 | 凡例 | Searchに戻る | file-listに戻る | 次に進む |

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送