「百人斬り」東京地裁判決(部分-051)

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《紹介:六車政次郎「惜春賦−わが青春の思い出」と「野田大凱の思い出」 》
        • (ケ) 六車政次郎の著作等

          六車政次郎は,陸軍士官学校時代に野田少尉と同期生で,第一大隊の副官として南京攻略戦に参加しているところ,同人の著作である「惜春賦−わが青春の思い出−」には,無錫攻略戦について,

          「  軍刀や銃剣を振りかざしてあたかも忠臣蔵の討ち入りのように,『居るか!』『居らんぞ!』など声を掛けながら村内を進む。出合い頭に銃剣を構えた敵兵とぶつかる。中には軍服を脱ぎ捨てて逃げようとする敵兵や,降伏のそぶりをしながら隙をみて反撃してくる敵兵もある。そんな時には頭で考える前に軍刀を振り降ろしていた。  」

          と記載されている。なお,同書には,第一大隊の行軍経路がかなり詳細に記載されており,第一大隊がしばしば突撃戦に参加していたとされている(丁14)
            なお,六車政次郎は,昭和47年5月に発行された「鎮魂 第三集」(陸軍士官学校49期生会発行)「野田大凱の思い出」を寄稿し,その中で,

          「  北支に上陸してからは,別々の戦場で戦うことが多く殆ど顔を合わせることはなかったが,中支に転じて南京攻略を目前にした一日,南京東部の句容鎮付近で珍らしく一日だけ進撃の止まった日があった。聯隊本部へ命令受領に行くと野田君も来ていて,出征以来三ヶ月振りに会った。この時まで私はいつも聯隊本部から離れた第一線にいたので、新聞など見たこともなく,野田少尉と向井少尉との百人斬り競争の噂は知らなかった。戦斗の数は俺の方が多く,敵を斬った数も俺の方が多い筈だがとひそかに思ったものであった。  」

          と記載している(丁15)

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