マギー・フィルムとは?

"About Reverend Magee's Documentary"の要旨(日本語訳)
http://humanum.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NMMage.html
(Faculty of Arts, The Chinese University of Hong Kong のサイト)

  リバレンド・ジョン・マギーは、南京大虐殺を16ミリフィルムに撮影した。南京大虐殺を記録した唯一のフィルムとされている。

  リバレンド・ジョン・マギーは、英国国教会派の牧師で、1937年の日本軍による南京攻略の際に設置された国際安全区と呼ばれる地区を管理する、22人の西洋人の一人であった。彼は日本軍占領下にあって、国際安全区の赤十字責任者として、難民を日本軍の銃剣、銃殺、強姦から護ることに努めるとともに、多くの犠牲者を16ミリ白黒フィルムに記録した。また一方で、被害者がどうして傷ついたかを日記に書きとめた。これらは歴史的にも重要な虐殺記録となった。

  マギーのフィルムは、ドイツ大使ジョン・ローゼンの手でコピーされ、ドイツのナチ本部に送られた。ヒットラーに日本軍の非道を報告するためであった。

  一方フィルムは、米国人のジョージ・フィッチによって1938年、密かに米国に運ばれ、米議会、米軍、赤十字関係者に見せられた。撮影者の名は、マギーがまだ南京にいるため明かにされなかった。5月にはいくつかのシーンが写真となってLIFEマガジンに掲載された。米国立公文書館にある二つの「侵略される中国」というフィルムは、おそらくジョージ・フィッチが持ち込んだもののコピーだと思うが、大部分が欠落したものだ。

  日本と中国の研究者が関心を抱いたものの、フィルムの行方は杳として知れず。日本の極右勢力は、証拠がないから大虐殺はなかったといっていた。1990年にポツダム公文書館開設時にローゼン・レポートが出たが、フィルムがどこにあるかについては分からず仕舞いだった。

  フィッチの孫娘であるエディス・フィッチは、フィッチ氏の中国での活動に関するフィルム(※)を持っており、それには虐殺に関するものがあった。すでに、ロスのフィルム博物館に寄贈していたが、ニューヨークタイムスに掲載された「歴史と正義の中国人協会」の広告を見て、彼女はそのコピーを「南京大虐殺を思い起こす協会」に寄贈した。このことがきっかけとなって、マギーフィルム探しもはじまった。日本人リポーターたちも強い関心を示した。

  結局4ロールのフィルムは、息子であるデヴィッド・マギー氏の自宅から発見された。フィルムの状態は良く、上記の2つのフィルムよりも多くのことが記録されていた。リバレンド・マギーの日記によれば、犠牲者を助けることで余りにも忙しく、多くを撮影できなかった。彼がフィルムにとどめ得たのは、目撃したことのうちのごく僅かでしかしかない。

(※)これは、東中野氏がいっている「マリオン・フィッチ写真」のことかな、と思いましたがそうではなく、やはり映画フィルムだったのでした。しかし、上の記述には「写真の話」と「フィルムの話」の混同があるようです。 東中野氏の記述自体が、そうした混同に輪を掛けたものかも知れませんので、原著にあたって確認する必要があります。

ジョージ・フィッチと「彼の」フィルム
An e-mail from Sharon Kuykendall
Date: Wed, 17 Apr 1996 18:44:39 -0400

  ジョージ・フィッチが合衆国に戻り、多くの人にフィルムを見せたのは、一体何が起きているのかをアメリカの人に知らせるためでした。ちょうどその時、鉄くずの合衆国から日本への輸出の実行という時事問題がおこり、フィッチたちは、「鉄くずは兵器になり中国人や友人達に敵対する」ことを特に強調して、政府を説得しました。多くの人にフィルムを見せれば鉄くず輸出が止められると思ったわけです。

  残念にもジョージ・フィッチは体を壊し、上映のスケジュールがこなせなくなりました。彼は、一度上映会で出会った私の祖父Arthur N. Bierkleにフィルムのコピーを託したのです。私の祖父は既に、日本へのサポートに反対する活動に熱心でした。なぜなら、南京大学に1年学んだことを含めて1925-1933の間、中国で暮らしていたからです。かれは、フィッチが離脱せざるを得なかった場所、主に南カルフォルニアを選んで上映会を開いたのでした。

  月日がたって、私の母の家の地下室から見つかったフィルムは、Library of Congress film departmentに寄贈されました。そこでは、古くてボロボロになった13分のフィルムを補修し保存することが可能になり、永久収蔵品の一つになりました。私の家族の間で伝えられたことですが、これは、上海のコダック現像所で作られた4本のコピーの一つだということです。他の1本に関してですが、日本人女性に託され、すぐに日本に持っていかれたとのことです。日本人にこのフィルムを見せれば、今やっている聞くに堪えない所業を止めさせようとの声が、日本人の間からも上がるのでは、と信じられたそうです。しかしフィルムは失われ、2度と見つからなかったと聞いています。ウェブサイトへの記事掲載ありがとうございました。感謝申しあげます。

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