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  南島におけるキリスト教の受容 とほほ 2002/03/06 23:29:00  (修正1回)
  南島におけるキリスト教の受容2 とほほ 2002/03/09 05:41:43  (修正1回)
  tesggg とほほ 2002/12/02 01:23:03 

  南島におけるキリスト教の受容 とほほ 2002/03/06 23:29:00  (修正1回) ツリーへ

南島におけるキリスト教の受容 返事を書く ノートメニュー [問答有用(クマ板)へ]
とほほ <yclfglvbxs> 2002/03/06 23:29:00 ** この記事は1回修正されてます
「南島文化叢書6、南島におけるキリスト教の受容」安齋伸著 第一書房

先日、テレビをつけてみたら「秘祭」と言う映画をやっていた、もう終わりのほうらしくて最後の三〇分位だけ見た。沖縄の中にある小さな島が舞台らしい、ノロ信仰が強い島での話しで占いや呪いで島が運営されておりその祭りに関わる奇怪な事件に内地からの観光客や学校の先生とかが巻き込まれ最後は島のおそろしい秘密が、その秘密を知った主人公は、、、。
と言う内容らしい、最後を見た限りでは非常に陳腐なストーリーである、出演は大鶴ギタンとかバイショウミツコ(すみません漢字がわかりませんm(__)m )とか豪華キャストだしロケや製作にも金かけてるようだ。
「日本映画って時々陳腐な脚本に馬鹿みたいな金かけるからなー」と思った。

この映画を知っている人は とほほ が何を言いたいのかお気づきだろう、原作脚本は石原慎太郎であった(^○^)、、、(゜゜;)ハ゛キッ\(--;

さて、お馬鹿脚本家の映画評はさておき、ふと昔読んだ本書を思い出した、この映画の舞台となる、沖縄・奄美にはノロ祭祀制度と言う民間信仰がある、映画やドラマでも良く紹介されるのでご存知の方も多いだろう、本書は日本ではなぜキリスト教の受洗率が少ないのか?と言う疑問を持つ上智大学文学部社会学科教授、同大学院文学研究科社会学専攻主任(本書発行当時)であった著者が文部省科学研究費による沖縄総合調査の際沖縄奄美のカトリック伝播に興味を持ち「キリスト教の世俗化」と言う世界的な現象に対し南島におけるカトリックを題材に調査したものである。

なぜ南島をサンプルとしたのかは南島にはカトリック教徒が多く世俗化している傾向が非常に強いためである、ノロ信仰の強い南島でどのようにカトリックが受容されて行ったのかを知る上で貴重な研究である。
本書中特に奄美にある西阿室と言う村落を中心に調査している章がある、この村落をサンプルとした根拠は本書で詳しく触れているがここでは省く。実際には奄美ではカトリックより先に神道が島津の殖民支配時にノロ信仰を禁圧しており、ついで明治政府の圧迫、二次大戦時の国家神道により衰退から消滅へと進んで行く。

良く日本古来の八百神とかの自然神への信仰を根拠に神道を語る人がいるが神道がどのように権力に利用されそしてその八百神信仰を弾圧していったのか知る上でも本書はお薦めしたい、ある意味南島における宗教の変遷は日本宗教史全体の縮図を近代史の中に見ることが出来るのはないかと、考える。

が、民衆の信仰心と言うものはカトリックを例に取らずとも上からの弾圧で簡単に消滅するものではない、ノロ信仰は奄美にも生き続け神祭は村落祭祀として昭和初年頃まで営まれた、とある。

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西阿室におけるノロ制度の壊滅は時代の流れとともに変わっていった人々の心と生活によってもたらされたものと考えるのが妥当であろう。そのような方面からの要因としては種種推測されうるが、学校の普及と多くの出郷者による新知識の流入、大本教の移入と有力者への伝播、貧しい村落民にとっての祭祀集団や神祭維持の負担の重さ、他宗教を背景とする部落委員達の反対などがあげられる。整然とした教理体系を持たず、シャーマン的な巫女集団によって営まれる神祭は、近代的教養と科学知識の前には次第に子供だましの俗信とみなされるようになる。

本書176P
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と本書でもあるように八百神信仰のような民間信仰とその祭祀体系の衰退は近代教育と科学知識によると考える方が妥当であり、八百神信仰と神道を結び付け「日本には日本の神がいる、日本人なら云々」と言う言説はやはりトンデモと言える。

大正期に大本教団が全国的にも軍人やインテリ層に大流行している、後に皇道大本となる教団で国家主義的な教理を持つ教団であるが、この西阿室でも同時期に進出してきている、この際この大本教が村落の有力者層へ伝播しノロ祭祀はほとんど行われなくなる、がこの大本教も弾圧を受け衰退して行く事になる。

敗戦後信仰統制がとけ一時期西阿室ではノロ祭祀復活の動きもあったがカトリック信徒の村落委員と大本教の委員とが信教の自由を掲げ協力しこの動きを封じた。ノロ復活の際ノロ神となった老女は後にカトリックの洗礼を受け、グジュヌシの老人も創価学会に入信しノロ祭祀は消滅した。

他にも村落民の意識調査がありこの村落で多い三つの宗教団(カトリック、大本教、創価学会)の信徒と無宗教を表明する人別に色んな調査があるが、神様に祈るか?との設問にカトリックの中で「祈る」と答えた人の割合より無宗教表明者の「祈る」と答えた人の割合の方が多かったり(^^;色々と面白い統計調査がある。無宗教を表明する人の宗教観がどの団体にも属さない事、であり決して無宗教ではない事が窺い知れる。

カトリックの中に「神は一つ以上あるか?」の設問に「はい」と答える人も少数ではあるが居る、おそらくはノロ信仰の巫女であった人がカトリックへ改宗した場合そのような神概念になるのかもしれない。奄美で伝統的な神概念である「ニライカナイ」や「テルコ神」や「竜宮神」など、は調査当時でもほとんど消滅しているが、西阿室の調査では西阿室の伝統的な村落守護神オボツ神を拝むか?との設問に回答した74名中四名が肯定したわけであるが興味深いのはその内訳がカトリック教徒、大本教徒、その他の宗教、無宗教表明者、である点である

ま、本書は、昭和五十九年の発行、とあり20年近く前に書かれたもので過疎化の進む村落で対象が高齢者が中心であり現在とは全く事情も異なるかもしれないが、とにかく以前に問答有用で議論のあった「日本人の神概念」を考える上でも、「偶像崇拝とカトリック」を考える上でも面白い本であった。

  南島におけるキリスト教の受容2 とほほ 2002/03/09 05:41:43  (修正1回) ツリーへ

Re: 南島におけるキリスト教の受容 返事を書く ノートメニュー [問答有用(クマ板)へ]
とほほ <yclfglvbxs> 2002/03/09 05:41:43 ** この記事は1回修正されてます
南島におけるキリスト教の受容2
宗教伝播に関してその歴史を知る上でその時間スケールが余りに大きく現象面で宗教伝播と権力との関わりを検証するしかなく実際に宗教史とはその視点から書かれるものが多い(先の投稿で私が言及した手塚治氏の「火の鳥」「ブッダ」もその範疇にある)。

ここで南島における宗教史を題材にすることにより「宗教史の縮図」として大スケール宗教史の縮小モデルになるのではないか?との私の動議は近代現代史であれば資料も多く残存しより深い考察が為せるのではないか、との趣旨である。

実際に先の論考でも考えたが、権力の強制でその宗教が民衆に受け入れられる事は、現実問題として考えにくい、おそらくは宗教伝播のメカニズムはそのような単純なものではないであろう事は容易に想像できまいか?

宗教とはなんなのか?と言う問題を動議しているのである。人は宗教と切り離しては生存できない、とは私の持論ではあるが、ここで私の言う宗教とはおそらくは「無宗教表明者」の言う「宗教」とその定義は異なる。
宗教者、とは何らかの宗教義団体に所属しているか否かの問題ではないのである、人は科学者にしろ何にしろ何らかの宗教心を持っている、それが独自の宗教観であっても「宗教心」である事には変わらない。
その宗教心を深く考察するものが宗教家である。

私が無宗教表明者の危険性に危惧する所は、宗教対立を己のかやの外において議論してしまう危険性にある。「日本人は無宗教が多いので、宗教紛争とは関係ない」、アフガン介入にしても「日本はイスラムもキリスト教も関係ないから中立の立場で場を提供できる」と言う思考の問題性であり、アメリカもアフガンも素直にはこれを受け入れられない事に全く気がつこうとしない無頓着さである。

「無宗教とは無宗教と言う信仰」なのだ、と言う事を少し客観性を持って見てもらいたい、そうしてみれば宗教紛争とは無縁、と言うのが馬鹿げた言説であることが見えてこようし、宗教紛争とはその実態は何の事なのか?と言う事も理解できよう。
ここに理解のない限り何らかの宗教集団と「無宗教教団」との宗教紛争の危険性を認識できないのである。

さて、南島におけるキリスト教の受容2、では沖縄の宗教変遷を考えてみたい。
参照文献は前章同様「南島文化叢書6、南島におけるキリスト教の受容、安齋伸」である。先入観の排除の為に本書の説明を付け加えれば沖縄本土復帰後の南島文化への関心の高まりに呼応し関連諸学会の7巻からなる研究の集大成である。その第六巻が本書にあたる。
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本叢書は、これらの島々の重要な考古、歴史、民俗、宗教、言語などの諸領域に関する多彩かつ斬新な研究成果をとりあげ、組織的に編集したものである。
(南島文化叢書刊行の辞、より)
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戦後、沖縄に伝播した宗教団として「カトリック教会」「イエスの御霊教会」「創価学会」を本書では検証している。
1971年(昭和46年)文部省科学研究費による九学会連合沖縄調査、の一環として為された宮古島城辺町保良をサンプルとした調査によるとカトリックより以前に「イエスの御霊教会」の宣教が行われており保良村落においても全161世帯中8世帯がその信徒であった。沖縄でユタと呼ばれる巫女カンガカリャーの信奉者131世帯、カトリック教徒11世帯、創価学会員2世帯、無宗教9世帯である。

調査によるとイエスの御霊教会からカトリックへの改宗者が多いと言う事である、つまり根強いユタ信仰の土地で最初に宣教したのが「イエスの御霊教会」であるが、この教会がキリスト教諸教会の中でも非常に特異な教義を持つ教会でカトリックに限らず他宗教他諸派を徹底排斥し他宗教宗派の伝統的慣習を「偶像崇拝」として徹底的に攻撃否定する教団であった事に著者は注目している。

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日本で開教され、東京に本部を持つこの特異なキリスト教が、家庭における祖先崇拝の根強い沖縄において、入信者に位牌の焼却を命じ、社会的慣習となっている年忌行事の執行を拒否しながら、本部からの財政的援助も受ける事なく、入信者の献金で各地に教会堂を建て、これを維持し、沖縄の宣教を進める一方、ハワイ・北南米にまで宣教の手を伸ばしていることに、カトリックの調査と並行し、またこれとの比較において興味をそそられたのであった。(96P)
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キリスト教と言えば外国渡来の毛党の宗教とのイメージが大方の日本人の認識だと考えるが実は日本生まれのキリスト教もあって世界に逆輸出してたりする。

偶像崇拝を徹底して否定するこの教団がユタ信仰が土壌にある土地になぜ受け入れられたのか?
端的に言えばこのキリスト教はユタ信仰とあまりその宣教内容は変わらない、指導者は「異言」を唱え、肉体を癒すと言う奇跡を行う。
「受霊しますと、その口から外国語のような言葉が出てきます。これを聖書では異言と言い、御霊のいわしむるままに語る、自分でも分らぬ言葉であります」
「主行なわば 誰かとどめん 聖けき土地に 御殿たつ その名にイエスの 御霊ありて 奇跡と不思議ともなえり」

神学を廃し聖書のみに根拠を求めるこの日本産キリスト教はキリスト教の本場へも勢力を拡大している点は興味深い。
本書でのインタビューに答える当教会の牧師さんの話しの一部を以下に引用する。
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「ユタの迷信はただ禁止すればよいというものではありません。霊には霊、夢には夢、予言には予言と応ずる必要があります。
教会のある信者の妹が事故死をとげたときユタがその願いを告げ、この信者も動揺した事があります。
これが偽りであることを悟らせるには本人がこれを悟るだけの根拠を示さねばなりません。
<中略>
このようにユタのやることを、聖書にしたがってユタ以上にやることによって、ユタのところへいかずに教会に来るように指導するのです。」
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この引用では牧師さんの話しを大部分省略しどのようにユタ信仰を廃していったのかの部分だけ引用した、かれのキリスト教観はいわゆる日本人一般が持つものと同じで、キリスト教は一神教であるから多神教に受け入れられない、が根本にあるが、そのような事はない日本人でも絶対神を受け入れられる、つまり多神教の神々以上のものを見せてやれば良いのだ。

と言うことであろうと思う。なるほど私が先に提示した「日本人の神概念」らしい教理であると思う。マッカーサーが天皇の横に並んだ写真を見て、マッカーサー(アメリカ)が新しい神となる精神構造をよく表している。

これへの拒否が日本人=無宗教信者化を促進していったものと私は考える。

さて次章ではカトリックがどのように伝播していったのか、を見てみたい。琉球諸島軍政下にあってはアメリカ人といえども民間人や宣教師の入島が許されていなかった終戦直後に二人のアメリカ人宣教師の伝道から始まる。

  tesggg とほほ 2002/12/02 01:23:03  ツリーへ

Re: 南島におけるキリスト教の受容 返事を書く ノートメニュー [問答有用(クマ板)へ]
とほほ <yclfglvbxs> 2002/12/02 01:23:03
tesggg


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