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平泉澄に見る現在の修正主義運動


  平泉澄に見る現在の修正主義運動 第四期石器人 2002/09/16 20:20:43 
  私も、維新後軍事国家に傾倒していく過程の... とほほ 2002/09/18 18:31:00 
   └私も調査中です。 第四期石器人 2002/09/21 20:28:59 
    └この時期の徴兵忌避運動は幸徳秋水が次のよ... とほほ 2002/09/23 22:00:20  (修正1回)
     └>幸徳秋水といえば「橋のない川」と言う小... とほほ 2002/09/26 09:35:16 

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平泉澄に見る現在の修正主義運動 返事を書く ノートメニュー [問答有用(クマ板)へ]
第四期石器人 <irssnyejbj> 2002/09/16 20:20:43
平泉澄とは「天皇機関説」を排撃して「国体明徴運動」の理論武装を行った歴史学者である。
「天皇機関説」は美濃部達吉著『憲法撮要』で唱えられ、明治時代もっぱら一般に受け入れられていた思想であり、官僚登用の試験にまで度々登場した物であった。
これが攻撃を受けるきっかけになったのは、菊池武夫陸軍中将が昭和10年に国会で平泉の『十年前までは、自由主義の潮流激しく漲(みなぎ)り、加ふるにマルキシズムの風烈しく吹き荒 (すさ)んで、時には暗憺晦冥(あんたんかいめい)の状さへ呈したのであつたが、その中に於いて幾多の苦難を凌(しの)ぎ、一筋に国体の大義を明かにしようとして来た学士の純情は、之を知る者の回想して感慨やまざる所である。』を引用し、美濃部達吉を攻撃したのが始まりとなって、平泉が組織した右翼団体「朱光会」(平田俊春、村尾次郎、名越時正等)や在郷軍人会(莫大な軍事機密費がそそぎ込まれ、その資金を使って各種の右翼団体や学校教育に介入して、軍国ファシズムを流布した政治組織)が大規模な運動を全国で巻き起こし、『美濃部達吉は学術研究をしたために、最後にはそれを撤回し、非難が囂々と鳴る講堂で学生達に謝罪させられ、挙げ句の果てに逮捕された。』(美濃部達吉は明治憲法の護憲派であり、民主主義者ではなかった。それでも自由主義的傾向があったが故に攻撃された)
しかし、この国体明徴運動の本当の目的は『国家総歳出の46パーセント以上を占めている軍事費を削減する動きがあったのでそのグループを攻撃するために別の理由をこじつけた物であった』
当時、軍事費が国家財政を抑圧し、農村などの再投下社会資本が極端に制限され、農村経済は危機に瀕し、社会的不満は膨れ上がっていた。その原因と結果の関係を倒置し、国民を騙す手段として不可侵の天皇大権を侵害しているとして、国会唯一の権利(明治憲法下での国会の権利は唯一予算の決定に対する限定された権利のみであった)を軍部で壟断するチャンスとして利用し、農民を在郷軍人会で強力に組織化し支配しようとした。
5・15事件では、判決の日に傍聴席の老婦人が立ち上がって「裁判長様、この青年たちを裁かないでください」と涙ながらに訴えている。
農村の貧困は「膨大な軍事予算による農村社会への社会資本の還元的再投下がなされなくなったために(台風などで堤防が崩れても国家資本で改修がなされなかったり、5割程度の超高利貸しの横行も放置されていた)、発生していたのに、天皇大権を理由に軍事費の増大へ国民を誘導し、在級軍人会を利用し、陸軍人と農村の繋がりを強化し、『軍隊こそが農村を食い物にしているのに』老婆に「裁判長様、この青年たちを裁かないでください」言わしめたのである。

さて、その平泉の人となりと言うと、次の言葉で容易に判るだろう。
「百姓に歴史がありますか」「豚(百姓)に歴史がありますか」
彼の歴史認識は不思議なほどに歴史修正主義者と似ている。曰く、
「往々にして実を詮索して能事了(おわ)れりとした。所謂(いわゆる)科学的研究これである。その研究法は分析である。分析は解体である。解体は死である。−略−そは科学よりはむしろ芸術であり、更に究竟すれば信仰である。」(つくる会の教科書も最初は歴史は科学でないと書き、彼らは繰り返し「歴史は『物語(芸術)』である」と、唱えている)
この中で日本は集団ヒステリー・シンドロームを起こして、偏狭な排外主義、民族主義が勃興し、不安、恐怖、苛立ちの感情から来る自己陶酔型の行動とあまりにも主観主義的な見方に埋没していったことがわかる。

  私も、維新後軍事国家に傾倒していく過程の... とほほ 2002/09/18 18:31:00  ツリーへ

Re: 平泉澄に見る現在の修正主義運動 返事を書く ノートメニュー [問答有用(クマ板)へ]
とほほ <yclfglvbxs> 2002/09/18 18:31:00
私も、維新後軍事国家に傾倒していく過程の中には歴然とした歴史修正主義の台頭があった、と考えてます。一度体系的に書きこみをしたいな、と思っているんですがなかなか明治の時代と言うのは複雑で考えがまとまりません(^^;

平泉澄と言う人物も現在で言えば東中野修道等と立場的には同じなのでしょうね、ただ、明治期にはこうした修正主義を推進した明示的な政治勢力があります、山県有朋を中心とした一派であろうと思います。

軍事が国家財政を圧迫し昭和期には農業経済は完全に破綻しておりそれがゆえに外国を侵略せざるを得なかった。農民は海外に移民していくしかなくそれぞれの移民先で大変な苦労を強いられる事になるのだけど、日本という国家は自らの政策破綻はどこへやら移民の成功例を喧伝し、日本人の優秀性の証明としてそれさえもナショナリズムに利用する。

あまつさえ満州建国である、満州への半強制移民政策はようは経済破綻している農民に土地を与える、と称しロシア防衛線の構築に利用したに過ぎない。現在も翼賛体制の支持基盤が農民になっていることは決して偶然ではなかろう。農業とは「領土」が必要なのだ。

   └私も調査中です。 第四期石器人 2002/09/21 20:28:59  ツリーへ

Re: 私も、維新後軍事国家に傾倒していく過程の... 返事を書く ノートメニュー [問答有用(クマ板)へ]
第四期石器人 <irssnyejbj> 2002/09/21 20:28:59
私も調査中です。
明治36年に徴兵制度がしかれましたがこの頃は、まだ国民国家としての人民の理解は遠く及ばず、各地で徴兵忌避運動が頻発します。
 一八七三(明治六)年一月一〇日の最初の徴兵令にともなう混乱が、米価騰貴ともあいまって、福井、三重、岡山、鳥取などで起きたこの年半ばの新政反対一揆(血税一揆)となりました。(前年一一月二八日に発布された徴兵告諭のなかの「血税」という文字が書かれ、血税一揆と名付けられました)
山梨県の例をとれば「徴兵の事あるに方り訛言あり。其喩達に曰、処女を選み兵隊に組入られ、或は女の膏をとり外国に遣はさるゝ等昨今頻に流言し、是が為俄に婚姻を結び或は他方に身を隠す等間々狼狽の所業有之趣」とあり、血税という言葉が間違って受け止められ。また、国民皆兵制度の認識がなかった。(ただし、このときの徴兵制度は皆兵制ではなく、納税額などによる差別的な物だったが)
また、軍部に根強い「征韓論」が有り、明治時代から既に国防予算は総歳出の4割を占めていました。更に、産業の近代化を推し進める中で税負担は農民に押しつけられていくことになります。農民の小作化は進行し、小作人は地主からしかお金を借りることしか出来ず、大手銀行から地方銀行へ、地方銀行から高利貸しへ、高利貸しから地主へ、地主から小作人へ貸し付けられて、最終的には金利は5割近い物になっていました。
そして、この構造が財閥を形成していきます。
財閥は官業と繋がり、官の受注の多くは軍事物が中心で、戦争景気で膨張し、この時期の特需で新興企業は興りますが、戦後にすぐに国内需要が冷え込み、新興企業はこのときにどこかの財閥の系列に入らないと生き残れなくなります。これが財閥がどんどん膨張することに繋がります。財閥は国内消費に期待せずに、輸出に精力を注ぎ、近代化の恩恵は国内に還元されません。そして、それが「征韓論」に代表される帝国植民地主義に拍車をかけます。
山県有朋は日露戦争を主導しますが、結局、満州奥地に入るとすぐに危機的状態に陥り、最初の大言壮語を翻し、早期終戦に傾き、妥協的終戦に持ち込みます。この時期の徴兵忌避運動は幸徳秋水が次のように述べています。
「日本人は日清戦争に苦しい経験をしたことをモウ忘れて終つた様だが、アノ戦争はどういうものであつたかといふに、朝鮮の独立を扶け、支那の暴を懲らすといふのが目的で、所謂仁義の戦争で、世の人の嘆美した所であつた。然し矢張り理屈の上からいへば斯る立派な戦争であつたにも拘はらず幾多の兵士は其犠牲に供せられ若い労働者の子、百姓の子は殺された。前途有望な身を以て国家の為めに其楽しい生涯を棄てゝしまつた。[中略]日本の国家は重大なる損害を蒙つたのである。」

日本の朝鮮支配は暴虐の限りを尽くしました。
元々、植民地支配を裏付ける蓄積された帝国資本の無かった日本は、逆に朝鮮を資本収奪の場とします。(陸軍は主に農村出身者によって占められていたので、朝鮮移住を奨励し、拓殖会社を使って、奨励しますが、借金で雁字搦めになっていた小作人は土地を離れることが出来ませんでした)日本は日韓併合以前に、内政干渉の理由の為に買い取った仁川−ソウル間の鉄道建設を着工できないほど資本が不足していた。朝鮮総督府は朝鮮の国土の73パーセントの山野林の約55パーセントを接収され、100カ所を越える駐留軍の基地、国土の8パーセントの田畑を接収され、全土の45パーセント以上が接収されることになります。
更に、日本製品を買うように、農村で自給していた酒等の生産を禁止し、繊維生産に打撃を与え、日本製品を買わせ、物価指数は1914年を50として、1920年には122に上昇し、国家の資本を吐き出しきった朝鮮はこれ以降デフレーションに苦しみます。

この頃、日本の農民の家計をかろうじて支えていたのは、生糸生産で米国が最大の輸出国でした。(本業の農業で生活をするのは不可能だった)これも、米国の世界恐慌で消費が落ち込み、唯一の生活の糧である生糸生産が打撃を被ると、深刻な国家破産状態になります。(中国の日本製品ボイコット運動がインドに波及し、日本の輸出は殆ど望み薄になり、綿製品は原価割れで輸出する始末になった)

この状況下で帝国軍人の国民支配は「郷土軍人会」等が国防機密費を大量に流用して、農村の大地主と協力して農村の支配を強化していくことになります。
この中で、日露戦争期に日本陸軍の教育制度を作り上げた永田鉄山は日本陸軍内務教育を郷土軍人会(理不尽な体罰を通じて、絶対服従精神を植え付け、批判精神を矯め、思想教育を施す)を通じて、農村社会に全員参加型の民間教育。後には、一般学校教育へ広げていきます。

それでも、いよいよ農村社会が崩壊寸前になると、満州移民を行うようになり、これは同時に対ロシア防衛の駒としても利用されるようになります。

現在、私が調べたことはこれらと、当時の職業種別家計統計位ですね。
国家予算はワシントン体制下で28パーセントに成った他は、殆ど35パーセントから40数パーセントで推移し、絶えず、予算を圧迫し続けます。

    └この時期の徴兵忌避運動は幸徳秋水が次のよ... とほほ 2002/09/23 22:00:20  (修正1回) ツリーへ

Re: 私も調査中です。 返事を書く ノートメニュー [問答有用(クマ板)へ]
とほほ <yclfglvbxs> 2002/09/23 22:00:20 ** この記事は1回修正されてます
> この時期の徴兵忌避運動は幸徳秋水が次のように述べています。
>「日本人は日清戦争に苦しい経験をしたことをモウ忘れて終つた様だが、アノ戦争はどういうものであつたかといふに、朝鮮の独立を扶け、支那の暴を懲らすといふのが目的で、所謂仁義の戦争で、世の人の嘆美した所であつた。然し矢張り理屈の上からいへば斯る立派な戦争であつたにも拘はらず幾多の兵士は其犠牲に供せられ若い労働者の子、百姓の子は殺された。前途有望な身を以て国家の為めに其楽しい生涯を棄てゝしまつた。[中略]日本の国家は重大なる損害を蒙つたのである。」

幸徳秋水といえば「橋のない川」と言う小説でも紹介されている人物ですね(幸徳秋水、名は伝次郎)、天皇暗殺未遂事件の首謀者として処刑された人物と紹介されてました、この人の事も一度勉強してみます。

それにしても大変勉強になります、ありがとうございます。

     └>幸徳秋水といえば「橋のない川」と言う小... とほほ 2002/09/26 09:35:16  ツリーへ

Re: この時期の徴兵忌避運動は幸徳秋水が次のよ... 返事を書く ノートメニュー [問答有用(クマ板)へ]
とほほ <yclfglvbxs> 2002/09/26 09:35:16
> 幸徳秋水といえば「橋のない川」と言う小説でも紹介されている人物ですね、天皇暗殺未遂事件の首謀者として処刑された人物と紹介されてました、この人の事も一度勉強してみます。

ここを読む人に誤解があってはいけないので(^^;
幸徳秋水はテロリストではありません。
その名誉は既に回復されています。いわゆるアナーキストとしてその時代に存在した人間だと思います。無政府主義と単純に評価されますが「無政府主義」と批判されているだけです。実際「無政府主義」と言う言葉は体制を批判する人々に対してなされる罵詈雑言であることは今も昔も変わりません。

ただ「無政府主義」と指摘された時、指摘されたものは「そこに理想がある」と直感しているので反論しないのです。アナーキズムの理想は決して人類が破棄すべき思想ではないです。


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