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北村稔批判その1


  北村稔批判その1 タラリ 2002/10/16 01:06:32 

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タラリ <vgezpxzsqe> 2002/10/16 01:06:32
北村稔著「『南京事件』の探求」は「虐殺の有無を性急に論ずるのではなく、大虐殺があったという「認識」がどのように出現したか」を探求したというふれこみであった。その努力の大きな部分をマンチェスター・ガーディアン特派員Timperley、ティンパリーの果たした役割に求めている。彼が国民党中央宣伝部顧問についたという「新発見」が大虐殺の認識過程のエッセンスであり、櫻井よし子が絶賛する由縁でった。

 #本書ではティンパーリーと表記するが、Chamberlain→チェンバレンなどを考えてみてもティンパリーと伸ばさない方が原語に近いであろう。

ティンパリーはロイター社駐北京記者、後マンチェスター・ガーディアン及びUP駐北京記者であった。宣伝処とティンパリーとの接触は南京陥落後に始まった。宣伝処の曾虚白は中国人が表に出ることなく「抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定」し、人選を考えた末、「金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行すること」をティンパリーに依頼した。

宣伝処の顧問に就任したことを知るやいなや、北村はティンパリーの行動すべてを国民党政府の宣伝目的と結びつけるという、偏見に満ちた解釈を開始するのである。

「彼の書いたWHAT WAR MEANSは左翼の書物を扱う出版元から出された」「本の目的は南京事件を世界に知らしめて欧米を日本に敵視させることである」「南京事件を海外に伝える電報が上海の日本の当局によって検閲され差し止められたのは、そうなることを予期してわざと悶着を起こそうとした」「マギーの撮影したフィルムをフィッチに運ばせ、ベイツを通じてアメリカ国内で宣伝させた」などなど。

「彼は金は持っていたはずがないから国民党から渡された金で動いたに違いない」「彼に協力した人たちにも金を渡したに違いない」。フィッチの回想録で「(フィッチは)不思議なことに、上海で行ったはずのティンパーリーとの協議については何も語らない」
北村にとっては「語られない」こともまた秘密の協議の証拠になるのである。

私は思うのだが、当時の国民党政府はまだ革命からまもなく若い政府を発展させるため各部門においてイギリス人、アメリカ人、ソ連人、ドイツ人などのお雇い外人を多く抱え、ドイツには軍の装備・指導も仰いでいた。各国は国民党政府に協力することで影響力を強め自国の権益、政策を守ろうとしていた。

その中にあって宣伝部の顧問を外人に依頼したのは特段不思議なことでも何でもない。国民党政府が優勢な軍事力を持つ日本相手に戦うため、是非とも欧米からの協力を獲得するための宣伝工作をしたのは当然である。

南京市内にあって悲惨な光景を目のあたりにしたティンパリーにとっては日本軍の暴虐を国際的に報道するのはジャーナリストの使命と感じたであろう。

ティンパリーの行動が国民党宣伝処の謀略に沿ったものかどうかを検証するには2種類の証明が必要になる。ひとつは国民党宣伝処の性格、規模などの全体像であり、北村が決めつけるような謀略機関のようなものだったのか、ということである。

規模については北村自身、宣伝処の文書を引用して小さいものであったと記している。その活動の全体像についての解明はない。この本に記す宣伝処の具体的な活動内容はほとんどティンパリーを介した活動だけなのである。宣伝処の活動が謀略に満ちたものとの先入観によって、ティンパリーに対する出版の援助を謀略的なものと断じているに過ぎない。
もうひとつはティンパリーの著作に虚偽や大げさがあったのか、どうかの検証である。そのためには彼とともに南京で事件を観察したベイツやラーベなどのよく知られた著作の記述と比較することが必要であるが、これらの作業をまともにした形跡もない。

国際宣伝処の曾虚白は「わが軍の英雄的な戦いを描き、敵の残虐な様子を宣伝すること」を宣伝工作の方針にしたのであるが、「幸いにも日本軍のほうから(南京事件を通じて)残虐であることの材料を提供してくれたので、手間が要らなかった」というのである。挙げ句に北村自身ティンパリーの著作が大筋で嘘のないことさえ認めているのである。

北村の特異な認識を彩るものに彼のジャーナリズムに対する偏見がある。「日本人の場合は例外だが、『世界の常識』に従えば、新聞記者の仕事はその性質上、情報工作(諜報といってもよい)と容易に関係してしまうものである」。実際は有力通信社の配信するニュースはその国籍によって国益と現在より強くリンクしていただけの話である。しかも北村は上海における日本当局の検閲や日本が編集した中国国内向けの中国語の新聞「新申報」については「例外」であると除外するのである。

史料(歴史資料)というものは常にその時代、その事件に対して一つの史料群として存在するのである。そして一つの史料はその史料群の中にあってその史料価値を判定されつつ読み解かれなくてはならない。けっしてその時代、事件を解明する鍵となる「重要史料」によって他の多数の史料の価値が判定されるようなものではない。

北村はこの史料の扱いにおいて偏見によって読み解くことにより、自らの偏見を再確認し、強化し、「新しい」歴史認識を創作した。この本は新たな歴史認識を我々に啓示するという意味では何ら意義のないものである。しかし、歴史改竄がどのように出現するかということを読み解く上では貴重な材料である。


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