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  12月13日昨日は南京陥落の日 とほほ 2002/12/14 01:57:51  (修正3回)
  東京裁判における検察側証人の偽証を検証〜... ookumayuusuke 2002/12/14 20:18:15 
   ├〜尚徳義の場合〜 ookumayuusuke 2002/12/14 20:20:45 
   │└証言を読むときは、まず証言の合理的な解釈... タラリ 2002/12/16 17:16:21 
   ├許証人は法廷において、「武器を携帯して居... とほほ 2002/12/14 20:40:12 
   │└ならば、許証人は中国敗残兵の遁入を知らな... ookumayuusuke 2002/12/14 21:20:47 
   │ └ならば、許証人は中国敗残兵の遁入を知らな... とほほ 2002/12/14 21:35:07 
   └許証人は法廷において、「武器を携帯して居... K−K 2002/12/15 01:06:07 

  12月13日昨日は南京陥落の日 とほほ 2002/12/14 01:57:51  (修正3回) ツリーへ

12月13日昨日は南京陥落の日 返事を書く ノートメニュー
とほほ <yclfglvbxs> 2002/12/14 01:57:51 ** この記事は3回修正されてます
12月13日は南京が陥落し本格的大虐殺が展開されていった、象徴的な日です。

この日私は中国から来ている幸存者(と、中国では呼ばれているそうです)の証言集会に参加してきました、夏淑琴さんと言う方の証言集会で彼女の証言は私のHP
http://www.ddt.or.jp/~tohoho/talk/nankin.htm#nan4
にも掲載させてもらっています。

幸運にも集会前にロビーで一服していましたら写真等でお顔は存じ上げていた夏さんが私の隣に座っていて言葉は通じないのですが(^^;、なんとか握手をさせてもらいまして何日かは手が洗えない状況にいます。(名刺までいただいたぞ(笑) )

南京大虐殺で犠牲になった大勢の無辜の民の方々中国軍民日本軍民へ哀悼の意を表します。

  東京裁判における検察側証人の偽証を検証〜... ookumayuusuke 2002/12/14 20:18:15  ツリーへ

Re: 12月13日昨日は南京陥落の日 返事を書く ノートメニュー
ookumayuusuke <snqgzmpety> 2002/12/14 20:18:15
東京裁判における検察側証人の偽証を検証〜許伝音の場合〜

 許伝音(南京紅卍字会副会長、イリノイ大学哲学博士、国際委員会の家屋に関する委員会委員長)の証言概要
「此の家屋委員会は一つの規則を持そて居りまして、武器を携帯して居る者は此の安全地帯に入ることを許されなかったのであります。さうして又如何なる人にもあれ、武装して居る者は此の中に入って行くことをも許されなかったのであります。兵隊も入って来ることを許さないと云ふ規則があったのであります。十二月十四日の朝八時頃、地位の高い日本の将校が国際委員会の本部に入って参りましたのでありますが、其の時丁度私だけが此の本部に居ったのであります。此の日本将校の目的は安全地帯を捜索する許可を得たいと云ふことでございまして、さうして彼の申立てましたのは、安全地帯に支那の兵士連が隠れて居ると云ふことでありました。ラビー(John H. D. Rabe)氏もフィッチ(George A. Fitch)氏も私も共に此の申出を拒みまして、さうして此の安全地域内には、一人も武器を携帯して居る中国兵士は居ないと云ふことを申したのであります。それにも拘らず次の日、日本将校及び兵士達が参りまして、さうして此の「キャンプ」や或は私人の家から兵士であると云ふ名目の下に人々を連れて行かうとしたのであります。
 婦人に対して執った日本兵の行動は、前述のものより更に悪く、文明の世界に於ては到底夢想だに出来ないやうな程度のものでありました。日本兵はさうして女が非常に好きで、信ずべからざる程の女に対する嗜好を示して居りました。日本兵が「キャンプ」にやって来て女を連れて行き、さうして強姦する時には、必ず私の所に先づ最初にやって来たのであります。私は日本兵が婦人をどう取り扱ったか、多くの場合を知っている。
 或る場合には日本兵は浴場で中国婦人を強姦したのであります。私が其の浴場に行った時、着物が外に掛けてあり、「ドアー」を押して入ると、裸の女が泣いて非常に悄然とした姿で居りました。
 非常に尊敬すべき一家の家族があったのであります。彼等は船に乗って河を横切らんとした時、河の真中で日本兵に止められたのであります。是等の日本兵は此の船を検索しようとしたのであります。さうして若い女二人を見て強姦を始めたのであります。而も老人の見て居る前で、更に而も二人の一人は、自分の主人が見て居る前で強姦されました。強姦してから是等の日本兵は其の家族の老人に対して大変面白いぢゃないかと申しました。さうしました所、此の老人の息子であり、さうして是等の婦人の一人の夫であった者は非常に怒りまして、日本兵を叩き始めました。此の老人は此のやうなことに我慢出来ず、さうして又難かしいことになると云ふことを恐れて、河の中に飛び込みましく。さうしますと彼の年取った妻、又此の若い夫の母親である婦人は泣き始め、さうして彼〈女〉も夫に次いで河の中り飛び込みましく。私は一寸申すことを忘れましたが、日本兵は此の老人に対して面白いぢゃないかと申しました時、実は此の老人に若い女を強姦することを勧めたのであります。若い女達は之を聞いて驚き、河の中に飛び込みました。斯くして一家全部溺死してしまったのであります。」

  許証言の検証
 許証人は法廷において、「武器を携帯して居る者・・・・・兵隊も入って来ることを許さないと云ふ規則があったのであります。」と安全区内への中国敗残兵の遁入を否定している。
 しかし、ニューヨーク・タイムズのダーディン 記者は「12月12日の夕方には中国軍は安全区全体にひろがり、多数の者が一般市民から便衣を盗んだり、・・・・・」と報じている。
 さらに米国南京副領事、エスピー氏も本国政府へ「・・・・・市内に残った 中国兵の数は把握されていないが、軍服を脱ぎ捨て、市民の服に着替え、市民に混入 したもの、ないしはどこかに潜んだ者は、数千人はいたにちがいない。」と報告している。
 しかも、それらをはっきり裏付ける次のような事実がある。
 許証人同様東京裁判に出廷し証言している中国軍陸軍軍医大尉、梁廷芳は、「日本軍が同市を占領しました時は庶民服を着て避難民収容所に居りました。十六日に我々は南京にある揚子江岸の下関に赴く様に日本軍に命ぜられました。私は、四列に並んで五千人以上の者が行進して・・・」と証言している。
 また、難民区の掃蕩に専従していた歩兵第7連隊の戦闘詳報が示すように、同連隊の莫大な鹵獲品である。(詳細は偕行社刊「南京戦史資料」にあるが、あまりに莫大であり、敗残兵や便衣兵が全く戦意の無い従順な非戦闘員でなかったことは明白である。
 許は、「・・・・・日本兵が「キャンプ」にやって来て女を連れて行き、さうして強姦する時には、必ず私の所に先づ最初にやって来たのであります。」というが、どうしてそのように特定して断言できるのであろうか。
 ついで許は「或る場合には日本兵は浴場で中国婦人を強姦したのであります。私が其の浴場に行った時、着物が外に掛けてあり、「ドアー」を押して入ると、裸の女が泣いて非常に悄然とした姿で居りました。」と証言している。人が泣く理由については限りなくある。裸の女が風呂場で泣いていたというだけでどうして日本兵に強姦されたといえるのか。女の衣服が風呂場の外に掛けられておれば、中には裸の女がいる筈であるのに、男が無断でドアーを開けるような無作法なことを中国ではやるのか。
 船の中での日本兵の強姦容疑事案については、パル判決書は、
「・・・・・船頭の話を受け入れることは実際容易にできることであろうか。その場にいたのはほんの2名の日本兵だけであった。他方強姦された娘達、彼女らの父親および1人娘の夫もいた。そこには船頭自身も勿論いたのである。その一家全体は生命より名誉を重んじた。その一家全体は河の中に飛び込んで溺死してしまった。こんな家族である以上、両親および1人の夫の目の前で娘達を2名の兵隊が強姦しえたであろうか。どうして許博士はこの話の中に真実らしくないものを認めなかったのであろうか、彼は船頭が長い間紅卍字会に関係していたから、この話を真実の本当のものとして、我々に与えることが出来るという訳になるというのであろうか・・・・・」と述べられている。
 まさに核心を衝いた反論であるが、更に別の角度から証言内容を検討してみよう。
 その河が揚子江であるか、その支流であるか定かでないが、少なくとも飛び込めば一家全員溺死するほどの水量であれば相当の大河であることは想像に難くない。そうであれば2人の日本兵はどうして河の真ん中まで来られたのか、まさか泳いでとは考えにくいので船を利用したものであろう。船であったとすればその船はどうしたのかという疑問が起こる。
 そこは戦場である、敵地である。1人や2人の別行動は即、戦死を意味する(特に中国では便衣兵によるものが多い)。たとえ船が調達できても遊覧などできる環境ではない。軍用船による公務中(実際には1人や2人でやる筈はないが)であったと仮定しても、紅卍字会の船に乗り移ってから自分達の船はどうした。突き詰めていくと話は無理から無茶になる。
 それにも増して決定的な嘘がある。それは日本兵と中国人との間に交わされたと言う会話である。つまり日本兵は一体何語で中国人に話しかけたのであろう。日本兵が日本語で話し掛けたとすれば、相手はどうしてその意味を理解しえたのであろうか、簡単な単語と手振り身振りで、ある程度の意味は通ずるものの、「大変面白いぢゃないか」と言うような意味の複雑な言葉、それが、老人に娘を強姦するよう勧めたことを意味するなど到底判る筈がない。それでも逆に日本兵が中国語を使ったらと屁理屈を並べる者があるとすれば、かえってこちらから尋ねたくなる。
 戦前、戦中の日本人で中国語を勉強する人はごく限られた特定例外であった。もし、日本兵が中国語を使ったとすれば一体何処の中国語で喋ったのであろうか、言語学的に中国語という言葉はないといわれる。中国における少数民族の全てを除いても、北京語、上海語、福建後、広東語・・・・・、漢民族だけの言語も20を越えるという。しかもそれらは全く異なる言語で、お互い同士話し合っても通じない筈である。ここまでいえば、これ以上の多弁は必要ないと思う。

   ├〜尚徳義の場合〜 ookumayuusuke 2002/12/14 20:20:45  ツリーへ

Re: 東京裁判における検察側証人の偽証を検証〜... 返事を書く ノートメニュー
ookumayuusuke <snqgzmpety> 2002/12/14 20:20:45
   〜尚徳義の場合〜
  尚徳義(南京在住雑貨小売業者) 
 私は一九三七年に『上海路華新巷一号』(避難民地区内)に住んで居りました。其年の十二月十六日午前十一時頃日本の兵隊(中島部隊の兵かと思はれます)に依りて拘引せられました。同時に拘引せられましたのは、私の兄徳仁、元嘉興航空站書記を勤めて居たもの、又私の従兄徳全、元絹物商なりし者、及氏名不詳の隣人五人とでありました。二人づつ一本の縄を以て手を縛り合され、揚子江岸の下関に連行されました。其処には千人以上の一般男子が居りました。皆座はる事を命ぜられました。其私達の前四、五十ヤード(注・約36メートルから45メートル)の所には、十余基の機関銃が私達に面して居りました。四時頃になって一人の日本将校が自動車に乗って来まして、日本兵に私達に対して機銃射撃を始める様命令しました。射撃に先だって私達は起立を命ぜられました。私は、射撃の始まる直ぐ前に地上に仆れました。忽ち私の上に屍骸が覆ひ被さりまして私は気を喪ひました。
 約五分後に私は死骸の山から這ひ出して、さうしてそこから逃げ私の家に帰ることが出来ました。

  尚証言の検証
 尚承認はまことに調子よく逃走できたものである。射撃直後にうまく倒れた。覆い被さる死体の中で失神。その間わずかに5分、4時(午後であろう、連行初めが午前11時頃であるから)は冬でもまだ明るい。眼前50メートルに足りない近距離に十数基の機関銃を配列している日本兵の目をどのように潜って逃げることができたのか。更に下関は城外である。日本兵が厳重に警備している何処の城門をどのようにして通り家に帰ることができたのか、まるでマジックである。
 次は、尚証人を連行した日本兵は「中島部隊の兵かと思う」ということについてである。上海派遣軍および第十軍を通じて、「中島部隊」と呼べるのは第16師団(師団長、中村今朝吾中将)だけである。
 12月16日は、第7連隊による難民区掃蕩の最後の日で、それ以外、分けても第16師団は城外掃蕩に出ており、城内掃蕩はやっていない。
 尚、第16師団の城内掃蕩は12月13日と14日のみ。中山東路以北、中山路以東であり、その他は第9師団の担当。
 第16師団は15日と16日に城外掃蕩、これは17日に湯水鎮より軍司令部(上海派遣軍、中支那方面軍)が中山門へと入城式をするため、途中に敗残兵が出ないように掃蕩。
 以上、全く根拠も理由もなく、名指しで「中島部隊」についての証言を弄するは、第16師団の下関における激しい追激戦を、虐殺にすりかえようとする意図が見え見えである。

   │└証言を読むときは、まず証言の合理的な解釈... タラリ 2002/12/16 17:16:21  ツリーへ

Re: 〜尚徳義の場合〜 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2002/12/16 17:16:21
証言を読むときは、まず証言の合理的な解釈をしようという気持ちで読まなくてはな
りません。というのは、人の言葉なり記録されたことというのは、ある程度の多義性、
ある程度の不確定性というのが必ずあるからです。

新聞やテレビの報道する事件などでもそういうことは無数にあります。そして私たち
は通常は理解可能なように多少の解釈を施しつつ、読んだり、聞いたりしているはず
です。それをあえて矛盾、不審な点を探そうとすれば必ずそういうものはあるわけで
す。例えば爆笑問題などはそういう矛盾、不審な点をほじくり出してはお笑いのネタ
に変換しています。

この証言は裁判の証言であり、法廷の陳述です。この場合、時間の経過を時刻を詳述
しつつ、証言するということは慣れたものでないと難しい。私たちが普通に話してい
るときでも、ある行動を述べ、また次の行動を述べるときには言外に時間の流れがあ
るということが非常に多くあります。その時間の経過はその行動内容によって判断す
るしかありません。

#私は、射撃の始まる直ぐ前に地上に仆れました。忽ち私の上に屍骸が覆ひ被さりま
#して私は気を喪ひました。
# 約五分後に私は死骸の山から這ひ出して、さうしてそこから逃げ私の家に帰るこ
#とが出来ました。

「気を喪う」の後にはそれから数時間経っているということが省略されています。気
を喪っているので、その間の時間の経過について述べることが難しいわけです。「約
五分後」というのは意識を取り戻して「五分後」ということだったのです。

「ああ、私はすんでのことで殺されるところだったのだが、まだこうして生きている。
死体が私の上に折り重なっているが、どこも撃たれてはいないようだ。日本兵はまだ
いるのであろうか。もう暗くなっており、どうやら日本兵の気配もしない。このまま、
ここにじっとしていてもしようがない。危険はあるが直ちに逃げ出そう」。

こんなことを五分間の間に考えたと思われます。

この証言に対してはいきなり「五分間」というところが唐突ですが、「気を喪ってい
た空白の時間」を正しく表現しているとも読めます。これに対して弁護人は特に反対
尋問をしなかったようです。それは質量ともに圧倒的な証言があったために見逃され
たことがひとつと、反対尋問をしても私が示したような再証言が出るという予想が容
易だったため見送られたことの双方の理由でしょう。

また、証人が「十六師団と思われる」と発言したのはまさにそう思ったというだけで
あって、これをもって「偽証である」とも「矛盾がある」とも言うことはできません。
また、

>「中島部隊」についての証言を弄するは、第16師団の下関における激しい追激戦
を、虐殺にすりかえようとする意図が見え見えである。

証言にはどこにも追撃戦のことは述べておらず、「下関における追撃戦を虐殺にすり
かえる意図がある」などとはまったくもって見当違いの非難です。

   ├許証人は法廷において、「武器を携帯して居... とほほ 2002/12/14 20:40:12  ツリーへ

Re: 東京裁判における検察側証人の偽証を検証〜... 返事を書く ノートメニュー
とほほ <snqgzmpety> 2002/12/14 20:40:12
> 許証人は法廷において、「武器を携帯して居る者・・・・・兵隊も入って来ることを許さないと云ふ規則があったのであります。」と安全区内への中国敗残兵の遁入を否定している。

最初から間違ってます。
そういう規則があった、そして我々は安全区内には敗残兵はいない、と日本軍に言った。と言っているのであり、偽証でもなんでもありません、実際に中国兵が逃げ込んでいる事とは何の関係もなく許伝音は「中国兵は安全区にはいなかった」などと主張しているわけでもありません。

あまりにくだらないので片っ端から削除しているのですが、あなたもしつこいですね。いいかげんにしなさい。ookumaさんの出入りを今後お断りします。

   │└ならば、許証人は中国敗残兵の遁入を知らな... ookumayuusuke 2002/12/14 21:20:47  ツリーへ

Re: 許証人は法廷において、「武器を携帯して居... 返事を書く ノートメニュー
ookumayuusuke <snqgzmpety> 2002/12/14 21:20:47
 ならば、許証人は中国敗残兵の遁入を知らなかった、といいたいのですね。反論はこれだけですか。
 他にも、2人ともいくら大量に出血しても絶対に失血死しない、絶倫の体力の持ち主である、伍長徳、梁廷芳 両証人の空想の世界では成り立っても、現実には絶対にあり得ない証言や、まことに幸運な陳福宝の証言を検証する予定ですが、もう少し付き合ってみませんか?

   │ └ならば、許証人は中国敗残兵の遁入を知らな... とほほ 2002/12/14 21:35:07  ツリーへ

Re: ならば、許証人は中国敗残兵の遁入を知らな... 返事を書く ノートメニュー
とほほ <yclfglvbxs> 2002/12/14 21:35:07
>ならば、許証人は中国敗残兵の遁入を知らなかった、といいたいのですね。反論はこれだけですか。

反論?
反論なんか必要ないのよ(^^;間違っているのがわからないのはあなたのおつむの中だけですから。
中国兵が逃げ込んでいようがいまいが、日本軍を中へ入れないようにしたのよ。それを証言しているの、法廷に対して中国兵が中に逃げ込んではいない、と証言しているんじゃないの、わかる?
大体法廷は中国兵が安全区に逃げ込んでいることは知っているの、いろんな人がそう証言しているんだから。

> もう少し付き合ってみませんか?

あなたがやるべきことは他にあります。自分の立てたスレッドにきちんと反論していきなさい。それ以外の投稿は先にも警告したようにお断りです、言うこと聞かないとプログラム的に立ち入り禁止にしますよ。

   └許証人は法廷において、「武器を携帯して居... K−K 2002/12/15 01:06:07  ツリーへ

Re: 東京裁判における検察側証人の偽証を検証〜... 返事を書く ノートメニュー
K−K <ecoepxmujl> 2002/12/15 01:06:07


> 許証人は法廷において、「武器を携帯して居る者・・・・・兵隊も入って来
>ることを許さないと云ふ規則があったのであります。」と安全区内への中国敗
>残兵の遁入を否定している。

 許伝音氏は、敗残兵の遁入を否定しているのではなく、規則について述べているようです。


> しかし、ニューヨーク・タイムズのダーディン 記者は「12月12日の夕方
>には中国軍は安全区全体にひろがり、多数の者が一般市民から便衣を盗んだり、
>・・・・・」と報じている。
(略)

 彼等安全区委員会の認識として、非武装の兵隊を受け入れていました。つまり、敗残兵が進入したとしても、非武装であれば先ほどの規則に違反しないと考えていたようです。
---- 引用 ----
●伊藤弁護人 証人は午前中避難所の中に居ったものの中には軍人は一人も居らなかったと言はれて居りましたが、其の通りでしたか。
●許証人 避難所の中には兵隊、即ち武装したり、武器を持った兵隊が一人も居なかったと云ふことは私は茲に断言出来ます。何となれば委員会の規則に依りますと、武装をして居る兵隊は避難所の中に入って来ることが出来ないのであります。若し武装した兵隊が避難所の中に入って来る場合には、武装を解除した後に入って来ると云ふことになって居るのであります。
〔伊丹モニター 訂正。委員会、即ち国際救済委員会〕
---- 終わり ----
 もちろん、この認識は正しいものとは言えませんが、彼の認識として正確に証言したと考えるべきでしょう。


> また、難民区の掃蕩に専従していた歩兵第7連隊の戦闘詳報が示すように、同
>連隊の莫大な鹵獲品である。(詳細は偕行社刊「南京戦史資料」にあるが、あま
>りに莫大であり、敗残兵や便衣兵が全く戦意の無い従順な非戦闘員でなかったこ
>とは明白である。

 そのことを許伝音が認識していなければ、偽証かどうかの判断は出来ないでしょう。


> 許は、「・・・・・日本兵が「キャンプ」にやって来て女を連れて行き、さうし
>て強姦する時には、必ず私の所に先づ最初にやって来たのであります。」というが
>、どうしてそのように特定して断言できるのであろうか。

 これは明らかに翻訳ミスでしょう。
 文章としておかしいと思います。


> ついで許は「或る場合には日本兵は浴場で中国婦人を強姦したのであります。私
>が其の浴場に行った時、着物が外に掛けてあり、「ドアー」を押して入ると、裸の
>女が泣いて非常に悄然とした姿で居りました。」と証言している。人が泣く理由に
>ついては限りなくある。裸の女が風呂場で泣いていたというだけでどうして日本兵
>に強姦されたといえるのか。女の衣服が風呂場の外に掛けられておれば、中には裸
>の女がいる筈であるのに、男が無断でドアーを開けるような無作法なことを中国で
>はやるのか。

 なぜ、許伝音が無断で浴室に入ったのでしょうか?許伝音は、許伝音は一軒一軒の浴室を調べて歩いていたと思いますか?
 合理的に考えても、許伝音がこの強姦事件を発見したのではなく、何らかの通報があり、許伝音が駆けつけたと考えるべきでしょう。もちろん、その通報とは「どこどこで強姦されそうになっている」というものしょう。その様な通報が国際委員会の元に多く届いていたことは、他の証言や資料でも明らかになっています。
 例えば・・・・
---- 引用 ----
東京裁判 マギー証言(2) 事例
●マギー証人 或る日のことでありまするが、私は四時三十分頃に或る中国人の家に呼ばれて行ったのであります。それは其の家で一人の日本兵が、其処の中国人の妻を強姦せんとして居ると云ふ情報があると云ふことの為に、私は其処に呼ばれて行ったのでありますが、其の際、其の女の主人は、自分の妻を何処かに逃がさうと思って大いに努力したのであります。そして其の家の後尾にあった日本兵が、知らなかった戸口から逃がさうとしたのであります
---- 終わり ----
東京裁判 マッカラム宣誓口供書(日記・手記)(3) 事例
 二人の男が「マギー」氏の屋敷から走って来ました。(で「マギー」氏は避難民で一杯になった三箇所を所有してヰたのです)───此の二人の男は日本兵二名が侵入して女子を求めて居ると申しました。私共は待機の自動車に乗り「ピッチ(George A. Fitch)」氏が「マギー」及「フォスター」両氏をつれて行きました。時経て彼は二人の婦人を病院へ連れて来ました。一婦人は強姦され、ひどく殴打された他の婦人は父の助力に依ってどうやら逃げることが出来ましたが、彼女が窓から跳んだ時に負傷しました。彼等2人はヒステリ(ー)的病状を呈して居りました。
---- 終わり ----


> 船の中での日本兵の強姦容疑事案については、パル判決書は、
>「・・・・・船頭の話を受け入れることは実際容易にできることであろうか。その
>場にいたのはほんの2名の日本兵だけであった。他方強姦された娘達、彼女らの父
>親および1人娘の夫もいた。そこには船頭自身も勿論いたのである。その一家全体
>は生命より名誉を重んじた。その一家全体は河の中に飛び込んで溺死してしまった。
>こんな家族である以上、両親および1人の夫の目の前で娘達を2名の兵隊が強姦しえ
>たであろうか。どうして許博士はこの話の中に真実らしくないものを認めなかったの
>であろうか、彼は船頭が長い間紅卍字会に関係していたから、この話を真実の本当の
>ものとして、我々に与えることが出来るという訳になるというのであろうか・・・・
>・」と述べられている。
> まさに核心を衝いた反論であるが、更に別の角度から証言内容を検討してみよう。

 まったく、なぜパルがこの様な事実誤認に基づく推論をしているのか、私には理解できません。
 そもそも、許伝音証言では、「その場にいたのはほんの2名の日本兵だけであった」などという事実を見付けることは出来ません。存在しないような事実を基にとした推論などは、いくら並べてみたところで、核心を突くことはないでしょう。


> その河が揚子江であるか、その支流であるか定かでないが、少なくとも飛び込めば
>一家全員溺死するほどの水量であれば相当の大河であることは想像に難くない。そう
>であれば2人の日本兵はどうして河の真ん中まで来られたのか、まさか泳いでとは考
>えにくいので船を利用したものであろう。船であったとすればその船はどうしたのか
>という疑問が起こる。
> そこは戦場である、敵地である。1人や2人の別行動は即、戦死を意味する(特に
>中国では便衣兵によるものが多い)。たとえ船が調達できても遊覧などできる環境で
>はない。軍用船による公務中(実際には1人や2人でやる筈はないが)であったと仮
>定しても、紅卍字会の船に乗り移ってから自分達の船はどうした。突き詰めていくと
>話は無理から無茶になる。

 まず、上記に述べたとおり、日本兵が二人であるという事実は存在しません。この事実が存在しなければ、あなたの論述も、最も基本的な部分が抜け落ちることとなり、論述として成り立たなくなるでしょう。


> それにも増して決定的な嘘がある。それは日本兵と中国人との間に交わされたと言
>う会話である。つまり日本兵は一体何語で中国人に話しかけたのであろう。日本兵が
>日本語で話し掛けたとすれば、相手はどうしてその意味を理解しえたのであろうか、
>簡単な単語と手振り身振りで、ある程度の意味は通ずるものの、「大変面白いぢゃな
>いか」と言うような意味の複雑な言葉、それが、老人に娘を強姦するよう勧めたこと
>を意味するなど到底判る筈がない。それでも逆に日本兵が中国語を使ったらと屁理屈
>を並べる者があるとすれば、かえってこちらから尋ねたくなる。

 日本兵は非常に簡単な中国語を話すことが出来たことは有名な話です。特に華北から転進してきた部隊は中国生活が長いのでしょうから、多少、言葉を知っていたとしても何の矛盾もないでしょう。
 例えば、以下のような証言があります。
---- 引用 ----
鬼頭久二証言
 兵隊が「死了、死了」といって、連れだすんじゃ。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P276
---- 終わり ----
東征雄証言
「来来」(来い)と言ったら兵が一人出てきた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P285
---- 終わり ----
三木本一平証言
「ピー、カンカン(性器を見せろという意味で兵隊が使う中国語)と言うと、たいがい、どの娘も服を捲って、おとなしく見せてくれた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P286
---- 終わり ----
大田俊夫証言
女を捕まえるとな「カンカン、サイコ」言うんや。カンカン言うたら大事な所見せろちゅうことや。サイコサイコ言うたらもうすることや。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P294

(略)
豆腐屋の男に紙に「美女」と書いて、連れて来いと身振りで命令したんや。男はすぐに「テンホーテンホー」言うて出て行きよった。テンホー言うたらよいということや。女の子でテンホー言うたらきれいと言うことや
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P296
---- 終わり ----
和田利二証言
簡単な中国語を覚えて命令した。「ご飯炊け」とか「この荷物運べ」とか。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P346
---- 終わり ----

 実際に「大変面白いじゃないか」などと言ったかどうかは勿論解りませんが、日本兵がその行為を見て大笑いしたりすれば”その様な意味のことを言っているのだな”と理解したとしてもば不思議な話とは思えません。


>中国における少数民族の全てを除いても、北京語、上海語、福建後、広東語・・・
>・・、漢民族だけの言語も20を越えるという。しかもそれらは全く異なる言語で
>、お互い同士話し合っても通じない筈である。ここまでいえば、これ以上の多弁は
>必要ないと思う。

 以上のように、言葉が通じない、ということが「決定的なウソ」となることはありませんでした。何語を使っているかどうかなどは、それほどの問題とは思われません。なぜならば、日本兵に話し掛けられる方も生命に関わってくることですから、日本兵が何を言っているのか必死に理解しようとするでしょう。実際、上記の証言にあるとおり、彼らはある意味、意思を通じさせていたことが解ります。

 あなたが「偽証である」と主張する根拠の多くは、とても根拠と為るようなものとは思えません。確かに、これ以上、無意味な多弁は止めたほうがいいでしょう。


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