家族構成員数の減少による計算方法 (1)
南京市政府と警察庁は南京戦前後において、継続的に信頼の出来る人口統計を取って いる。この人口統計には毎月の総人口、男女別人口、戸数が報告されている。ここか ら、1戸当たりの家族構成員数の二次的パラメーターが算出できる。そして、家族構 成員数の性質を検討するに及び、この資料から現在考えられる、最も信頼出来 る民間人死亡数の推定が可能であることがわかった。 #ところで、南京市政府と警察庁の資料は市来道義氏の『南京』においては、表に #よって表示が「南京市政府」と「警察庁」と区別がなされているが、両者の数字 #は同時期でほぼ同数であり、かつ警察庁は南京市政府の組織内にあるものである #から、以下の論考では区別を行わず、単に「市政府」とのみ表記する。
1.1戸当たりの家族構成員数の安定した性質について
1戸当たりの家族構成員数は結婚、出産、死亡の割合、家族観、住宅事情などによっ て、規定されており非常に安定した数字である。そのことは、時間的に他の都市の例 として広島市を例にとるならば、戦争、原爆被災を挟む時期である昭和元年から30 年における家族構成員数が、3.9人から4.6人であり、昭和20年から30年に は3.9人から4.1人であった。また地理的には中国国内では1947年の中華民 国年鑑では、大部分の省、都市において5人台であり、地域的にも安定していること を示されている。
この数字は単なる人口の流出入では容易に変化しない。南京においては首都になるこ ろから男性単身者多数が流入し、短期的には低下傾向が予想されるが、その後数年し ておこる結婚、出産の増加によってその効果は数年のうちにうち消された。
この数字が著しい低下を見るのは、自然災害、戦乱によって人命が失われるときだけ といっていい。
ゆえに、自然災害、戦乱による人命の喪失はその数の聞き取りによらなくとも、人口 統計によって平時の家族構成員数からどれだけ低下したかを調査し、それに戸数をか ければただちに概数を算出できる。
2.1938年8月時点における死亡者数の推定 南京戦の前に市民の避難が、後に帰還があったのはすべての人が認めるところである。 もしも、南京戦において民間人の平時を上まわる死亡がないとすれば、1戸当たりの 家族構成員数は変わらなかったはずである。いま、戦前の起算時点をとりあえず19 37年3月にとる。このとき5.078人であった家族構成員数は1938年8月時点に おいて、1.067人の減少が起こっている。民間人の過剰死亡がなかった場合は1938 年8月の戸数76,677がもともと擁していた人口は307,546人ではなく、389,366人だっ たはずである。したがってその差81,820人が76,677戸から失われた死亡者である。
計算式
@ 元人口(当月の戸数がもともと持っていたはずの人口)=当月の戸数 × 5.078
A 推定死亡数
= 元人口
− 人口
1938年8月の例 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1戸当たりの 家族構成員の 年月 戸数 人口 家族構成員数 元人口 喪失員数 死亡者数 1937.03
200,810 1,019,667 5.078 1938.08 76,677 307,546 4.011 389,366
1.067 81,820 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ただし、この死亡者数はあくまでも1938年8月までに南京市内に残留または帰還 した南京市民の家族中から失われたものである。
3.1938年8月以降の死亡者推定
1938年8月の後に破壊された家族と正常な家族が種々の割合で混合して帰還して も、この計算から正しく、破壊された家族から失われた死亡者数を算出することがで きる。
#「破壊された家族」とは家族の構成員を失った家族のことを言う。南京における 戦争被害を調査したスマイスが戦争がこの言葉を使っている。
a.正常な家族の家族構成員数は平均5.078人であった。正常な家族のみ4000戸が復 帰すると、戸数は4000、人口は20,312増えるが、
戸数 人口 家族構成員数 元人口 死亡者数 1937.03
200,810 1,019,667 5.078 1938.08 76,677 307,546
4.011 389,366 81,820 *帰還後 80,677 327,858 4.064 409,678 81,820
元人口は増えても推定死亡者数は81,820人のままなのである。
b.破壊された家族のみ4000戸が帰還し、帰還戸の家族構成員数は3.42人であったとす る。すなわち、帰還戸からは4000 × (5.078−3.42)/3.42 = 6632人 の家族 が失われていた。 戸数は4000、人口は13680人増えるが、
戸数 人口 家族構成員数 元人口 死亡者数 *帰還後 80,677 321,226 3.981 409,678 88,452
死亡者数には失われていた帰還戸中から失われていた家族数が正しく足されている。
c.破壊された家族1000戸(帰還戸の家族構成員数は3.42人)と正常な家族3000戸が 帰還した場合。帰還戸からは1658人が失われていた。戸数は4000、人口は 1000 × 3.42 + 3000 × 5.078 =3420 + 15234 =18654人増える。
戸数 人口 家族構成員数 元人口 喪失員数 死亡者数 *帰還後 80,677 326,220 4.044 409,678 1.014 83,478
※長々と例示したが、これは、ちょうど二つの濃度の異なる塩水を足しても、二つの 溶液の量と濃度がわかっていれば二つを混ぜ合わせた溶液中の塩分がわかるというの と同じ原理である。
4.すべての死亡者の推定のために すべての民間人死亡者数を推定するには、避難した「もともとの南京市民」がすべて 帰還を果たした時点において上述の方法で元人口と死亡者数を計算すればよい。それ では、「もともとの南京市民の数」はいったいいつの時点の人口と設定すべきなのか、 また、すべて帰還したときというのはどのようにして決定するのか。
それは毎月の帰還者ないし流入人口における家族構成員数がおおよそ5.078人に上昇 し、推定死亡者数の月毎ののびが停止したときのはずである。これには、実際、計算 を連続してその時期を見つけるしかない。
少し長くなるが前述の方法で1月ごとの計算を提示する。
年月 戸数 人口 構成員数 元人口 喪失員数 死亡者数 1938.08 _76,677 307,546 4.011 389,366 1.067 81,820 1938.09 _87,550 349,655 3.994 444,579 1.084 94,924 1938.10 _92,706 372,065 4.013 470,761 1.065 98,696 1938.11 101,818 409,817 4.025 517,032 1.053 107,215 1938.12 108,090 438,013 4.052 548,881 1.026 110,868 1939.01 112,597 458,940 4.076 571,768 1.002 112,828 1939.02 113,847 466,153 4.095 578,115 0.983 111,962 1939.03 116,319 486,208 4.180 590,668 0.898 104,460 1939.04 120,870 507,718 4.201 613,778 0.877 106,060 1939.05 123,158 517,442 4.201 625,396 0.877 107,954 1939.06 123,144 507,843 4.124 625,325 0.954 117,482 1939.07 123,702 510,177 4.124 628,159 0.954 117,982 1939.08 126,524 524,050 4.142 642,489 0.936 118,439 1939.09 131,387 544,047 4.141 667,183 0.937 123,136 1939.10 132,403 552,287 4.171 672,342 0.907 120,055 1939.11 135,027 569,039 4.214 685,667 0.864 116,628 1939.12 135,318 576,347 4.259 687,145 0.819 110,798 1940.01 136,709 586,957 4.293 694,208 0.785 107,251 1940.02 136,990 588,777 4.298 695,635 0.780 106,858 1940.03 136,682 589,971 4.316 694,071 0.762 104,100
この表のサマリー
(1)月を追うにしたがって、戸数、人口、家族構成員数、元人口は上昇した。 (2)世帯当たりの喪失員数は減少した。 (3)一方、推定死亡者数は8.1万人から1939年9月の12.3万人まで上昇 し、以後は減少に転じた。
この表から生じる疑問 【1】とりあえず、計算の起算点は1937年3月にとったのだが、問題はないだろ うか。陥落時に起算点を取らないために誤差が大きくなることはないだろうか。
実は人口、戸数が違っていても家族構成員数さえ同じならば起算点はいつであって も差し支えないのである。人口や戸数は常に動いている数字であるが、家族構成員数 は非常に安定している数字なのである。例えば、1931年から1937年3月までの間の家族 構成員数を示す。
年月 戸数 合計 家族構成員数
1931_ 126,797 654,398 5.161 1932_ 129,871 659,617 5.079 1933_ 141,317 726,131 5.138 1934_ 153,905 795,955 5.172 1935_ 195,545 1,013,320 5.182 1936_ 197,496 1,006,968 5.099 1937.03 200,810 1,019,667 5.078 1938.08_ 76,677 307,546 4.011
変化幅 = (5.132−5.078)/5.078 ×100 = 2.048%
つまり、起算点が陥落時から離れていても、精々元人口に2%前後の誤差しか生じな い。推定死亡数には数%の誤差におさまる。現在、1937年3月が陥落前で私が知る、 もっとも新しい数字であるためこの数字を使っているが、もちろん、新しい数字が判 明すればそれに切り替えることは容易である。
【2】推定死亡者数がある時点から減少に転じる理由は何か。
家族構成員数は結婚、出産、死亡の割合、家族観、住宅事情などによって、規定され 安定した数字である。しかし、破壊された家族が多い、戦後の南京市においては次の ようにして破壊された家族の統合、婚姻、出産が進行して家族構成の修復、再構成が しきりに行われたと考えられる。
1.結婚 男女の単身者の結婚では、世帯は2から1に減って家族構成員数が増加する。しか し、二家族から男女1人ずつが出て、新世帯を構成する場合世帯は2から3に増えて 家族構成員数は減る。また、男子単身者が1家族から女性1人を引き抜いて新世帯を 持つ場合は世帯数は2のままなので、家族構成員数は変化しない。
2.出産 通常の頻度の出産は家族内の自然死と均衡しており、家族員数の変化はない。急激 な結婚・出産ブームが起きるときにのみ増える。
3.破壊された家族の吸収 戦争によって正常な家族の構成員が死亡し、孤児、孤老、寡婦、単身者などになっ たものが、他の家族、あるいは親戚と同居し他の世帯に吸収される場合、家族構成員 数は増加する。
この1−3は戦後すぐの昭和21−23年頃の日本において顕著に観察された。1− 3の全体として家族構成員数を増やし、あるいは戸数を減らして1戸当たりの家族構 成員数を増やす動きが常に進行していたと考えられる。中でも3の要因が最も影響が 大であると思われる。
それゆえ、もしも、これらの家族構成の改変がないならば、元人口が十分大きくなる まで、観察期間を延長すればよいのだが、1939年9月の推定死亡数12万300 0人以降は1−3の要因が働き、それ以上は追及できなくなるのである。これはこの 方法の限界である。実際は破壊された家族が優先的に帰還するわけではないから死亡 数はこれ以上だったと推定される。
それでも、得られた推定死亡数は1939年9月の資料から算出される元人口66. 7万人から考えるとまったく不満足な数字というわけでもない。というのは、193 7年10月末、11月末の南京市の人口は65万程度と見られる。この遠くには避難 できない貧民ばかりの数字と言われた。それより以前に脱出した南京市民は比較的遠 くに逃れており、日本軍の暴行を受けなかった可能性が高いのである。よって、元人 口がほぼそれに達した以上、真の死亡者数からそれほど遠くないと考えられるのである。 #南京城区の人口は10月末53万人、11月末50余万人と言われ、その当時の #郷区の推定人口は約10万であった。
したがって、1939年9月の12万3000人以上をもってとりあえずの結論とする。 @@@@@@@@@@@@@
次の論考では今回は省略された、細かい補正作業を行う。 |