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  平林証言を検証する タラリ 2003/03/17 01:23:58  (修正2回)
  平林証言の検証−その2田中正明聞き取り タラリ 2003/03/26 22:17:59 
  平林証言の検証−その2阿部輝郎聞き取り タラリ 2003/03/26 22:19:27 

  平林証言を検証する タラリ 2003/03/17 01:23:58  (修正2回) ツリーへ

平林証言を検証する 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/03/17 01:23:58 ** この記事は2回修正されてます
 山田旅団による捕虜大量殺害は南京事件論争の当初から、重要論点のひとつであっ
た。平林証言は大量殺害を証言した栗原証言と対立する内容であり、否定派の論拠の
ひとつとなっている。

鈴木明著『「南京大虐殺」のまぼろし』(1973年)他による平林証言の検証を私
なりの方法で行った。

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 この証言の真偽については対立する証言・記録や、否定派が指示する証言・記録から
議論されている。古くから事件を研究しておられる諸兄にあっては先刻ご承知の証言で
あり、真偽についても他の証言との比較から一定の認識をお持ちであろう。しかし、私
はこの文章自体を子細に点検することだけで、真偽の判定を行ってみたいと思うのであ
る。

 その理由のひとつは、私は職業上、体験の聞き取りの豊富な経験があり、述べられた
ことが真実か、虚偽かは予備知識なしにでもかなり正確に言い切れる自信があるからで
ある。

 もう一つの理由は私が史料批判は外在批判でなく、内在批判で行うのが正しいと主張
しているからである。外在批判、内在批判とは何か。

 証言・資料の真偽を判定する方法には資料の来歴を調べ、正しく当人が述べた証言・
資料であることを立証したり、あるいは当人が真実を述べたということを証明する方法
がある。これは史料批判のうち「外在批判」とされる。

 証言・資料の真偽を判定するもうひとつの方法として資料そのものが持つ内容をその
資料自身や他の資料に照らして検証する方法がある。これを史料批判のうちでも「内在
批判」と呼ぶ。

 外在批判はいつもなしうる検証方法ではない。むしろ、歴史資料の多くは外在批判
の余地が非常に限られるのが常である。ところが南京大虐殺の否定論者がとる方法論は
外在批判だけであることが多い。私の史料解析の方法は、史料の内在批判こそが本質
的な史料批判であるということの例証としても行っているのである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「南京大虐殺」のまぼろし pp198-199より
「大量のホリョを収容した、たしか二日目に火事がありました。その時、捕虜がにげた
かどうかは、憶えていません。もっとも、逃げようと思えば簡単等に逃げられそうな竹
がこいでしたから。それより、問題は給食でした。われわれが食べるだけで精一杯なの
に、一万人分ものメシなんか、充分に作れるはずがありません。それに、向こうの指揮
者というのがいないから、みずを分けるにしても向こうで奪い合いのケンカなんです。
庭の草まで食べたという者もいます。ただし、若い将校はしっかりしていました。感心
したのを憶えています」《中略》
だから、「捕虜を江岸まで護送せよ」という命令が来た時はむしろホッとした。平林氏
は、「捕虜は揚子江を船で鎮江の師団に送り返すときいていたという。月日は憶えてい
ない。

■ここまでの記述には取り立てて疑問・矛盾を感じない。

「捕虜の間に、おびえた表情はあまりなかったと思います。兵隊と捕虜がてまねで話
をしていた記憶があります。出発は昼間だったが、わずか数キロ(二キロぐらい?)
のところを、何時間もかかりました。

とにかく、江岸に集結したのは夜でした。その時、私はふと恐ろしくなってきたのを
今でも憶えています。向こうは素手といえども十倍以上の人数です。そのまま向かっ
て来られたら、こちらが全滅です。とにかく、舟がなかなか来ない。考えてみれば、
わずかな舟でこれだけの人数を運ぶというのは、はじめから不可能だったかもしれま
せん。

捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。突然、どこからか、ワッとトキの声が上
がった。日本軍の方から、威嚇射撃をした者がいる。それを合図のようにして、あと
はもう大混乱です。一挙に、われわれに向かってワッと押しよせて来た感じでした。
殺された者、逃げた者、水にとび込んだ者、舟でこぎ出す者もあったでしょう。なに
しろ、真暗闇です。機銃は気狂いのようにウナり続けました。

次の日、全員で、死体の始末をしました。ずい分戦場を長く往来しましたが、生涯で、
あんなにむごたらしく悲痛な思いをしたことはありません。我が軍の戦死者が少なか
ったのは、彼等の目的が、日本軍を”殺す”ことではなく、”逃げる”ことだったか
らでしょうね。向こうの死体の数ですか? さあ・・・・・千なんてものじゃなかっ
たでしょうね。三千ぐらいあったんじゃないんでしょうか・・・・・」

平林氏は、「鬼哭啾々」という古めかしい形容詞を二度も使った。他にいいようがな
かったのかも知れない。


検証はひとつひとつの文章の解析を経て内容の検討に続く。

(1)捕虜の間に、おびえた表情はあまりなかったと思います。(2)兵隊と捕虜が
てまねで話をしていた記憶があります。(3)出発は昼間だったが、わずか数キロ
(二キロぐらい?)のところを、何時間もかかりました。

■「おびえた表情」「てまね」の話は出発以前の話。これは実際に見ていることでは
あろう。しかし、捕虜の護送の時間的経過の中に埋め込まれた叙述でもなく、必要の
ない叙述である。その後の捕虜の動静については具体的な描写がない。してみると、
この二つはカムフラージュである。

(4)とにかく、江岸に集結したのは夜でした。(5)その時、私はふと恐ろしくなっ
てきたのを今でも憶えています。(6)向こうは素手といえども十倍以上の人数です。
(7)そのまま向かって来られたら、こちらが全滅です。(8)とにかく、舟がなか
なか来ない。(9)考えてみれば、わずかな舟でこれだけの人数を運ぶというのは、
はじめから不可能だったかもしれません。

■(4)(8)とも「とにかく」の語句は説明を無理矢理排除した感じを受ける。
(5)「その時、〜ふと」が作為的。(7)−(9)まで説明が過ぎる。

■「怖い」という感情はこの証言にあっては特に原因なくして生じている。例えば、
《 集結して舟がいつまでたっても来ない、捕虜の間に動揺が見られる、万一の暴動
を予想すると怖くなってきた》これなら通るのであるが、集結したとき「ふと恐ろし
くなってきた」の次に「とにかく舟がなかなか来ない」では続き具合がおかしい。

(10)捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。(11)突然、どこからか、ワッ
とトキの声が上がった。(12)日本軍の方から、威嚇射撃をした者がいる。(13)
それを合図のようにして、あとはもう大混乱です。(14)一挙に、われわれに向か
ってワッと押しよせて来た感じでした。

■(10)憶測の必要はない。伏線にしたいようである。(11)極めて不自然な展開
である。(後述)(13)(14)劇的な場面であり、文章の素養がないひとでもこう
いうときだけは言葉が生き生きとするものであるが、なぜか緊迫感皆無である。例えば
結びの句「ワッと押しよせて来た感じでした」。

(15)殺された者、逃げた者、水にとび込んだ者、舟でこぎ出す者もあったでしょ
う。(16)なにしろ、真暗闇です。(17)機銃は気狂いのようにウナり続けまし
た。

■(15)唐突に想像を言い始める。(16)「なにしろ、真暗闇です」ののんびり感
と(17)「機銃は気狂いのようにウナり続けました」の動的内容とがつながらない。
それから、どう考えても(17)の機銃掃射の方が(15)より先に来るべきでしょう。
(18)次の日、全員で、死体の始末をしました。
■あれれ、場面転換が不自然。これだけの重大事件に対する総括的言葉、感想が一切
ない。疲れて帰ったとか、ほうほうのていで帰ったとか、失態に対する責任追及を心
配するとか何かあっていいはずでしょう。暴動鎮圧とまったく無関係に死体処分に出
かけた印象を受ける。

(19)ずい分戦場を長く往来しましたが、生涯で、あんなにむごたらしく悲痛な思
いをしたことはありません。
■曲がりなりにも本人の感慨。

(20)我が軍の戦死者が少なかったのは、彼等の目的が、日本軍を”殺す”ことで
はなく、”逃げる”ことだったからでしょうね。
■概念的、説明的である。

(21)向こうの死体の数ですか? さあ・・・・・千なんてものじゃなかったでし
ょうね。三千ぐらいあったんじゃないんでしょうか・・・・・」
■死体の数を訊かれて「さあ?」はないでしょう。(後述)

平林氏は、(22)「鬼哭啾々」という古めかしい形容詞を二度も使った。他にいい
ようがなかったのかも知れない。

■平林氏が殺戮後の現場を見てそう感じたのは確かであろう。


【 単文の総括 】
具体的な叙述が少なく、説明、憶測が叙述の中にしょっちゅう割って入っている。そ
の説明、憶測は一つの断定に向けて次々と伏線として与えられている。連行や待機、
暴動の開始と終了が常に曖昧である。事実関係は必ずしも時間の流れに沿って叙述さ
れていない。

【 事実関係 】
一度これらの説明的描写を除いて事実関係についての文章にして再掲する。そして、
事態の流れの不審な点を一部他の資料も交えて追及する。

「(捕虜を連行したとき)出発は昼間だったが、わずか数キロ(二キロぐらい?)の
ところを、何時間もかかりました。江岸に集結したのは夜でした。舟がなかなか来な
い。突然、どこからか、ワッとトキの声が上がった。日本軍の方から、威嚇射撃をし
た者がいる。あとはもう大混乱です。一挙に、われわれに向かってワッと押しよせて
来た感じでした。真暗闇です。機銃は気狂いのようにウナり続けました。次の日、全
員で、死体の始末をしました。ずい分戦場を長く往来しましたが、生涯で、あんなに
むごたらしく悲痛な思いをしたことはありません。向こうの死体の数ですか? さあ
・・・・・千なんてものじゃなかったでしょうね。三千ぐらいあったんじゃないんで
しょうか・・・・・」

■根本的におかしいと思うこと。ただ舟を長く待たされるだけで捕虜が反抗をはじめ
るのは不審に思える。10分の1の人数の機関銃、小銃を持った兵士に監視されてい
る。兵舎の火事の際にも積極的には逃げなかったらしい。仮にも釈放を約束されてい
るとすれば、具体的に日本兵の方からの違約・殺戮が始まらない限り、夜明けまでで
も待つのが捕虜の心境であると思われる。また、一人や二人が反抗・逃亡することは
ありえるだろう。多数が一度に反抗・逃亡するような共謀が成り立つにはそれなりの
状況と準備が必要である。その可能性はまったく示されていない。いきなりワッと立
ち上がるというのは起訴事実の省略が多過ぎるか、あるいはウソである。

■この話には話者が何をしたかと一切書かれていない。翌日に死体の始末をしたこと
が書いてあるのに、暴動の当日にしたことは一切書かれていない。

■暴動の描写に精彩がない。それは、暴動の開始、展開の時間順がしばしば乱れ、
「あとはもう大混乱です」とか「押し寄せて来た感じでした」と腰砕けの描写になっ
ているためである。話者はそのときどうしたのであろうか。当然、銃(機関銃?、歩
兵銃)を駆使して鎮圧・殺戮したはずであるが、その肝心の描写もない。

■もしも、証言のように「真暗闇」ならば、日本兵も機関銃をどちらに向けてどう撃
ったのであろうか。捕虜たちが一斉に立って日本兵の方に押し寄せてきたとしたら、
どの程度の捕虜を機銃掃射によって撃ち殺しうるであろうか。

■逃がすように言われていて、殺してしまったとの主張である。とすれば、死体の数
には敏感でなければならない。そもそも、護送のときには何人の日本兵で何人の捕虜
を送ったのであろうか。捕虜の数は護送する兵士の数の十倍くらいとは書いてある。
だから、どれくらいを殺してしまったのかはそれとの比較でキチンと目視するはずで
ある。

■万のオーダーなら、数え切るのも難しかろうが、戦場にあった将校ともなれば、千
か三千かは確実に数えられるのではないか。例え自分で数えなくても報告は上がる。
衝撃を受けた重大事件と本人が証言している以上死体の数を忘れることもなかろう。
今になって話している途中で千とか三千とか揺らぐのは不自然である。

■翌日に死体処理に際して持った感慨は事実であろう。しかし、殺害に加わっていた
としたら、殺害の合理化にしろ、反省にしろもっと複雑な、痛切な感慨の色が滲みで
るはずである。むしろ、単調な感慨に見える。


【 文体・内容からする判断 】
話者が当日は護送に関わっていた感じがまったくない。暴動のストーリーは不自然で
あり、作り話が相当入っているか、事実の一部を故意に隠しているとしか思えない。
翌日の死体処理には実際に参加したと思われる。死体の数を知らないはずはないが、
なぜか忘れるのは隠しているのであろう。

  平林証言の検証−その2田中正明聞き取り タラリ 2003/03/26 22:17:59  ツリーへ

Re: 平林証言を検証する 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/03/26 22:17:59
平林証言の検証−その2 田中正明聞き取り

田中正明『南京大虐殺の虚構』(1984年)にある平林証言

この証言は鈴木明のインタビューの後である。内容は対鈴木証言より豊富であり、事前
の準備があったかのようである。また、インタビュアーによる編集が行われており、
話者の肉声は感じられず、話をするときの心の動きは読めない。平林氏の証言という
よりは田中正明提供の「証言」資料となっており、その点、資料的価値は減じている。

証言内容が大筋で他の二つと食い違いが生じている。また、田中正明氏の「校正」を
経ているにもかかわらず、この証言内容内部で矛盾を生じている箇所もある。

以下(No.)を付したものが本文。(鈴)は鈴木明に対して行った証言、(田)は
田中正明に対して行った証言の略号。▲は証言間の異同、■はコメント。

(1)わが方の兵力は、上海の激戦で死傷者続出し、出発時の約3分の1の1500
足らずとなり、その上に、へとへとに疲れ切っていた。しかるに自分たちの10倍近
い1万4000の捕虜をいかに食わせるか、その食器さがしにまず苦労した。

▲「食器さがし」は初出。

(2)上元門の校舎のような建物に簡単な竹矢来をつくり収容したが、捕虜は無統制で
服装もまちまち、指揮官もおらず、やはり疲れていた。山田旅団長命令で非戦闘員と
思われる者約半数をその場で釈放した。(3)2日目の夕刻火事があり、混乱に乗じて
さらに半数が逃亡し、内心ホットした。その間逆襲の恐怖はつねに持っていた。

■この「その場」は「収容する前に非戦闘員をより分けて」というニュアンスを感じ
る。とすると「1万4000の捕虜」の食器さがしをしたはずなのに、「その場」で
釈放したとはどういうことなのか。収容所から離れたところでなく、収容所の門口で
というなら、いったん収容したものをより分けたとするなら、非常な混乱があり、時
間を要するだろう。

■「逆襲の恐怖」−逃亡には捕虜側の実力行使が示されていないのに「逆襲の恐怖を
持つ」というのは理解しにくい。伏線であろう。

▲(鈴)捕虜が逃げたかどうか憶えていない→(田)半数が逃亡し、
▲(鈴)憶えていない → 内心ホットした。■そのときの感想まで付け加わった。

(4)彼らをしばったのは彼らのはいている黒い巻き脚絆(ゲートル)。ほとんど縛
ったが縛ったことにはならない。捕虜は約4千、監視兵は千人たらず、しかも私の部
隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣の事)のみ。出発したのは正午すぎ、列の長
さ約4キロ、私は最後尾にいた。

▲「私」が最後尾、「ゲートルで縛った」は初出。
▲■(鈴)わずか数キロ(二キロぐらい?)と距離が不明だったのに、(田)では列の
長さがなぜわかるのか?

(5)騒動が起きたのは薄暮れ、左は揚子江支流、右は崖で、道は険岨となり、不吉
な予感があった。突如中洲の方に銃声があり、その銃声を引き金に、前方で叫喚とも
喊声ともつかぬ異様な声が聞こえた。(6)最後列まで一斉に狂乱となり、機銃は鳴
り響き、捕虜は算を乱し、私は軍刀で、兵はゴボウ剣を片手に振り回し、逃げるのが
精一杯であった。(7)静寂にかえった5時半ころ、軽いスコールがあり、雲間から
煌々たる月が顔を出し“鬼哭愁々”の形容詞のままの凄惨な光景はいまなお眼底にほ
うふつたるものがある。

▲騒動の時刻:(鈴)夜、暗闇 → 薄暮れ
▲騒動のタイミング:(鈴)集結して舟をしばらく待った後 → (田)最後尾が
まだ道路上にあるとき
■「前方で叫喚とも喊声」が上がるから「最後列まで一斉に狂乱」というのは不審な
展開である。崖と揚子江に挟まれた狭い道でいったい捕虜はどこに逃げようとするの
か。また、平林氏はどう逃げようとするのか。軍刀を「振り回しながら」逃げるとい
うのも無理な描写である。
▲暴動時平林の行動:(鈴)<記載なし> → (田)軍刀を振り回す
▲暴動終了時の光景:(鈴)では暗闇であり、スコールも月も出て来ない。
(田)では5時半のスコール後に月が出て“鬼哭愁々”という。
■この叙述からすれば平林氏の胸中にこの光景は刻まれたはずである。ところが(鈴)
には出てこず、鬼哭愁々”だけが共通する。とすれば、この美文の叙述はまったく信用
できない。
■暴動の後にどうしたか、どう思ったかが書かれていない。

(8)翌朝私は将校集会所で、先頭付近にいた1人の将校(特に名は秘す)が捕虜に
帯刀を奪われ、刺殺され、兵6名が死亡、10数名が重軽傷を負った旨を知らされた。
(9)その翌日全員また使役に駆り出され、死体の始末をさせられた。作業は半日で
終わったと記憶する。中国側の死者1000〜3000人ぐらいと言われ、(注(1)
)葦の中に身を隠す者を多く見たが、だれ1人これをとがめたり撃つ者はいなかった。
我が軍の被害が少なかったのは、彼らが逃亡が目的だったからと思う。

▲殺害数:(鈴)千なんてものじゃなく、三千ぐらいあった → (田)1000〜
3000人ぐらいと言われ − 判断の主体が変わっている。
■全員総出すなわち1500人出たとすれば、一人一体処理したか、二人処理したか
の感じで概数はすぐに出ると思われる。
▲「身を隠す者が多く」−初出。■翌日になって現場の近辺に捕虜が「多く」隠れてい
たとはにわかには信じがたい。

この証言では連行の際に最後尾にいて銃はもたず、軍刀を所持していたと具体的であ
る。ゲートルで巻いたという証言も流れとしてそれらしいので、多少連行に参加して
いる感じが出てきた。しかし、暴動の時刻、場所、様子は対鈴木明証言とは大いに異
なる。前証言から11年経過しているとはいえ、同じ人の証言とも思われないほど違
っている。

参加した感じは出てきているが、暴動の発生と経過は依然として納得しがたい。暴動
の後に何をしたか、何を思ったかも書かれていない。月が出た後の描写は絵空事であ
る。悲惨な感じを抱いたのはの二つの証言に過剰と思えるほど書いてある。しかし、
具体的な記述に即していないので、その感情表現が上滑りになっている。

この証言を読んでも平林氏が連行に参加したという感じはやはり持てない。悲劇を見
たのはおそらく、翌日の死体処理においてであろう。それを当日の感情として書こう
とするから無理が出るのだとしか思えない。

  平林証言の検証−その2阿部輝郎聞き取り タラリ 2003/03/26 22:19:27  ツリーへ

Re: 平林証言を検証する 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/03/26 22:19:27
平林証言の検証−その2 阿部輝郎聞き取り

阿部輝郎著『南京の氷雨』(1989年刊)における証言

この証言は一番短い。内容は内発的な証言というより、既出の反対証言、肯定論者
に対する反論を意識したものとなっている。

『南京の氷雨』平林貞治(中尉)証言 pp108-109
「十七日夜の事件はね、連行した捕虜を一万以上という人もいるが、実際にはそんな
にいない。四千か五千か、そのぐらいが実数ですよ。私たちは『対岸に逃がす』と言
われていたので、そのつもりで揚子江岸へ、ざっと四キロほど連行したんです。途中、
とても怖かった。これだけの人数が暴れ出したら、抑えきれない。銃撃して鎮圧でき
るだろうという人もいるが、実際には心もとない。それは現場にいた人でないと、そ
の怖さはわかってもらえないと思う。第一、暴れ出して混乱したことろで銃撃したら、
仲間をも撃ってしまうことになるのだからね。」

「一部で捕虜が騒ぎ出し、威嚇射撃のため、空へ向けて発砲した。その一発が万波を
呼び、さらに騒動を大きくしてしまう形になったのです。結局、仲間が六人も死んで
しまっているんですよ。あれは偶発であり、最初から計画的に皆殺しにする気なら、
銃座をつくっておき、兵も小銃をかまえて配置し、あのように仲間が死ぬヘマはしま
せん。」

「乱射乱撃となって、その間に多数の捕虜が逃亡しています。結局はその場で死んだ
のは三千・・・・いくら多くても四千を超えることはない。これが実相です。油をつ
けて焼いたとされますが、そんな大量の油を前もって準備するとなると、駄馬隊を大
量動員して運んでおかなければならず、実際、そんなゆとりなんかありませんでした
よ。死体の処理は翌日に行きましたが、このとき焼いたように思います。死体が数千
・・・・・これがどれだけの量か、あなたには想像できますか、とにかくものすごい
死体の散乱状況となるものなのです。それにしても恐ろしいことになってしまったと、
思い出すたびに胸が締めつけられます。」

■いったん、反論、予測などのための文章を除いて再掲して、解析する。

「十七日夜の事件はね、連行した捕虜は四千か五千です。私たちは『対岸に逃がす』
と言われていたので、そのつもりで揚子江岸へ、ざっと四キロほど連行したんです。
途中、とても怖かった。」

▲捕虜の連行数:(鈴)記載なし →(田)約四千 →(阿)四千か五千
▲距離・列:(鈴)数キロ(二キロぐらい?)を連行 →(田)列の長さ4キロ →
(阿)連行距離が4キロ
▲「怖かった」という話者の感情は三つの証言ですべて出現する。しかし、
(鈴)江岸に集結したとき
(田)火災に乗じての捕虜の脱走の後
(阿)護送の途中
であって、すべて状況が違うのである。

▲明確に語られていないが、この証言だと江岸に集結した後に暴動が起こったように
読める。(田)とは違う。

「一部で捕虜が騒ぎ出し、威嚇射撃のため、空へ向けて発砲した。その一発が万波を
呼び、さらに騒動を大きくしてしまう形になったのです。結局、仲間が六人も死んで
しまっているんですよ。」

▲「捕虜が騒ぎ出し」た理由が書いていない。
■騒動の場面は始まりも、中身も終わりも明らかでない。本人が何をしたか、何を思
ったかもまるで書かれていない

「乱射乱撃となって、その間に多数の捕虜が逃亡しています。結局はその場で死んだ
のは三千・・・・いくら多くても四千を超えることはない。これが実相です。死体の
処理は翌日に行きましたが、このとき焼いたように思います。とにかくものすごい死
体の散乱状況となるものなのです。それにしても恐ろしいことになってしまったと、
思い出すたびに胸が締めつけられます。」

▲殺害数:(鈴)千でなく三千 → (田)1000〜3000と言われ → (阿)
三千・・・・いくら多くても四千 ■「連行した捕虜は四千か五千」のはずなのに、
死体は「三千・・・・いくら多くても四千」という。これでは、多くが逃亡したという
総括にはならない。「乱射乱撃」でも60%から75%を殺戮しつくしたというのも変
な話である。

■捕虜の銃殺の証言はいろいろあるが、固めておいて逃げられないようにしておいて
機銃で撃ってもかなりの生き残りがあったため、ガソリンをかけて焼き、動く捕虜を
銃剣で刺殺したというのが多い。『対岸に逃がす』ための用意をしたはずなのに、夜
間において三千もの捕虜を機銃で倒すことが出来たのはなぜだろう。

■死体の処理は具体的に書かれていないが、揚子江に捨てるだけなら、焼く必然性は
ない。ところが「焼いたように思います」と曖昧な記憶をわざわざ書いたのはなぜだ
ろう。油なしではあまり焼けないであろうし、丁寧に焼き上げるのであれば手間暇が
かかると思われる。ところが、そもそも油を準備するゆとりがないとの丁寧な反論が
あった。では、翌日にはいったい何の目的で焼いたのであろう。また、焼いたり、
銃剣刺殺をしていなければ当然、生き残りの捕虜がいるであろう。その処置について
書かれていないのはなぜだろうか。

■死体処理の場面はまだしも実感がある。しかし、「とにかくものすごい死体の散乱
状況となるものなのです。」と散乱状況に驚くのはなぜだろう。

       ◇       ◇       ◇

実際には当日に油をかけて焼いたのだ思う。ところが、油をかけて焼くということは
事前の準備があったことを示すので念を入れて反証を挙げている。しかし、まったく
焼いていないという嘘を突き通すのが憚られてつい、「翌日焼いたように思います」
と言ってしまった。

殺害した捕虜の数が対鈴木明証言、対田中正明証言、対阿部輝郎証言と多くなってし
まった。何か他の証言者との符節を合わすためあろうか。

死亡状況はもっと惨いものだった。その感慨はつとに表出されている。しかし、具体
的な状況と結びつけての感慨にならないので、いつも上滑りな言葉で表現されている。
今回も「散乱状況」がものすごいなどと変なところに驚いている。

「怖い」という感情が共通して表出されているということは話者にとって重要な位置
づけとなっている。しかし、この感情もそれに見合った状況に応じて表出されていな
い。たま、表出された時点がすべて違う。これは何を物語るのか。実は怖いという気
持ちはそのときに持ったのではないことを示している。

「怖い」という感情は対鈴木明証言ではなんと、捕虜の不安に転移し、その後暴動の
実現となる。しかし、護送兵が怖いと思うことと捕虜が不安を持つことの間には
実は何の連関もないのである。これは単に暴動の理由付け、伏線が欲しいだけである。
他の証言でも要するに、暴動への伏線にしたいわけである。

       ◇       ◇       ◇

三つの証言を通して読むと重要部分があるものには書いてあり、あるものには書いて
ない。連行捕虜数、殺害捕虜数などが違っている。暴動の状況も具体性がない。何か
を隠しているか、嘘を言っているのは間違いがない。これは平林証言内部の矛盾である。
三つの証言を通して共通して書かれていることがどのくらいあるだろうか。(阿)が
短く、反論仕立てになっているためもあるが、完全な共通部分というのは非常に少な
いのが特徴である。(阿)を中心に証言の共通部分を組み立ててみると下記のように
なる。

「十七日夜のこと、『対岸に逃がす』という上官の指示で総数四千くらいの捕虜を数
キロの距離ほど離れた揚子江岸へ連行した。これだけの人数が暴れ出したら、抑えき
れないので怖かった。」
「一部で捕虜が騒ぎ出し、威嚇射撃をした。それが騒動を大きくしてしまった。偶発
であり、(最初から)殺害する積もりはなかった。三千人くらいの捕虜が死んだ。こ
ちらにも少数、被害が出た。」
「翌日死体の始末に出たが惨い感じを強く持った。」

ある程度、意を汲んで書いてみたが、この程度に終わる。他の証言者で複数回証言さ
れた方がいるがその共通部分は非常に多く、内容豊富であった。

次のような証言は偽造・捏造証言である。

1.読者に対してある判断への誘導をしきりに行う。
2.事件の目撃・体験証言において話者の位置が不明確である。
3.事件の開始、発展、終了が曖昧である。事件の生成・発展の内的連関が事実から
  経時的に説き起こされるのではなく、概念的、説明的かつ超時間的に語られる。
4.複数回の聞き取りにおいて事件の重要な骨子部分がわずかである。それでも証言
  から受ける印象も聞き取り毎に違う。

平林証言は単独でも、複数を総合しても捏造・偽造の疑いが濃い。


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