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  ラーベは武器商人か? ゆう 2003/04/12 11:03:07  (修正2回)
  ジーメンス事件 ja2047 2003/04/12 18:14:45 
  │├まだ作りかけですが・・・ ゆう 2003/04/12 18:39:18 
  │└ja2047さん、はじめまして。 名なし便衣兵 2003/04/12 23:18:14 
  │ └ありがとうございました。 ja2047 2003/04/13 09:47:40  (修正1回)
  │  └jaさん、こんばんは。 名なし便衣兵 2003/04/13 23:26:19 
  「ラーベは武器商人か?」、アップしました。... ゆう 2003/04/13 18:53:06 
   └「実名で証言すると・・・」=WhatWarMeans... 渡辺 2003/04/19 02:50:57  (修正2回)

  ラーベは武器商人か? ゆう 2003/04/12 11:03:07  (修正2回) ツリーへ

ラーベは武器商人か? 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/04/12 11:03:07 ** この記事は2回修正されてます
ja2047さんの全面協力の下、「ラーベは武器商人か?」と題するコンテンツを、準備中です。あまりの「俗説」で、今更という気もするのですが、掲示板では、今なおこの説を書き込む方をよく見かけますので・・・(大抵、すぐに反論を受けて引っ込んでしまうようです)。


ラーベを「武器商人」とする「俗説」は、どうやら田中正明氏の次の文がルーツであるようです。

>ラーベの所属するジーメンス社は、兵器や通信機の有名な製作会社である。ラーベの納めた高射砲は当時日本にもない優秀なもので、ラーベはこれらの兵器を売り込むため、南京出張所を勤めていたのである。

http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html

しかし、このソースがどうしてもわからない。「ジーメンス社は、兵器や通信機の有名な製作会社」というのは明らかな誤りですし、ラーベが「高射砲」を納めた事実は、私の知る限りどの資料にも出てきません。

他の否定派のラーベ評をざっと見てみたのですが、ラーベを「武器商人」と断定しているものは、他に見当たらない。

例えば、「再審・南京大虐殺」では、「親中派の軍需産業シーメンスの利益代表であるラーベ」(P56)という、何とも微妙な表現。東中野氏は言及なし。松村俊夫氏「南京虐殺への大疑問」では、「ラーベが南京支社の責任者をしていたドイツのジーメンス社は、当時でも強電機・通信などの一大コンツェルンとして世界に君臨し、ラーベが従事していた南京市の電気関係からの注文は大きかった」(P213)と、武器商人のぶの字も出てこない。


これまた、よく引用される、読売新聞20世紀取材班の「20世紀欧州大戦」(中公文庫)ですが・・・。

**********************
日本軍による南京での虐殺事件(一九三七年)を克明につづった独商人ジョン・ラーベの日記が、九六年末に出版され、世界的反響を呼んだ。そのラーベの中国での活動を通し、独中関係の裏表をうかがうことができる。

ハンブルク生まれのラーベは二十六歳で貿易会社の中国駐在員となり、やがて独ジーメンス社に移籍し駐在を続けた。

第一次大戦後、独産業界はベルサイユ条約での禁止にもかかわらず、ひそかに武器輸出を続けた。二五年に中国の各軍閥が輸入した武器総量の六割は独製だった、との説もある。

ミュンヘンのジーメンス本社付属博物館には、ラーベ自身がタイプ打ちした二百十五ページの手記「中国のジーメンス・コンツェルンでの二十五年」が残されている。学芸員は「わが社は武器を製造したことはないはずで、ラーベの記述にも武器関係はない」とする。

だが米ハーバード大学教授ウィリアム・カービィによると、同社もオランダの複数の会社を通じ、中国へ武器を売っていたという。成城大学教授・田嶋信雄は「二〇年代のラーベは武器貿易にかかわったはず」と見る。

孫文は二四年、ラーベの同僚で広東駐在のグスタフ・アーマンを通じ、ドイツから軍事顧問団を招こうとした。これは実現しなかったが、二八年、蒋介石が成功する。この年、ドイツは蒋介石の南京政府を正式承認し、翌年には独中貿易協定が結ばれる。

ラーベは三一年、ジーメンス社南京支社長となる。同社は、北京の発電、成都の放送などの各工事を受注、中国近代化事業に加わった。

南京の自分の土地にドイツ人学校を作ったラーベは、ヒトラー政権から支援を受けやすくするため、ナチス党員になった。

独軍退役将校の武器商人ハンス・クラインが、三四年、独国防軍を後ろ盾として貿易会社「ハプロ」を設立、両国の軍事・経済関係が一段と強まる。

蒋介石政権は、三六年、重工業建設を柱とする「三か年計画」を打ち出す。主な資金はドイツからの巨額の借款だった。ジーメンス社は湖南省の製鉄プラント建設で、土木工事を請け負った。

「これらは対日戦争に備えた国防建設事業で、ラーベも力を入れただろう」(田嶋)

(P161〜P162)

***************************

「・・・説もある」「・・・はずと見る」など、ちょっと頼りない記事ではありますが・・・。

田嶋教授の根拠は明確ではありませんが、上の記事が正しいとすると、以下のことが言えそうです。

1.ジーメンス社が、「武器製造」に関わった事実は確認できない。

2.「複数のオランダの会社」を通じて、武器を売っていた(「製造」ではなく「販売」?)可能性はある。ただし、それを明確に裏付ける資料は存在しない。

3.いずれにしても、それは「20年代」の話。30年代に入ってからは、ラーベは「武器」には一切関わっていないと思われる。

4.従って、南京事件当時、ラーベが「兵器を売り込むため、南京出張所を勤めていた」というのは、明確な誤りである。


ja2047さんの調査結果も紹介します。(大部の調査結果を、私が大胆に要約し、一部私のコメントを付加したりもしていますので、ja2047さんの意に沿わないところがあるかもしれません。従って以下の文責は、私にあります)

1.ジーメンスが高射砲を納入したという話は日本の否定派サイトにしか出てこない、記述が同一なのでソースは一つと思われる。

2.ジーメンスが火器を生産した事実はない。電機屋なので、対空砲関係で、砲架駆動装置、探照灯、レーダーには関係しているようだが、これをもってジーメンスを「軍需産業」と呼ぶことはできない。

3.高射砲関係では、ジーメンスのオランダの関係会社である"Haze Meyer"社が、架台、駆動装置を製造していた。田中氏は、このことを誤認したのかもしれない.


さて、どうまとめようか・・・。ただいま、思案中です。
皆さん,何か関連情報がありましたら,よろしくお願いします.

  ジーメンス事件 ja2047 2003/04/12 18:14:45  ツリーへ

Re: ラーベは武器商人か? 返事を書く ノートメニュー
ja2047 <zguiletmbk> 2003/04/12 18:14:45
ジーメンス事件
について調べて置かなくちゃ。
と思って、図書館に行ってみたんですが、事件の影響については書いてある本がありますが、ジーメンス・シュッケルトが何を売ろうとしたのか判らない(^^;
どうも潜水艦に関係してるようなんで、そうなると潜水艦用の主電動機(Uボートもジーメンス製を使ってます)だと思います。

”軍需産業”の定義は難しいですが、日本史上の常識としての”ジーメンス事件”の位置づけからすると、ジーメンスが”軍需産業”ではないと定義するのはダブスタに見えると思います。

  │├まだ作りかけですが・・・ ゆう 2003/04/12 18:39:18  ツリーへ

Re: ジーメンス事件 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/04/12 18:39:18
まだ作りかけですが・・・

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/rabe3.html

これに、読売新聞記事へのコメント、ja2047さんのコメント(今回は全面的にご助力いただきました。ありがとうございます)、それに皆さんから情報がありましたらそれを加えて、とりあえずの「完成」としようと思っています。

よろしくお願いします。

  │└ja2047さん、はじめまして。 名なし便衣兵 2003/04/12 23:18:14  ツリーへ

Re: ジーメンス事件 返事を書く ノートメニュー
名なし便衣兵 <ydozdofjof> 2003/04/12 23:18:14
ja2047さん、はじめまして。
名なし便衣兵、と申します。ここへの投稿は初めてですが、どうぞよろしくお願いいたします。で、早速ですが、ジーメンス事件について、もっている資料の記述を書き込みます。少々長くなりますが、ご参考に。

「ジーメンス事件について」
(学研 「歴史群像」太平洋戦争シリーズ 「金剛型戦艦」P81-82)ドイツ、ジーメンス・アンド・シュッケルト電気株式会社東京支社のドイツ人社員、カール・リヒテルが、自社の秘密書類を盗み出し、1903年(明治36)10月17日に、シ社に強迫書を送り二万五千円を要求したが果たせず、書類を七百五十円でロイター通信社のテンドリュー・メルベル・ブーレー通信員に売却して帰国した。当時の七百五十円は、今日の貨幣価値に換算すると、大体七十五万円に相当する。
 リヒテルが盗み出した書類は、シ社が日本海軍官憲に対して贈賄を行った件の秘密書類であったため、シ社重役陣は同社の信用と関係海軍将校への累罪を恐れ、ブーレー社員が書類の公表を図った事に対して、もみ消し工作を行い、一応は公表を防止した。
 シ社から状況をうち明けられた日本海軍の斉藤実海相(後に二・二六事件で凶弾に倒れる)は、「わが海軍部内にかかる醜事に関係する武官あるべからず。秘密書類の公開はむしろ望む所なり」と回答した。
 その後、日本の警視庁と検事局を経由して、シ社とブーレー通信員の間で妥協が成立し事件集結の報告が来た。  
 ところが、ベルリン法廷でリヒテルの刑事裁判事件が突発し、時事新報のロンドン電報により立憲同志会(後の憲政会)総務・島田三郎の衆議院予算委員会における質問となり、司法官権の活動開始、また査問委員会の設置により、ついに海軍側より沢崎寛猛大佐、藤井光五郎機関少将、鈴木周二造船中監、そして呉鎮守府長官・鈴木和海軍中将の四収賄被告人を出した。(中略)
 問題の事件は、シ社が、海軍艦政本部部員の鈴木周二造船中監の夫人がシ社横浜支配人の吉田収吉の姪であることを利用して入札情報を入手、イギリス系のアームストロング社やヴィッカース社よりも有利に入札でき、(収賄の現金は・引用者)海軍関係の通信・電気装備品を一手に納入していた事への謝礼であった。
 (引用終わり)

というわけで、ジーメンス事件で問題になったのは、通信・電装関係品であったということです。なお、以前どこかの否定派の人だったかが、
軍艦金剛の受注に絡む事件であって軍艦の売買の話なのだから、というような発言をしていたことがありましたが、これはジーメンス事件と
ヴィッカース事件を混同した勘違いだと思われます。この事件で日本軍関係者に賄賂を送っていたのは、ヴィッカースを始めとするイギリスの
数社、でした。
 

  │ └ありがとうございました。 ja2047 2003/04/13 09:47:40  (修正1回) ツリーへ

Re: ja2047さん、はじめまして。 返事を書く ノートメニュー
ja2047 <zguiletmbk> 2003/04/13 09:47:40 ** この記事は1回修正されてます
ありがとうございました。

ご活躍ぶりは拝見してます。
修羅場ですね、あそこは。

>というわけで、ジーメンス事件で問題になったのは、通信・電装関係品であったということです。

「通信・電気装備品」全般ということで、その中の何ということではないようですね。
しかし、アームストロングやヴィッカースと競合するとなるとちょっとピンと来ませんね。こちらはホンモノの”軍需産業”ですから。
「電装品だけウチを指定業者にしてね」ってわけかな?

「潜水艦の主電動機」についてはある時点で提携先の富士通が供給するようになったようなのですが、この事件の時期どうだったのか、まだわかりません。


なお、HAPRO社というのは”Handelsgesellschaft fu(ウムラウト)r industrielle Produkte(工業製品商事会社)"の略だそうで、今回初めて知りました。
http://www.ub.uni-konstanz.de/v13/volltexte/1999/126//pdf/126_1.pdf

  │  └jaさん、こんばんは。 名なし便衣兵 2003/04/13 23:26:19  ツリーへ

Re: ありがとうございました。 返事を書く ノートメニュー
名なし便衣兵 <ydozdofjof> 2003/04/13 23:26:19
jaさん、こんばんは。
投稿をお読みいただけだようですね。わずかながらでもお役に立てれば幸いです。で、書き方が悪かった部分があるようですので、一部補足いたします。

>しかし、アームストロングやヴィッカースと競合するとなるとちょっ>とピンと来ませんね。こちらはホンモノの”軍需産業”ですから。

シーメンス事件ではもちろん、「軍艦金剛事件」でも、シーメンス社はアームストロング、ヴィッカース社等との競合はしていません。
「軍艦金剛事件」で、三井物産との間に贈収賄を行っていたのは、アームストロングなどイギリスの数社のみです。ではなぜシーメンス事件の話で「金剛事件」が出てくるのかと言えば、前出「歴史群像〜」p86に、次のように書かれています。
「(シーメンス事件についての)海軍査問委員会の鋭い追求を受けた藤井機関少将は、ついにシ社からの収賄を認めると共に、意外な事実を供述した。
 藤井少将は、1910年(明治43)の巡洋戦艦「金剛」のヴィッカース社発注にからむ同社からの収賄を始めとして、1913年九月までに八回もイギリスの各社から斡旋料を収受していたのである」

つまり、シーメンス事件で、収賄側の中で名前が挙がった藤井機関少将を、捜査の過程で追求するうちに、全く別の贈収賄事件が発覚した、だから軍艦金剛事件とシーメンス事件が、時として混同される、というわけです。
引用した記述から明らかなように、「軍艦金剛事件」についてはシーメンス社は全くの無関係であり、武器商人である、という指摘は、この点からも否定されることになると思います。

  「ラーベは武器商人か?」、アップしました。... ゆう 2003/04/13 18:53:06  ツリーへ

Re: ラーベは武器商人か? 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/04/13 18:53:06
「ラーベは武器商人か?」、アップしました。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/rabe3.html

ja2047さんの全面的なご協力のおかげで、なかなかのコンテンツに仕上がったと思っています(^^)。また、渡辺さん(ラーベと発電所復旧)、名なし便衣兵さんのご投稿も、リンクを貼らせていただく形で使わせていただいています。ご了承ください。

もし何か関連情報がありましたら、ぜひご一報下さい。

(こんな「共同作業」は、実に楽しいものです。ja2047さん、また何かありましたら、よろしくお願いします(^^))


*ところで次には、「実名で証言すると・・・」とのコンテンツを構想しています。

掲示板では、「実名」での証言でないことをもって、その信頼性を疑うという投稿がちょくちょく見られます。ひどいのになると、何で実名で証言しないんだ、という「日本の社会風土」に全く無知な発言もあります。

こんな発言をするのは、どうせ社会常識のない高校生あたりなのでしょうが、我々(?)「おじさん」としては 、きちんと説明しておく必要がある、と考えます。

その好サンプルが、「隠された聯隊史」にありました。それをもとにして、コンテンツを作りかけているのですが・・・。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/jitumei.html

最初の構想では、栗原伍長の体験、「都城第二十三連隊」の犯人探しあたりを材料にしようと思っていたのですが、栗原伍長については思ったほど生々しい話が残されていない(このあたり、「核心」さんから情報をいただけるとありがたいのですが)。コンテンツにするには、これ以外にも、もう少しいろいろな材料が欲しいところです。

「南京事件」に限定しなくても結構です。「実名で戦場の残虐行為を証言したために社会的に不利な扱い」を受けた例について、何か事例がありましたら、ぜひ情報をいただけるとありがたく思います。

   └「実名で証言すると・・・」=WhatWarMeans... 渡辺 2003/04/19 02:50:57  (修正2回) ツリーへ

Re: 「ラーベは武器商人か?」、アップしました。... 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/04/19 02:50:57 ** この記事は2回修正されてます
「実名で証言すると・・・」=WhatWarMeansの場合

 タラリさんにはまだ返信していないのですが、もう少しお待ちください。(別件がたまっていまして...)

 これは、国内の戦後の証言ではないので、ゆうさんのテーマから外れるかもしれませんが、「南京事件」で匿名の証言といえば、例のティンパーリーの What War Means ですね。
 すでに指摘しましたように、ベイツの文書には手が加えてありますが、現在では文書の作成者がほとんど分かっていていて、結局、原文と同じものだったわけです。匿名であるということと、資料の信憑性は直接には関係ありません。
 確かに、匿名だと検証しにくい面がありますが、匿名だから信頼性がないなどというのは、むちゃです。

 ところで、フィッチの My Eighty Years In China に掲載されている YMCA Men's Club のメンバーだった中国人 Sarcy Chen の手紙によれば、後日、 What War Means (the book compiled by Mr.Timperley)について憲兵が関係者を調べていたことがわかります。
 なお、この手紙は Chen氏が処刑された後に持ち出されたと説明があります。(訳しにくい箇所がありますが、時間ができましたら訳をつけてみたいと思います。)

Nanking, October 20, 1939
Dear Mr. Fitch,
...
The relief work in the former capital has been carried on quite successfully, as I am sure you know from the reports we sent you since you left.
The Japanese arrested our innocent people without reason, and we stayed in Nanking risking our lives, simply because the work had to be done. On the night of December 7, 1938, Japanese gendarmes and police of the "reformed government" mobilized, as if for a great battle, to arrest seven helpers of the Committee for the whole night. I was one of them. As a principal of the victims, I was tried five times on question came from; any connection with you; the book compiled by Mr.Timperley; and the Bible classes held by Rev.Mills at the Ming Teh Girl's School,[ママ] Many times they wanted to shoot me. Staying at the detention room for one hundred thirty-six days, dreadly but not fearfully, we wre[ママ] finally freed on guarantee on April 22, 1939, after the strenuous and energetic work of Rev.Mills, Rev.Stone,[ママ] and Dr.Bates.
....

[George A. Fitch, "My Eighty Years in China",Revised Edition, Mei Ya Publicatios, Inc., Taipei, 民国63, p.436]

 それから、What War means の南京以外の証言は、 China Weekly Review に匿名で発表済みのものが2件ありました。(まだ、文章を逐語的に比較していませんが...)


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