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  『証言・南京大虐殺』と田中正明氏の引用 KOIL 2003/04/30 21:15:15  (修正1回)
  K−Kです。 K−K 2003/05/03 01:26:25 
  │└KOILです。. KOIL 2003/05/07 00:00:39 
  │ └鹿地亘、青山和夫などなど K−K 2003/05/10 01:19:40  (修正1回)
  『続・重光葵手記』について K−K 2003/05/05 23:06:42 
   └>こないだ『続重光葵手記』(中央公論社)... KOIL 2003/05/08 00:29:03 

  『証言・南京大虐殺』と田中正明氏の引用 KOIL 2003/04/30 21:15:15  (修正1回) ツリーへ

『証言・南京大虐殺』と田中正明氏の引用 返事を書く ノートメニュー
KOIL <yyiivymypb> 2003/04/30 21:15:15 ** この記事は1回修正されてます
中国共産党の記録にもないhttp://www.history.gr.jp/nanking/reason11.html
にある『証言・南京大虐殺』の引用と原文がどう食い違っているのか、検証してみました。

姫田氏は「南京大虐殺から3、4年たって発行された中共側の抗日戦争に関する比較 的まとまった書物の中にもこの事件(南京事件)のことは依然として触れられていない」と 告白
し、その理由として、「中国側がこの事件を大々的に取り上げていないのは、抗日民 族統一戦線が出来たばかりなので、国民党に対する政治的配慮があったからだと思わ れる」と言
うのである(「証言・南京大虐殺」南京市文史資料研究会編 邦訳(青木書 店)218ページ)。

延安の時事問題研究会で発行した「抗戦の中国叢書」(1941年刊行)のうちの一冊「抗戦中の中国軍事」の 中では、南京の失陥は国民党軍の作戦の拙劣さにあったといって「わが退
却部隊を極端な壊滅的混乱に陥 いれたものは誰か」ときびしく責任を追及し、国民党軍の作戦の拙劣さを徹底的に非難している。
のみならず「嘆かわしかったのは若干の政府高官が、遷都の正しい意味を理解せず《逃亡》だと考え、冷静 さを失い、理性を失い、人心を動揺させ、外国人に嘲笑されるような現象を
生み出した」(「証言・南京大虐殺」 南京市文史資料研究会編 邦訳(青木書店)219ページ)と、完膚なきまでに国民党政府指導者をやっつけて いる。
ここまで批判しながら、南京事件には一言も触れていないのである。

さらに姫田氏は、「南京大虐殺のニュースは、当時はそれほど大きな反響が(中国内で)おこらなかったの は、日本の報道管制がこのニュースを一般中国人に知らせなかったことが一
番大きな理由であろう」(「証言・ 南京大虐殺」南京市文史資料研究会編 邦訳(青木書店)217ページ)と言っている。

「朝日」は書評で姫田氏のこの解説を「光っている」と評価しているが、一体何が光っているのだろうか?
その中国共産党が、半世紀近くも経た今日「南京では40万人の人々が虐殺された」(「証言・南京大虐殺」南 京市文史資料研究会編 邦訳(青木書店)162ページ)「動かぬ証拠は山
の如く、言い逃れは許さない」(「証 言・南京大虐殺」南京市文史資料研究会編 邦訳(青木書店)60ページ)と声高に叫び始めたのは一体どうし たことなのだろうか?
http://www.history.gr.jp/nanking/reason11.htmlより

田中氏引用
「南京大虐殺から3、4年たって発行された中共側の抗日戦争に関する比較 的まとまった書物の中にもこの事件(南京事件)のことは依然として触れられていない」

原文
「南京大虐殺から三、四年たって発行された中共側の抗日戦争にかんする比較 的まとまった書物の中にもこの事件のことはいぜんとして触れられていない」
『証言。・南京大虐殺』p218(以下、ページ数のみ示す)
田中氏引用文→原文(以下同じ)

3、4年→三、四年
関する→かんする
(南京事件)→原文になし
依然として→いぜんとして

田中氏引用
中国側がこの事件を大々的に取り上げていないのは、抗日民 族統一戦線が出来たばかりなので、国民党に対する政治的配慮があったからだと思わ れる

原文
「中共側がこの事件を大々的にとりあげていないのは、抗日民 族統一戦線ができたばかりなので、国民党にたいする政治的配慮があったからだと思わ れる」
p218

中国側→中共側
取り上げて→とりあげて
出来た→できた
対する→たいする

そして、この引用の仕方は、実は正しくない。

「中共側がこの事件を大々的にとりあげていないのは、抗日民 族統一戦線ができたばかりなので、国民党にたいする政治的配慮があったからだと思わ れる。
 南京大虐殺から三、四年たって発行された中共側の抗日戦争にかんする比較 的まとまった書物の中にもこの事件のことはいぜんとして触れられていない」
p218

というのが、原文での正しい文章の並び方である。
このとき、「中共側?思われる」の文章は南京事件から三、四年経った頃について述べているのではなく、その前の文章
「南京大虐殺がまだ進行中で、日本中が南京陥落の祝勝提灯行列などで浮かれ騒いでいたころ、・・・」(p214)や
「さらに延安で八路軍の戦う姿を克明に追っていたアグネス・スメドレーのルポタージュ(『中国のうたごえ』一九三八年ころの記述)にも、」(p218)
からわかるように南京大虐殺から数年内のころについて述べている。


田中氏引用文
「わが退却部隊を極端な壊滅的混乱に陥 いれたものは誰か」
「嘆かわしかったのは若干の政府高官が、遷都の正しい意味を理解せず《逃亡》だと考え、冷静 さを失い、理性を失い、人心を動揺させ、外国人に嘲笑されるような現象を生み出した」

原文
「わが退却部隊を極端な壊滅的混乱に陥 しめた」(田中氏は明記していないがこれは『証言南京大虐殺』p219からの引用)
「嘆かわしかったのは若干の政府高官が遷都の正しい意味を理解せず、”逃亡”だと考え、冷静 さを失い、理智を失い、人心を動揺させ、外国人に嘲笑されるような現象を生み出した」
p219

陥 いれたものは誰か→陥 しめた
理解せず《逃亡》→理解せず、”逃亡”
理性を→理智を


田中氏引用文
「南京大虐殺のニュースは、当時はそれほど大きな反響が(中国内で)おこらなかったの は、日本の報道管制がこのニュースを一般中国人に知らせなかったことが一番大きな理由であ
ろう」

原文
「南京大虐殺のニュースが当時の中国ではそれほど大きな反響をおこしていなかったように思われる。日本の報道管制がこのニュースを一般中国人に知らせなかったことが一番おおき
な理由であろう」p217


南京大虐殺のニュースは、当時はそれほど大きな反響が(中国内で)おこらなかったの は、→南京大虐殺のニュースが当時の中国ではそれほど大きな反響をおこしていなかったように
思われる。

おおきな→大きな

田中氏引用文
「南京では40万人の人々が虐殺された」

原文
「南京では四十万の人々が虐殺された」p162

40万人→四十万



※ところで、少し前に南京事件にかんする流言を調べようと思い立ち、こんなページを作成しました。
http://alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/ul/nanking.html
こないだ『続 重光葵手記』(中央公論社)を読んだのですが、『13のウソ』に引用されている「赴任〔中略〕して南京事件の実相を知るに及んで、我軍隊の素質、日本民族の堕落に憤り
を発せざるを得なかった」という部分を見つける事が出来ませんでした。どなたかこの部分はどこにあるのかご教示願えませんでしょうか?

  K−Kです。 K−K 2003/05/03 01:26:25  ツリーへ

Re: 『証言・南京大虐殺』と田中正明氏の引用 返事を書く ノートメニュー
K−K <ecoepxmujl> 2003/05/03 01:26:25
 K−Kです。
 こんにちは、KOILさん。

 「やはり」と言ってはなんですが、田中正明氏の引用は杜撰ですね。
 引用の杜撰さとは別に、文章の順序を入れ替えることで文脈を捏造することまでしているのですから、やはり、松井日記の捏造も、「在るべくして在った」ものなのでしょう。

 ところで、「南京事件に関する噂」を読ませていただきました。
 さすがに、集めますね(笑)。
 重光日記に関してですが、私も調べてみようかと思います。何かあったら、後日、報告いたしましょう。

◆「南京事件に関する噂」より
>あと『What war means』の日本語訳本には『戦争とは? 日本軍暴行録』(序文 鹿地亘・
>青山和夫)と『外国人の見た日本軍の暴行』の2書が
>存在するらしいのだが詳細が不明。

 実は私も最近、こっちの方を調べています(といっても、まだ始めたばっかりですが)。とりあえず、青山氏の『反戦政略』『謀略熟練工』と、鹿地氏の『回想記「抗日戦争」のなかで』『平和村記』を読んだところです。なかなか、こっちはこっちで面白くて、ちょっとはまってしまっています(笑)。

 『戦争とは?日本軍暴行録』は、重慶において出版された日本語版だと思われますが、未だ私も消息がつかめないものです。鹿地氏や青山氏の序文などは、もしかしたら『日本人民反戦同盟資料(全12巻+1)』(不二出版)のどこかにあるかも知れません。

 『外国人の見た日本軍の暴行』は、日本軍によって訳されたと言われているもので、今現在、読むことができるのはこちらの方の様です。

 ついで、これについては、以下のページ(Googleのキャッシュですが)で、なかなか興味深いことが書かれています。
http://www.google.co.jp/search?q=cache:rYK_zuTW-iYC:www2.neweb.ne.jp/wd/sekisei/sub7.htm+%E9%9D%92%E5%B1%B1%E5%92%8C%E5%A4%AB%E3%80%80%E5%8D%97%E4%BA%AC&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8

  │└KOILです。. KOIL 2003/05/07 00:00:39  ツリーへ

Re: K−Kです。 返事を書く ノートメニュー
KOIL <yyiivymypb> 2003/05/07 00:00:39
KOILです。.
K-Kさん。こんばんは。


えと、まず、URLが間違えてました。しかもindexページのリンクも間違ってるし。正しいURLは以下の通りで・・・すいません。
http://alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/ul/nanking.html


>◆「南京事件に関する噂」より
>>あと『What war means』の日本語訳本には『戦争とは? 日本軍暴行録』(序文 鹿地亘・
>>青山和夫)と『外国人の見た日本軍の暴行』の2書が
>>存在するらしいのだが詳細が不明。

> 実は私も最近、こっちの方を調べています(といっても、まだ始めたばっかりですが)。とりあえず、青山氏の『反戦政 略』『謀略熟練工』と、鹿地氏の『回想記「抗日戦争」のなかで』『平和村記』を読んだところです。なかなか、こっちは こっちで面白くて、ちょっとはまってしまっています(笑)。

> 『戦争とは?日本軍暴行録』は、重慶において出版された日本語版だと思われますが、未だ私も消息がつかめない ものです。鹿地氏や青山氏の序文などは、もしかしたら『日本人民反戦同盟資料(全12巻+1)』(不二出版)のどこか にあるかも知れません。

重慶、・・・国民政府の遷都先ですね。
『What war means』の中国語訳(序文 郭沫若)が漢口で出版(1938.7)され
たんだから、なぜ同じ漢口で出版しないんだ?とふと疑問に思いましたが・・
おそrく、鹿地亘が重慶で活動していた事と関係があるのでしょう。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-148.html

あと『日本人民反戦同盟資料(全12巻+1)』は検索したところ、大学にあることが判明しました。ただしただ他学部のものですから貸し出せるかどうかはわかりません。貸出可能なら調べてみます。

> ついで、これについては、以下のページ(Googleのキャッシュですが)で、なかなか興味深いことが書かれています。
http://www.google.co.jp/search?q=cache:rYK_zuTW-iYC:www2.neweb.ne.jp/wd/sekisei/ sub7.htm+%E9%9D%92%E5%B1%B1%E5%92%8C%E5%A4%AB%E3%80%80%E5%8D%97%E4%BA%AC&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF- 8

あれ・・こちらでも大丈夫ですよ…
http://www2.neweb.ne.jp/wd/sekisei/sub7.htm

-------------------------------
http://www2.neweb.ne.jp/wd/sekisei/sub7.htmより
>青山和夫著『反戦攻略』(三崎書房)によると、彼は「中国の抗日戦争が最後には世界戦争(日米戦争)に発展し、そ
>の力 で日本を敗戦に追いつめる」という戦略を中共に提起し、「最高戦争調査委員会」(蒋介石委員長)の顧問にま
>でなってい る。

その後の日本軍はまさしくこの戦略どおりの行動を取ってしまったわけで・・・・・

http://www2.neweb.ne.jp/wd/sekisei/sub7.htmより
>また、「彼によると、『外国人の見た日本軍の暴行』(ティンパーリー著)は、英人がロンドンで出版した形になっている
>が、実は国民党の政治部が金を出して出版したもので、日英中の三版があるとのことである」(谷口巌著『南京大虐>殺の 研究』昭和59年8月刊、31頁)

このくだりなど、なんか北村稔あたりが喜びそうなネタですね・・・
そういえば『正論』03.4でも東中野が似たような事を書いていました・・

http://www2.neweb.ne.jp/wd/sekisei/sub7.htmより
>北村氏の今回の発見は、当然のことながら青山和夫の指摘とも合致している。そしてティンパーリーの著作よりも早く
>出版 された宣伝パンフが『敵冦暴行実録』(国民党政治部刊)という写真集である。これには郭沫若と青山、鹿地が
>序文を書い ている。この書物は日本では発見されていない。それは藤岡信勝・東中野修道著『ザ・レイプ・オブ・南京>の研究』(詳伝 社)によると、アメリカのスタンフォード大学付属フーバー研究所アジア文庫に所蔵されているという(7>3頁)。

これ『敵寇暴行実録』は『日寇暴行実録』の誤りですよね、あと「ティンパーリーの著作よりも早く」というのもよくわかりません『日寇暴行実録』も『What war means』も『外人目睹中之日軍暴行』も全て1938.7に発行されたんじゃありませんでしたっけ・・・・

いずれにせよ、この『日寇暴行実録』にも郭沫若・青山・鹿地が序文をよせているとは・・

-------------------------------

  │ └鹿地亘、青山和夫などなど K−K 2003/05/10 01:19:40  (修正1回) ツリーへ

Re: KOILです。. 返事を書く ノートメニュー
K−K <ecoepxmujl> 2003/05/10 01:19:40 ** この記事は1回修正されてます
 鹿地亘、青山和夫などなど

>重慶、・・・国民政府の遷都先ですね。
>『What war means』の中国語訳(序文 郭沫若)が漢口で出版(1938.7)され
>たんだから、なぜ同じ漢口で出版しないんだ?とふと疑問に思いましたが・・
>おそrく、鹿地亘が重慶で活動していた事と関係があるのでしょう。
>http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-148.html

 すみません、完全に間違いました(笑)。
 「重慶」ではなく「漢口」ですね。さすが、スルドイ。


>あと『日本人民反戦同盟資料(全12巻+1)』は検索したところ、大学にあるこ
>とが判明しました。ただしただ他学部のものですから貸し出せるかどうかはわかり
>ません。貸出可能なら調べてみます。

 私もチラリと見ただけなのですが、多くが手書きの手紙などなので、読むのはなかなか骨と思われます。まだまだ、私もたいして調べていないのですが、鹿地亘『「抗日戦争」のなかで』などは、当時の事情が分かりやすく書かれていると思います。
 また、青山和夫『反戦政略』『謀略熟練工』も、解りやすいといえば解りやすいですね。
 あと、周辺事情として、松本清張『日本の黒い霧』も読んでみると面白いでしょう。



>>また、「彼によると、『外国人の見た日本軍の暴行』(ティンパーリー著)は、英
>>人がロンドンで出版した形になっている
>>が、実は国民党の政治部が金を出して出版したもので、日英中の三版があるとのこ
>>とである」(谷口巌著『南京大虐>殺の 研究』昭和59年8月刊、31頁)
>
>このくだりなど、なんか北村稔あたりが喜びそうなネタですね・・・
>そういえば『正論』03.4でも東中野が似たような事を書いていました・・

 実はこの部分が気になって、青山和夫の著作を読んだのですが、結局、該当する記述は見あたりませんでした。
 おかしいと思って谷口巌氏の『南京大虐殺の 研究』を見てみたところ、青山氏の経歴や活動などを同氏の『反戦政略』から引用しながら紹介しているのですが(ページ数も明記してある)、この『外国人の見た日本軍の暴行』に関する部分だけは、引用も無ければページ数の指摘もありませんでした。
 おそらく、これは、谷口氏の勘違い(悪く解釈すれば捏造)と思われます。



>>北村氏の今回の発見は、当然のことながら青山和夫の指摘とも合致している。そして
>>ティンパーリーの著作よりも早く
>>出版 された宣伝パンフが『敵冦暴行実録』(国民党政治部刊)という写真集である。
>>これには郭沫若と青山、鹿地が
>>序文を書い ている。この書物は日本では発見されていない。それは藤岡信勝・東中野
>>修道著『ザ・レイプ・オブ・南京>の研究』(詳伝 社)によると、アメリカのスタン
>>フォード大学付属フーバー研究所アジア文庫に所蔵されているという(7>3頁)。
>
>これ『敵寇暴行実録』は『日寇暴行実録』の誤りですよね、あと「ティンパーリーの著作
>よりも早く」というのもよくわかりません『日寇暴行実録』も『What war means』も『外
>人目睹中之日軍暴行』も全て1938.7に発行されたんじゃありませんでしたっけ・・・・
>いずれにせよ、この『日寇暴行実録』にも郭沫若・青山・鹿地が序文をよせているとは・・

 『敵寇暴行実録』なのか、『日寇暴行実録』なのかということですが、これも微妙なところです。実は、つい先日、郭沫若『抗日戦回想録』(中央公論社)を読んだのですが、そこには『敵寇暴行実録』と書いてあります(P61)。
 序文に関しては郭沫若『抗日戦回想録』は何も語っていませんのでよく解りませんが、藤岡氏や東中野氏の研究を鵜呑みにすることは出来ないので、判断は保留していたほうがいいでしょう。ただ、もし書かれているとしたら、ぜひ、序文だけでも読んで見たいところですね。

  『続・重光葵手記』について K−K 2003/05/05 23:06:42  ツリーへ

Re: 『証言・南京大虐殺』と田中正明氏の引用 返事を書く ノートメニュー
K−K <ecoepxmujl> 2003/05/05 23:06:42
 『続・重光葵手記』について

>こないだ『続 重光葵手記』(中央公論社)を読んだのですが、『13のウ
>ソ』に引用されている「赴任〔中略〕して南京事件の実相を知るに及んで、
>我軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった」という部分
>を見つける事が出来ませんでした。どなたかこの部分はどこにあるのかご教
>示願えませんでしょうか?

 該当する部分は、同書P366-377にあります。
 目次でいうと、
「マッカーサーの日本管理」→「日本管理 一」→「戦争犯罪」→「七」
 の出だしのようです。

 まだ、斜め読みですが、他にもP294-295にも南京に触れられている部分があります。斜め読みながら、なかなか興味深い資料であることが解りました。もう少し、じっくり読んでみようかと思っています。

   └>こないだ『続重光葵手記』(中央公論社)... KOIL 2003/05/08 00:29:03  ツリーへ

Re: 『続・重光葵手記』について 返事を書く ノートメニュー
KOIL <yyiivymypb> 2003/05/08 00:29:03

>>こないだ『続 重光葵手記』(中央公論社)を読んだのですが、『13のウ
>>ソ』に引用されている「赴任〔中略〕して南京事件の実相を知るに及んで、
>>我軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった」という部分
>>を見つける事が出来ませんでした。どなたかこの部分はどこにあるのかご教
>>示願えませんでしょうか?

> 該当する部分は、同書P366-377にあります。
> 目次でいうと、
>「マッカーサーの日本管理」→「日本管理 一」→「戦争犯罪」→
>「七」
> の出だしのようです。

ありがとうございます。該当個所を見つける事ができなかったのですが、
これでようやく流言のページを更新する事が出来ました。ハイ。
http://alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/ul/nanking.html
ようやっと次の書籍を読むコトが出来ます。(^_^;)


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