『じゅん刊 世界と日本』のコピーを手にいれました。 少し前に掲示板で話題になった、阿羅健一と畠中秀夫について ちょっと書いてみます。
実は、この話題が最初にのぼったのは、私の知るかぎり2chが一番はじめです。 ----------------------------------------- 176
名前:名無しかましてよかですか? :02/09/27 23:08
ID:4jhmdod7
>>140
さて、デタラメを言っているのは誰でしょう?
秦郁彦「昭和史の謎を追う」 ところで、南京虐殺論争の中盤から出現したこの阿羅なるライターには不可解な部分が多い。‥‥
この人物がミニコミ誌などで畠中秀夫の名でやはり南京事件について論じていた人と同一人物と わかったのは、かなりのちのことで‥‥
http://www.history.gr.jp/nanking/reason16.html 最近、畠中秀夫氏が、じゅん刊「世界と日本」に「聞き書き
昭和十二年十二月南京」と題して、 南京に入城した著名人の聞き書きを書いている。
その中で死去する少し前の石川達三氏とのインタビューは特に興味深い。
石川氏は前述の通り小説「生きている兵隊」で発禁処分を受け、執行猶予付きながら、実刑を
科せられているのである。畠中氏はその石川氏と次のような問答をしている‥‥
阿羅健一「南京事件 日本人48人の証言」
昭和五十九年十月、インタビューを申込んだが、会うことは出来なかった。‥‥
南京事件について徹底討論 その21 http://216.239.53.104/search?q=cache:SNiodeaM9MkC:f9.aaacafe.ne.jp/~mukai/nankin2ch/1032446954.html+%E7%95%A0%E4%B8%AD%E7%A7%80%E5%A4%AB&hl=ja&ie=UTF-8 -----------------------------------------
まず、history.gr.jpから問題となった部分を引用します。 ----------------------------------------------------- 最近、畠中秀夫氏が、じゅん刊「世界と日本」に「聞き書き
昭和十二年十二月南京」と題して、
南京に入城した著名人の聞き書きを書いている。 その中で死去する少し前の石川達三氏とのインタビューは特に興味深い。 石川氏は前述の通り小説「生きている兵隊」で発禁処分を受け、執行猶予付きながら、実刑を
科せられているのである。畠中氏はその石川氏と次のような問答をしている。 「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」
―――
そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?
「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」
―――
いわゆる「南京大虐殺」をどう思いますか?
「何万の死体の処理は、とても2、3週間では終わらないと思います。あの話は私は今でも信じ
ておりません」(同書14ページ)。 -----------------------------------------------------
『じゅん刊 世界と日本』の原文は以下のとおりです。
----------------------------------------------------- 「私は信じてはおりません」
お会いしたいと思って連絡をとったが、会える(KOIL注:原文のママ)ことは出来なかった。代わりに 次のような返事をいただいた。簡単だが質問と返答の形で記す。 ―いつ南京にいらっしゃったのですか? 「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です」 ―その時、どのような虐殺を御覧になりました? 「大殺戮の痕跡は一片も見ておりません」 ―いわゆる南京大虐殺をどう思いますか? 「何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私 は今も信じてはおりません」 石川達三氏は南京大虐殺を主張しているわげではなかった。これで、なぜ石川 氏が前田氏の著書に寄稿してくれたかわかった。石川氏も前田氏と同様に、南京 大虐殺はなかったと考えていたのである。冷静に考えてみればこれは当然のこと で、「生きてる兵隊」(KOIL注:原文のママ)の冒頭の部分に、これはフィクションです、とはっきり書か れている。
『聞き書き・昭和十二年十二月南京』/畠中秀夫/『世界と日本』1985.1.5
p14‐15 -----------------------------------------------------
ここでは、漢数字が英数字に変更になっていたり、(二週間後→2週間後)とか 漢字がかなになっていたり(一片→一ぺん)とかしますが、内容に影響はありません。 しかし、田中氏は原文に「お会いしたいと思って連絡をとったが、会える(KOIL注:原文のママ)ことは出来なかった。」 と明記してあるにもかかわらず、「石川達三氏とのインタビューは特に興味深い」などと、 まるで、畠中氏と石川氏が会っているかのようにかいています。
この田中のえー加減な解説により、 ”阿羅氏と畠中氏は同一人物であるにもかかわらず、なぜ一方は石川氏に会い、もう一方は石川氏に会っていないのか” という疑惑が出来上がったのでありましょう。
まぁ、田中正明の言説がいかにイイカゲンなものであるかを示す一例でありましょう。
あと、これから阿羅健一と畠中秀夫は同一人物と考えられます。 「世界と日本」にる石川達三氏の返答部分を繋ぎあわせると『「南京事件」日本人48人の証言』にある石川氏の発言と同じものになります。
----------------------------------------------------- 「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。 何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信 じてはおりません」 阿羅健一/『「南京事件」日本人48人の証言』/小学館(小学館文庫)/01.1.1/ p312
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