この本は、阿羅健一氏の「南京事件 48人の証言」の前身です。実は「前身」だということを知らずに間違えて買ってしまったのですが(^^;
、よく見ると、「聞き書き 南京事件」に登場しているのに、なぜか「48人の証言」からは除かれている方が、たった一人だけいらっしゃいました。松本重治氏です。
この証言、結構面白い。おそらくこの本をお持ちの方は多くないでしょうから、そのうち一部を紹介します。
―難民区委員会で活躍していたベイツ氏はどんな人ですか。
「金陵大学の教授をやっていましたが、普通の大学教授です。 金陵女子大学に日本の将校が来て、収容されている女の子を出せといった、それを学長の呉貽芳が断ったら彼女が殴られた、とベイツ教授がいってました。呉貽芳は私もよく知っている人です」
―ベイツ教授は極東軍事裁判で、南京事件について証言をしていますが、証言の信憑性はどうでしょうか。
「ベイツ教授が自分で見た、といってることは本当でしょう」
―ティンパーレーの『戦争とは何か』を読むと、反日的で、非常に意図的なものを感じますが・・・。
「ティンパーレーは、年令は私より少し上ですが、本当に良心的な人です。学者肌の人でした」
―例えば南京の難民委員会に参加できず、腹いせにああいう本を出したとか・・・。
「そういうことはないと思います。 ベイツ教授は普通の大学教授ですが、ティンパーレーはまれにみる良心的な新聞記者です」
―ティンパーレーは南京のデータを集めていますが、当時、どこにいましたか
「上海の記者でしたから、上海にいたと思います」
―「ニューヨークタイムズ」のアーベント記者をごぞんじですか。
「アーベント君も私の友達です。仲良しで、よくゴルフをしました。最初はそうでもありませんでしたが、一九三三年頃から反日的になり、宋美齢とは特に親しくなりました。いつかもゴルフをやろうとしていましたら、宋美齢からお茶の会によばれているといってゴルフをやらずにいったこともありました」
―南京には何日いました?
「一日泊ったような気もします。一九日には上海に帰りました」
(阿羅健一氏「聞き書き 南京事件 P234〜P235)
阿羅氏の「誘導訊問」が、見事空振りに終わっています。文庫版でなぜこれを除いたのか、何となくわかるような・・・(笑)。
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