『世界と日本』の記事入手しました. ------------------------------------------------------------------- 九、ティンパーリーの謎
福田篤泰氏に資料を送り面会を求めてから数日後、私は福田氏から電話をいた だいた。ちょうど衆議院選挙でとても時間がとれぬ故、電話でお話しくださると のこと。私の質問に対する答を次に要約する。 (1)委員会からの公文書についてのはっきりした記憶がないので、第六号文書の 真偽の判定はできない。 (2)委員会からの申し入れや抗議の多くは、裏づけも証拠もないいい加減なもの で、こちらからもしばしば抗議をした。私も外人が被害届を、よく調べもせず 片っ端からタイプしているのを見て怒ったことがある。略奪中というので、参 謀を連れて現場に急行したが、全くその気配もなかったことがある。この時は アメリカ領事が陳謝した。 (3)関口という海軍士官についての記憶はなく、一緒に行動したこともないと思 う。 (4)日ははっきりしないが、入城直後(十三日夜か十四日)上海の日高信六郎参 事官から電話で「ティンパーリーが結婚するので、大至急南京から出してやっ てくれ」と依頼され、参謀に取り計らってくれるよう頼んだ。 (5)その後どうなったかは記憶にないが、他の記者たちと上海へ帰ったのではな いか。ティンパーリーと会ったことはない。 (6)後に日高氏が「あんなに骨を折ってやったのに、こんな本を書いてひどい男 だ」とこぽしたのを聞いている。 ------------------------------------------------------------------- 「"南京大虐殺"の真相(続)―
ティンパーリーの陰謀」 (『じゅん刊・世界と日本』1984年6月15日号)p79-80
注:丸数字は()に変更しました。
基本的に「1億人の昭和史」に添った証言のようです。
「この時はアメリカ領事が陳謝した。」と言う一句が入っています。 「虚構」版にある『副領事も「これから気をつけます」といって頭をかいていた。』はこれが出所でしょうか・・・????
結局、田中氏の「出所不明の追加」はその根拠がわからないままです。
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