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  畝本正己氏「三千〜六千」説 ゆう 2003/08/24 18:20:41 
  「証言による南京戦史」加登川氏の「お詫び... ゆう 2003/09/03 19:53:16  (修正4回)
   └Re:「証言による南京戦史」加登川氏の「お詫... 靴屋 2003/09/04 18:12:37  (修正1回)
    └否定論の方法 ゆう 2003/09/07 21:25:00  (修正1回)

  畝本正己氏「三千〜六千」説 ゆう 2003/08/24 18:20:41  ツリーへ

畝本正己氏「三千〜六千」説 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/08/24 18:20:41
「証言による南京戦史」最終回の中で、畝本正己氏の「犠牲者数」についての見解は、「三千〜六千」として紹介されています。

明らかに過少な数字で、私もその根拠を知りたかったのですが、「偕行」1985年5月号の中に詳しく書かれたものがありましたので、私のページに追記しました。


http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/giseisha.html##unemoto


「偕行」の読者を意識してか、「民間人」の犠牲者を含まず、また「幕府山事件」も無視した、本当に最小限の「推定」です。


なお、この文章が印象的です。

>ところが私どもにとって最も衝撃であったのは探索のすえ歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報のちぎれ残った紙片の中から初めて「俘虜ハ処断ス」の文字を見出したときで、その時に畝本氏が洩らされた苦渋に満ちた「困った」の一言はよく覚えております。

  「証言による南京戦史」加登川氏の「お詫び... ゆう 2003/09/03 19:53:16  (修正4回) ツリーへ

Re: 畝本正己氏「三千〜六千」説 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/09/03 19:53:16 ** この記事は4回修正されてます
「証言による南京戦史」  加登川氏の「お詫び」

「証言による南京戦史」において、加登川氏は、最終回「総括的考察」で、「中国人民に深く詫びるしかない、まことに相すまぬ、むごいことであった」と自らのスタンスを明確にしました。有名な「事件」であり、私のページでも紹介済みです。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/giseisha.html#kaikou

これに対して「偕行社」会員からさまざまな批判的意見が寄せられましたので、「偕行」編集部は、「偕行」1985年5月号にて、「証言による南京戦史 会員投稿に答える」という特集を組み、あらためて加登川氏の見解を「追認」しました。



さて、田中正明氏の「南京事件の総括」をパラパラとめくっていましたら、この「事件」に対する、とんでもないコメントがありました。


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・・・しかし加登川氏の総括的考察を読むかぎりにおいては、巷間言われているものと同じであり、個人的推測の虐殺数をあげ、「中国から何と告発、非難されようと非はわれわれの側にある」「中国人民に深く詫びるしかない、まことに相すまぬ、むごいことであった」と詫びたのである。つまり虐殺派同様、数は少いが虐殺肯定の総括をしたのである。当然のことながらこの加登川史観に対して、全国の偕行社会員からきびしい反論があったが、「偕行」編集部は「詫びたのは加登川個人である」と言いのがれた。
(「南京事件の総括」P56)

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実際には、「偕行」編集部は、責任を加登川氏個人に押し付ける「言いのがれ」などしておりません。おそらくほとんどの方が、「偕行」のこの号を見る機会に恵まれていないと思いますので、以下、紹介します。



まず、編集部としての見解です。


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「南京戦史の総括的考察に反対された方へのお答え」
                           「偕行」編集担当常務理事  高橋登志郎

(略)

従来のシロ主張論は通らなくなったのである。8月号以降をもう一度読んで戴ければ解る。畝本サンはいろいろな面でお困りになったと思う。「困った、困った」と苦渋に満ちた顔は忘れられない。

畝本サンがたとえ3千でも、クロの結論を書くことは非常な決心が要ることであった。140名を超すシロ主張の各部隊の方々の名前や顔が浮かんでくるであろう。クロやハイ色の結論を書けるわけがない。「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるものは3千乃至6千」とご自分の頭にありながら、畝本論文の2月号における最終回論文においても、畝本サンはもろもろのクロ、ハイ色証言を殆ど否定されておられるのである。こういう畝本サンの心情を察知された加登川サンが「俺が書こう」と言いだされたのである。

正月休みに非常な決心をもって締めくくりの原稿を書かれた加登川サンには、今年の正月の酒は極めて苦い酒であったと思う。

この原稿が活字になるまでは前述した。

畝本サンはいやいや加登川サンに譲ったのではない。「加登川サンが書いてくれてホッとした」という私に洩らされた畝本サンの一言がすべてを物語っていると思う。

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田中氏の引用する、「詫びたのは加登川個人である」という言葉は、最後の方に出てきます。


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1月12日の会合で出た我々の修正意見を入れて、3月号原稿を書かれた加登川サンとしては、これだけのことを書いて、中国国民に何の会釈もしないで、通り過ぎることはできなかったのである。

謝ったのは加登川サン個人である。文責は加登川幸太郎にあると明記している通りである。そして我々は追認した。それはこの非常な勇気(井本熊男談)をもって書かれた加登川サンの心情を思えば極めて当然の文章であったからである。会員の中で謝りたくない方は謝らねばよいと思う。しかし私のところには謝ったことを特に評価して、多くの会員から電話を戴いた。

その電話の中に「長い間胸につかえていたものがスッと下りた気がする」と言ってきた人がいる、また「全く素晴らしい」という人、「人間として当たり前である」という人等さまざまである。繰り返して言うが謝るも自由、謝らないのも自由である。

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畝本正己氏も、一文を寄せています。


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会員諸兄のなかには、「なぜ中国国民に詫びる必要があるか。事は戦争である。アメリカの原爆投下、東京の無差別爆撃、あるいはソ連軍の満州進入時の行為・・・など、日本に詫びた国があるか。卑屈になるな」という強い意見がある。

戦後、「一億総懺悔」と称して、罪悪感を一方的に背負わされてきた我々日本人の怨念とも言うべき心情は私とて同様である。

しかし、米ソがその非人道的行為を謝罪しないことはさておき、われわれが、率直に非は非として詫びることは、なんら卑屈な態度ではあるまい。彼らに勝る道徳感であると思うが、いかがなものであろうか。

私は、まず陛下にお詫び申し上げなければならないと思っている。当時われわれは、天皇の軍隊として戦った。

それが、数千人にも及ぶ不法殺害の疑いをかけられたとあれば、皇軍にあるまじきことである。当時、軍籍にあった者は、深く自省自戒すべきである。

また、蒋介石総統は、終戦にあたり、「仇に報いるに徳をもってす」と、東洋道徳をもって我らを遇した。戦争という異常な事態とはいえ、その非違は、武士道に照らして、率直に中国国民に詫びるべきである。

中国側の過大と思われる告発に対しては言うべきは言うが、われらの非は非とするのが隣人に対する紳士の態度であろう。私は、詫びられた加登川氏の心情を、このように理解するものである。

******************************


ネットでも、田中氏の記述を真に受けて、「謝ったのは加登川氏の個人プレー」と言わんばかりの書き込みをたまに見かけますので、ちょっと取り上げてみました。

   └Re:「証言による南京戦史」加登川氏の「お詫... 靴屋 2003/09/04 18:12:37  (修正1回) ツリーへ

Re: 「証言による南京戦史」加登川氏の「お詫び... 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/09/04 18:12:37 ** この記事は1回修正されてます
Re:「証言による南京戦史」  加登川氏の「お詫び」
>これに対して「偕行社」会員からさまざまな批判的意見が寄せられましたので、「偕行」編集部は、「偕行」1985年5月号にて、「証言による南京戦史 会員投稿に答える」という特集を組み、あらためて加登川氏の見解を「追認」しました。

 泰はこの経緯につき以下のように書いていますね。

--------------
 全体のトーンから南京虐殺を確認した加登川は「この大量の不法処理には弁解の言葉はない。旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深くお詫びしなければならない。まことに相すまぬむごいことであった」と書いた。
『歴史評論』(八六年四月号)で、この経過を紹介した君島和彦らは「極めて高度な政治的な判断」と皮肉ったが、宮崎繁樹明治大学教授(偕行社会員)は朝日新聞の「論壇」(八五年三月二十日付)で、旧軍人が日本軍の虐殺を認めて詫びたのは、真実追究の良識があるもの、として評価した。
 このように外部では加登川論文は好評だったが、会の内部から強烈な反発が起きた。とくに松井日記の改ざん事件を契機に遠ざけられた田中が、老将軍や地方偕行会幹部に「皇軍の名誉を傷つける本を偕行社が出してもよいのか」という趣旨の手紙をばらまき訴えた作戦がきいて、連載を単行本化する作業は頓挫した。やっと八八年十一月の総会で了解が取れ、八九年中には刊行できる見通しがつき、二年越しのゴタゴタは収拾に向かっているようである。
 (注)偕行社編『南京戦史』は一九八九年十一月に刊行され、資料集として評価されている。
--------------
泰郁彦,"第八章 論争史から見た南京虐殺事件"『昭和史の謎を追う(上)』p191-192(文春文庫)

 泰によれば、ゆうさんが書いた「「偕行社」会員からさまざまな批判的意見」が生ずるよう裏で焚きつけまくったのは田中正明のようですね。これには同書のp190に簡単に経緯紹介があり、「南京戦史の企画が持ちこまれたのは一九八三年秋で、田中正明が畝本正己を説いて、編集部に協力委員会を作り、畝本の名による「証言による南京戦史」シリーズが翌年四月からスタートした」とありますから、結論的に虐殺を認め中国に詫びるなどとは、田中は、そもそもの企画人としての思惑とは全く逆のあり得べからざることとして腹に据えかねるものがあったのでしょう。

 まったく田中正明とはなんちゅう人物じゃ(^^;イロンナ イミテ゛

    └否定論の方法 ゆう 2003/09/07 21:25:00  (修正1回) ツリーへ

Re: Re:「証言による南京戦史」加登川氏の「お詫... 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/09/07 21:25:00 ** この記事は1回修正されてます
否定論の方法


(以下引用)

1 みずからの見解に関する最終的結論をほとんど述べずに、相手の弱点を集中攻撃する。たとえば、否定論者の場合なら、目撃者の証言に見られる不一致を重点的に攻めようとする。

2 対抗する主張の主たる学者たちが犯した失策を利用し、相手の結論が少しばかりまちがっていたからという理由で、その結論は「まったく」のまちがいだとほのめかす。(以下略)

3 自分たちの意見に説得力を与えるために、有名な主流派の言葉を断片的に引用する。(以下略)

4 (略)

5 一般に知られていないものには注目するが、知られていることは無視し、また都合のいいことは強調するが、都合の悪いことは軽視する。(以下略)

(ハヤカワ文庫 マイクル・シャーマー「なぜ人はニセ科学を信じるのかU」P186〜P187)


タネ明かしをしますと、これは実は、「ホロコースト否定論」に対する批判です。そうわかってしまう部分は、わざと「略」しました(^^)。

正確なところをお知りになりたければ、原典をどうぞ。発売されたばかりですので、大きい書店でしたら、平積みになっているはずです。



秦氏の本のご紹介の部分、ありがとうございます。そのうちコンテンツ化する時に使わせていただきます(^^)。しばらく週末は忙しいので、遅れるかもしれませんが。


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