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ラーベ日記は「三等史料」か? ゆう 2003/08/30 05:39:07
├ 無かったと証明するのは、あったと証明する... 熊猫 2003/08/30 13:01:13
├ なるほど 渡辺 2003/08/30 16:05:04 (修正1回)
├ ■〜等、〜級史料などというものはありませ... タラリ 2003/08/31 00:20:56 (修正3回)
│└ いくつか質問です ゆう 2003/08/31 09:38:04
│ └ ゆうさんの質問を受けて調べて見ましたが、... タラリ 2003/08/31 20:23:43
│ ├ 横レスです二重基準に我慢できません 俺の嫁は満州人 2003/09/01 02:15:57 (修正1回)
│ │└ ■俺さんは読解能力不足 タラリ 2003/09/01 21:18:54
│ └ おお、これが元ネタでしたか ゆう 2003/09/01 21:33:58 (修正1回)
│ └ 「史学概論」の昭和36年版 渡辺 2003/09/02 01:08:39
│ ├ おそれいりました ゆう 2003/09/02 19:15:49
│ │└ Re:おそれいりました 渡辺 2003/09/02 23:53:31
│ └ 「史学概論」昭和36年版−実物を見て 渡辺 2003/09/04 00:52:10 (修正3回)
├ そうそう、お知らせ ゆう 2003/08/31 09:53:50 (修正1回)
│└ 「岡村寧次大将資料」原田少将 渡辺 2003/08/31 15:14:51
├ 東中野氏の「史料等級」論 渡辺 2003/09/01 00:00:36 (修正1回)
│└ 「三等資料」リスト ゆう 2003/09/01 21:35:09
└ 遅ればせながら、アップしました ゆう 2003/09/23 09:38:09 (修正1回)
└ ☆三等史料に佐々木元勝「野戦郵便旗」が重... 熊猫 2003/09/23 19:43:06
└ 早速訂正しました。ついでに「食糧問題」な... ゆう 2003/09/23 21:17:12
ラーベ日記は「三等史料」か? ゆう 2003/08/30 05:39:07 ツリーへ
ラーベ日記は「三等史料」か?
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/08/30 05:39:07
東中野氏は、論文『「やはり「ラーベ日記」は三等史料』の中で、まさに標題の通り「ラーベ日記」を「三等史料」と貶める記述を行いました。氏が論拠としているのは、内藤智秀氏「史学概論」の記述です。 ******************** 内藤智秀『史学概論』に、坪井九馬三博士の提唱せる、時間と場所を基準にした史料分類法が出ている。 それによれば事件発生当時、発生場所で、関係者の記した記録が一等史料に当る。時間的に遅れて同じ場所で書かれたか、別の場所で同じ時に書かれた記録が二等史料となる。以上の史料を基に作成されたものが三等史料である。 ラーベ日記は南京事件から四年後に加筆補正されて作成された。従って三等史料となる。 (「やはり「ラーベ日記」は三等史料―板倉由明氏の批判に答える」=「正論」平成10年7月号) ******************** この「史料等級」論は、学者同士の討論ではほとんど話題になりませんが、ネットの世界ではなぜか結構ポピュラーなものになっています。 さてこれだけ読むと、東中野氏は、「ラーベ日記」は内藤氏言うところの「三等資料」であるから全く信頼できない、と言っているように読めます。しかし実は、これは内藤氏の記述の、ひどい「トリミング」でした。以下、内藤氏の記述に沿って見ていきます。 なおこの「史学概論」は、「一九三二年から一九四一年にわたり、三回に及んで稿を改め」出版されたもののリライト版で、一九五四年に出版されたものです。内藤氏自身は立派な歴史学者ですが、それにしても東中野氏は、もう少し新しい本から「史料論」を引っ張り出すことはできなかったのでしょうかね。 内藤氏の記述は、このように始まっています。 ******************** ニ 史料の等級別 史料は便宜主義から、又、その価値からして等級別に分類することができる。これは坪井九馬三博士の始められたことで、普通わが国においては多くの人びとの口にされるところであるから、これを紹介する。これは史料を価値判断の対象として一等から六等まで分類するのである。その中の一等から三等までが「根本史料」で、四等以下五等までは「参考資料」となり、六等が「等外史料」となるのである。 (「史学概論」P111) ******************** 内藤氏の説明では、「一等から三等まで」は「根本史料」ということになります。内藤氏は「三等」までは「史料」として価値のあるものと考えているわけで、東中野氏の取り上げ方は明らかに内藤氏の意図とは異なります。 しかも、以下見るように、東中野氏は、内藤氏の文のうち自説に都合の悪いところはすべてカットして、無理やりに「ラーベ日記」を「三等史料」のカテゴリーに押し込めているのがわかります。 ******************** (一)根本史料 一等史料は、史実の発生当時、同所において責任者が自ら作成した文書類で、例えば当該責任者の日記・書簡・覚書の類の如きはこの中に入るのである。 二等史料は、史実発生当時の同所に、最も近き場所、最も近き時、又は同じ場所で時間が幾分異なるもの、又は時が同じで、場所が幾分異なる所で、責任者が自ら作り上げた報告とか、日記・遺言・覚書・追記類の如きもの、ないしは後日に作り上げた日記とか、随筆類の如きがこの中に入るのである。例えば当事者が後日、暇を得て作成した文書類などがそれである。 三等史料は、前の一、二等史料を材料として作成した伝記とか、家譜の如きがその中に入るのである。もちろん、この場合人物も年代も場所も違っているのであるが、編纂の方法が正確である限り、これは三等史料というべきであろう。 (同P111〜P112) ******************** この定義を素直に読めば、「ラーベ日記」はどう考えても「二等史料」以上でしょう。東中野氏は意図的にカットしていますが、「後日に作り上げた日記」「当事者が後日、暇を得て作成した文書類」は「二等史料」になります。ましてや「ラーベ日記」は、そのベースとなった「日記」が存在しており、ラーベはそれを「加筆補正」したわけですから、「一等史料に近い二等史料」ということになるのかもしれません。 「三等史料」は、「伝記とか、家譜」です。私の書棚で言えば、「個性派将軍 中島今朝吾」「将軍の真実 南京事件―松井石根人物伝」あたりがそうでしょうか。洋書では、ヴォートリンの評伝である”American goodness at the Rape of
Nanking"もそうでしょう。 内藤氏の定義に従うのであれば、「四年後に(本人によって)加筆補正され」ただけで「三等史料」になってしまうことは、まずありえないことだと思います。 なお、ネットでは「四等史料」という言葉もしばしば使われますが、その使われ方は、少なくとも内藤氏の分類から見る限り、正確ではないようです。参考までに、その部分も紹介しましょう。 ******************** (ニ)参考史料 四等史料は、作者も製作年代も、又製作場所も判明しない場合、又はその一部が判明しても写本などによって幾度か転写されて欠けた点のある場合、又は脱落などもある場合である。普通に書簡といわれるもの、ないし史料としての地名・建築物などがその中に入るのである。この四等史料の中には立派なものもあるが、総じていえば原形とまぎれこみの部分とに分けることは困難であって、いずれを採用し、いずれを捨つべきかに迷わされる。それ故、実際問題としては、最もよきこの種類のものは三等史料と判然区別することが困難であるが、これに反し煩雑なものは五等に入れられる。 五等史料は、撰者又は著者がいかなる史料を手にしたか、いかなる方針で調査、又は審査したか不明なものである。又は政治上経済上など、あるいはその他のために何らかためにするところあってものした場合、特に一部の考えに偏し、そのために史実の材料の取捨選択を幾分左右されている種類のものをいうのである。これらを詳細に考究すると編纂物の作者が偏狭な意見にとらわれず、又、審査方法も科学的で、材料も主として根本史料を使用した場合、これは上乗の編纂物というべきものであろう。それ故に、実際の場合はこの種の史料はきわめて少なく、多くは三、四等、又は六等史料に入るのである。 (三)等外史料 六等史料は、一等から五等までの史料以外のもの全部をいうのであるが、これは等外史料ともいうのである。その中には、あらゆる編纂物・書画・美文・詩劇・歌劇などがことごとく入るのである。 以上、史料の等級別は実際問題になると主題の差異によって、史料としての価値が異なってくるので、ある一つの史料が常に六等史料であるというようなことは考えられない。思想方面とか、特殊史の研究にでもなると、小説とか、歌謡とか、発句・短歌・狂言・演劇などが、案外に上乗の史料となることさえある。 要するに一つの史料を活用し、これを価値づけることは前に述べたように、研究者自身の手腕によることであって、史料はこれを扱う人びとの如何によって活殺されるのである。それ故に、絶対に一つの史料の総括的な等級別を判断することは困難なことでもあるのである。 (同P112〜P113) ******************** *皆さんへお願い。東中野氏が、他のところで「史料等級」論を持ち出しているものを、ご存知ないでしょうか? 「徹底検証」にはこの部分はないようです。 **なお、小林よしのり氏は、ネタ本はわかりませんが、編集者によって「リライト」されたことを理由に、ラーベ日記を「第三次史料」と評価しているようです。この定義に従えば、「転戦実話」を東中野氏が編集した「1937年南京攻略戦の真実」も、「第三次史料」ということになりそうです(笑)。
├ 無かったと証明するのは、あったと証明する... 熊猫 2003/08/30 13:01:13 ツリーへ
Re: ラーベ日記は「三等史料」か?
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熊猫 <dhcvsuquwp>
2003/08/30 13:01:13
無かったと証明するのは、あったと証明するよりも難しいと思います。 無かったと証明するには @目撃者や当事者の証言を「嘘」と言うことにしなければならない。 Aあったという資料の価値が無いようにしなければならない。 B証拠や史実を歪曲しなければならない。 C事実を過小評価しなければならない。 ・・・結構大変だなーぁー。彼らの努力は涙ぐましいのです。
├ なるほど 渡辺 2003/08/30 16:05:04 (修正1回) ツリーへ
Re: ラーベ日記は「三等史料」か?
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渡辺 <oogeblxyju>
2003/08/30 16:05:04 ** この記事は1回修正されてます
なるほど いや、これはすごい。よく調べていただきました。 以前から疑問に思っていた何等史料という呼称の謎が解けました。 『諸君!』に掲載されていた「三者合同
大アンケート」の"史料論"の疑問も、これで解けました。 設問8の説明で「第一次史料と第二次史料をもとに作成された第三次史料以下」という記述がありますが、良く読むと、特に1〜2次史料の説明にある「事件発生場所で」という限定のため、どの範疇にも含まれない史料ができてしまうのですね。 ポイントは、1〜2等史料の定義を狭めて記述し、次いで「三等史料」・「第三次史料」を適当に定義し、この3番目に都合の悪い史料を位置づけて、それを排除するというところにあるようです。 なお、この設問8もかなり変な内容です。白紙回答が多いのですが、笠原氏と吉田裕氏が、この設問自体を「否定のための意図的な設問」、「この設問自体が偏向しています」と批判しています。 ----- 8 日本軍の処刑を国際法違反と明記している確証ある史料がもしあればご提示ください なお、史料は第一次史料(事件発生当時、事件発生場所で関係者の作成した記録)、第二次史料(事件発生から時間的に遅れて、事件発生場所で作成された関係者の記録)のみでお願いします。但し、第一次史料と第二次史料をもとに作成された第三次史料以下の場合は、十分な裏付けをもってご提示お願い致します。 [「まぼろし派・中間派・大虐殺派
三者合同
大アンケート」『諸君!』2001年2月号、p.165] -----
├ ■〜等、〜級史料などというものはありませ... タラリ 2003/08/31 00:20:56 (修正3回) ツリーへ
Re: ラーベ日記は「三等史料」か?
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タラリ <vgezpxzsqe>
2003/08/31 00:20:56 ** この記事は3回修正されてます
■〜等、〜級史料などというものはありません そもそも内藤智秀氏の理解も、その原典である坪井九馬三氏の議論の内容も今日からみると古色蒼然としたもので、現代に通用するものではありません。 まず、坪井氏の議論の前提は「『便宜主義から』分類することができる」というものです。この態度は一応正しい。しかし、史料の形式から価値を直ちに判断し、「その価値からして等級別に分類することができる」というのはかなり粗雑な議論になります。 現在も、史料の編集課程によって第一次、第二次、第三次史料という分類はあります。しかし、第〜等、第〜級とかいう分類はありません。「第一級」「第一等」とかいうのは史料価値の重要度を示す「形容詞」であって、史料の成立過程によって自動的に等級が六等まで決まるというのは噴飯ものです。たとえば、第一次史料が必ず二次史料以下より上であるとも限りません。「第一次」イコール「第一級」などではありません。 「(一)根本史料」のところで、一等史料として「史実の発生当時、同所において責任者が自ら作成した文書」というのを一番に上げていますが、「責任者」というのがどういう人物なのか、ともすれば上級の政治家、軍人が「責任者」と見なされ、下層の人々の書いたものは一段低いものと見なされるおそれがあります。 文書を書いたものの時間、空間位置によって史料価値を判断するというのは一応の基準たりえます。しかし、文書を書いたものの地位によって史料価値を一律に判断するというのは便宜主義であり、粗雑といえます。現在、このような史料価値を是とする歴史学者はいません。 ついでに書きます。 「(ニ)参考史料 四等史料は作者も製作年代も、又製作場所も判明しない場合」 「五等史料は、撰者又は著者がいかなる史料を手にしたか、いかなる方針で調査、又は審査したか不明なもの」 史料の著者が何者であるかということはもちろん、非常に大事なことですが、著者に関する情報も時がたつと失われるのが常です。だからといって史料そのものの価値がまったく喪失する訳ではありません。史料の内容の具体性、指向性によって著者に関する情報も復元し、史料の編集にたいする方針、調査方法を明らかにする手順は史料批判のうちに含まれます。 つまり、坪井のこの分類は史料の信憑性を史料の外在批判に頼っています。史料の信憑性、言及能力を決定するのは最終的には史料の内容そのものです。すなわち史料批判は内在批判によって行うものです。 坪井の原典も明治期の日本の歴史学の黎明期の産物だったのです。では現代の歴史学者たちは史料をどのように見るでしょうか。 ■史料価値にはいろんな尺度があります。 1.時間的、空間的に歴史的事件の【その場】に居合わせたものが書いた文書はその場に居合わせなかったものより、価値が認められます。その場に居合わせなかったものが書いたということはすなわち、何らかの「伝聞」によって書いたということを示すからです。 2.歴史的事件は包括的な現象ですから、その事象を概括的に見る立場にあるものが書いたものは全体像を正しく認識できるという長所があります。しかしながら、包括的に見る立場にあるものは局所的、個別的な事象をすべて見ることはできないので、これも一種の伝聞を総合しているという側面もあります。 3.では伝聞によって得られる史料は信頼性が薄いかというとそうとも限りません。たとえば戦闘詳報などは多くの兵士の従軍日誌を参照してまとめられ、明らかな誤りを排除すべく編纂されています。また、時間的には戦闘が行われて20日なりして、一段落したときにまとめられていますから、厳密な意味の一次史料とは呼べないということになりますが、これも複数の日誌を参照していますから、誤りは非常に少ないものといえます。 4.史料の価値はまた文書を記した観察者の関心がどちらに向けられているか、注意力、観察力、記述する能力によっても左右されます。地位の高いものであっても、その能力によっては第一線に立っている下級のものの方が本質を掴んでいるということもありえます。 5.また、史料を記したひとは一定の思想的傾向、歴史的事件に対する立場というものを有しています。これは4.とも一部共通しますが、ある傾向の歴史的事件は重視し、大きくてとり上げるという傾向を持ち、またある傾向の歴史的事件に対してはその逆の立場をとります。この傾向というのが持たない、完全に中立的なひとというのはいないのであって、必ず、何らかの傾向を有しているのです。 ■史料の価値は史料批判によって決まる そして、これらの史料の信憑性、真偽の如何、歴史的事件に対する言及能力を定めるのは機械的にまた、外面的に行うのではなくて、必ず史料批判ということをした上でなされるのです。決して記述者の地位や時間的・空間的位置などの個別の項目で一律に決定されるものではありません。 ■ラーベの日記の信頼性 ラーベの日記に関していいますと、彼は国際委員会の委員長の地位にあり、中国人と30年のつきあいがあり、南京滞在も長く、日本軍との交渉もたびたび行っており、一貫して事件の中心にあって包括的な観察をした人物であったといえます。 「ラーベの日記」は内容的に見て、ほとんどが当時の日記そのままであり、補筆は限られたものでしょう。補筆は日記の性質上やむをえないことです。 「ラーベの日記」の真実性は他の史料との一致、その迫真性によって保証されています。もし、補筆によって史料の価値が減じているということを主張するのであれば、そのことを主張するものが「どの部分が補筆によって「加工」されたか」という具体的な証明をしなくてはなりません。 ■否定派はなぜ等級づけを好むのか 「否定派」が史料の等級づけにこだわるのは、虐殺史料の否定の手法としてです。かれらは、虐殺を論じればかならず、山とある史料を否定しなくてはなりません。そこで使うのは「偽証言、偽史料か真実の証言、史料か」という非常に単純化された二分法です。坪井九馬氏が示した便宜主義による一−六等の史料も一−三等までと四−六等まで、あるいは二等以上とそれ以下にわけて、三等以下、四等以下を切り捨てるという粗雑な二分法に単純化してしまうのもそこに原因があります。 東中野の単純化された議論はしかし、小林よしのりなどに再引用されて若い読者を引きつけています。 ????????????????????????????? 「わしは いわゆる 「南京大虐殺」が 信用に足りない 4等史料 5等史料を元に語られている現状に 異を唱えている」 「徹底した 史料批判に基づき一次史料による 再検証をすべきだと 言っている」 ????????????????????????????? 小林もまた、4等史料、5等史料がなんであるのか、一次史料とどういう違いがあるのかを知らず、史料批判イコール史料価値の全否定だと理解して無責任な漫画を書きまくっています。 ▲余談。 よしのりの引用を書くためにアンチ「ゴー宣」を見に行ったところ、裁判が上杉さんの勝訴に終わったので、アンチ「ゴー宣」においてよしのりの漫画引用が復活していた。面白い。こうでなくてはならない。 119章 逆転勝訴の真相 グラフィックが入って重いので注意http://plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei/antigo119.html ▲余談終わり。 ただし、かれらが史料の等級づけを徹底しているかというと、あるときは否定のために使い、またあるとき四等、五等史料を自在に引用して恥じないということはいうまでもありません。
│└ いくつか質問です ゆう 2003/08/31 09:38:04 ツリーへ
Re: ■〜等、〜級史料などというものはありませ...
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/08/31 09:38:04
いくつか質問です 力の入った長文レス、ありがとうございました。説得力に富んだ議論で、面白く拝見しました。
実はこのテーマは、私の「ヤフー」での議論で出てきたものです。相手が「ラーベ日記は第三次資料だ」なんてとんでもないことを言い出したので、ちょっと興味を持ったわけです。常識的に考えれば、ありえない分類ですので。
で、申し訳ないのですが、以下のことを教えていただけないでしょうか。
(1)>南京事件において史料を〜等に分けるという議論は田中正明が始めたもので、かの松尾一郎のサイトにもこの部分が採録されています。
そうか、「真犯人」は田中氏でしたか。 「ラーベ日記」の部分にはなかったのですが、どのへんに書いてありましたか? さすがに、田中氏の記述を全部読み返すなどという気にはなれないもので(^^)、申し訳ありませんが、教えていただければ幸いです。
(2)>そもそも内藤智秀氏の理解も、その原典である坪井九馬三氏の議論の内容も今日からみると古色蒼然としたもので、現代に通用するものではありません。
う〜ん、納得。東中野氏が何でこんな古い本の記述を使うのか、不思議でした。 現代の歴史学においてどのような「分類」がされているのか、ちょっと調べてみたのですが、はっきりとはわかりませんでした。とりあえず私が発見できたのは、中公新書「南京事件」での秦氏の「第一次資料」「第二次資料」ぐらいです。 タラリさんは、後の方で現代の歴史学の方法論について述べられています。非常に納得性の高い記述でしたが、このあたりについて書かれたものを、何かご存知ないでしょうか? なお、「ラーベ日記」とそのオリジナルたる俗称「ヒトラーへの上申書」の記述を比較すると、内容的にはほぼ同じながら、かなりの「補正」があるようですね。 例えば「12月13日、ラーベの行動」で取り上げましたが、「ラーベ日記」ではこの日のラーベの動きが大変わかりにくい。「ヒトラーへの上申書」版と比較して、どうやら見当がつく、という内容になっています。 ラーベにしてみれば、「よりわかりやすく、より正確に」補正したつもりだったのでしょうが・・・。
│ └ ゆうさんの質問を受けて調べて見ましたが、... タラリ 2003/08/31 20:23:43 ツリーへ
Re: いくつか質問です
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タラリ <vgezpxzsqe>
2003/08/31 20:23:43
ゆうさんの質問を受けて調べて見ましたが、田中正明の著書の中にはいまだ見つけていません。 松尾一郎のサイトにあるというのは記憶違いでした。私が読んだのは「大虐殺派のウソの写真、証言」www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/lie.html
の中でした。 この文章は東中野の書いたもののようです。 したがって、 ■(1)南京事件において史料を〜等に分けるという議論は田中正明が始めたもので、かの松尾一郎のサイトにもこの部分が採録されています。
の部分は訂正、削除しておきます。 >現代の歴史学においてどのような「分類」がされているのか、ちょっと調べてみたのですが、はっきりとはわかりませんでした。とりあえず私が発見できたのは、中公新書「南京事件」での秦氏の「第一次資料」「第二次資料」ぐらいです。 文献史料の外形的な分類としては (1)日記、メモのように個人用のもの、(2)書簡、命令書、指示書のようにある人からある人へ伝達するもの、(3)政令、法律の布告、新聞報道などのようにある人、団体からある集団に対するもの、(4)歴史の編纂者などが後世のものに対して知らせるように編まれたものなどがあります。一次史料、二次史料などと同じく単に形式的な分類で史料の価値がただちに計れるものではありません。 >タラリさんは、後の方で現代の歴史学の方法論について述べられています。非常に納得性の高い記述でしたが、このあたりについて書かれたものを、何かご存知ないでしょうか? 岩波書店で出版した「日本の歴史」、「日本通史」(それぞれ約20数巻)の別巻で史料論を参照してみましたが、古代、中世、近代、現代の時代別あるいは経済史、政治史、文化史といったジャンルでそれぞれの細分化された方法論がありますが、私が書いたのに近い内容のものはありません。 大学のときに習った歴史学の方法論を基にして、掲示板上での論争に際して私が考えたものを書いています。南京大虐殺の研究書に書いてある方法論の断片は私なりに消化しています(いわゆる「虐殺肯定派」はほとんど正統的な歴史家です)。 これまで掲示板上で「伝聞証言は取り上げない」、「戦後に出てきた証拠・証言は取り上げない(第一次史料しか使わない)」、「数十年を経て出てきた証言に証拠能力はない」「責任者の書いた史料だけが正しい」などの俗説を具体的に批判し、史料は外在批判ではなく内在批判によらなくてはならない、などの原則をその都度自分で考えては書いてきました。 >なお、「ラーベ日記」とそのオリジナルたる俗称「ヒトラーへの上申書」の記述を比較すると、内容的にはほぼ同じながら、かなりの「補正」があるようですね。 どのような「補正」をしたかについてはゆうさんの方が詳しいです。史料価値が低下するような補正であるかどうかが問題です。月日をおき、そして書かれる目的が違えば当然、内容には変化が加わります。補正したから価値がない、と切り捨てるのではなく、ふたつそろえて比較検討すればラーベの認識と意図を知る上で、どちらも「一級史料」であることに違いはありません。
│ ├ 横レスです二重基準に我慢できません 俺の嫁は満州人 2003/09/01 02:15:57 (修正1回) ツリーへ
Re: ゆうさんの質問を受けて調べて見ましたが、...
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俺の嫁は満州人 <mllillbiwp>
2003/09/01 02:15:57 ** この記事は1回修正されてます
横レスです
二重基準に我慢できません ---------------------------------------------------------- >2.包括的に見る立場にあるものは〜伝聞を総合している >3.たとえば戦闘詳報など〜これも複数の日誌を参照していますから、誤りは非常に少ないものといえます。 >4.史料の価値は〜観察者の関心がどちらに向けられているか〜下級のものの方が本質を掴んでいるということも★★ありえます★★。 >5.★★史料を記したひとは一定の思想的傾向、歴史的事件に対する立場というものを有しています★★。★★必ず、何らかの傾向を有している★★のです。 2.3.と4.5に矛盾を感じませんか? また、あなたは4.5.を否定する立場にあったと思うのですが? ------------------------------------------------------------------ >そして、これらの史料の信憑性、真偽の如何、歴史的事件に対する言及能力を定めるのは機械的にまた、外面的に行うのではなくて、必ず史料批判ということをした上でなされるのです。決して記述者の地位や時間的・空間的位置などの個別の項目で一律に決定されるものではありません。 これは史料の価値を学術的に分類することよりも思想的に分類することを肯定することにもなりますね つまり解釈によって史料の価値は左右される余地があるという意味でもあります そういったものを事実とは言わない、全てが妄想である可能性も否めない ------------------------------------------------------------------ >ラーベの日記に関していいますと、彼は国際委員会の委員長の地位にあり、中国人と30年のつきあいがあり、南京滞在も長く、日本軍との交渉もたびたび行っており、一貫して事件の中心にあって包括的な観察をした人物であったといえます。「ラーベの日記」は内容的に見て、ほとんどが当時の日記そのままであり、補筆は限られたものでしょう。補筆は日記の性質上やむをえないことです。 という、あなたの意見も妄想となりえる ------------------------------------------------------------------- >■否定派はなぜ等級づけを好むのか 「否定派」が史料の等級づけにこだわるのは、虐殺史料の否定の手法としてです。かれらは、虐殺を論じればかならず、山とある史料を否定しなくてはなりません。そこで使うのは「偽証言、偽史料か真実の証言、史料か」という非常に単純化された二分法です。坪井九馬氏が示した便宜主義による一−六等の史料も一−三等までと四−六等まで、あるいは二等以上とそれ以下にわけて、三等以下、四等以下を切り捨てるという粗雑な二分法に単純化してしまうのもそこに原因があります。 客観的に見れば肯定派も否定派も互いに粗悪な史料に基づいた主張だということです 断定的に規模や状況を肯定しうる史料などないにもかかわらず 断定的な規模や状況を肯定することは問題だ ということを良心的な否定派は申しているのでしょう -------------------------------------------------------------------- >よしのりの引用を書くためにアンチ「ゴー宣」を見に行ったところ、裁判が上杉さんの勝訴に終わったので、アンチ「ゴー宣」においてよしのりの漫画引用が復活していた。面白い。こうでなくてはならない。 あなたが小林を全否定している間は小林と同類でしょう あなたが小林よしのりに一定の評価をおいていることがよくわかります 本物のとんでも本ならあなたがそこまで嫌うことはないでしょう -------------------------------------------------------------------- >ただし、かれらが史料の等級づけを徹底しているかというと、あるときは否定のために使い、またあるとき四等、五等史料を自在に引用して恥じないということはいうまでもありません。 小林の書いていることを全否定するなら肯定派も同じです -------------------------------------------------------------------- >(いわゆる「虐殺肯定派」はほとんど正統的な歴史家です)。 学会で意見の方向付けをする際に、学会に真っ向から対立する意見を提出しても、なかなか表には出られないでしょう。少なくともここに力学が働いているということを理解するべきです。学会そのものの位置づけを考慮すれば学界全体の方向性が中国を刺激する方向へ進むことは考えられません。歴史学者に肯定派が多いように見えるのは至極当然のことです。 --------------------------------------------------------------------- >その都度自分で考えては書いてきました。 あなたのマイルールで否定してきたという一面があるということですね
│ │└ ■俺さんは読解能力不足 タラリ 2003/09/01 21:18:54 ツリーへ
Re: 横レスです二重基準に我慢できません
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タラリ <vgezpxzsqe>
2003/09/01 21:18:54
■俺さんは読解能力不足 >2.3.と4.5に矛盾を感じませんか? 矛盾はありません。 2.は包括的な立場は絶対か−>そうではない。包括的な立場は伝聞からなっている から絶対とは言えない。 3.は包括的な立場は伝聞だから疑わしいか−>そうではない。伝聞であっても、確認 作業が行われていれば問題はない。 つまり、ケースバイケースであると言っているのです。 よろしいですか。この私の考えに同意しますか、反対しますか。 >また、あなたは4.5.を否定する立場にあったと思うのですが? そんな事実はありません。そのようなことを言ったことも考えたこともありません。 4.上の立つものの見方が常に正しいとは限らない、という考えに同意しますか、反対しますか。 5.人はだれでもものの見方にくせがある。生い立ち、生活習慣、趣味、思想、信仰などによって何かのくせがある、という考えに同意しますか、反対しますか。 ◇ ◇ ◇ 【 そして、これらの史料の信憑性、真偽の如何、歴史的事件に対する言及能力を定めるのは機械的にまた、外面的に行うのではなくて、必ず史料批判ということをした上でなされるのです。決して記述者の地位や時間的・空間的位置などの個別の項目で一律に決定されるものではありません。 】 >これは史料の価値を学術的に分類することよりも思想的に分類することを肯定することにもなりますね そのようなことは言ってもいないし、思ってもいません。ひとがそれぞれものの見方、考え方を異にするから、その人が言ったことはその人のものの見方、考え方を考慮に入れて判断しようということです。 たとえば、1950年代においてアメリカ南部の判事が、「ここらの黒人はみな犯罪者だ」という文書資料を書いた、それを2003年に俺さんが読んだらどう判断しますか。南部の白人は差別意識が強いから、額面通りに受け取りにくいな、少なくとも「みな」ということはないだろう、と思いませんか。 これは思想的に分類することを肯定することですか。 >客観的に見れば肯定派も否定派も互いに粗悪な史料に基づいた主張だということです >断定的に規模や状況を肯定しうる史料などないにもかかわらず >断定的な規模や状況を肯定することは問題だ >ということを良心的な否定派は申しているのでしょう 歴史学をよく知らないひとが誤りやすい考えをお持ちです。 南京事件には多数の史料があります。内容の乏しい史料も豊富な史料もあります。虐殺・暴行を目撃したり、体験したりした被害者・加害者・第三者の証言・記録があります。多数の事例を目撃・体験した証言・記録もあれば少数の事例しか記録していないものもあります。精細な資料もあれば断片的な資料もあります。 信頼性の高いものを積み上げて、疑わしい情報を排除しては歴史を再構成するのが歴史学です。粗悪な資料だけが残っているというあなたの認識は誤りです。 南京事件は広い範囲、長期間に生起した事件ですから、ひとつの包括的な資料が存在してそれを読めばすべてがわかるというものではありません。ひとりの有能なレポーターがいて各地を見聞して回って全体像を描きえたわけではありません。このことはよろしいですね。 ですから、細部を積み上げて「もっともありえる規模や状況」を書き上げるのが歴史学です。失われた資料も多いですから、どの学者もすべての事柄を断定をしているわけではありません。しかし、「虐殺がなかった」とか「非常に少数だった(数千人−1万人のオーダーのこと)」などというのは絶対に否定されるのです。 >あなたが小林を全否定している間は小林と同類でしょう 私がいつ小林よしのりを全否定しましたかな。全否定したというならばその箇所をコピペで示してください。 上杉氏が著書において漫画の引用したのに対して、小林氏が著作権侵害などというとんでもない訴訟をおこしたのが、裁判のきっかけです。上杉氏の小林批判は漫画の引用がないと批判の内容がわかりづらいのです。今回引用を認めないのは言論の自由をおかしているという主張が認められたのです。引用が復活したのでわかりやすくなった、それで面白いと言っているのです。 >学会で意見の方向付けをする際に、学会に真っ向から対立する意見を提出しても、なかなか表には出られないでしょう。少なくともここに力学が働いているということを理解するべきです。学会そのものの位置づけを考慮すれば学界全体の方向性が中国を刺激する方向へ進むことは考えられません。歴史学者に肯定派が多いように見えるのは至極当然のことです 学会というものは、どんな学説でも自由に出していいのです。ただ、歴史学の定石となっている手法で解析しないとだれにも相手にされません。東中野はその定石を知らないのです。
│ └ おお、これが元ネタでしたか ゆう 2003/09/01 21:33:58 (修正1回) ツリーへ
Re: ゆうさんの質問を受けて調べて見ましたが、...
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/09/01 21:33:58 ** この記事は1回修正されてます
おお、これが元ネタでしたかhttp://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/lie.html ネットで何で「資料等級」なんて素人じみた論が話題になっているのか不思議だったのですが、やっと疑問が解けました。 検索してみたところ、たぶん元論文はこれですね。機会があれば、入手してみましょう。 東中野修道「南京事件の真相」(日本文化研究所紀要 第2号(1995)年抜粋) なお、東中野氏が使ったのは「史学概論」の「昭和36年・第四版」とのことです。私の手元にあるのは「昭和29年」のものですが、カギカッコ内の引用文は全く同一、ページ数も合っていますので、あまり大幅な異動はないものと考えられます。 (一応調べて見たのですが、この本を置いている図書館は少なく、国会図書館にあるものですら私と同じ「昭和29年」版ですので、「第四版」を確認するのは極めて困難であると思われます。私がこの本を「ネット古書店」から入手できたのは幸運だったようです) 原文と東中野氏の紹介を比較してみます。まず、「一等資料」です。 (内藤氏) 一等史料は、史実の発生当時、同所において責任者が自ら作成した文書類で、例えば当該責任者の日記・書簡・覚書の類の如きはこの中に入るのである。 (東中野氏) 一等資料(史料)とは、ある史実が生じた時に、その生じた場所で、責任者の作成した記録類、たとえば日記、書簡、覚え書き、記録映画等を言う。 これは、いいでしょう。東中野氏の方には「記録映画等」が加わっていますが、これは「第四版」で付記されたものである可能性が強いと考えられます。 次に、「二等資料」。 (内藤氏) 二等史料は、史実発生当時の同所に、最も近き場所、最も近き時、又は同じ場所で時間が幾分異なるもの、又は時が同じで、場所が幾分異なる所で、責任者が自ら作り上げた報告とか、日記・遺言・覚書・追記類の如きもの、ないしは後日に作り上げた日記とか、随筆類の如きがこの中に入るのである。例えば当事者が後日、暇を得て作成した文書類などがそれである。 (東中野氏) 南京にいながらも「南京事件」とは少し異なる時期に書かれた記録や、「南京事件」が生じた時期に南京から少し離れた場所で記録された記録、あるいは後日当事者が暇を得て記した文書類などは二等資料(史料)と呼ばれる。要するに記録された時期は同じでもチョットでも記録時の場所が違ったり、場所は同じでも時間がチョットでも違ったりすると、責任者の記録も一等資料(史料)とはならない。 ここはどうも、内藤氏の定義が曖昧です。「場所」の一致をメルクマールにするのも、納得性が高いとは言えません。例えば同じ4年後にかかれたものでも、その書かれた場所が「南京」ならば「二等資料」で、「上海」なり「日本」なり「ドイツ」だったら「三等資料」になる、という考えは、私には奇妙なものに思われます。 さて問題は、前にも述べた通り「三等資料」です。 (内藤氏) 三等史料は、前の一、二等史料を材料として作成した伝記とか、家譜の如きがその中に入るのである。もちろん、この場合人物も年代も場所も違っているのであるが、編纂の方法が正確である限り、これは三等史料というべきであろう。 (東中野氏) そしてこれらの一等資料ないしは二等資料を素材として作成されたものが三等資料(史料)である。 渡辺さんの指摘にもありましたが、内藤氏の定義する「二等資料」と「三等資料」との間には、明らかな隙間があります。東中野氏は、内藤氏の文をトリミングすることで、この「隙間」を強引にカットしてしまった、と見られます。 東中野氏が、自説として「資料等級」を定義づけるのであれば、それでもいいでしょう。しかしここで「内藤氏」の権威を借りようとする以上は、内藤氏の考えに忠実であるべきです。内藤氏の考え方を、自分なりに「アレンジ」するのであれば、その旨をしっかりと断るべきでしょう。 内藤氏の定義からは、必要以上に「場所と時間の違い」にこだわらない限り、ラーベ日記を「二等資料」に分類した方が、はるかに自然なのですから。 まあ、内藤氏自身が「第四版」でこの記述をカットした、という可能性も皆無ではありませんので(まずありそうもありませんが)、ここでは「断定」は避けておきます。「第四版」、どこかで確認できないかなあ。 しかしそれにしても、東中野氏、よくこんなことが言えるなあ。 >南京事件の研究書を見ていて不思議にたえないモノが1つある。資料批判が全くなされていないのである。 おまけ。東中野氏の、「資料の取り上げ方」の例です。 >佐々木到一中将の「ある軍人の自伝」は、自らの恐ろしい体験として「両眼をえぐりとるという支那人特有の威嚇法」を紹介している。アグネス・スメドレーの「偉大なる道」も、その残忍な実行例に触れていた。「田中清玄自伝」は、昭和二年(一九二七年)に中国共産党中央委員羅亦農が蒋介石軍の手に落ち「両目をくりぬかれる拷問を受けた」のち処刑されたことを記す。 (「徹底検証」P21) 過去この掲示板で取り上げられてきたように、「ある軍人の自伝」は「目玉をえぐりとるぞ」というポーズをして脅かしただけでした。「偉大なる道」は、確かKOILさんが紹介してくれていたと思います。さて、「田中清玄自伝」の方は、というと・・・。 >今の人には想像もつかんだろうが、当時は中国で共産党員と分かればただちに銃殺ですよ。中共中央委員に羅亦農という人が上海の中共党組織にいて、二七年に蒋介石軍につかまり両目をくりぬかれる拷問を受けた。しかし何も自白せず、黙って銃殺された。そんな人がたくさんいた。 (「田中清玄自伝」P283) まあ、確かにそう書いてありますのでウソではないのですが、インタビュー当時85歳のご老人の放言、それもどこから聞いてきたかもわからない話を、何の検証もしないであたかも「事実」であるかのように紹介してしまう東中野氏の神経って・・・。 >南京事件の研究書を見ていて不思議にたえないモノが1つある。資料批判が全くなされていないのである。 って、誰に向かって言っているのだか。
│ └ 「史学概論」の昭和36年版 渡辺 2003/09/02 01:08:39 ツリーへ
Re: おお、これが元ネタでしたか
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渡辺 <oogeblxyju>
2003/09/02 01:08:39
「史学概論」の昭和36年版 >なお、東中野氏が使ったのは「史学概論」の「昭和36年・第四版」とのことです。 「36年版」が、数日内に手元に来ますので、チェックしてみましょう。昭和10年版も入手可能ですが、そこまでの熱意はありません(^^) ちなみに、下記のような本が某図書館にありますので、今度、紅卍字会の資料を調べるときに見てみましょう。しかし、どう考えても、かなり古い内容みたいです。 史學研究法
坪井, 九馬三(ツボイ, クメゾウ) 東京 : 早稲田大学出版部 , [出版年不明] 537p
ところで、セニョボス/ラングロアの『歴史学研究入門』は、多分1930年代に書かれた本だと思いますが、史料論がとても参考になりました。資料等級論に比べると、かなり深いものを感じます。
│ ├ おそれいりました ゆう 2003/09/02 19:15:49 ツリーへ
Re: 「史学概論」の昭和36年版
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/09/02 19:15:49
おそれいりました 私がいくら捜しても発見できなかったのに、何でそんなに簡単に見つかってしまうのでしょうか? 改めて、渡辺さんの「情報収集能力」には頭が下がります。 ちなみに、坪井氏の本は、これでしょうか。国会図書館の蔵書から、検索してみました。 原本代替請求記号
YDM53 (マイクロフィッシュ) タイトル 史学研究法 責任表示 坪井九馬三著 出版地 東京 出版者
早稲田大学出版部‖ワセダ ダイガク シュッパンブ 出版年 明36.10 形態 540p ; 23cm シリーズ名
早稲田叢書 全国書誌番号 40011554 個人著者標目 坪井, 九馬三 (1858-1936) ‖ツボイ,クメゾウ
NDC(6) 209 本文の言語コード jpn: 日本語 書誌ID 000000429388
「マイクロフィッシュ」では、読むのが大変そうです。 なおこの本は、1930年に「増補第3版」が出ているようです。
│ │└ Re:おそれいりました 渡辺 2003/09/02 23:53:31 ツリーへ
Re: おそれいりました
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渡辺 <oogeblxyju>
2003/09/02 23:53:31
Re:おそれいりました おそれいるほどのものではなく、ただの偶然です(^^; >ちなみに、坪井氏の本は、これでしょうか 同じものみたいですね。 紹介したのは本です。本が一番見やすいですね。 まぁ明治時代のものだろうとは思っていました。和本だったりして...
│ └ 「史学概論」昭和36年版−実物を見て 渡辺 2003/09/04 00:52:10 (修正3回) ツリーへ
Re: 「史学概論」の昭和36年版
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渡辺 <oogeblxyju>
2003/09/04 00:52:10 ** この記事は3回修正されてます
「史学概論」昭和36年版−実物を見て ゆうさん、引用の部分は「昭和36年版」と同じでした。 これは、学生に買わせて教科書に使う、よくある「概論」ですね。学生のいびきが聞こえてくるようで、あまり面白い内容とは思えません(^^; 読み返してみると、著者は「史料の等級別」を紹介しているだけなんですね。 結論は、結局、この部分です。 ----- 要するに一つの史料を活用し、これを価値づけることは前に述べたように、研究者自身の手腕によることであって、史料はこれを扱う人びとの如何によって活殺されるのである。それ故に、絶対に一つの史料の総括的な等級別を判断することは困難なことでもあるのである。 (36年版もP113) ----- 「史料の等級別」は、史料を最初に目にしたときに、我々が自然に行っている外形的判断を分類したものだと思います。この分類は古代史をも含むもので、「史実発生当時」というのも、広がりのあるような漠然とした表現です。厳密に史料を分類しようという目的ではないように思えます。 南京事件の史料でいいますと、ラーベの日記を含め、かなりの史料が「一等史料」になるのではないでしょうか。フィッチの日記は、せいぜい「二等史料」でしょうね。ま、厳密に分類しようとすると、結局、史料の内容の判断をしなければいけませんので、この等級論の厳密な適用には無理があるなと、感じます。 この等級論の一部を作為的に改変しているのが、東中野流の史料論みたいです。 例えば、「史実発生当時」を「事件発生当時」と解釈したり、そう書いてしまう、そうすると発生時間が狭まるのですね。 また、「三等史料は、前の一、二等史料を材料として作成した伝記とか、家譜の如き...」で、「伝記とか、家譜の如き」の部分を削除してするわけです。 史料を排除するテクニックが、だんだん分かってきました。 1)等級論で「三等史料」に位置づけ、気にいらない史料を排除する。 2)史料作成の背後に内容にかかわる意図がある(例えば、宣伝文書)として排除する。 3)史料の作者の人格、素性を問題にして排除する。(例えば、石射猪太郎は「中日」と表現しているとして、発言に偏りがあるという印象をあたえ、その証言を排除する。) 4)史料の中にある間違い、あるいは、間違いではないかと思われる一部分をとりあげて、史料全部の信憑性を否定する。 といった、ようなことですね。 「4)」については、知らず知らずのうちに陥る危険性があり、注意しないといけませんね。
├ そうそう、お知らせ ゆう 2003/08/31 09:53:50 (修正1回) ツリーへ
Re: ラーベ日記は「三等史料」か?
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/08/31 09:53:50 ** この記事は1回修正されてます
そうそう、お知らせ 「岡村寧次大将資料」をアップしました。http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/okamura.html この本、ところどころ「南京事件」の議論にも使われますが、現在絶版で、しかも非常に手に入りにくい。おそらく持っていらっしゃるのは渡辺さんと「ヤフー」のeichelbergerさんぐらいであるとお察ししますので、皆さんの議論にお役に立てれば幸いです。 (参考までに、定価3,500円ですが、私の購入価格は何と11,000円でした) ついでですが、1997年9月22日付朝日新聞によると、中国人に対して「日本の人といえば、まずだれを思い浮かべますか」という調査で、「岡村寧次」は第六位だったそうです。(「戦後、戦死者五万人のなぞをとく」による) 1 東条英機 331人 2 山口百恵 276人 3 田中角栄 249人 4 橋本竜太郎 180人 5 山本五十六 144人 6 岡村寧次 99人 7 高倉健 78人 8 松下幸之助 42人 9 酒井法子 35人 10明仁天皇 34人 (以下略) 我々の目で見ると、6位の「岡村寧次」だけがちょっと異様ですが、中国では「三光作戦」の責任者として「悪名」が高い、ということであるようです。
│└ 「岡村寧次大将資料」原田少将 渡辺 2003/08/31 15:14:51 ツリーへ
Re: そうそう、お知らせ
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渡辺 <oogeblxyju>
2003/08/31 15:14:51
「岡村寧次大将資料」原田少将http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/okamura.html >上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
「中支派遣軍特務部長原田少将」は上海租界の新聞検閲などを実施し、ラーベの日記にも出てきますね。かなり、南京の実情を把握していたのではないでしょうか。 岡村寧次は、日本軍が中国で降伏調印したときの総司令官ですから、中国では有名みたいですね。 当時の記録映画や写真集によく出てくる名前です。手元の北京で発行された、南京の写真集にも遠景1枚、近景2枚が掲載されています。孫文に次ぐ扱いですね(^^)
├ 東中野氏の「史料等級」論 渡辺 2003/09/01 00:00:36 (修正1回) ツリーへ
Re: ラーベ日記は「三等史料」か?
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渡辺 <oogeblxyju>
2003/09/01 00:00:36 ** この記事は1回修正されてます
東中野氏の「史料等級」論 「史料等級」論そのものではありませんが、「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」の巻末に、資料を一等史料から四等史料に分類した<参考文献>があります。これで、具体的にどう分類しているのかが分かります。 「史料等級」の説明を見ると『諸君!』の「三派合同大アンケート」の設問8の説明は、東中野説の等級論を、等級から、もっともらしく、一次史料、二次史料と改名したもののようです。 <参考文献>の分類でおかしいのは、徐『南京安全地帯の記録』(通称は『南京安全区档案』)にある「南京安全地帯国際委員会の抗議文」が一等史料なのに、同じ徐が前年に出版した"The
War Conduct of the
Japanese"が、「一等史料と二等史料を基に作成されたもの」である三等史料になっていることです。この本にも「南京安全地帯国際委員会の抗議文」が収録されているんですがね。 それから、佐々木元勝『野戦郵便旗』も三等史料になっています。内容は昭和14年発表ものなのに... これらが、アイリス・チャンの本と同類とは..(^^; 「日本軍戦闘詳報」は二等史料だそうです。多分、「事件発生から暫く時間が経過」したからとういうことでしょう。じゃあ、一等史料としている、従軍日記・南京特務機関報告、国際委員会の抗議文、南京在留アメリカ人の手紙が、「日本軍戦闘詳報」より書かれた時間が事件に近いかといえば、そんなことは単純に言えないわけです。 一つの史料に解説や新聞記事が入っている場合は、ここは一等、あそこは二等と分類するはめになるのですが、そのあたり、東中野氏は適当に処理しています。
│└ 「三等資料」リスト ゆう 2003/09/01 21:35:09 ツリーへ
Re: 東中野氏の「史料等級」論
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/09/01 21:35:09
「三等資料」リスト この本に「三等資料」なるもののリストが載っているとは、気がついていませんでした。ご指摘、ありがとうございます。 さて、この「リスト」から数点を紹介すると・・・(順番は、変えてあります) ラーベ/平野郷子訳『南京の真実』 佐々木元勝『野戦郵便旗』 板倉由明『本当はこうだった南京事件』 秦郁彦『南京事件』 洞富雄『南京大虐殺の証明』 田中正明『南京事件の総括』 東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』 「当時の記録」も「概説書」も、ごっちゃです。いくら何でも、「南京の真実」や「野戦郵便旗」を田中氏や東中野氏の本と並べるのは、気の毒です。 『三等資料』という分類法自体がおかしい、という発想は、なかったのでしょうか。
└ 遅ればせながら、アップしました ゆう 2003/09/23 09:38:09 (修正1回) ツリーへ
└ ☆三等史料に佐々木元勝「野戦郵便旗」が重... 熊猫 2003/09/23 19:43:06 ツリーへ
└ 早速訂正しました。ついでに「食糧問題」な... ゆう 2003/09/23 21:17:12 ツリーへ
Re: ☆三等史料に佐々木元勝「野戦郵便旗」が重...
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/09/23 21:17:12
早速訂正しました。ついでに「食糧問題」などを・・・ よくぞまあ、こんな下までスクロールしていただきました(笑)。 お礼と言っては何ですが、あちらの掲示板で話題になった「食糧問題」についてちょっとコメントします。 「国際委員会としては、難民に食糧供与をするため、人口の掌握が必要である」。田中正明氏「南京事件の総括」P163の記述です。 当たり前の話ですが、「人口の掌握が必要である」ことと、実際に「人口を掌握しえた」こととは、全く別のことです。どうもこのあたり、田中氏を含め、わざと混乱させようとする議論を、よく目にします。 これがもし、「国際委員会」が「安全区」人口の全員に食糧の供給を行い、減った食糧のカウントから事後的に大体の「人口」を把握した、ということであれば、まだ理屈は立ちます。しかし現実には、「国際委員会」が「安全区」人口全員に食糧供給を行った、という事実はありません。 国際委員会第23号文書(1938.1.18)の記述です。 >住民に定期的に配給できず、食糧問題さらに重大化す。十二月十三日以来、二五万人に対し、在庫多量なるもわずか米二二○○袋、小麦粉一○○○袋を、売却用として放出せるのみ。住民は手持ち食糧にて食いつなぐも、それも尽きつつあり。当方にて毎日、五万人に米を無料で給食す。 「2200袋」というのは、「20万人」を母数にとるならば、せいぜい1−2日分の分量です。国際委員会の食糧供給の対象となったのは、「五万人」の難民に対してのみだったことが、わかります。 従って、国際委員会が、「食糧供給量」から「安全区」全体の人口を把握しえた、ということは、ありえません。 実はこのネタで何かコンテンツを作ろうと考えていたのですが、ちょっと平凡なので、何か「ひねり」をきかせたいと思いながら、何となく中断しています。 ついでですので、「食糧問題」に関する「国際委員会文書」及び「ラーベ日記」の記述を集めた私の「私的メモ」を、こっそり公開します。整理もしないでただ日付順に並べただけですので、参考程度にして下さい。http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/shokuryou.html