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  週報 内閣情報部 熊猫 2003/09/12 20:48:55  (修正3回)
  RE週報内閣情報部 ゆう 2003/09/13 07:18:35 
  第四十四号・政府声明 熊猫 2003/09/14 04:19:05  (修正2回)
  │└「南京事件」笠原十九司(岩波新書)P30... 熊猫 2003/09/16 21:59:04  (修正1回)
  第四十四号・長江に動く帝国海軍 熊猫 2003/09/19 14:03:41 

  週報 内閣情報部 熊猫 2003/09/12 20:48:55  (修正3回) ツリーへ

週報 内閣情報部 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/09/12 20:48:55 ** この記事は3回修正されてます
昭和12年〜13年の「週報」を揃えようと思っています。
現在私が所有している週報は、44号・45号・53号・54号・55号・57号・60号・61号・62号と南京大虐殺に関係しそうな抜粋して入手しました。
この掲示板の参加者にとっては今更驚くべき資料ではないかもしれませんね(汗)?記事の内容は以下となっています。

44号 昭和12年8月18日
・政府声明
・長江に動く帝國海軍(海軍省海軍軍事普及部)
・北支・中南支の情勢(陸軍省新聞班)
・北支事件特別税法に就けて(大蔵省主税局)
・支那共産軍を語る(外務省情報部)
・第七十一回帝国会議の概観(内閣官房総務課)

45号 昭和12年8月25日
・爆音南京に轟く(海軍省海軍軍事普及部)
・其の後の北支戦線(陸軍省新聞班)
・拓く行く樺太(樺太廳)
・上海の話(外務省情報部)

53号 昭和12年10月20日
・臨時資金調整法に就て(大蔵省)
・製鐵事業法に就て(商工省鉱山局)
・百貨店法に就て(商工省商務局)
・石家莊・綏遠城の攻略(陸軍省新聞班)
・支那海軍を撃破す(海軍省海軍軍事普及部)
・事変と支那言論界(外務省情報部)

54号 昭和12年10月27日
・列強陸軍兵器の趨勢(陸軍省新聞班)
・歩一歩壓迫す(海軍省海軍軍事普及部)
・戦機黄河に動く(陸軍省新聞班)
・支那事変に関する聯盟会議と九国条約会議(外務省情報部)

55号 昭和12年11月3日
・軍艦旗(海軍省海軍軍事普及部)
・喊聲江南の天地を震撼す(陸軍省新聞班)
・閘北の堅陣を拔く(海軍省海軍軍事普及部)
・人造石油製造事業法及帝國燃料興業株式会社法(燃料局)
・赤化する新疆(外務省情報部)

57号 昭和12年11月17日
・杭州湾奇襲作戦に成功す(陸軍省新聞班)
・上海の死命を制す(海軍省海軍軍事普及部)
・今日の行刑(司法省行刑局)
・昭和十二年推計人口(内閣統計局)
・支那事変と日貨排斥の風潮(外務省情報部)

60号 昭和12年12月8日
・神速南京に迫る(陸軍省新聞班)
・水路前線に通ず(海軍省海軍軍事普及部)
・司法保護事業制度化の急務(司法省)
・崩壊し行く国民政府(外務省情報部)

61号 昭和12年12月15日
・列国と放送事業(遞信省)
・南京の攻圍成る(陸軍省新聞班)
・空襲全支を掩ふ(海軍省海軍軍事普及部)
・割増金附貯蓄債権の売出し(大蔵省)
・西班牙問題の終局と英獨、英佛会談の内容(外務省情報部)

62号 昭和12年12月22日
・南京陷落に際して(近衛内閣総理大臣)
・五十億を超えた貯金部資金(大蔵省)
・首都南京陷落す(陸軍省新聞班)(海軍省海軍軍事普及部)
・アルミニウム工業の発展(商工省)
・ソ聯邦の総選挙(外務省情報部)

この掲示板で紹介するほどの内容なのか、皆さんの意見をお願いしたいと思います。興味のある方にはコピーを送っても良いと思っています。今月は小遣いがピンチなのでこれだけですが、来月より本格的に揃えたいと思っています。

  RE週報内閣情報部 ゆう 2003/09/13 07:18:35  ツリーへ

Re: 週報 内閣情報部 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/09/13 07:18:35
RE 週報 内閣情報部

恥ずかしいことに、存在自体、知りませんでした。

この頃の資料に「南京事件」に直接言及したものはほとんどないでしょうが、時代背景や人の動きを知る意味で、貴重な資料です。ぜひ、アップをお願いします。


なお私も、「支那事変従軍獣医部将士体験記事蒐録」なる文書を入手しました。「ガリ版刷り」ということと、題名から、ひょっとして貴重な文書ではないかと思い注文したのですが、内容は「戦場における獣医さんの愚痴」で、大した記述はありませんでした。

しかし、「岡村部隊 陸軍獣医中尉 安藤鐵一」が「昭和十三年五月十三日」に書いた記録ですので、読む人が読めば面白いのかもしれません。


*これから2、3日、消えます。

  第四十四号・政府声明 熊猫 2003/09/14 04:19:05  (修正2回) ツリーへ

Re: 週報 内閣情報部 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/09/14 04:19:05 ** この記事は2回修正されてます
第四十四号 ・政府声明

政府声明(8月15日 午前1時10分發表)
 帝國夙(つと)に東亜永遠の平和を冀念(きねん)し、日支両國の親善提携に力を效(いた)せること久しきに及べり。然るに南京政府は排日抗日を以て國論昂揚(かうよう)と政権強化の具に供し、自國國力の過信と帝國の實力軽視の風潮と相俟(ま)ち、更に赤化勢力と苟合(こうがふ)して反日侮日愈〃甚しく以て帝國に敵對せんとするの気運を醸成せり。近年幾度か惹起(じゃくき)せる不祥事件何れも之に因由せざるなし。今次事變の發端も亦此の如き気勢が其の爆發點を偶〃永定河畔に選びたるに過ぎず、通州於ける神人共に許さざる残虐事件の因由亦玆に發す。更に中南支に於ては支那側の挑戰的行動に起因し帝國臣民の生命財産既に危殆(きたい)に瀕し、我が居留民は多年營々として建設せる安住の地を涙を呑んで遂に一時撤退するの已むなきに至れり。
 顧みれば事變發生以来屢〃声明したる如く、帝國は隠忍(いんにん)に隠忍を重ね事件の不拡大を方針とし、努めて平和的且局地的に処理せんことを企圖(きと)し、平津地方に於ける支那軍屢次(るいじ)の挑戰及不法行爲に對しても、我が支那駐屯軍は交通線の確保及我が居留民保護の爲真に已むを得ざる自衛行動に出でたるに過ぎず。而も帝國政府は夙に南京政府に對して挑戰的言動の即時停止と現地解決を妨害せざる様注意を喚起したるにも拘らず、南京政府は我が勧告を聴かざるのみならず、却て益〃我方に對して戰備を整へ、嚴存の軍事協定を破りて顧みることなく、軍を北上せしめて我が支那駐屯軍を脅威し、又漢口上海其の他に於ては兵を集めて愈〃挑戦的態度を露骨にし、上海に於ては遂に我に向つて砲火を開き帝國軍艦に對して爆撃を加ふるに至れり。
 此の如く支那側が帝國を軽侮し不法暴虐至らざるなく全支に亘る我が居留民の生命財産危殆に陷るに及んでは、帝國としては最早隠忍其の限度に達し、支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以て南京政府の反省を促す爲今や断乎たる措置(そち)をとるの已むなきに至れり。
 此の如きは東洋平和を念願し日支の共存共榮を翹望(げうぼう)する帝國として衷心より遺憾とする所なり。然れども帝國の庶幾(しょき)する所は日支の提携(ていけい)に在り。之が爲支那に於ける排外抗日運動を根絶し今次事變の如き不祥事發生の根因を芟除(せんじょ)すると共に日満支三國間の融和提携の實を挙げんとするの外他意なく、固より毫末(がうまつ)も領土的意圖を有するものにあらず。又支那國民をして抗日に踊らしめつゝある南京政府及國民黨の覺醒を促さんとするも、無辜(むこ)の一般大衆に對しては何等敵意を有するものにあらず且列國権益(けんえき)の尊重には最善の努力を惜まざるべきは言を俟たざる所なり。

熊猫:8月14日の上海の空爆のことが記述されていますが、15日の南京空爆については触れられていません。この政府声明は付録となっていて折込チラシのようになっています。他の記事は綴じ込みされており、急遽週報に追加されたものと思われます。あれれ!午前1時10分!南京空爆直前の政府声明でした(汗)。指摘される前に訂正します。南京空爆について触れるはずないですよね・・・。

  │└「南京事件」笠原十九司(岩波新書)P30... 熊猫 2003/09/16 21:59:04  (修正1回) ツリーへ

Re: 第四十四号・政府声明 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/09/16 21:59:04 ** この記事は1回修正されてます
「南京事件」笠原十九司(岩波新書)P30→P16
近衛文麿『南京政府断固膺懲声明』はこの政府声明と同じものなのでしょうか?
P30ではなくP16でした(陳謝)。訂正します。すいません。

  第四十四号・長江に動く帝国海軍 熊猫 2003/09/19 14:03:41  ツリーへ

Re: 週報 内閣情報部 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/09/19 14:03:41
第四十四号 ・長江に動く帝国海軍
海軍省海軍軍事普及部
一  長江筋在留邦人の引揚
 前号週報(第四十三号)で述べた通り、今度の事変勃発以来、帝国海軍は事変を中南支に波及せしめない様に、最も慎重なる態度を執り、在留邦人の保護、帝国権益の擁護に当つて来た。然るに支那側の抗日、反日的行為は日を遂うて熾烈且陰険となり、邦人と取引する支那商人を好漢と称して之を迫害し、邦人に使傭せらるゝ支那人を脅迫して遂出し、果ては邦人婦女子、小児に石を投げたりする様な悪戯を始め、邦人に食料品を売らない迄に立到つた。斯くて邦人経営の会社、工場は使用支那人が迫害を恐れて出勤しない為に閉鎖の止むなきに至つたものも生じ、一般商取引は全然杜絶し、生活さへも脅威せられる様になつた。加ふるに支那軍隊又は保安隊は日本人の居住する租界、其の他の居留地域を包囲的に、塹壕、鉄条網、其の他各種軍事施設を構築し、軍隊を集中増加し、何時第二、第三の通州事件が起るかも知れず、延いては事変の全支波及をさへ憂慮せらるゝに至つた。
 斯の如き情勢となつたので、事端の発生を未然に防止し、且又支那側の挑戦的動向に鑑み、万一事変が全支に拡大する様なことになつた場合のことも考へ、急速収容困難なる長江筋上流の居留民を一先づ引揚させることに決定し、重慶、宜昌、沙市は八月一日日清汽船会社船に収容、我が軍艦護衛の下に漢口経由上海に向け下江したのを始めとして、長沙は八月四日発下江、漢口居留民は八月六日頃から事態が急に逼迫して来たので急遽引揚を開始し、八月七日午後、日清汽船の鳳陽丸、信陽丸に収容、我が軍艦三隻の護衛の下に、続いて八月八日九江居留民瑞陽丸で、大冶、蕪湖の居留民は襄陽丸で、南京、鎮江居留民は洛陽丸で、夫々我が軍艦護衛の下に引揚げ、これ等の居留民は八月九日午後恙なく上海に到着した。
 長江筋警備隊の司令官谷本少尉は、漢口居留民の引揚を見届けたる後、同地日本租界警備の為駐屯して居た上海特別陸戦隊派遣隊を収容し、八日午前、漢口に残つて居た麾下警備艦船を率ゐて漢口発下江、前に述べた各地の居留民の引揚及其の乗船の援護に任じつゝ、九日上海方面所在海軍部隊に合同した。
 引揚居留民の乗船及其の護衛艦等の下江に際しては、江岸各地の支那砲臺からは絶えず大砲の砲口を指向けられ、又夜間は屡々照燈の照射を受けたが、我が海軍の威武と適切なる処置は、何等の事故をも生ぜしめず、上、重慶より上海に至る約一千四百浬に亙る各地に分在して居つた我が居留民約二千八百名をして僅々四五日の間に無事引揚を了せしめたのであつた。最も急迫せる事態に処して、斯の如く何等の混乱も事故もなく安全に引揚を完了し得たのは、帝国領事官憲の行届いた配慮と、我が海軍警備艦隊の周到なる計画と不眠不休の努力に負ふものであるが、同時に我が居留民が大国民たるの襟度を持し、節度を保つて行動したのにも依るものである。
 居留民引揚に伴ひ、長江筋各地に於ける在留邦人の財産並に帝国権益は、事変後著次第邦人が復帰、之を再興し得る様厳重に支那側の保管に託してあるのであるが、これ等の保全は他面帝国の国威と実力が背景となつて居るものであることは無論で、万一各地に一時遺留してある邦人の財産並に我が権益を支那側が侵害する様なことあらば、国際信義無視の支那自体の自殺的行為である。
 尚汕頭、厦門等南支沿岸の各地の居留民も一部は既に引揚げつゝある。

熊猫:既に海軍は本格的な戦争を想定して邦人を事前に避難させていた記事と判断します。
「南京事件」笠原十九司(岩波新書)P17では、南京の最終避難者は8月15日となっており、各地で邦人が残っていた可能性があります。
次回は、上海大山事件をUPします。


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