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  小野氏論文に見る”傲慢さ” 靴屋 2003/09/18 18:18:46 
  小野氏の勘違い タラリ 2003/09/18 22:14:08 
   └遅ればせながら、ホームページ開設、今後の... 靴屋 2003/09/20 03:35:14  (修正1回)

  小野氏論文に見る”傲慢さ” 靴屋 2003/09/18 18:18:46  ツリーへ

小野氏論文に見る”傲慢さ” 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/09/18 18:18:46
人物批判をして、歴史問題に資するところがあるとは決して言えないでしょうし、本質的には論述等の内容の矛盾などを批判するべきなのですが、小野氏の論述に見られる態度には些か不適当なものを感じたので、少しばかり述べたいと思います。もちろんそれが小野氏の調査研究成果を否定するものではなく、ほとんどそれとは関係がないと言って良いでしょう。

季刊戦争責任研究第二十一号にある『批判 渡辺寛著『南京虐殺と日本軍』−資料を大量に使用された側から−』と言う小野氏の論文内容を知りたくなったのは『南京大虐殺否定論13のウソ』の小野氏論文の脚注に以前から私が興味を持っていた魯甦と唐広晋証言の氏による分析があるとあったからですが、幕府山事件を虐殺と結論した渡辺寛氏を、同じく虐殺と結論する小野氏が批判するという内容にも興味をそそられたのです。

ところが、論文を読んで少々小野氏の態度には納得出来ないものがあると感じました。例えば小野氏はこの論文中で以下のように述べます。

「だが、渡辺寛氏が発掘した一次資料、証言を一つも提起しておらず、市販された文献だけをたよりに、「推理」「推定」(十四頁(引用者注:渡辺寛著『南京虐殺と日本人』の頁))を前提として書き進めている。
 その結果、筆者にはとてもできない芸当だが、『皇軍兵士たち』の陣中日記十九編のうち十八編を無断使用されたことになる。」(p61)

本論文や『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(以下『皇軍兵士たち』と略す)で小野氏自身が言うように、氏による日記の発掘や証言を得た調査が如何に大変だったかは理解出来るものは確かにあり、資料を扱う側は可能な限りその小野氏の労苦を尊重し丁寧に扱う必要もないわけではないでしょう。

しかし「無断使用」とは何事でしょうか。多くの人によって『皇軍兵士たち』が高く評価されていることは言うまでもありませんし、資料集として大変貴重なものです。ここで渡辺寛氏の著書での資料の用い方を論評することはしませんが、しかし小野氏の言うように仮に渡辺氏の用い方が小野氏が見て杜撰だからと言って、「『皇軍兵士たち』の使用も断る」(p67)とはあまりにも傲慢ではないでしょうか。

常識としてもちろん、公刊した書籍の利用を拒否出来る権限などは、著作権的な問題を除き、書籍の著者や編者にあるわけありませんから、如何に小野氏が自身の成果に思い入れが強烈なものであったとしても、筋違いの非難と言わざるを得ないでしょう。そもそもこの論文タイトルの副題である「資料を大量に使用された側から」という言い方自体が傲慢と言っても差し支えないと思います。子供じみた反論かも知れませんが「ならば、公刊などしなければ良いのだ」とさえ言いたくなります。

こうした氏の傲慢さが、唐広晋が体験したものは"幕府山捕虜の山田支隊虐殺"とは異なる目黒福治の陣中日記にある十八日の一万三千の虐殺の可能性などという根拠の乏しい推測(※1)などに現れているように思えます。

ただ断っておかなければならないのは、本論文では渡辺氏の論述内容に対する具体的な内容批判も為されており、もちろん参考になる部分も大いにあるし、小野説の方が正しいと思われる部分もあります。ただ私としては、資料をあたかも小野氏の納得出来るような仕方でなければ使用してはならないとまでいうのは、氏の傲慢さであり公言としては言い過ぎであると思うわけです。

なお、本論文は1998年でありそれから五年を経ているので、その後、渡辺氏から某かのアクションがあったかも知れませんし、小野氏が態度を改めた(という言い方は私が傲慢かも知れない)かも知れません。

※1 もちろん、必ずしも十七日の山田支隊の虐殺に相当するとも言えない。小野氏が当該論文で指摘するように細かい違いが散見されるのは事実である。しかし、本多勝一氏の『南京への道』や『南京事件資料集2中国関係資料編』にある唐広晋の体験を読めば、内容自体が山田支隊による虐殺と推定されるストーリーと大変良く似通っていることもまた事実であり、それら日付などの細かな違いは記憶違いがあり得ることを考えれば、十七日の虐殺である可能性は依然として高いのである。そもそも、目黒日記の記述の十八日虐殺と推定される当該部分は十七日の記述内容とまったく同じであり、特に「午後五時」と時間が同じであるわけで、後でまとめて書いた可能性を考慮すれば、同じ虐殺を誤って次の日にも書いてしまった可能性が高いと思われる。また、十八日虐殺は他の日記や証言にはまったく現れないのであるから、目黒日記だけを以て別口虐殺があったとし、唐広晋のものと同じ可能性があるとの推定は根拠が乏しいと言わざるを得ない。

  小野氏の勘違い タラリ 2003/09/18 22:14:08  ツリーへ

Re: 小野氏論文に見る”傲慢さ” 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/09/18 22:14:08
小野氏の勘違い
>「だが、渡辺寛氏が発掘した一次資料、証言を一つも提起しておらず、市販された文献だけをたよりに、「推理」「推定」(十四頁(引用者注:渡辺寛著『南京虐殺と日本人』の頁))を前提として書き進めている。
 その結果、筆者にはとてもできない芸当だが、『皇軍兵士たち』の陣中日記十九編のうち十八編を無断使用されたことになる。」(p61)

私も小野氏の『皇軍兵士たち』を縦横に引用し、目黒日誌と唐広晋の体験は小野氏と違う推論をしています。小野氏によれば私の論考も発表できないということになります。資料の由来を示して、自分の考えを発表することは言論の自由のうちに入ります。自分の気に入らない引用を拒否するとは、まるで小林よしのりです。

資料を発表したひとがその解釈権を独占すべきというのは間違っています。小野氏は何か、勘違いをされているようです。松岡環氏への批判を読む限り、それはまだ続いているとしか思えません。

   └遅ればせながら、ホームページ開設、今後の... 靴屋 2003/09/20 03:35:14  (修正1回) ツリーへ

Re: 小野氏の勘違い 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/09/20 03:35:14 ** この記事は1回修正されてます
遅ればせながら、ホームページ開設、今後の発展期待しております。

これは追記になりますが、この論文における小野氏の怒りの原因については、小野氏は自身が発表した説をほとんど無視されたのが気に障ったのかも知れません。小野氏が苦労して調査した成果に基づいて色々と検討した結果を発表していたのに、その苦労して集めた日記だけを持って行かれて、小野氏の検討結果は無視され、勝手に別の説を発表された、と。

「無断使用」とまでは言い過ぎだけれども、気持ちが分からないでもない。せめて渡辺寛氏は、それ相応の小野説の検討くらいやっていたら良かったのかも知れませんね。

ところで、そのタラリさんのホームページで一箇所気付いたところがあります。阿羅氏批判のページですが、

>【15】「重機関銃を半時間も連続発射」はあり得ない。
>「二時間も連続して撃てない」と同じなので省略。

の「二時間も連続して撃てない」が見あたらないようなのですが・・・・

追記:「民間人の解放はあったか」のリンクアドレスが違っているようです。
http://www.nextftp.com/tarari/minkanjin.htn ではなく
http://www.nextftp.com/tarari/minkanjin.htm ですね。


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