[思考錯誤INDEX] [新規発言] [掲示板内検索] [問答有用] [南京事件資料集][とほほ空間] [旧K-K掲示板][旧思考錯誤]
  タラリさんのHP:カルカッタ版 渡辺 2003/10/14 03:26:02  (修正6回)
  「インド語訳本」は確かにおかしいですね。... タラリ 2003/10/21 22:42:57 
   ├ChineseInformationService 渡辺 2003/10/28 22:31:59  (修正3回)
   └参考資料 渡辺 2003/10/29 16:12:17 
    ├興味深い資料をありがとうございます。すご... タラリ 2003/10/30 22:35:53 
    └ベイツの南京におけるヘロイン調査 渡辺 2003/11/04 00:29:16 

  タラリさんのHP:カルカッタ版 渡辺 2003/10/14 03:26:02  (修正6回) ツリーへ

タラリさんのHP:カルカッタ版 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/10/14 03:26:02 ** この記事は6回修正されてます
タラリさん、力作HPご苦労様、
(この投稿は 2003.10.14 に一部修正いたしました。))

(1)
下記のurlに「インド語訳本」なる部分がありますが、カルカッタ版のことでしたら英語です。
なお、カルカッタ版の書名は、"Japanese Terror in China"です。現在、実物の入手に努めております。

http://www.nextftp.com/tarari/timperley.htm
-----
この本が欧米の世論に訴える力を見抜き、出版を決定したのは郭沫若でしょう。そして中国語訳本とインド語訳本を出版しました。
-----

レフトブッククラブは、固定的な読者を獲得するための商業戦略です。"What War Means"は反響が大きかったらしく、初版の刊行された1938年7月には、一般向けの黒表紙の第2刷が出版されています。『日中戦争史資料』の翻訳の原書は、どうやら第2刷のようです。初刷よりだいぶ厚くなっていますが、内容は同じです。

(2)アール・リーフが国際宣伝処に参加した時期

曽虚白自伝では、「トランスパシフィック・ニュースサービス」となっていますが、the Chinese Information Service の間違いではないかと思います。
1937年の日本側の分析では、中国が唯一公認している(経営しているとはしていない)通信社が「トランスパシフィック・ニュースサービス」としています。
the Chinese Information Service は名前のとおり、表も裏も無い、中国政府の広報機関です。
アール・リーフ(Earl Leaf)が the Chinese Information Service に参加して、日本の中国への侵略を止めさせる輸出制限についての運動(American Committee for Non-Participation in Japanese Aggression)から離れたのは、1938年9月と考えられます。
Timperleyは、1938年8月に渡米していますので、曽はこのあたりの事情を述べているのではないかと思います。なお、国際宣伝処の顧問になったのは、1939年で(本人もそう手紙で書いている)、4月からであると思われます。
American Committee for Non-Participation in Japanese Aggression は、フィッチの米国旅行と関係があると思われます。フィッチもこの団体のメンバーとなり、奥さんが熱心だったということです。曽虚白は、この団体は米国の民間のものとし、中国政府との関係は示唆していません。

曽虚白自伝:
-----
我々はティンパリーと相談して、彼に国際宣伝処のアメリカでの陰の宣伝責任者になってもらうことになり、トランスパシフィック・ニュースサービス(Trans Pacific News Service)の名のもとにアメリカでニュースを流す事を決定した。同時に、アール・リーフ(Earl Leaf)がニューヨークの事務を、ヘンリー・エヴァンス(Henry Evans)がシカゴの事務を、....
-----
原文はこちら↓、左の頁:
http://hist1937.hp.infoseek.co.jp/Ceng/Ceng1.gif

[Donald J. Friedman, "The Road from Isolation", East Asian Research Center Harverd University, 1970, pp.8-9]
(文中、the committeeとは American Committee for Non-Participation in Japanese Aggression のことです。)
----
At this stage of its organization, the committee had
a National Board, which consisted of twenty-one early members;
but day-to-day operating decisions were largely made by a
small group consisting of Harry Price, Dr. B.A. Garside, T.A.
Bisson, Dr. Edward H. Hume and Josephine Schain. Frank Price
was active only during the first weeks of the committee's
existence since he was not living in New York; by October
1938 he had returned to China, and his only connection with
the committee thereafter was through correspondence with his
brother.10 Earl Leaf, another initial member of the group,
dropped out voluntarily at the beginning of September so that
no one would jump to the erroneous conclusion from his official
connection with the Chinese Information Service that the
committee was in any way prompted by or linked with the
Chinese government.11

----- pp.114-115 -----
Abbreviation Used in the Notes
...
HBP Harry B. Price
...
1. Formation
...
10. Frank W. Price to author, Dec. 28, 1966.
11. HBP to author, Jan. 23, 1967.
-----

  「インド語訳本」は確かにおかしいですね。... タラリ 2003/10/21 22:42:57  ツリーへ

Re: タラリさんのHP:カルカッタ版 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/10/21 22:42:57
「インド語訳本」は確かにおかしいですね。本日訂正しました。
通信社はTrans Pacific News Serviceではなく、the Chinese Information Serviceが正しいはずとのご指摘ですが、どのようなソースに基づくものでしょうか。


南京事件の真実HPは本日
 インデクスページのデザイン変更
 軍命令に反して捕虜開放 新作
 ネット右翼の妄説批判  新作
 更新・改訂記録     新作
 『ティンパリーの謎』を嗤う−その1 改訂
としました。

   ├ChineseInformationService 渡辺 2003/10/28 22:31:59  (修正3回) ツリーへ

Re: 「インド語訳本」は確かにおかしいですね。... 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/10/28 22:31:59 ** この記事は3回修正されてます
Chinese Information Service

投稿してから、どうも問題は簡単ではなさそうだと気付いて、調べているうちに返信が遅くなってしまいました。

タラリさん:>(2003/10/28)
>通信社はTrans Pacific News Serviceではなく、the Chinese Information Serviceが正しいはずとのご指摘ですが、どのようなソースに基づくものでしょうか。

情報源は、元投稿に引用した、Donald J. Friedman, "The Road from Isolation", East Asian Research Center Harverd University, 1970, p.9 です。
-----
Earl Leaf, another initial member of the group,
dropped out voluntarily at the beginning of September so that
no one would jump to the erroneous conclusion from his official
connection with the Chinese Information Service that the
committee was in any way prompted by or linked with the
Chinese government.11

11. HBP to author, Jan. 23, 1967.
( HBP は Harry B. Price のこと。)
-----

ここで、"The Road from Isolation"には Chinese Information Service とありますが、正しくは China Information Service です。
アール・リーフが関係していたのは、China Information Service で、1938年9月からということになります。

Trans Pacific News Service と China Information Service の違いは、『曽虚白工作日記』の 1941年5月12日の條によれば、次の通りです。
-----
本処が米国で直接指揮をする通信機構は2つあり、一つは、公然の政府当局機関 Transpacific Service であり、いま一つは、表面上は独立性を持った機関 China Information Service である。
-----

ところが、これが、思ったより単純ではなさそうです。
曽が「指揮」というのはどういう意味か、どうもはっきりしません。
アジア歴史資料センターにあるレファレンス・コード B20020305913 (2.在米州日本公館報告関係・・・)の中頃、連番が0253-0264 に添付されている China Information Service (March, 22, 1939) という出版物を見ますと、国際宣伝処が直接運営していたとは思えない内容に思えます。
日本の在米領事館の分析は、どうも怪しいし、曽虚白の業務日誌も、主体的に宣伝処が動いたという印象を与えるような書き方を意図的にしているのではないかという、感じがしてなりません。
China Information Serviceの主体は、中国にゆかりの米国人で、宣伝処と協力したというのが実態ではないかと疑っています。
両者が「宣伝」と称している部分は、じっくり調べないと危ないので、更に資料をよく読んでみたいと思います。
米国での日本の中国侵略に反対する運動は、かなり広範囲・複雑です。
なお、ジョージ・フィッチと奥さんが熱心に活動したことが知られていますが、China Information Service誌でも重慶の「中国特派員」と明記されています。(B20020305913 通番 0253)

-----
<参考資料『曽虚白工作日記』>
曽虚白の書く中文は、私には大変難しいので、「田伯烈在美時...」以下は全く自信がありません。原文をそのまま掲載するのも無責任なように感じたので、恥を忍んで試訳を付けておきます。
-----
曽虚白工作日記
(1941年)
     五月十二日
...
三、本処在美直接指揮之通訊機構有二,
一為公開之官方機関、是為Transpacific Ser-
vice,一為表面上具独立性之機関,是為 China
Information Service。 田伯烈在美時,我在美負
責各人曽開会討論,決将 C.I.S. 開入 T.P.
S.,謂分二社精力散漫,不如集中一社,易増効
率。 今晨討論此事,董副部長@以為,我在華盛
頓必須有一工作単位,決維持 C.I.S. 之存在。

[訳]
三、本処が米国で直接指揮をする通信機構は2つあり、
一つは、公然の政府当局機関 Transpacific Service
であり、いま一つは、表面上は独立性を持った機関 China
Information Service である。ティンパレーが米国滞在中、私が
米国で各々に責任を持って討議を開いたことがあり、
二社に精力が分散していては、一社に集中し効率を上げやすく
するに及ばないとして、C.I.S. の T.P.S.への編入を決定した。
今朝、この件について討論し、董副部長@は、私が中国でうまく調節して
一つの組織にしなければならないとし、C.I.S の存続を決定した。

@董副部長とは、国民党中宣部副部長、董顕光のこと。(p.36)
[中国第二歴史档案館『民国档案』2000第2期(2000年5月25日出版)p.30]
-----

   └参考資料 渡辺 2003/10/29 16:12:17  ツリーへ

Re: 「インド語訳本」は確かにおかしいですね。... 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/10/29 16:12:17
参考資料

アジア歴史資料センターによる画像から、デジタル文書化したものです。
http://www.jacar.go.jp/f_1.htm

資料1: CHINA INFORMATION SERVICE 1939年3月22日号記事から、ベイツによる、南京の特務機関がヘロインの取引きを行っているとの調査に対する、記者会見での応答の様子が書かれています。

資料2: 1938年7月の、領事館による米国の「支那側自体ノ宣傳機關」報告

資料3: 1938年8月の、領事館による米国の「China Information Service」報告
 資料3の内容は、事実とは、ちょっと違うんじゃないかと思いますが、とりあえず参考資料として掲載いたします。

====
レファレンスコード:B20020305913
 表題: 2.在米州日本公館報告関係(カナダを含む)/2)在ニューヨーク総領事館 分割2/3
昭和13年12月30日から昭和15年1月22日
(支那事変関係一件/輿論並新聞論調/支那側宣伝関係 第一巻)
 記述単位の年代域: 昭和13年12月30日?昭和15年1月22日
 内容: 自由主義/非戦闘員/硬玉/American Committee for Non Participation in
Japanese Aggression/支那/蒋介石/ヤーネル
 機関|出所|シリーズ|サブシリーズ: 外務省外交史料館 | 外務省記録 | A門 政治、外交/1類 帝国外交 | 1項 対

資料1
-- p.0260 --
CHINA INFORMATION SERVICE, Issue No. 21, March 22, 1939. Page 7

Japanese spokesmen caught in lies: In November, 1938 reliable foreign and
Chinese witnesses arrived in Shanghai from Nanking telling of anti-American posters
appearing in Nanking. The Japanese army spokesman was asked about this. At first
he said he had been to Nanking recently and hadn't seen any such posters. He was
asked to state "yes" or "no" as to whether there were any such posters. He hesi-
tated and said "no." When Dr. M. S. Bates released the finds of his drug survey
in Nanking containing information that the Japanese Army Special Service was direct-
ly connected with the heroin trafific the Japanese Army spokesman in Shanghai was
asked if this was true. There was much hedging but finally the spokesman flatly
denied the indisputable evidence. Foreign consular and shipping officials in
Shanghai have definite data proving beyond shadow of a doubt that Japanese are en-
gaged in commercial shipping on the Yangtse. Japanese spokesmen have repeatedly
denied this, saying that all shipping is done in connection with military opera-
tions, all ships connected with the military supply section. Japanese spokesmen
have repeatedly. announced that troops have been advised of the existence of safety
zones in Chinese cities under attack and told to respect areas unfortified and not
containing military establishments. In both Nanking and Hankow high officers of
occupation forces have confessed they have not even heard of safety zones and have
had no orders about respecting them.

Japanese spokesmen are wont to assert with fervor that Japanese have never sur-
rendered, Japanese airmen never allow themselves to be captured alive, etc. Foreign
correspondents have seen and interviewed captured airmen.

----

====
レファレンスコード:B20020305911
 表題: 2.在米州日本公館報告関係(カナダを含む)/2)在ニューヨーク総領事館 分割1/1
昭和12年11月27日から昭和13年9月14日
(支那事変関係一件/輿論並新聞論調/支那側宣伝関係 第一巻)
 記述単位の年代域: 昭和13年11月27日〜昭和12年9月14日
 内容: 宣伝組織/共産党/左翼団体/宗教/人道的団体/China Information Service
 機関|出所|シリーズ|サブシリーズ: 外務省外交史料館 | 外務省記録 | A門 政治、外交/1類 帝国外交 | 1項 対

資料2
----
-- p.0106 --
機密第五六〇號
  昭和十三年七月二十日
        在紐育
         總領事 若 杉  要

 外務大臣 宇 垣 一 成 殿

   當地ニ於ケル支那側宣傳ニ關スル件
本件ニ關シ五月二十三日附報三機密合第八〇八號貴信ヲ以テ御訓達
ノ趣敬承仍テ左記ノ通報告申進ス
  本信写送付先   在米大使

-- p.0132 --
....
 (三)支那側自体ノ宣傳機關
  當國ニ於ケル支那官邊又ハ支那人ノ「イニシアテイヴ」ニ依ル
  宣傳ハ其ノ規模竝ニ効果何レモ共産黨系又ハ親支的米人團体ノ
  夫レニ遥カニ及ハス。
-- p.0133 --
 (1)支那官邊ノ宣傳
  (イ)官邊ノ宣傳トシテハ王正廷大使、紐育總領事 Dr.Tsune-chi
    Yu ノ演説カ主要ノモノナリ、特ニ兪總領事ハ申込アレハ如
   何ナル機會ヲモ逸セサラントシ居ル如ク共産黨系ノ會合ニテ
   モ屡々演説シ居レリ。
  (ロ)Trans-Pacific News Service  (昭和十二年九月二日附機密
                     第三一六號往信御参照  )
   支那政府ニ依リ支持セラルル當唯一ノ宣傳機關ナリ
   Bruno Schwarzt カ總務部長 Grorg Kao 力編輯部長ナリ。
   本機關ノ活動ハ「ニユース・リリース」ヲ發行シテ新聞社ニ送
   付スルト竝ニ宣傳用寫眞及「パンフレツト」ノ頒布ニ在リ所
   謂「ニュース・リリース」ハ支那ヨリ郵送セラルル情報ニ基
   ク為メ米國新聞社ニテ利用スルニハ舊聞過キ且余リニ宣傳ニ
   過キル趣ナリ。之ヲ利用スルモノアリトセハ當地支那字新関
   位ナリトノコトナリ。本機關ハ又米國新開及雑誌ニ顕ハルル
-- p.0134 --
   「ニユース」ニ支那側ノ見解ヲ加ヘ之ヲ改變發行ス。斯カル
   記事ハ共産黨及他ノ親支團体ニヨリ利用セラル。
   本機關ノ最モ効果的ナル事業ハCarol Crow  ノ"I speak for the Chinese"
   ヲ出版セルコトナリ。
....
-- p.0140 --
....
   尚最近 China Information Service  ナル機關設置セラレ紐育市
   及「ワシントン」市ニテ支那宣傳「レリース」ヲ發行シ始メ
   タリ。右機關ニ付イテハ目下調査中ニ付追報スヘシ、

----

資料3
-- p.0141 --
(原文は、アルファベット以外、手書き)
(欄外記述) 昭和十三年九月九日 接受
---------
機密第五七七號                    別紙添付
  昭和十三年八月十八日
        在紐育
         總領事 若 杉  要

 外務大臣 宇 垣 一 成 殿

   在當地支那側宣傳組織ニ関スル追加報告ノ件
本件ニ関シテハ七月二十一日附機密第五六〇號往信ヲ以テ
報告申進置キタル處更ニ在当地 China Information Service
ニ関シ別紙ノ通報告申進ス
  本信写送付先 在米大使

-- p.0142 --
CHINA INFORMATION SERVICE
一、目的
   本機関ハ本年六月前後 米國共産党及「アメリカン・
リーグ・フォア・ピース・エンド・デモクラシー」等ニ依リ共産党ノ外廓
團体トシテ組織セラレタルモノナルカ共産主義反対派ニ對シ
テモ活動ヲ容易ナラシメルタメ表面ハ共産党ト無関係ノ形
式ヲトリ居レリ
主要目的ハ日本ニ對スル米國ヨリノ軍需品供給停止並ニ一般
的ニ日本貿易ノ衰 ヲ圖ルニ在リテ之カ為日本ノ所謂
非戰闘員爆撃、非人道的残虐行為、在支「ミッショナリー」圧壓
迫等ニ関スル現地ヨリノ情報ヲ敷衍シタル「ニュース・レリース」ヲ
各方面ニ供給シツツアリ
又本機関ハ The American Committee for Non-Participation in Japanese
Aggression.
-- p.0143 --
ナル團体ヲ設立シ(但シ実際ハ名義ノミナル趣ナリ)同團体ノ
名ニ於テ "America's Share in Japan's War Guilt"ナル「パンフレット」ヲ
出版シ各方面ニ配布シツヽアリ
然レ共現在迄mノ成績ヲ見ルニ其ノ「ニュース・レリース」ノ如キモ餘リ
ニ宣傳的ナル為却テ一般ニ對スル効果挙カラサルモノト認メ
ラル、
一、職員
(1)本部ハ「ワシントン」ニ在リ
   編輯責任者ハ Frank W.Price ナルカ同人ハ七月上旬支那
   ニ出発セル為現在ハ書記Helen M. Loomi  カ責任者ト
   ナリ居レリ
(2)紐育支部  33 West 55 Street, New York City. 編輯責任者ハ
   Earl H.Leaf ナル處同人モ亦七月上旬「カリフォルニア」ニ向ケ
-- p.144 --
   (実際ハ支那ナルヘシト謂ハル)出発シ現在ハ編集員(長を削除)
   Harry B. Price カ責任者トシナリ居レリ
   右 E.H. Leaf ハ テ U・P・ノ支那特派員タリ、一昨年ノ
   西安事変ノ U・P・通信ハ同人ノ筆ニナル趣ナリ、又同人ハ
   共産軍ノ本部ヲ探訪セルコトアル趣ニテ餘リニ共産主
   義的ナル為U・P・カラ追ハレタル趣ナリ、 現在ハ共産党ノ
   指導ニ係ル各種反日運動ニ関係居レリ、
   右ノ外紐育支部ニ於テハ當地在住ノ支那評論家 Chiao-
    ting Chi (講演家、Amerasia ノ編輯部員、 Institute Of
   Pacific Relationsノ經済調査部員)モ関係アルカ如シ、但シ
   同人モ亦七月上旬支那ニ向ケ出発セル趣ナリ、
   右関係者渡支ノ目的ハ判明セサルモ恐ラク漢口陥落
   後ノ長期抗日ニ對處スル宣傳方針ノ會議ニデモ
-- p.0145 --
   主席スルモノニ非スヤト愚考セラル、
   (註) 宣傳費ヲ受ケ支那側ノ宣傳ニ努メツヽアル
       Carl Byoir & Associates、本機関トハ無関係ナル趣ナ
       リ、為念、
----

    ├興味深い資料をありがとうございます。すご... タラリ 2003/10/30 22:35:53  ツリーへ

Re: 参考資料 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/10/30 22:35:53
興味深い資料をありがとうございます。すごい探索力です。

ただし、どうコメントしていいのかわからない。
日本公使館の報告によるCHINA INFORMATION SERVICE を読んでも国民政府サイドなのか、共産党系なのか性格づけは一定していないようです。公使館の情報がどこまで信憑性が高いのだろうか。Trans Pacific News Serviceとの関係などについても、決定的なことはわからないようです。

曽虚白はここでも自分の力量を大きく描いているようで、それでいて董副部長に簡単に決定をひっくり返されているように読めます。

印象としては宣伝処がやった活動は宣伝が過ぎて宣伝戦略にならず、在米中国人が主に行ったC.I.S.の広報はしっかりしているが、宣伝処はこれをコントロールは出来なかった、ということでしょうか。また、ティンパリーがどちらにどれだけ関わりを持っていたのかはこれまでのところでははっきりしていないと。

    └ベイツの南京におけるヘロイン調査 渡辺 2003/11/04 00:29:16  ツリーへ

Re: 参考資料 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/11/04 00:29:16
ベイツの南京におけるヘロイン調査

CHINA INFORMATION SERVICE, Issue No. 21, March 22, 1939. Page 7 に掲載されている、ベイツのヘロインに関する調査は、 1938年11月22日付け"Open letter"のことで、 Shanghai Evening Post and Mercury 11月26,28日に掲載されたものだということが、わかりました。
"The Chinese Year Book 1938-39 Issue",pp.207-212 に全文が転載されていました。


[思考錯誤INDEX] [掲示板内検索] [問答有用] [南京事件資料集][とほほ空間] [旧K-K掲示板][旧思考錯誤]
新規発言を反映させるにはブラウザの更新ボタンを押してください。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送