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  高橋作衛『戦時国際法要論』・・「戦規と戦数」 靴屋 2003/10/19 03:06:50  (修正4回)
  ご苦労様 渡辺 2003/10/19 15:05:33  (修正1回)
  │└ご指摘有り難うございます。 靴屋 2003/10/19 21:20:26  (修正2回)
  田岡良一,『戦争法の基本問題』の投稿につい... 靴屋 2003/10/21 01:27:57 
  │└Re:田岡良一,『戦争法の基本問題』の投稿に... 渡辺 2003/10/21 13:48:07 
  │ └ええ、確かに有用な資料だとは思いますので... 靴屋 2003/10/21 16:47:39 
  現代語試訳−高橋作衛『戦時国際法要論』 靴屋 2003/10/22 02:08:54 

  高橋作衛『戦時国際法要論』・・「戦規と戦数」 靴屋 2003/10/19 03:06:50  (修正4回) ツリーへ

高橋作衛『戦時国際法要論』・・「戦規と戦数」 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/10/19 03:06:50 ** この記事は4回修正されてます
e今回は、某掲示板でK−Kさんとグースさんによって論戦になっている「戦数」についての資料の提供になります。というより個人的に「戦数」って何なのかを知りたくなって、図書館で田岡良一氏の『戦争法の基本問題』を読んでいたら、その中でウェストレーキ説が高橋作衛氏の『戦時国際法要論』にあると紹介されていたので、ついでに書庫から出して貰ってコピーしてきたというわけです。

前のマルテンスの時は仮名送りがひらがなだったのでまだ読めたのですが、何とこれはカタカナで読みにくく、しかも文章区切りになる句読点がない・・・・ともあれ、読みにくいことこの上なく、「えーい!こうなったら入力してやる!」との勢いで入力してみましたというわけです。本来なら句読点も追加すべきですが、資料提供という意味から間違えてしまうといけないので、ここではやりませんでした。申し訳ありませんが、読まれる方が御自身でなさって下さい。

後、田岡良一氏の『戦争法の基本問題』の「戦数論」もついでにコピーしてきたのですが、時間があればこちらの方も資料提供してみたいと思います。最近写真整理目的でスキャナーを購入したのですが未だOCRソフトが使いこなせず、出来れば入力は面倒なのでOCRでやりたいのですけど、なかなかうまく行きません^^;

なお例に漏れず、ご使用はご自由に。但し、私は何の責任も持ちません。

*********

高橋作衛,『戦時国際法要論』,1905,p11-19

(1)旧漢字はなるべく常用・当用漢字に改めた。またカタカナの仮名送りをひらがなに改めた。
(2)文中−−−で区切られている箇所は、原著ではやや小さな書体で印字されている箇所を示す。
(3)段落はわかりやすくするため一行あけた。
(4)文中に挿入された【】はこれ以降が原著中の何ページ目となるかを示す。
(5)《》はこの範囲が原文が傍点により強調されていたことを示す。
(6)本文上部に見出し語が書かれていたが省略した。

緒論 第三章 戦規と戦数

【11】
第三章 戦規 Kriegsmanier; les lois de la guerre. と
    戦数 Kriegsraison; raison de guerre; ratio Belli; jus oder titulus necessitatis.

独逸学者は戦規と戦数とを説く英国学者はこれを説かさる者多く之を説く者は之を否認す今左に独逸学者の戦規戦数論を左に挙く

ノイマンの現時欧州国際法(Grundriss des Heutigen Europaischen Volkerrechtes §41 p.p,103-105)に論する所は戦規と戦数の何なるかを明にすその説に曰く

国際争議を平穏手段又は強硬手段により解決する能はさる場合に国家は武力に訴へて満足の解決を求むるの権を有す之を交戦権と云ふ此の交戦権の固有の意味によれは極端の場合には相手国の存在を亡はしむることを妨げす然れとも必らす此く極端迄交戦権を強行するは必要にあらす蓋し敵を滅亡せしむるは戦争の目的にあらすして只要求の満足と戦費の賠償と戦員たりし権利侵【12】害の再ひ繰り返さるゝことなしとの保障を得は足れりとするのみ顧ふに古代の戦争は必す敵国の屈従をもって目的となし羅間の「ヤヌス」の殿堂の数世紀間閉ちられたることなく(平和の時は殿堂を閉つ)敵に対しては出来得る限りの損害を与ふ可しとの原則を採りたるも今日の文明国間に於ては一旦戦争に従うときと雖とも交戦の目的を達するに必要なる損害を与ふるに止む可しとの原則行はる此の如く固有の厳格なる交戦権に加へたる緩和並に制限の規則を称して戦規(Kriegsmanier)と云ふ然れとも最大の必要ある場合又は敵国か戦規を守らさる場合に再ひ交戦権の固有の厳刻に復帰し戦規を無視することを認むこの戦規を無視する必要を称して戦数(Kriegsraison)と云う

以上はノイマン氏の戦規戦数に関する大体の説明なるか総ての戦規は戦数により無視せらるゝにはあらず

独逸学者の唱ふる所によれば戦争法規を分ちて二種とす第一は絶対的戦規にして例へは過度の創傷を与ふへき弾薬又は毒薬等を用ゆるの禁止にして戦争の必要ありても之を無視す可からすとなすものなり例へは聖都の宣言の如し(付【13】録)第二は普通の戦規にして前に上けたる絶対的戦規以外のもの例へは海牙の陸戦に関する条約の規定中「成るへく」等の文字を挿入せる条項の如きものを云ふ此の絶対的の戦規以外の普通法規は戦争の最大必要の為めには之を無視することを得とせらる此の戦争の最大必要を称して必数と云ひ必数によりて普通戦規を無視するを得るの原則を必数の法則と云ふ

この必数の原則は独逸学者の唱道する所なれとも英国学者は之に反対せりその理由は元来戦争なるものは必要に基きて国際の常規以外の行動を為すものなりされは戦争の方便として用いらるゝ行為は最も穏和の手段と雖とも必要を根拠とす論者か所謂戦争の必数に基く原則を適用する場合と普通の戦規を適用する場合とは必要の程度によりて区別す可きのみ必要の程度の如き漠然たる標準によりて戦争の方便を区別するは何の利益もなくして危険なり元来必数を根拠として如何なる手段をも得可しと立論する以上は論理の必然的結果として必要の場合には絶対的戦規をも無視し得可しとせらる可からす然るに論者は此の極端に至るを敢てせす是れ論理に於て一貫せさるものと【14】云ふ可しと余の見る所を以てすれは今日の実際に於て必数の原則は之を認むるを可となす

−−−
(参照)ウェストレーキ博士の戦規戦数論
一般の交戦行為とは直接に敵国の軍隊と干戈を交ゆる作戦の外に害敵の目的を以てする総ての行動を含む《防守せられさる市邑を砲撃し特別なる戦略上の目的なくして敵国の地域を荒壊する如きすなわち是れなり》是等の行為の目的は損害を加へて敵を弱め又脅迫によりて和を請ふに至らしめんとするにあり一般に交戦行為に関する原則を論究するに当りては大陸学者中に普通の戦争条規と所謂戦争の必数とを区別するものあるに注意せさる可らす今リューダー教授の所論によりてその区別の何たるを示す可し曰く

《戦争の必数は戦争条規か例外として遵守せられさる場合に蓋掩す》此の例外は二場合に於て生するのみ一は戦争の目的か只戦規を遵守せさるによりて達せられ戦規を遵守すれは達せられさる極端なる必数の場合にして外は敵が戦規を遵守せさるに対し報復を行ふ場合なり

敵の条規不遵守は之に対する報復として戦規を遵守せさるの権を生す何となれは熟知せられたる法律上の格言によりて自を法律を遵守せさるものは他か自己に対して之を遵守せんことを要請する能はざれはなり少なくとも敵の条規不遵守に対して自を条規不遵守を以て応するにあらされは敵をして有利の地位を占めしむるの虞ある場合に於て報復の権を生するは争ふ可からす

極端なる必要の場合に於て戦争の必数により戦規の不遵守を許す可きは報復の場合に於けると【15】等しく拒否し難し一個人も必要より出てたる行為に関し刑を免る可しとせは交戦に従事する国家に於ては尚ほ更ら然らさるを得す何となれば戦争は個人の行為よりも遙かに重大の結果を生するものなれはなり故に戦規の束縛か戦争の目的を達することを妨げ若くは極端なる危険に陥らしむ可く戦規を無視するによりて其の目的を達し若くはその危険を免る可き場合に於ては戦規の無視を容認するの外はあらす此の如き場合に於て戦規の束縛を受け甘んして戦敗に陥るものはあらさる可きか故に禁止は実際何の効力をも有する能はす此の如き場合に於て条規を以て行為を制律せんとするは無用の業のみ如何なる司令官、如何なる国家か温順に之に服従する程献身的精神を有するものあらんや

戦争の必数と戦争の条規の間に此の如き衝突を生するは素より希有の例外なり戦争条規は普通の慣例及ひ熟慮をへたる約定によりて成立するものにして国内公法及ひ私法と等しく通常発生する所の事実に適合す只《国内公法及ひ私法に於ても之を遵守せしむる能はさる例外の場合ある如く戦争条規に於ても同様の例外あるのみ》非戦闘員負傷して不能となれる戦員、私有財産及ひ休戦旗を保護する条規並びに不必要なる厭抑荒壊刧掠に対して占領地を保護する為めに締結せられたる約定を維持する条規は豈に漫に無視せらる可きものならんや是等か戦争の必数によりて無視せられるゝは只非常の場合に於て有り得可きのみ故に戦争の必数に基ける原則は頻繁に軽しく随意に適用せらる可きにあらす之を普通の戦規と同列に置くは不可なり戦争の必数に基ける原則は稀有なる例外の場合に於て適用す可きものにして只其の例外の場合に於て普通の戦規の上に立つのみ此の意味に於て戦争の必数に基ける原則を承認するも豪も杆格なし

戦争の必数に基ける原則を例外の場合に輸入するも戦争条規の経常的効力は之か為めに損せら【16】るゝことなし戦争条規か非常の場合に於て遵守せられさるの理由を以て戦争条規は単に慣例にして法にあらすと言ふものあらは是れ大なる誤謬にして総ての法律的制度の存在する究竟敵原因を無視するものなり《戦争の必数により戦規の不遵守を許すは尚ほ刑法に不論罪の場合あるか如し》若し必数を承認するか為めに戦争条規は法にあらすと言はゝ不論罪の原則を承認する為めに刑法は法にあらすと言はさる可らす戦争条規が単に慣例たるのみあらすして法の性質と効力とを有すとする見解は戦争の必数を承認するによりて毫も変するなし又国家か宣言により戦規の束縛を脱し得可しとする見解は余か執らさる所にして是れ戦争の必数により例外の場合に戦規を無視するとは別問題なり戦規の束縛は国家の随意に脱す可きにあらす只例外の場合に於て戦争の必数に基ける明割の理由によりて無視するを得るのみに仮りに一歩譲り戦争の必数は法の範囲を逸出したりとするも之を承認するか為めに戦争に関する法の存在を否定するを要せす只戦争に関する法は或場合に於て違背を免かれすとの帰結を生するのみ法の違背は他の部門に於ても起る所の事実にして或場合に於ては匡正す可らさることさへあり独り戦争に関する法にのみ限りたる事実にはあらさるなり

所謂戦争の必数に基く原則は本段の始めに挙けたる一般交戦行為の問題に如何なる関係を有するか更らにリューダー教授の言を引きて之を示す可し曰く

広き地域を残害し焼き払ひ荒壊することは敵軍に対する作戦上特定の目的を以てするのみならす一般交戦の手段として行ふを得可し例へは敵の前進を不可能にし若くは敵か勝利の見込なくして徒らに抵抗を継続する場合に戦争の恐る可きことを知らしめ早く和を請ふに至らしむるの目的を以てするか如し是等の行為か真に必数なるときは戦争の必数に基きて之を許容せさ【17】る可らす然れとも極端なる必要の場合にあらすして此の手段を用いるは人道に反する重大の非行として国際法上排斥せさる可らす

余は普通の戦規と戦争の必数に基く原則とを区別するに賛成する能はすリューダー教授は報復と必要とを以て戦争の必数に基く原則を適用す可き場合となせり然れとも報復の為めに戦規を遵守せさるは他の理由によりて正当とす可く所謂戦争の必数によりて始めて其の正当なるを認む可きにあらす戦争の必数に基く原則を承認せされはとて報復を正当とするに差支へなしされは戦数の原則の価値は必要の場合に於ける適用に関して評定す可し然れとも《戦争は基れ自身に於て必要に出つるものなれは戦争の方便として用いらるゝ行為は最も温柔のものも必要を根拠とす故に必要と不必要とによりて戦争の方便を区別するは能はす》論者が所謂戦争の必数に基く原則を適用する場合と普通の戦規を適用する場合とは必要の程度によりて区別す可きのみ《必要の程度と云ふ如き漠然たる験証によりて戦争の方便を区別するは殆んと何の稗益もなくして頗る大なる損失あり戦争の必数を根拠として如何なる手段をも許す可しとの説は論理の必要的経路により必要の場合には絶対的禁止をも無視し得可しとの帰結に到着せさるを得す》然れとも論者は実際この極端に至るを敢えてせす明示的約定及ひ毒害の場合に於ける如き古来人類一般の観念に基ける絶対的禁止は戦争の必数を適用す可き範囲の外とせり只なるへく絶対的禁止の事項を少なくし其の現今の範囲を拡張せさらんとするは自然の傾向なり此の傾向は戦争の慣行の改良を阻止するを免かれす

戦争の慣行の改良を望む可き淵源は一面に絶対的禁止の範囲を拡張し一面に縦令許可せられる行為に付てもその必要の程度若くは其の為めに生する利益の分量を慎重に考量するの義務を【18】世論によりて一層深く認知せしむるにあり「らむ」及ひ水雷の使用の如き敵軍に対する作戦上の行為に関して之を考慮するは政府の責任なり司令官も政府も多少実際に於ては戦時に於ける人民の激情の許す限りに於て残忍の行為を慎む可しリューダー教授は戦争の必数に基きて敵軍を恐怖せしむる為めに広き地域を荒壊するを得可しと説きたれとも教授の属する国の政府は容易に其の説の実行を敢てすることなからん絶対的禁止の範囲を拡張することも亦望みなきにあらす千八百七十四年ブリュッセルに開かれたる列国委員の会議は吾人に此の望を与ふるものなりブリュッセル会議にて決定せる陸戦の法規に関する宣言草案は不幸にして未た批准せられすと雖とも其の第十五条は「開放し且防守せられさる市邑、家屋の集合又は村落は攻撃し若くは砲撃するを得す」と規定せり又国際法学者が千八百八十年オックスフォードの会議にて決定せる陸戦法規提要第三十二条にも「防守せられさる地方を攻撃し若くは砲撃することを禁す」と記せりこの原則によれは開放し且防守せられさる海岸の市邑を艦上より砲撃することも禁止す可き筈なり吾人は陸戦に於ても海戦に於てもこの原則に違背する者が世論の非難を受けんことを望み得可し

仏国の某海軍将官は仏国か英国と交戦する場合に敵の勢力を銷盡し其の精神を弱むるか為めに一般に許されたる手段として防守せられさる英国の海岸を砲撃す可しと公言せり且リューダー教授よりも歩を進めて必要の場合に限るの条件によらすして之を行ふ可しとなせり其の主張を正当なりとする所の原則は将来独仏交戦の暁に両国をして単に軍事上の目的を以てのみならす政略上の目的を以て互に荒壊せらるゝに陥らしむるものなり若し此の恐る可き帰結を思はゝ仏国人たるものは防守せられさる英国海岸を砲撃することを躊躇せさるを得さる可し前に言へる《壮勇なる将軍は其の主張が或点迄は戦争の必数に関する学説の賛助を受く可きことを知らさりしな【19】らん》此の将官の公言は今日世界に於て尚ほ進歩に遅れたる道徳的状態の残存することを証するものなり《然るに学説上の戦争の必数に基き割定す可らさる必要を条件として如何なる手段をも執るを許す可しと教ふるは此の如き進歩に後れたる道徳的状態にあるものに口実を籍すの危険なきを得す》
−−−
修正箇所:
一回目(H15.10.19):綴り間違いの修正。戦規はKriegsmanier、戦数はKriegsraisonが正しい。
二回目(H15.10.21):p15で「他はあらす此の如き場合に於て条規を以て行為を制律せん」とある箇所は「外はあらす此の如き場合に於て戦規の束縛を受け甘んして戦敗に陥るものはあらさる可きか故に禁止は実際何の効力をも有する能はす此の如き場合に於て条規を以て行為を制律せん」と、大幅に文章が欠落していたので修正。

  ご苦労様 渡辺 2003/10/19 15:05:33  (修正1回) ツリーへ

Re: 高橋作衛『戦時国際法要論』・・「戦規と戦数」 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/10/19 15:05:33 ** この記事は1回修正されてます
ご苦労様

靴屋さん、

 OCRでは、昔の活字や字体を読むのは、印刷の品質の悪さも手伝ってなかなか大変みたいです。
 私の場合は、オークションで落札した旧式ということもあって、パターンの登録を重ねていますが、いまだ認識がうまく行きません。この点、英文の場合は、1930年代の資料でも、数字以外は、ほとんど問題がありません。

 ところで、マイナーなことですが、Kriegsmanier (クリ−クス・マニーア)が Kreigsmanier となっている箇所があります。
 それから、 Kriegsraison あるいは、Kreigsreison という箇所がありますが、raeson または、raウムラウトson となっていないでしょうか?aウムラウトというのは、aの上に‥記号が載っている文字です。クリーゲス・レゾーンだと「戦闘の道理」というような意味なので、納得できますが。

----
追伸:「南京」の統計について、レスがペンディングになっていますが忘れているわけではありませんよ。そういえば、引用されていた英文は、もともと、私がOCRで読み込んだもので、K−Kさんの旧掲示板に投稿したものです(^^)

  │└ご指摘有り難うございます。 靴屋 2003/10/19 21:20:26  (修正2回) ツリーへ

Re: ご苦労様 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/10/19 21:20:26 ** この記事は2回修正されてます
ご指摘有り難うございます。

綴り間違い仰るとおりで、修正しておきました。

戦規:Kriegsmanier
戦数:Kriegsraison

ウムラウトについては、高橋氏の論文中、Kriegsraisonに別表記はなく、それ以外では本文中一箇所(二箇所)を除きありませんでした。その箇所とは、ウムラウトの箇所を<>で示すと、p11の「Grundriss des Heutigen Europ<a>ischen V<o>lkerrechtes」のみです。

しかし、"Kriegsraison"は、田岡氏の『戦争法の基本問題』によれば、p99に「Kriegsraison(Kriegsraeson 又は Kriegsr<a>son)」とありますね。

あと、スチュワード日記がK−K資料集にあるってのを知ったのは、あの投稿後ですが、旧掲示板の議論も見つけました。しかし、2ちゃんねるのあれは誰だったんだろう? ってまさか・・・^^;

  田岡良一,『戦争法の基本問題』の投稿につい... 靴屋 2003/10/21 01:27:57  ツリーへ

Re: 高橋作衛『戦時国際法要論』・・「戦規と戦数」 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/10/21 01:27:57
田岡良一,『戦争法の基本問題』の投稿について

>後、田岡良一氏の『戦争法の基本問題』の「戦数論」もついでにコピーしてきたのですが、時間があればこちらの方も資料提供してみたいと思います。最近写真整理目的でスキャナーを購入したのですが未だOCRソフトが使いこなせず、出来れば入力は面倒なのでOCRでやりたいのですけど、なかなかうまく行きません^^;

と書いて、実はOCRで修正しつつなんとかテキスト化したのですが、生憎、田岡良一先生は何時お亡くなりになったかまでは存じませんが、昭和六十年代に入っても御著書があるようで、著作権法の関係上、投稿はやむなく諦めることに致しました。

−−−
著作権法
第五十一条 著作権の存続期間は、著作物の創作の時に始まる。
2 著作権は、この節に別段の定めがある場合を除き、著作者の死後(共同著作物にあつては、最終に死亡した著作者の死後。次条第一項において同じ。)五十年を経過するまでの間、存続する。
−−−

引用の形にでもすればいいのですが、約四十頁もあるので、ちょっときつい。というわけで、何か論じて小出しで提供する以外ないようです、って実は全然読んでない^^;

で、「戦数」の語源について、註で解説されていたのでそれをちょっと紹介します。

田岡良一,『戦争法の基本問題』,1944,pp135-136 より引用
−−−
(二)我が國最初の海外留學生として文久三年榎本武揚、津田眞一郎氏等と共に和蘭に派遺せられた西周助氏は慶応二年帰朝し、幕府開成所に於いて國際法を講じたが、英の議義の内容を覗ふべき同氏の著書「和蘭畢酒林氏萬國公法」−−畢酒林は和蘭ライデン大学致授 Vissering を指す−−の第三巻戦時泰西公法の條規の第二章「戦争の間遵守すべき條規」の章の始めに次の言葉がある。
「文明の諸國戦争の時相對して守るへき條規は三つに定まれり
 第一には 所謂本來の戦権
 第二には 戦習
 第三には 戦勢
 所謂本來の戦権は戦を交ふる両國相對するの権と義と又夫局外の國へ對する権と義とに在り。
 戦習とは戦を交ふる両國戦ふ時守るへき條規を指す也。
 戦勢とは尋常守るへき通規に違ふと雖も非常に臨み巳む可らさる勢に出る処置を名くる也」
 フィッセリン氏の議義の原文を見ずして断定することは出來ないが、此処に言ふ「戦勢」は、通常の法規に違ふと雖も非常に臨み止むを得ざるに出づる措置、と説明せられて居るのであるから、後の學者が戦時非常事由又は戦時緊急必要と譯する所と同一のものを指すことは、殆んど疑ひないと思ふ。
 明治十年に著はされた、海弗得[ヘフトル]氏萬國公法の邦譯では、右に該當する箇所、即ち原薯の Eigentiches Kriegsrecht, Kriegsmanier, Kriegsr<a>son と題する箇所は、「戦数」「戦則」「戦略」と譯せられて居る。即ちクリーグスレーゾンは戦略となつて居る。
「戦数」譯語は何人に始まつたかを私は審かにしない。明治三八年発行の高橋作衛著「戦時國際法要論」に此の語は現はれて居る。緒論第三章の題は
 「戦数 Kriegsraison, raison de guerre, ratio belli, jus oder titulus necessitatis」
となつて居る。Jus と titulus といふラテン語の間に oder と云ふ独逸語が挿まつて居るのは奇妙な感じがするが、ホルツェンドルフの國際法ハソドブーフ第四巻のリューダーの戦争法概説の中に Kriegsraison(raison de guerre, ratio belli oder, wie Grotius sagt, jus oder titulus necessitatis)
と云ふ言葉がある(二五四頁)。高橋博士の書の原語は此処に由來するもののやうである。
−−−

 ここでは、クリーグスレーゾンという語を「戦数」に訳したのは高橋作衛氏ではないかと、田岡氏は推測しているようですね。

  │└Re:田岡良一,『戦争法の基本問題』の投稿に... 渡辺 2003/10/21 13:48:07  ツリーへ

Re: 田岡良一,『戦争法の基本問題』の投稿につい... 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/10/21 13:48:07
Re:田岡良一,『戦争法の基本問題』の投稿について

靴屋さん:>
>...田岡良一先生は何時お亡くなりになったかまでは存じませんが、昭和六十年代に入っても御著書があるようで、著作権法の関係上、投稿はやむなく諦めることに致しました。

ある図書館の蔵書データによれば、ご存命の期間は、1898-1985 になります。

厳密にいえば、議論に対して従となる程度の範囲で「引用」ができるのでしょうが、HPでテーマを頁分けする性質上、通常の出版物と違い、部分的に見れば引用部分が半分以上を占める頁ができるのはやむを得ないでしょうね。
しかし、その掲示板の議論全体からみて、批評・研究のため、文脈が正しく伝えられるように相当長い引用をしても「正当な範囲内の引用」ではないかと、私は考えます。
実際問題として、著作権の継承者が引用されている頁を見て不快に感じるかかどうかというところが重要であると思います。
私としては、閲覧が難しい昔の本については、どんどん投稿していただきたいと思います(^^)     

  │ └ええ、確かに有用な資料だとは思いますので... 靴屋 2003/10/21 16:47:39  ツリーへ

Re: Re:田岡良一,『戦争法の基本問題』の投稿に... 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/10/21 16:47:39
ええ、確かに有用な資料だとは思いますので、なんとか投稿したいのですが、全体で約四十頁にも上るので、やはりちょっと躊躇するものがあるのですね。

ですので、1〜8項まであるので、これを分けて多少解釈を加えた上で、出来るだけ全体をご紹介しようと考えています。あちらの議論は終わりかけているようですけど、ご期待される方がいらっしゃるかも知れませんが、少々お時間をいただければ幸いです。ただ、約束は出来ませんのでご了承下さい。

  現代語試訳−高橋作衛『戦時国際法要論』 靴屋 2003/10/22 02:08:54  ツリーへ

Re: 高橋作衛『戦時国際法要論』・・「戦規と戦数」 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/10/22 02:08:54
現代語試訳−高橋作衛『戦時国際法要論』

 この掲示板なら、特に必要はないのかも知れないのですが、現代語訳してみました。不慣れなもので、余り旨くない、或いは間違っている所もあるかも知れませんが、参考にして頂ければ幸いです。

 原文では若干分かりにくいですが、「ウェストレーキ博士の戦規戦数論」においてウェストレーキ自身の意見は後半だけ(「筆者は(余は)」以降)であり、前半はリューダー説の紹介です。ウェストレーキはリューダーの戦数を詳しく紹介した上で、これを否定しているのですね。

−−−−
高橋作衛『戦時国際法要論』における「緒論 第三章 戦規と戦数」の現代語試訳

第三章 戦規 Kriegsmanier; les lois de la guerre. と
    戦数 Kriegsraison; raison de guerre; ratio Belli; jus oder titulus necessitatis.

 ドイツの学者は戦規と戦数を説くが、イギリスの学者の多くはこのようには説かず、説く場合でもこれを否認する。次にドイツの学者が説く戦規戦数論を述べる。

 ノイマン氏の「現時欧州国際法」(Grundriss des Heutigen Europaischen Volkerrechtes §41 p.p,103-105)で論じられているのは、戦規と戦数が何であるかを明らかにするものである。その説は次のようなものである。、

 国際争議を平穏或いは強硬な手段により解決することが適当でない場合に、国家は武力に訴えて満足な解決を求める権利を有する。これを交戦権と呼ぶ。この交戦権の固有の意味によれば、極端な場合には相手国を滅亡させることまでも妨げないが、必ずしもこのような極端なまでに交戦権を強行する必要はない。敵を滅亡させることは戦争の目的ではなく、要求を満足し、戦費を賠償させ、戦いの原因となるような権利侵害を二度と繰り返さないように保障を獲得すればよい。古代の戦争は必ず敵国を屈服させることを目的とし、ローマの「ヤヌス」の殿堂は数世紀の間閉じられることはなく(平和な間は閉じられていたが)、敵に対しては可能な限り損害を与えても可との原則を採用していたようだが、今日の文明国間に於いては一旦戦争となっても、交戦の目的を達成する為の必要な損害を与えるのはやむを得ないとの原則を採る。このような固有の厳格な交戦権に加えられる緩和、並びに制限の規則を称して戦規(Kriegsmanier)と呼ぶ。しかしながら、最大の必要がある場合、又は敵国が戦規を守らない場合には、固有の厳刻に復帰し戦規を無視することが認められる。この戦規を無視する必要性を称して戦数(Kriegsraison)と呼ぶ。

(※「固有の厳刻に復帰し」ってどういう意味なのか分からず訳せませんでした。)

 以上がノイマン氏の戦規戦数に関する大凡の説明であるが、総ての戦規は戦数によって無視されるわけではない。

 ドイツの学者が唱える所によれれば、戦争法規を二種類に分け、第一に絶対的戦規にして例えば過度の創傷を与える弾薬又は毒薬の使用の禁止は、戦争の必要においてもこの禁止を無視するべきではないとするものである。例えば聖都の宣言のように。第二に普通の戦規であって、絶対的戦規以外のもの、例えば海牙の陸戦に関する条約の規定中「なるべく」などの文字が挿入されている条項のようなものは、これを無視出来る、とする。この戦争の最大必要を称して必数と呼び、普通戦規を無視可能とする原則を必数の法則と呼ぶ。

 この必数の原則は、ドイツの学者が唱道する所であるが、イギリスの学者はこれに反対する。その理由は、元来戦争というものは必要に基づいて国際常規以外の行動となるものであって、戦争を理由とする行為は、最も穏和な手段であってもこれは必要を根拠とするのである。論者が所謂戦争の必数に基づく原則を適用する場合と、普通の戦規を適用する場合とは、必要の程度によってのみ区別することが可能であるだけである。このように必要の程度などという漠然たる基準で戦争において行われる行為を区別するというのは、何の利益もなく危険である。元来、必数を根拠として如何なる手段をも行使可能と立論する以上は論理の必然的な結果として、必要な場合には絶対的戦規でさえも無視出来る、となるはずであるが、それは出来ない。然るに論者はこの極端な結論を唱えないのであるから、論理が一貫していないという他ない。しかし、筆者の見る所、今日の実際に於いては必数の原則は認められ得ると思われる。

(参照)ウェストレーキ博士の戦規戦数論
 一般の交戦行為とは、直接に敵国の軍隊と武器を持って戦う作戦の外に、害敵の目的を以て行う総ての行動を含む。防守されていない市街地を砲撃し特別な戦略上の目的がないのに敵国の地域を破壊するようなこともそうである。これらの行為の目的は損害を与えて敵を弱め、又脅迫して和を請うように至らしめようとするものであり、一般に交戦行為に関する原則を論究するに当たっては、大陸の学者の中に普通の戦争条規と所謂戦争の必数とを区別するものがあって、注意しなければならない。今、リューダー教授の所論によってその区別が何であるかを示すこととする。

 戦争の必数は、戦争条規の例外として遵守出来ない場合に蓋掩する。この例外は、二つの場合に於いて生ずるだけであり、一つは戦争の目的が戦規を遵守しないでは達成されず、遵守すると達成出来ないという極端な必数の場合であり、もう一つは敵が戦規を遵守しないことに対して報復を行う場合である。

(※「蓋掩」の意味は分かりません。「掩蓋(えんがい)」であれば塹壕などの上に設置する覆いのようなもの、という意味なのですが、「覆う」ということなのでしょうか・・・)

 敵の条規不遵守は、これに対する報復として、戦規を遵守しなくて良い権利を生ずる。何故なら、熟知された法律上の格言によれば、自ずから法律を遵守しないものは自己に対しても法律を遵守しなくて良いと要請することと同じだからである。少なくとも敵の条規不遵守に対して自らを条規不遵守を以て対応するのでないならば、敵に有利な地位を与えてしまう畏れがある場合には、報復の権利が生ずるのは争うまでもないことだからである。

 極端な必要がある場合に於いて、戦争の必数により、戦規の不遵守を許すことは、報復になる場合に等しいという事は拒否し難い。一個人であっても、必要から生じた行為に関しては刑を免れるべきであるというのであれば、交戦に従事する国家に於いては尚更当然であることは言うまでもない。何故なら、戦争は個人の行為よりも遙かに重大な結果を生ずるものであって、故に戦規の束縛が戦争の目的を達成することを妨げ、或いは、極端な危険に陥いらないようにするには、戦規を無視することによってその目的を達成し、或いは危険を免れる場合に於いては戦規の無視を容認する以外にはない。このような場合に於いて、戦規の束縛を受け入れて甘んじて戦敗に陥る者はいないであろうから、故に禁止は実際何の効力をも有しないのである。このような場合に於いて、条規によって行為を制律させようとすることは、無用な行為である。如何なる司令官、如何なる国家が温順にこれに服従する程に献身的精神を有するであろうか。

 戦争の必数と戦争の条規の間に、このような衝突を生じるのは、もとより稀有な例外的なことである。戦争条規は普通の慣例、及び熟慮を経た約定によって成立しているものであって、国内公法及び私法と等しく、通常発生する事実に適合するものであるが、しかし、国内公法及び私法でも、これを遵守するのが適当でない例外の場合があるように、戦争条規に於いても同様の例外があるというだけである。非戦闘員が負傷して不能となった戦闘員、私有財産及び休戦旗を保護する条規、並びに不必要な抑圧破壊略奪に対して占領地を保護する為に締結された約定を維持する条規は、決して目的もなく無視すべきではない。これらが戦争の必数によって無視されるのは、非常の場合のみに於いてあり得るべきである。故に、戦争の必数に基づく原則は、頻繁に軽々しく随意に適用するべきではない。これを普通の戦規と同列に置くことは出来ない。戦争の必数に基づく原則は稀有な例外の場合に於いて適用すべきであり、その例外の場合に於いてのみ普通の戦規の上に立つものである。この意味に於いて、戦争に必数に基づく原則を承認するのは特に拒むものではない。

 戦争の必数に基づく原則を、例外の場合に認めても、戦争条規の経常的効力はこのために損なわれることはない。戦争条規が非常の場合に於いて遵守出来ない理由を以て、戦争条規は単に慣例であって法にはあらずと言うものがあれば、これは大きな誤謬であり、総ての法律制度の存在する究極的原因を無視するものである。戦争の必数によって戦規の不遵守を許すことは、尚のこと刑法に不論罪になる場合があるというようなものである。もし必数を承認する為に戦争条規は法ではないと言うのであれば、不論罪の原則を承認する為に刑法は法にあらずと言わざるを得ないだろう。戦争条規が単に慣例であるのみならず、法の性質と効力を有するという見解は、戦争の必数を承認することによっても、特に変わることはない。又、国家が宣言によって戦規の束縛を脱し得るべきであるとする見解は、筆者は執らない見解である所であり、これは戦争の必数により例外の場合に戦規を無視することとは別問題である。戦規の束縛は国家の随意によって脱するべきではなく、例外の場合にのみに於いて戦争の必数に基づく明快な理由によって無視することが出来るのであり、仮に一歩譲って戦争の必数は法の範囲を逸脱したりすることがあっても、これを承認する為に戦争に関する法の存在を否定するということは要しない。戦争に関する法はある場合に於いてのみ、違背を免れずとの帰結を生ずるだけである。法に違背することは外の部門においても起こる所の事実であって、矯正すべきでないことさえあり、単に戦争に関する法のみに限られた事実ではない。

 所謂戦争の必数に基づく原則は、本題の始めに挙げた一般交戦行為の問題に如何なる関係を有するかについて、更にリューダー教授の言を引いてこれを次に示す。

 広い地域を残害し焼き払って破壊することは、敵軍に対する作戦上、特定の目的を以て行うのみならず、一般交戦の手段として行うことが出来る。例えば、敵の前進を不可能にし若しくは敵が勝利の見込みがないのに徒に抵抗を継続する場合に、戦争の恐るべきことを知らしめて、和を請うように至らしめる目的で行うような場合である。これらの行為が真に必数となるときは、戦争の必数に基づいてこれを許容するべきであり、極端な必要の場合でもないのにこの手段を用いるのは重大な非行として国際法上排斥されるべきである。

 筆者は、普通の戦規と戦争の必数に基づく原則とを区別することに賛成することは出来ない。リューダー教授は報復と必要を以て、戦争の必数に基づく原則を適用すべき場合とする。しかし、報復の為に戦規を遵守しないのは、他の理由によって正当とすべきであって、所謂戦争の必数によって始めて正当であることを認めるべきではない。戦争の必数に基づく原則を承認しなくても、報復を正当とすることに差し支えはない。何故なら戦数の原則の価値は、必要の場合に於ける適用に関して評定すべきだからである。しかし、戦争はそれ自身に於いても必要から出たものであり、戦争だからという理由で行われる行為は、最も穏当な行為であっても必要を根拠とするのであるから、必要と不必要ということによって戦争を理由とする行為を区別することは出来ないのである。論者が所謂戦争の必数に基づく原則を適用する場合と、普通の戦規を適用する場合とは必要の程度によって区別することが出来るだけである。必要の程度という漠然としか判断出来ないようなことで戦争を理由とする行為を区別することには何ら利益がなく、被る大きな損失があり、戦争の必数を根拠として如何なる手段をも許すべきであるとの説は、論理の必然的帰結として必要なら絶対的禁止の場合でも無視出来るとの帰結に到達してしまうのである。しかし、論者は実際にこの極端に至る結論を敢えて導かず、明示的約定及び毒害の場合に於けるような古来人類一般の観念に基づく絶対的禁止は戦争の必数を適用すべき範囲外とする。ただ、なるべく絶対的禁止の事項を少なくして、その現今の範囲を拡張させないでおこうとするのは自然の傾向であって、この傾向は戦争の慣行の改良を阻むものであることは免れないのである。

 戦争の慣行の改良を望むべき源は、一面に絶対的禁止の範囲を拡張し、一面に規則の中で許可された行為についても、その必要の程度若しくはそのために生ずる利益の程度を慎重に考量する義務を、世論によって一層深く認知させるというところにある。「らむ」及び水雷の使用などのように敵軍に対する作戦上の行為に関して、これを考慮することは政府の責任である。司令官も政府も多少実際に於いては、戦時に於ける人民の感情の許す限り、残忍な行為を慎むべきである。リューダー教授は戦争の必数に基づいて、敵軍を恐怖させる為に広い地域を破壊することは出来ると説くが、教授の属する國の政府は容易にその説の実行を敢えて行うことはないだろう。絶対的禁止の範囲を拡張することもまた、望みがないのではない。1874年ブリュッセルで開かれた列国委員による会議は、我々にこの望みを与えるものである。ブリュッセル会議で決定した陸戦法規に関する宣言草案は不幸にして未だ批准されていないが、その第十五条は「開放し且つ防守されていない市街、家屋の集合又は村落は攻撃し若しくは砲撃してはならない」と規定している。また、国際法学者が1880年のオックスフォードでの会議で決定した陸戦法規提要第三十二条にも「防守されていない地方を攻撃し若しくは砲撃することを禁ずる」と記した。この原則によれば、開放し且つ防守されていない海岸の市街を艦上より砲撃することも禁止すべき筈である。陸戦に於いても海戦に於いてもこの原則に違背する者は、世論の非難を受けるだろう。

 フランスの某海軍将官は、フランスがイギリスと交戦する場合に、敵の勢力を消尽しその精神を弱める為に、一般に許される手段として、防守されていないイギリスの海岸を砲撃すべし、と公言し、かつ、リューダー教授よりも更に進んで必要の場合に限るという条件によらないで、これを行うべしとする。その主張を正当であるとする原則は、将来ドイツ・フランス交戦の暁に、両国をして単に軍事上の目的ばかりでなく、攻略上の目的を以て、互いに破壊しあうまでに陥らせるものである。もしこの恐るべき帰結を考えると、フランス人たるものは防守されていないイギリス海岸を砲撃することは躊躇されなければならない。前に述べた勇敢なる将軍は、その主張が或る所までは戦争の必数に関する学説の賛助を受けるべきことを知らされるべきなのである。この将官の公言は今日世界に於いてなお、進歩に遅れた道徳的状態が残存することを証明するものである。しかし、学説上の戦争の必数に基づいて、割定すべきでない必要を条件として、如何なる手段をも執ることを許すべきであると教えるのは、このように進歩に遅れた道徳的状態にあるものに口実を与える危険がある。


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