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  信夫淳平の「戦時無法主義」に関する資料 靴屋 2003/10/31 03:14:51 

  信夫淳平の「戦時無法主義」に関する資料 靴屋 2003/10/31 03:14:51  ツリーへ

信夫淳平の「戦時無法主義」に関する資料 返事を書く ノートメニュー
靴屋 <uypqsyhqon> 2003/10/31 03:14:51
またもや戦数関連資料で申し訳ありません。ほとんど某掲示板の議論以外は関係ないのですけど・・・・

某氏が某掲示板で「戦時無法主義」という用語を信夫淳平氏が用いていると示していたので、ちょっとまた知りたくなり、かの戦時中の戦時国際法に関する名著らしき、『戦時国際法講義』から、戦数に関する信夫氏の論述を調べてきました。で、信夫氏が戦時無法主義という理由がなるほどわかりやすく論じられているようなので、またまた資料提供しようというわけです。OCRが結構慣れてきたので^^;

結構長いのですが、当該箇所を全文以下に示します。田岡論文だけでは分からないようなことが色々書いてあり興味深いところです。

−−−−−

信夫淳平,『戦時国際法講義』,丸善,1941,p.272-283


(1)原著はOCRを用いて読み取ったので、文字解析の都合上、旧自体とそうでないものが混在している。
(2)ドイツ語ウムラウトは、<>で示した。
(3)その他、ギリシャ数字は数字で置き換え、斜体等は表記上区別しなかった。
(4)【】はそれ以降が原著の何頁目であるかを示す。

【272】
 二一二 最後に第九には−−その輕重を以て論せば順位は或は第一とも云へるであらう−−帝政時代の獨逸の軍憲に依りて唱道せられ、獨逸の一部の國際法學者に依りて賛和せられたる『戦時無法主義』を挙げざるを得ない。戰時無法主義の原語 Kriegsraison は、直譯すれぱ戰理で、我が立博士は之を戰數と譯される。佛語では多くは之を直譯的に Raison de guerre といひ、英語には Rationale of war, Argument of war, Necessity of war, Military Necessity, Military expendiency 等の譯語がある。戰理戰數敦れも原語に忠実なる譯語であらんが、若し原語に拘泥しないで直ちにその意味を命題の上に表はし得るやうな文字を求むるならば、戰時無法(法を無みする)主義とでもいふのが最も適切であるまいか。以前は講者は同じ趣意で戰時變法主義といふ命題を用ひたが、變法よりも無法の方が一層適切ならんと思ひ、今日では後者を用ゆる。

 二一三 戰時無法主義の要旨を一言にして云へば、戰時遵守すべき交戰法規として一般に認定せられてある所のものも軍の必要又は便宜の前には之を無視して可なりといふに帰着する。交戰法規は國際法に発せる lex scripta ではなくして、畢竟功利主義に出でたる申合に過ぎす、その遵守に何等制裁の存するものでなく、作戦上遵守するを不利と見ば遵守せざるも可なりで、ただ報復を受くる懸念から守る者は之を守るに過ぎすと説く。これが戰時無法主義の根本思想である。
 この思想は元と古諺の『亂生じ法黙す』に胚胎し、更に之を培養するにダルウヰンの進化説を以てし、固むるにヘッケル(Ernst Haeckel 1834-1919)のそれを以てした。即ち普通動植物に於ける自然淘汰の原理をその儘冷かに國際競爭の上に當嵌め、適者として生存せんとせば如何なる手段を執るも妨げずとの鐵則の下【273】に國家存立の根本要義を立てたる一種の政治哲理と抱擁せしめ、更に換骨奪胎して之に刑法の緊急避難行爲を説明する謂ゆる必要事態若くは必要法則(Notstand, Notrecht)の法理を加味し、移して之を國際法則に適用したものである。刑法では緊急行爲を必要防禦(Notwehr)と必要事態(Notstand)の二つに類別する。即ち正当防衛と緊急避難である。獨逸の國際法學者は緊急事態に由る行爲とは正當防衛が遵法の侵害を排斥する行爲たるに相對し、無害の第三者を侵害するを得る所の権利なりと説く(“Die Notstandshandlung die Rechte unschuldiger dritter Personen verletzt, w<a>hrend die Notwehr einen unberechtlichen Angriff zur<u>ckweist”−−Encyclop. der Rechtswissenschaft, 1904, 2, p.261)。そこで彼等はこの法理を國際法の上に移し、國家の自衛行爲は侵略者ありて則ち之に對し権利を行使するものなるも、緊急事態行爲は、苟も國家がその主観的判断にて緊急事態に面すと認むる場合には、他國の権利利益を侵害するも、條約上の義務を無視するも、更に妨げずと見る。必しも國家自衛のためではなく、消極的に侵略者に對抗するのではなく、單に緊急事態の名の下に積極的に國際法規を破壊するも可なりと見るのである。獨逸が第一次大戰の発端に於て白耳義の中立を侵害したのも、この理由に於て辯解せられた。同じ理由は戰場に於ける交戰法規違反にも援用せられ、軍事上の必要−−必要ならば未だしも便宜−−の前には任意之を無視するを妨げずとの信念を生ぜしめた。これが戦時無法主義である。

 二一四 戰時無法主義は力の禮讃と必要の絶對観との間に生れたる一驕兒である。由來英語の法律(law)と権利(right)とはその観念を別にするが、欧大陸にありては多くはそれが同意義に用ひられる。Droit といひ Recht といひ、孰れも法律と権利を同時に言表はす語である。大陸派殊に佛學派の法律の基礎観念を【274】作すものは白由及び平等で、英米派の信條を支配する歴史的傳統の観念は、自然法的抽象論を主とする佛學派には重きを成さない。平たく云へば、佛學派の法律思想の基礎たるものは一方には白然法、他方には自由平等の観念なるが、之に相對する英米派のそれは一方には歴史、他方には自國の利害で、そこに調和し難き二つの思潮が認められる。而してこの相容れざる兩風潮は、國際法の基礎観念の上にも必然現はれる。國際法を以て文明國間の行爲を律する法則と爲す点に於ては両學派共に大體一致するが、しかも大陸派にありては先づ國際法上の権利なるものを考へ、次にそれを具體化する所の法則を案出せんとする。之に反し英米派にありては、先づ國際法上の法則たるべきものを考へ、然る後該法則に依りて認めらるべき権利のことに及ぶといふ風に、國際法上の兩對象を取扱ふ先後の順序にも自然相違が認められる。
 然るに同じ大陸派にありても、獨逸學派は抽象理論より極端なる現実主義に轉化した。獨逸學派も歴史を尚ぶことに於ては英學派に劣らないが、獨逸學派の歴史の執着は、轉じて既成事実を過度に重んぜしむるの風を致した。獨逸はカに依りて國を建てた。この歴史は力を既成事実として、理論をそれから編み出さしめる。佛學派の法の基礎観念は自曲平等の理論にあり、英米派のそれは歴史の傳統にありて、共に長所はあるが、同時に一條の缺陥もその中に存する。その缺陥を獨逸は力の観念を以て補填した。而して之に謂ゆる必要の絶對観が抱擁した。戰時無法主義は則ちその間に生れ且成育したものである。

 二一五 戰時無法主義を率先力説したる先覺者は、蓋し前章に披露したる普魯酉の兵學家クラウゼウヰッツ将軍であらう。十九世紀の初葉、伯林の陸軍士官學校の歴史の教官にアンション(Jean Pierre Fre'de'ric Ancillon, 1767-1837)といへる佛人系の普魯西の歴史家があつた。彼は十九世紀の初めに『十五世紀末葉【275】以降の歐洲政體革命記事』(Tableau des Re'volutions du Syste'me Politique de l'Europe depuis la fin du XVe Sie'cle)と題する一書を著し、中に於て戰の禮讃論を提唱した。彼と時を同うして同校を主宰せるクラウゼウヰッツは、着想を彼の所説に獲、乃ち之を紹述して一種の戰爭哲學に筆を執り、稿漸く了らんとするに及んで一八三一年に他界した。そこでその翌年、遺稿として世に出でたものがクラウゼウヰッツの『戰論』(Vom Kriege)である。彼は同書に於て、世の博愛家や人道論者の唱ふる文明式交戰法を嘲罵し、
『交戰法規なるものは自ら課したる制限に過ぎず。之を法規と稱するが如きは不可解であり、且無價値である。世の人道論者は動もすれば云ふ、大なる流血を見ずとも敵を挫くの妙法なきに非ざるべしと。この論一見聴くべきに似たるも、深く考ふれば謬論たることが判かる。戰といふが如き冒險の事柄にありては、仁慈主義より発する誤謬ほど禍の大なるものは無い。・・・・戰の哲理そのものに抑制主義を加味せんとすること既に不合理である。戰は一の暴力行爲で、その實行に方りて制限あるべき所以を知らず。』(Vom Kriege, 1, Kap.1)
と論断した。
クラウゼウヰッツのこの論旨を祖述したる者には、普佛の役に騎兵大將として勇名を馳せたるハルトマン將軍(General Julius von Hartmann)、及び伯林次では、ミュンヘン大學の法律學校教授ホルツェンドルフ(Dr. Franz von Holtzendorff, 1829-89)がある。ハルトマンは一八七七・八年の交、伯林の一雑誌に『軍事的必要と人道』と題する長論文を連載し、是より先きブルンチュリの『成典國際法』に於て説ける比較的に人道主義に立脚せる害敵論に痛撃を加へ、作戰上には何等人道的勘酌を加ふるの要なし、人道などいふものは、戰時單に交戰の目的の迅遠なる達成を妨げざる範圍に於てのみ認むれば足る』といふ趣旨を縷述した(“Milit<a>rische Notwendigkeit und Humanit<a>t,”Deutsche Rundschau, 13-14)。ホルツェンドルフもそ【276】の著『國際法提要』に於て『軍の指揮官が必要と認むる場合には蹂躙、焚殺、破壊等を全部落、全地域に行ふも妨げなく、特に敵の前進を不可能ならしめんがため、又ば敵をして無謀の續戰の不利を悟らしめんがためには如何なる違法行爲を爲すも妨げす』と断じた(Holtzendorff, Handbuch des V<o>lkerrecht 4,§§65-6)。孰れもこれ該主義のために萬丈の氣焔を吐いたものである。

 二一六 斯の如くにして戰時無法主義は、帝政時代の獨逸軍憲の頭脳を深く支配するに至つた。一八八○年オックスフォードにて開會の萬國國際法學會に於て議定したる陸戰法規案の寫を当時ブルンチュリが獨逸参謀総長モルトケ將軍に送致するや、将軍はその好意を謝せる挨拶の書束に於て之に對する所感を開陳したるが、中に曰ふ。『戦の最大の恩恵は能ふ限り迅速に之を終局せしむるにある。この目的のためには、明確に排斥すべきもの以外の凡ゆる手段は之を用ゆるを得るものと云はざるを得ない。予は敵の兵力を弱むることが交戰の唯一の適法手段なりと珂へる聖彼得堡宣言に毫も同意を表すべき所以を知らす。いや、戰時とならば敵國政府の総ての資源に向つて攻撃を加へざる可らず。敵國の財産、鐵道、凡ゆる軍需晶は勿論、敵國の威信そのものも亦攻撃の目標とせざる可らず』と(Holland, Letters, p.26)。これ実に舊獨逸軍部の戰の観念を代表したる鐵冒である。乃ち舊獨逸参謀本部が右の主義を基礎として編纂し、一九〇二年に刊行したる『陸戰慣例』(“Kriegsbrauch in Landkriege”)−−交戰行動は國際法や條約の如何に頓着なく専ら本令に準據すべしと部内に令達したるもの−−の開巻第一にある長文の総則は、能くその右の観念を敷衍し、戰時無法主義の意義を解説したる重要の文書で、要旨は左の如くである。
『交戰國軍隊は開戰と同時に「交戰状態」と稱する特定の相互關係をその聞に生ず。この關係は當初は兩交戰國軍隊【277】の各員のみに属するも、一たび國境を踰ゆると共に敵國内の占領地住民の総てに亘り、終には敵國及びその布民の動産不動産にも及ぶものとす。

『交戰状態には能働的と受働的との區別あり。能動的とは兩交戰國の現實の戰闘機關即ち軍隊を構成する人々、竝に交戦國を代表する首腦者及び指揮者の間の相互關係にして、受働的とは敵國軍隊とその住民即ち軍隊との自然的結合の結果として現實の交戦に與り、随つて受働的意義に於てのみ敵人と認めらるべき者との關係なりとす。更にこの中間に立ち、軍隊には属するも現實の交戰に與らず、單に戰場に於て或程度の平和的任務に従事する者あり。軍隊附の牧師、醫官、看護卒、篤志看護婦、酒保人、新聞通信員等之に属す。

『近代の戰の観念に依れば、戰は專ら兩交戰國所属員の間に係るものとしてあるも、軍の占領地に在住の敵國人は、交戰状態の自然的結果として蒙るべき負擔、制限、犠牲、及び不便を免かるる能はざるものとす。渾身の努力を以て從事する戦は、独り敵國の戰闘員及びその占むる位置に對して行ふのみにては足らず、併せて敵國の精紳的及び物質的の全資源の破壊に向って均しく力を注がざる可らず。生命財産の保護といふが如き人道的要求は、戰の性質及び目的の許容する範圍に限り之を商量に加ふべし。

『故に交戰國は戦時には法を無みし、苟も交戰の目的を達するに必要なる一切の手段は之を行ふに妨げなきものとす。然れども之を實際に照し、交戰の或方法に制限を加へ、或方法を全く抛棄して用ひざることを自國の利益に顧みて寧ろ得策とすることあり。仁挾的精紳、宗教的思想、高尚の文明、殊に己れ自身の利益の考慮等は、各國をして任意且自發的の制限を加へしむるに至り、各國及びその軍隊は今日その必要を黙認し、傳統的に神聖視せられ來りたる侠勇的習俗は化して今日幾多の協約となれり。交戰慣例(Kriegsbrauch, Kriegssitte,若くは Kriegsmanier)と概活的に構するもの是れなり。この類の慣例は古來各國の文明程度に依り必しもその揆を一にせず、且時代と共に種々變化を受けしも、往古既に存せしを認むべく、不文の儘今日に傳はりて依然遵守の力を右するものあり。
【278】

『交戰上に一切の手段を使用することに對しこれ等の制限を加へ、依つて以て交戰方法を人道化することの現に今日文明各國に依りて洽く承認せらるるの事實は、十九世紀以降各國をして、更に歩を進めて之を一般に拘束力ある交戰法規と爲さしめんと企圖せしむることあるに至れり。然れどもこの企圖は、既往若千の例外ありし外概ね失敗せり。故に以下本篇に於て交戦法規と稱する所のものは、國際協約に依り定まれる何等成文の法規を意味するに非ずして、單に任意の便宜的制眼たるに止まるものと知るべくその遵奉は何等公認の制裁あるが故に非ずして、ただ報復の恐怖が之を決するものたるに過ぎず。・・・・

『將校は時代の産物にして、随つて自國人を左右する所の精神的頓向に從はざるを得ず。戰の眞個の性質に關し誤解を有するよりして招くが如き危險は、慎慮して之を避けざる可らず。之を避くるの道は、戰そのものを充分に理解するにあり。將狡たる者深く戰史を攻究すれぱ、過度の人道主義の却つて危險なること、或程度の峻厳は戰に避け難きものなること、いや眞の人道たるものは却つて無斟酌に峻嚴を加ふるに在ることを覚知するを得べし。交戰の方法は如何にして起り、如何にして慣例として発達したるかの歴史、竝に現下行はるる慣例の得失、当否、及びその取捨如何を識別するには、豫め戰史を究め且近代の國際的及び軍事的推移を知ること固より必要なりとす。本篇は則ちこの目的に資せんがため編述せられたるものなり。』(Morgan's Eng. trans., pp.51-55)

即ち要は、几そ戰時には戰に勝つを唯一の目的とすべく、この目的を達成せんがためには、平時に恕すべからざる手段も当然正當視せられる、平時の規約取極等は宣戰と同時に一切消減する、といふのである。戰は敵國の精神的資源の破壊に向つても均しく力を注がざる可らずといふは、敵國の非戰闘者の頭上にも砲弾爆弾を浴びせ、婦女老弱をも震駭恐怖せしめ、抵抗継續の危険極りなきを覺らしめて彼等を講和の哀求に促がさしむるが如き一切の手段をも意殊するのである。尤も蹂躙、焚殺、破壊の如き、如側なる場合に於ても差【279】支なしといふのではなく、或場合には之を違法とする。その場合とは敢て之を行ふの必要なき場合である。故に反對に、如何なる暴挙兇行でも、苟くもその必要あらば、即ち軍隊の指揮官に於て之を行ふことが作戰上必要−−実際的には便宜−−なりと視る以上は、之を行ふに毫も妨げなしといふのである。交戰方法の適法なると違法なるとを決するの標準は、金然人道観に任せすして一に必要又は便宜如何にある。苟も敵に勝つに必要と競ば、如何なる手段方法にても恕せられる。而して之に依りて能く敵に勝ち、早く戰局を収拾し得るならば、それだけ則ち人道主義に副ふ所以なりと説く。戰勝無法主義の概念は大體叙上の如きものである。
 交戰の諸法則の遵守性も、戰時無法主義の下にありてば、謂ゆる『軍事的必要』の濫用に依り殆ど若くは全然期待するを得ない。他なし、交戰法則に遵由すれば作戰の成功を妨ぐと指揮官に於て認めたるときは随意之に遵由せざるも可なりと爲すからである。斯くては一切の交戦法則は全然存在するの餘地なきことになる。作戰の威功を妨ぐるを氣遣ふのと軍の安金を害するを慮るのとでは、その間に霄壤の差がある。軍の安金は絶對必要で、これは交戰法則の総ての要求に超絶する。故に兩者相抵触すれば、前者は後者に当然優先すべく、随つて軍事的必要の名に於て交戰法則の要求を凌駕することは必然肯認せられる。然しながら軍の成功を妨ぐるといふにありては、これも程度に依ることではあるが、單に成功を期する上に於て不便であるからといふ位では、以て交戰法則の無視を正當化せしむる理由にはならぬのである。けれども戰時無法主義は兩者の間に區別を立てす、総て交戰法則を無視するを得るの理由と爲さるるのである。ウェストレークは
戰時無法主義の基礎観念とする必要なるものをば『作戰の必要に非すして成功の必要のみ。』(Westlake, 2,【280】p.128)と評せるが、まさにその感なきを得ない。

 二一七 獨逸の帝政時代の軍憲の間に專ら唱へられたる『戰時無法は戰時法則に前行す』(Kriegsraison geht vor Kriegsmanier)の格言は、つまりは戰時無法主義の雰圍氣中に發育したる一信條に外ならない。帝政時代の獨逸の交戰観念の下にありては、交戰法規即ち Kriegsrecht は二つの部門より成立する。一は Kriegsmanier で、即ち交戰行動の上に特定制限を認むる所の法則である。他の一は Kriegsraison で、即ち交戰の法則に依る制限に遵由することが作戰上不利であり、交戰の目的を達する上に於て面倒なりと視ば、作戰上の必要といふ見地よりして之を無視するも可なりと爲す所の信條である。是に於てか Kriegsraison は Kriegsmanier に前行すと爲して兩者の間に軽重の差を立てた。これが右の格言の意味である。平たく云へば、作戰上の要求の前には如何なることを爲すも可なりと見るのである。追て説く如く陸戰法規慣例規則第二十二條には『交戰者ハ害敵手段の選擇ニ付無制限ヲ有スルモノニ非ズ』と明規してある。戰時無法主義は明かにこの規定を非認するものである。勿論國家自衛のため絶對必要なる行爲は不法のものと雖も寛恕せらるること國際法の一般的原則の承認する所である。けれども、そは眞個絶對の必要の場合に就て云ふべきで、名を必要に籍りて如何なる不法行爲も之を演ずるに妨げずと云ふべきでない。法律は畢竟斯かる必要の濫用を牽制せんがために存するのである。然るに戦時無法主義は自衛と單なる作戰上の利益若くは便宜とを混同し、苟も軍隊指擇官の判断にて普通の交戦法規を遵守することが作戰上不利なりと見ば、之を必要に籍りて金然之を無視するも可なり、といふ廣汎且不當の原則を設定したのである。随つてこの主義の論理的結論は、作戰上の利益の至上主義となり、國際法そのものを非認するに至らずんば已まない。戰時無法主義の【281】無制限的適用は、海牙平和會議を促したる一般的精神に正反對なるのみならず、前掲の陸戰法規慣例規則第二十二條を根本的に覆へすものである。一方に於ては國際法の存在を承認し、交戰法則の戦時各國を律すべき規矩準縄たることを承認しながら、他方に於て戰時無法主義といふ交戰法則の拘束力を根抵より破壊するが如き主義を認むるのは大なる矛盾で、この矛盾はまさしく戰時國際法そのものを非認すると同じである。戰時國際法の尊重を期するには、先づ戰時無法主義を根蒂から芟除するを要すべく、さもなくば百の交戰法則を立つるも無益の業であらう。

 二一八 獨逸の『陸戰慣例』の指導原理たりし戰時無法主義は概略上叙の如きものであるが、しかも獨逸の軍隊は舊帝政時代にありても、逐一この主義の下に交戰の法規慣例を無視して可なりと教へられて居つたのではないやうである。『陸戰慣例』は一九〇二年の制定であるが、それより五年後の一九〇七年の海牙平和會義に於ては、獨逸代表は大に交戰法則の尊重を高調した。別に説く所の同會議議定の陸戰法規慣例條約に第三條として『前記規則ノ條項ニ達反シタル交戰當事者ハ損害アルトキハ之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戰當事者ハ其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行爲ニ付責任ヲ負フ』の規定を見るに至つたのは、實に獨逸代表の主張に因つたものである。のみならす獨逸軍隊の操典(Kriegsartikel)には、左の嘉みすべき規定もあるといふ(J.M. de Dampirre, German Imp. Int & Int. Law, p.151 に據る)。

第十七條 兵は戰場に於ては交戰は敵の武装軍隊に對してのみ行ふものなることを忘るべからず。敵國の住民竝に傷病者及び俘虜の財産は法規の特別の保護の下に立つべく、濁逸軍膝又は同盟國軍隊所属の死者の財産に就ても亦同じ。交戰中外國領土に於ける掠奪の檀行、悪意又は無思慮の損害、又は財産の破壊を爲す者は厳罰に処すべし。収【282】用物件が生活必需品、衛生材料、衣服、燃料、糧株、及び運搬具に限られ、且現に目前の必要ある場合には、之を掠奪に問ふことなし。
第十八條 兵は自已の職責を果すため、又は適法の自衛のためにする場合に限り、その武器を使用するを得るものとす。武器の濫用は之を厳罰に処すべし。武器及び弾薬を不注意に取扱ひ、之がため何人たるを問はず之を死傷せしめたる場合に於ても亦同じ。

又ニコライ大佐及びハイン少佐共編の『野戰歩兵將校必携』(NIcolai-Hein, Der Infanterie-Leutnant im Feld,1912)にも、同様の注意を敷衍して左の如く記せりとある(Dampirre, Ibid., pp.153-4)

『占領地の住民は、戰敗の結果として特定の制限、誅求、及び強制手段の下に置かれ且一時その上に立つ権力に服從すべき義務あるも、之を敵として取扱ふことなきを要す。全然平和的の動作より離れ、又敵軍の命令に違反することあらば、交戰の法則に照し之を処断すべきこと勿論なるも、さもなき限り彼等の身體、名誉、又は白由に對しては危害を加ふべからず。たとひ作戰上の必要に基き住民に課役を行ふに方りても、以上の法則には遵由するを要す。・・・・

『私有財産は戰時に於て之を侵すなきを要す。無思慮の破壊はその種類の如何を問はず厳禁たるべし。この禁含に背いて行動する兵は犯罪人として処罰せらるべし。之に反し作戰上の必要に基き叉は作戰の必然的結果として伴へる破壊は容認せらるべきものとす。私有財産とても武器、車輌、地圖、殊に生活必要品等の項目に属する物は、之を徴發するに妨げなきものとす。且軍の一時的必要を充すべきもの例へば要塞、橋梁、鐵道等の建造に必要なる材料及び物件は、これ亦徴用するを得るものとす。徴發物件の所有者をして後日彼等の政府より賠償を得さしむるため、徴發を證明する領収書を之に交付すべし。如何なる場合に於ても掠奮は之を厳禁す。但し生活必需品、衛生材料、衣服、燃料、糧秣、及び運搬具の徴用は、その徴用の數量が実際の必要程度を超えざる限り掠奪を以て論ずることなし。敵國の國有不動産は適法に之を使用するに妨げなく、その國有動産は戰利品と爲すことを得べし。但し宗教、教育、學術【283】技藝、博愛、及び看護用の物件はこの限に在らず。

『作戰方法の観念は既往幾たびか變遷し、今尚ほ變遷しつつあり(日露戦役に看よ)。さりながら眞個の人道的行動は一見最惨酷のものたること戰史の屡々吾等の教ゆる所なるも、仁侠及び基督教の精紳は如何なる場合にありても以て履むべき正しき道なることを深く銘記するを要す。』

寔に以て間然する所なき一大好箴規である。帝政時代の獨逸軍隊は実戰に臨んでこの好箴規を恪守すべかりしか、将た戰時無法主義の信徒として行動するに妨げなかりしか。當年の第一次大戰は、まさしくその試金石であつた。而してそれが如何にその上に證示せられたかは追々叙する如くである。


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