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  読まれ方おられますか? JIHN_VOID 2003/11/02 16:08:22 
  はい、読みました。諸君・正論は毎月内容を... 熊猫 2003/11/03 21:14:33 
  もちろん、”偽書”などではないことは明ら... タラリ 2003/11/04 00:34:35 
  JIHN_VOIDさんのHPは以前から見させていた... 熊猫 2003/11/04 01:09:53 
  │└DELETED  熊猫  2003/11/08 15:13:00  (削除)
  立ち読みでざっと目を通して来ましたが、「... タラリ 2003/11/04 14:37:40 
  読む価値なし ゆう 2003/11/08 12:18:51 
  │├原田氏は奥宮正武氏のことをO氏と書いてい... JOHN_VOID 2003/11/14 00:46:37 
  │└開源碼頭 渡辺 2003/11/15 02:36:54  (修正1回)
  みなさん、どうもありがとうございました。 JOHN_VOID 2003/11/09 21:25:19 
  読む価値なし:マギーは下関で何を見たか 渡辺 2003/11/10 00:33:20  (修正1回)
  │└角証言 ゆう 2003/11/11 19:31:00 
  │ └なるほど「大量」ではないと言いたいわけか... 渡辺 2003/11/12 01:46:08  (修正1回)
  │  └谷報告にもこんな記述がありますね。 ja2047 2003/11/12 06:45:15 
  皆様、有益な論点の提示ありがとうございま... 原田 実 2003/11/14 09:44:50 
   ├そうですか?返信頂いていましたか。失礼し... 熊猫 2003/11/14 12:17:27 
   ├確かに返信を受けました。 熊猫 2003/11/15 23:07:49  (修正1回)
   └こんにちは「ゆう」です ゆう 2003/11/16 15:38:17 
    └「ゆう」様、ご助言ありがとうございます。 原田 実 2003/11/22 15:27:15 
     └佐々木少将(歩兵第30旅団長)の12月1... JOHN_VOID 2003/11/24 21:33:55 
      ├JOHN−VOID様 原田 実 2003/11/24 22:10:25 
      └JOHN−VOID様 原田 実 2003/11/24 22:27:38 
       └ちなみに、と学会での南京問題の扱いについ... 原田 実 2003/11/24 22:44:06 
        └皆様 原田 実 2003/11/25 00:35:19 
         └JOHN−VOID様、引用された佐々木日... 原田 実 2003/11/25 03:05:49 

  読まれ方おられますか? JIHN_VOID 2003/11/02 16:08:22  ツリーへ

読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
JIHN_VOID <ikxiwlplhn> 2003/11/02 16:08:22
 超古代史研究家の原田実氏が『新潮45』2003年11月号に
「“偽書”としての南京大虐殺」という記事を書いているらしい
のですが、読まれた方はおられますでしょうか?

 

  はい、読みました。諸君・正論は毎月内容を... 熊猫 2003/11/03 21:14:33  ツリーへ

Re: 読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/11/03 21:14:33
はい、読みました。諸君・正論は毎月内容をチェックするようにしています。ご指摘の記事はP96〜P105に掲載されています。これといって目新しい記述はされてませんが、簡潔な文章で上手くまとめられています。意図としては、南京大虐殺があったとする書籍を偽書としてピックアップしています。

  もちろん、”偽書”などではないことは明ら... タラリ 2003/11/04 00:34:35  ツリーへ

Re: 読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/11/04 00:34:35
もちろん、”偽書”などではないことは明らかですが。
私が読んだ「偽書」の研究書として、
(新書)「偽書『武功夜話』の研究」藤本正行・鈴木真哉 洋泉社
というのがありまして、これを読むと偽書の要件や性質がよくわかります。”書”ではありませんが、否定派の証言などの方がもっと偽書にふさわしい特徴を備えています。

なお、「野田回想メモを検証する」を「南京事件の真実」にupしました。このメモなど偽書っぽーい。

  JIHN_VOIDさんのHPは以前から見させていた... 熊猫 2003/11/04 01:09:53  ツリーへ

Re: 読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/11/04 01:09:53
JIHN_VOID さんのHPは以前から見させていただいております。私が南京事件に興味をもったのは、貴方のHPを見てからです。とりあえず、気になる箇所を指摘して原田氏に直接メールを送ったんですが、返事がくるかどうかは・・・。

  │└DELETED  熊猫  2003/11/08 15:13:00  (削除) ツリーへ

Re: JIHN_VOIDさんのHPは以前から見させていた... 返事を書く
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/11/08 15:13:00 ** この記事は削除されました

  立ち読みでざっと目を通して来ましたが、「... タラリ 2003/11/04 14:37:40  ツリーへ

Re: 読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/11/04 14:37:40
立ち読みでざっと目を通して来ましたが、「偽書」というよりは「偽証言」に対する追求ですね。挙げられていたのは曽根日記、東日記、都城23連隊の兵士の日記、奥宮正武の『私の見た南京事件』などです。特に新しい論点はありません。

南京に20万人しかいなかったから、30万人殺せないというような主張をしている人ですから、底が知れています。

この論者がウソという論拠のひとつに、到底不可能なこと、あり得ないような状況が書いてあるということを挙げています。
事実、南京虐殺の証言をした人の中にあり得ないのではないか、と思われるような証言というのはしばしば見かけます。
例えば東京日々の鈴木二郎記者が高さ25メートルの中山門の上で中国兵が殺されており、彼らはゲラゲラと笑っていたなどの証言です。
あるいは東さんが橋本某が中国人を麻袋に入れて手榴弾をくくりつけて池まで運んだなどの証言もそれに当たります。

これらの証言は正確には実験してみないと断定できないことかもしれませんが、非常にあり得ないようなことにしか思えません。ただ、私は彼らはウソをついてはいない、自分の記憶に対しては忠実に語っていると思います。
それはどこでわかるかというと、証言のなかにその行為が行われたことを驚き、刮目して、見ていた、その状況が目に焼き付けられた、という感じがはっきり出ていることです。
長く残る記憶というものは必ず強烈な感情の記憶と結びついています。
恐怖、驚き、悲しみなどの強烈な感情で受け止められたことが誤認識されたり、あるいは短時間の後に誤った記憶として定着するということはありえることです。ありえないことを言ったからウソ、ニセの証言とは決めつけられません。これは証言内容をよくよく、検討、検証しなくてはなりません。

これに反して、ウソの証言、ニセの証言というものは【一見】ありそうなことで、しかもよくよく考えてみるとまったくあり得ないということが多いのです。これらの証言は今まで私がサイトに挙げてきたように、幕府山事件における、両角大佐とその配下の証言と向井、野田の証言などがそうです。

むしろ、常識で考えると誰もがそんなことはないだろう、と思うようなことを、多くの反対論者から追求されながらも主張しつづけるというところに、むしろ彼らが自分の記憶に忠実であろうとしていた、ということの証明が見て取れます。もし、実際の記憶にないことをあえて捏造して主張していたとすれば必ず、その主張を引っ込めます。鈴木記者、東史郎の証言は誤記憶か誤認があるが、確かにそう誤記憶、誤認されるようなことがあったのだと私は思っています。

また、田中正明、鈴木明、阿部輝郎といった人たちが自らの著作上で、日記や手記のたぐいを都合がいいように改竄していたということこそ「偽書」の名前にふさわしいと言えます。

曽根日記は著者の軍隊内の階級にウソがあること、また、他人から聞いた事実を本人自身の体験として語っているかもしれないということがあるだけで、書かれた内容そのものはは事実であると思われます。奥宮正武の証言はこれをウソだ、事実に反しているという方の頭の方がおかしいのです。

  読む価値なし ゆう 2003/11/08 12:18:51  ツリーへ

Re: 読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/11/08 12:18:51
読む価値なし

一応、手に入れて読んでみたのですが、いやはや、とんでもない「論稿」でした。

いきなり、こうです。

>そもそも、1938年時点で書かれた報告書には、南京陥落時の非戦闘員の死者数を49人と記すものさえあった。

>それがさらに極東軍事裁判では20万人、現在の中国政府の主張が30万人と、どんどん膨れ上がっているのだから、この分では100万の大台に乗るのもそう遠くないかもしれない。


「1938年時点」の報告書に、板倉氏カウントの「49人と記すもの」があったら、ぜひお目にかかりたいものです。

だいたい、「南京法廷」では「30万人以上」だったはずですから、「どんどん膨れ上がっている」というのも事実に反する。「この分では100万の大台に乗るのもそう遠くないかもしれない」なんて、アホ丸出し。

どうもこの方、ほとんど勉強しないで掲示板にいいかげんな思いつきを書きまくる、「ど素人否定派」のレベルにあるようです。おおい、ちょっと「ヤフー」あたりに出てこいや。


「奥宮証言批判」の部分だけ、ちょっと見てみましょう。

******************************

また、元大本営海軍参謀のO氏は南京占領時、下関の開源埠頭で陸軍部隊が推定500人以上の罪もない中国人を軍刀や銃剣で惨殺しているのを目撃した、と1997年刊行の著書『私の見た南京事件』で主張している。O氏がその場にいた陸軍士官に大量処刑の理由を聞くと「数日前の夜、一人の勇敢な中国人が、わが陸軍の小隊長級の若い士官十名か十一名かは分かりませんが寝ている部屋に侵入して、全員を刺殺した」その報復のためだったという。

しかし、この処刑現場の描写はまったく臨場感を欠いており、矛盾も多々見られる。そもそも、一人の中国人が夜間、大勢の日本軍士官を殺害したという事件があれば必ず戦史にも残るはずだが、それに該当するような記録はない。

そして何よりO氏が惨劇の舞台として記す開源埠頭は南京市の下関には存在しない。その名の埠頭は南京市の下関には存在しない。その名の埠頭は南京市よりも長江をさかのぼるはるか上流に位置しているのである。

******************************


「開源埠頭」が「下関」には存在しないことを、奥宮証言を疑う大きな根拠としているようですが、埠頭の名を間違えただけだ、と解釈するのが普通でしょう。

ちなみに原田氏はこれに続けて「開源埠頭」が奥宮氏が海軍航空隊として「誤爆事件」を起こした現場であることを指摘しており、その通りであるならば、奥宮氏は埠頭名をここと勘違いしていた、という可能性が強くなります。


さて、原田氏がどれだけ無茶を言っているか、奥宮氏の原文を見てみます。JOHN VOIDさんのページから、まるごとコピペです。



******************************

下関は、南京と揚子江の対岸にある浦口とともに、交通の要衝であった。浦口は、私が上海着任直後に、最初に、爆撃したところでもあった。下関にはかなり大規模な停車場と開源碼頭(波止場)があった。そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が多数の中国人を文字通り虐殺している現場を見た。

 碼頭の最も下流の部分は、揚子江にそって平坦な岸壁があり、やや広い敷地を挟んで倉庫群があった。そして、その倉庫群の中に、約三十名の中国人を乗せた無蓋のトラックが次々と消えていた。不思議に思ったので、何が起こっているかを確かめようと、警戒中の陸軍の陸軍の哨兵にことわって、構内に入った。私が海軍の軍服を着た将校であったこと、海軍の車から降りてきたこと、軍刀や拳銃で身を固めていたためであろう、私の動きを阻止する者はいなかった。また付近には報道関係者などの姿はなかった。

 構内の広場に入って見ると、両手を後ろ手に縛られた中国人十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江上に投棄されていた。

 岸辺に近いところは、かなり深く、目に見えるほどの速さの流れがあったので、ほとんどの死体は下流の方向に流れ去っていた。が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、江岸から少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので、その付近は血の川となっていた。そして、死にきれないものは銃撃によって、止めが刺されていた。

 この一連の処刑は、流れ作業のように、極めて手順よく行なわれていた。大声で指示する人々もいなかった。そのことから見て、明らかに陸軍の上級者の指示によるものであると推察せざるをえなかった。したがって、部外者である私が口を出す余地はないと感じた次第であった。

そこで、私は、付近にいた一人の若い陸軍士官に、尋ねた。
「なぜこのようなことをするのか」

 答えて日く、
「数日前の夜、一人の勇敢な中国人が、わが陸軍の小隊長級の若い士官十名か十一名かは分かりませんが寝ている寝室に侵入して、全員を刺殺したそうです。そこで、彼らの戦友や部下たちが、報復のために、その宿舎の付近の住民を処刑しているとのことです」

 彼の説明が正しかったか否かは私には分からなかった。あるいは、そう説明するように教えられていたのか知れなかった。

 その日、私は、しばらく一連の処刑を見たほか、合計十台のトラックが倉庫地帯に入るのを確認したのち、現場から退去した。そして、その後は、主として、市内の東部を捜索しながら飛行場へ帰った。

******************************


あちこちでよく見かける、ありふれた「下関における捕虜殺害」の記録です。別に信憑性を疑うような内容ではありません。

ところが原田氏は、「中国人の日本軍士官殺害事件」の信憑性を、「下関における捕虜殺害」証言の信憑性にすりかえる、というトリックを行っています。

「日本軍士官殺害事件」については、奥宮氏自身が「彼の説明が正しかったか否かは私には分からなかった」と書いているくらいで、氏自身も信じてはいません。従って、この「事件」の存否は、奥宮証言自体の信憑性には何の影響も与えません。

それを、原田氏は、

>しかし、この処刑現場の描写はまったく臨場感を欠いており、矛盾も多々見られる。そもそも、一人の中国人が夜間、大勢の日本軍士官を殺害したという事件があれば必ず戦史にも残るはずだが、それに該当するような記録はない。

と、「処刑現場の描写」と「日本軍士官の殺害」をあえて一つの段落でセットにしてしまい、これを「処刑現場の描写」そのものを疑う材料であるかのように使っています。

*余談ですが、確か田中正明氏が、この事件を「事実」と見て、これこそ「便衣兵」存在の証拠だ、とどこかに書いていたような記憶があります。お二人で話しあって、意見は統一してほしい(笑)。


後の部分も同じようなもので、何の新味もありません。「読む価値なし」というのが、私の結論です。

  │├原田氏は奥宮正武氏のことをO氏と書いてい... JOHN_VOID 2003/11/14 00:46:37  ツリーへ

Re: 読む価値なし 返事を書く ノートメニュー
JOHN_VOID <ikxiwlplhn> 2003/11/14 00:46:37
 原田氏は奥宮正武氏のことをO氏と書いていますね。

>また、元大本営海軍参謀のO氏は南京占領時、下関の開源埠頭で陸軍部隊が推定500人以上の罪もない中国人を軍刀や銃剣で惨殺しているのを

 奥宮正武氏は正々堂々と実名で発表しているのは周知の事実なのに、なぜO氏なんて書くんでしょうか?
(著作権法上の氏名表示権の観点からしても著作者の氏名はそのまま引用しなくちゃいけない思うんですが?)

 原田氏は現資料の「私の見た南京事件」を読まずに、否定派の誰かの著作をそのままコピーしているのじゃないでしょうか?


  │└開源碼頭 渡辺 2003/11/15 02:36:54  (修正1回) ツリーへ

Re: 読む価値なし 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/11/15 02:36:54 ** この記事は1回修正されてます
開源碼頭

ゆうさん:>
>埠頭の名を間違えただけだ、と解釈するのが普通でしょう。

(1)
地名などの名称の問題は、なかなか難しいですね。
「開源碼頭」という埠頭は、私が調べた限り下関にみあたりません。かといって、ただちに存在しないと言い切れないので、奥宮氏の記憶違いの可能性が高いのですが、一応保留にしておきます。
保留の理由は、1)至誠堂の地図では埠頭の名称のすべてが記載されているわけではない、2)至誠堂と中国・参謀本部の地図とでは名称が異なる埠頭がある、3)中国・参謀本部の地図でも、なお名称が記されていないと思われる埠頭がある。
それより、奥村氏の下記のような、「開源碼頭」が下関の波止場の一般的な呼称であるかのような記述が気になります。これは、下記の(2)の件と関係があるかも知れません。
-----
下関にはかなり大規模な停車場と開源碼頭(波止場)があった。
[奥宮正武『私の見た南京事件』p.34]
-----

(2)
>ちなみに原田氏はこれに続けて「開源埠頭」が奥宮氏が海軍航空隊として「誤爆事件」を起こした現場であることを指摘しており、...

「開源埠頭」の位置はよく知りませんが、海軍機に誤爆され死傷者を出した永山部隊についての資料を見ると、馬鞍山にあった「馬鞍山桟橋」と同じものではないかと思います。
もし、場所をご存知なら、お教えください。
パナイ号が攻撃された場所から順に下流に進むと、なるほど「開源埠頭」と下関の埠頭を混同しそうな気がしてきます(^^)
ちなみに、「開源埠頭」は、開源何とかという会社が使う埠頭のことですから、複数の場所に存在したとしても、それ自体は不思議ではないと思います。

  みなさん、どうもありがとうございました。 JOHN_VOID 2003/11/09 21:25:19  ツリーへ

Re: 読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
JOHN_VOID <ikxiwlplhn> 2003/11/09 21:25:19
 みなさん、どうもありがとうございました。
 原田氏は、「ウルトラマン幻想譜」の著作では資料を駆使して
書かれていたのですが、南京事件については誰かの説を受け売りしているだけにすぎないようですね。碩学だと思っていたのに残念です。

 原田氏は昭和薬科時代に上司の古田武彦氏にひきずられて、和田文書
を本物と認定した前科があるのですが、あの事件から何も学ばなかったようですね。
 
 

  読む価値なし:マギーは下関で何を見たか 渡辺 2003/11/10 00:33:20  (修正1回) ツリーへ

Re: 読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/11/10 00:33:20 ** この記事は1回修正されてます
読む価値なし: マギーは下関で何を見たか

今日、ちょっと記事を読みましたが、著者は大変文章が上手ですね。
広く浅く集めてきた情報が文学的に上手にパッチワークされているという印象で、途中で読むのをやめてしまいました(^^;

しかし、気になる所がありました。
マギーは下関を視察したのに、何も見ていないと東京裁判で証言しているという意味の箇所がありました。
ところが、家族への手紙では、12月18日に「見た」と書いているのですね。

---引用者訳---
(1937年) 12月19日―日曜日

・・・・
(以下、前日、下関へ行ったときのことが書かれている箇所の一部です。)

江岸には、所々燃えている黒焦げの遺体の3つの大きな山があった。過去3,4日間に日本軍によって点けられた無数の火炎は、虐殺した死者を焼き尽くす目的ではなかったかと推測する。手紙を書いている時点で、2つの火炎が燃えている、ひとつは下関の方角、もう一つは南の方角で。

Sunday--Dec. 19

.....
On the bank there were three great piles of charred bodies--partially burned. I imagine a great many of the fires that have been started by Japanese during the last four or five days have
been for the purpose of burning up the dead that they have slaughtered. As I write two fires are burning--one towards Hsiakwan and one towards the south.
[Zhang Kaiyuan,"Eyewitnesses to Massacre", New York, An East Gate Book, 2001, p.173]
-----

12月19日の手紙は長いものなので、本書をお持ちの方は、読んでみてください。
なお、滝谷二郎『目撃者の南京事件』(三交社、1992年)は、マギーの書簡の抜粋というだけでなく(12月19日分は大幅に割愛されている)、翻訳も簡略化されている箇所があり、ちょっと問題のある内容です。

  │└角証言 ゆう 2003/11/11 19:31:00  ツリーへ

Re: 読む価値なし:マギーは下関で何を見たか 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/11/11 19:31:00
角証言

原田氏は、こんなことを書いていますね。

>(角証言の)内容は、12月17日、南京市の船着場のある下関で、第6師団が城外に逃げ遅れた市民12〜13万人を殺し、その遺体を並べたまま放置したというものである。

>第6師団は17日には下関では作戦行動を行っていない。また、12月18日には国際赤十字のジョン・G・マギー牧師が下関の視察を行っているが、牧師の東京裁判での証言にもそこで大量の死体をみた、とは述べられていない。

>また、南京の日本大使館に勤務していた福田篤秦氏も、この時期の下関を米国大使館員と共に視察しているが、その証言にも死体など出てこない。


そもそもなぜ、いまさら角証言なのか。その証言のすべてが真実だと考えている論者など存在しないし、「12、3万人」という人数は明らかに過大です。


しかし「南京戦史」でも、以下の3点だけは「真実と思われる」と記述しています。

1.どこの部隊か師団かは判らないが、17日か18日ごろ下関の件で電話があったこと。(「ゆう」注 「南京戦史」では、「第六師団」ではなく「第十六師団」の可能性を考えているようです)

2.長中佐が「ヤッチマエ」と言ったこと。

3.松井大将と共に、下関付近で多数の遺棄死体を見たこと。


「南京戦史」では、少なくとも他の資料とも整合性のとれる「多数の遺棄死体」の存在自体は認めているわけですが、原田氏はなんとこの「多数の遺棄死体」の存在自体を否定しているようです。角証言を否定するのは構いませんが、これでは滅茶苦茶です。


ちなみに、マギー証言。

>丁度私共は「バターフィールド・アンド・スワイア」会社のある海岸の「バンド」の所まで行つたのでありますが、其処へ来ますと、田中領事は何か用事があつて其の建物の中に入つたのであります。田中領事は日本人の警官と一緒に其の店に入つたのであります。私が待つて居ります間に、海岸の所へ行つて下を見下しますと、其処に約三つになつて居る屍体の固まりがあるのを見たのであります。

>私は其の屍体が正確に、どの位であつたかと云ふことは申上げ兼ねますが、大体の見当では約三百から五百と思ふのであります。是は多分実際よりも少かつたと思ふのであります。其の屍体の着て居りまする衣類は非常に焼けて居りました。さうして身体の到る処に傷があつたのでありまして、其の状況から見ますと、彼等は殺された後焼かれたと云ふことが分かるのであります。

(「南京大残虐事件資料集 第1巻」P90」

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/hukuda3.html


渡辺さんの引用箇所が、ちゃんと「東京裁判での証言」として出てきますね。まあ原田氏にしてみれば、「三百から五百」だから角証言のような「大量」ではない、と言いたいのかもしれませんが・・・。



福田証言って、まさかこれじゃないだろうな。

>また、「下関にある米国所有の木材を、日本軍が盗み出しているという通報があった」と、早朝に米国大使館から抗議が入り、ただちに雪の降るなかを本郷(忠夫)参謀と米国大使館員を連れて行くと、その形跡はない。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/hukuda1.html


死体があるともないとも言っていません。そもそも、例え死体があったとしても別にそれに触れる必然性がある文章ではありません。だいたい、いつのことなのかという明記もありませんので、死体が概ね片づけられた後の出来事だった、という可能性もあります。いずれにしても、「死体不存在」の証拠には到底なりそうにない。


「角証言」を否定しようとするならば「南京戦史」に書いてあることで十分なはずで、何で「マギー証言」やら「福田証言」やらを持ち出すのか、私には理解できないところです。

  │ └なるほど「大量」ではないと言いたいわけか... 渡辺 2003/11/12 01:46:08  (修正1回) ツリーへ

Re: 角証言 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/11/12 01:46:08 ** この記事は1回修正されてます
なるほど「大量」ではないと言いたいわけか...

参考のために、私の作っている「時系列データ」から、関連箇所を抜き出しておきます。

----
12/16(木) クレーガー、海軍事務所付近へ行くのに遺体の上を運転した。そこでは、処刑された遺体が集められ何列にもなっていた。遺体を除くのに、12/29までかかった。(クリスチアン・クル−ガーの1/13付安全区会計係宛手紙: ラーベの日記 英語版 P144)

12/18(土) 第二碇泊場司令部、この頃まで下関にて遺体処理(太田壽男供述書[南京戦史資料集U P420-421])

12/18(土) 角証言:角良春(松井司令官専属副官)は、下関下流約50m付近、揚子江の水際から城壁のあった方向に連続死体が続いているのを見て調査に行った。([南京戦史資料集T P652)

12/18(土) マギー証言:田中領事と城外へ出る。(下関)近道をしようと横道に入ったが、屍体が多くて屍体の上を運転しなければならなかった。(1946年8月15日証言「日中戦争史資料 8」 P90)

12/19(日) 角証言:早朝死体調査、油にて焼かれていた。([南京戦史資料集T P654)

12/20(月) 角証言:軍司令官(松井岩根)を乗せ、下関に車で行き右折して海岸道路の累々と横たわる死体の上を約2km走る。反転して下関を通り宿舎に帰った。([南京戦史資料集T P654)

  │  └谷報告にもこんな記述がありますね。 ja2047 2003/11/12 06:45:15  ツリーへ

Re: なるほど「大量」ではないと言いたいわけか... 返事を書く ノートメニュー
ja2047 <zguiletmbk> 2003/11/12 06:45:15
谷報告にもこんな記述がありますね。

之より先、歩兵第四十五聯隊を十日夜揚子江岸に近く北進せしめましたが、南京より脱出せる万余の敵と各所に遭遇し、之に莫大の損害を与へ、河岸一面死体を以て覆はれたる状態を生じたのであります。

昭和十三年一月二十七日
陸軍中将谷寿夫


「河岸一面の死体」が何ほどの数であったかは触れていません。
昔の日本の軍人の書いたものを見ていると、「数字の話はしない」という不文律でもあったのか、という気がすることがあります。

  皆様、有益な論点の提示ありがとうございま... 原田 実 2003/11/14 09:44:50  ツリーへ

Re: 読まれ方おられますか? 返事を書く ノートメニュー
原田 実 <pphvpxmxtt> 2003/11/14 09:44:50
皆様、有益な論点の提示ありがとうございます。
今後の参考にさせていただきます。
熊猫様、11月4日付メールでしたら、その日のうちに
返信したはずですが?

   ├そうですか?返信頂いていましたか。失礼し... 熊猫 2003/11/14 12:17:27  ツリーへ

Re: 皆様、有益な論点の提示ありがとうございま... 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/11/14 12:17:27
そうですか?返信頂いていましたか。失礼しました。
お詫び申し上げます。
どうも、私のメールは変なアドレスで相手に届くようで、以前も他の方にご迷惑をお掛けしておりました。
heng2yu4@yahoo.co.jp
これなら、間違いなく届くと思います。
原田さんへの、誤解を招いてしまいましたね。すみませんでた。

   ├確かに返信を受けました。 熊猫 2003/11/15 23:07:49  (修正1回) ツリーへ

Re: 皆様、有益な論点の提示ありがとうございま... 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <dhcvsuquwp> 2003/11/15 23:07:49 ** この記事は1回修正されてます
確かに返信を受けました。
ご多忙な中、丁寧な回答を頂き感謝します。

   └こんにちは「ゆう」です ゆう 2003/11/16 15:38:17  ツリーへ

Re: 皆様、有益な論点の提示ありがとうございま... 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/11/16 15:38:17
こんにちは 「ゆう」です

ネットの世界では、「穏やかなジェントルマン」として知られる「ゆう」です。ただし最近は「議論ずれ」してきて、あちこちの掲示板で「タメ口君」たちを相手にしているうちに、すっかりその「イメージ」が怪しくなってきておりますが・・・(^^; 。

言いたい放題の悪口を言って、ふと後ろをふり向いたら、その当の本人がニコニコしながら聞いていた、という感じで、ちょっときまりが悪いですね。とりあえず、「罵倒表現」についてはお詫びします。


ただ、老婆心ながら申し上げますと、「南京」に関わろうとする場合は、一応、詳しい方に「事実関係」だけはチェックしてもらった方がいいのではないか、という気がします。「49人」、あるいは「南京攻略戦前後の日本軍は・・・中国軍から大量の食糧を押収しており、食糧不足に悩まされることはなかった。南京で食糧不足から捕虜を殺害したという説は「南京大虐殺」があったと主張する論者がその理由を説明するためにこじつけたもの」(「月刊日本」2002.4 「南京大虐殺 元大本営海軍参謀の偽証」P44 一応、こちらも拝見しています(^^))なんてことを書いたら、ちょっと知っている人は、これだけで読むのをやめるのではないか、と懸念します(^^)。

私など可愛い方で、この世界には、何でこんなに詳しいんだ、という「化け物」がゴロゴロしていますので・・・。

妄言多謝。

    └「ゆう」様、ご助言ありがとうございます。 原田 実 2003/11/22 15:27:15  ツリーへ

Re: こんにちは「ゆう」です 返事を書く ノートメニュー
原田 実 <pphvpxmxtt> 2003/11/22 15:27:15
「ゆう」様、ご助言ありがとうございます。
南京戦当時の食料問題についてですが、行軍中の日本軍の各部隊が物資不足に悩まされていることは確かです。
私の表現が誤解を招くものであることは否めません。
ただ、それは食料の絶対量の不足よりはむしろ輸送の問題だったはずです。
すでに無錫の食料備蓄基地は日本側が押さえたわけですし、南京城陥落後には日本側将兵にも南京市民にも食料が供給されているのですから、それを戦闘終結後の捕虜殺害の理由にするわけにはいかないでしょう。
当時、食料の絶対量そのものが不足していなかったことは複数の南京入城経験のある元兵士・特務機関員の方に確認をとっています(もちろんいずれも当時の史料や戦友会などで身元の裏づけがとれる方です)。
皆様の意見参考にした上で、無用の誤解を招かないように気をつけていきたいものと存じます。
なにとぞよろしく。

     └佐々木少将(歩兵第30旅団長)の12月1... JOHN_VOID 2003/11/24 21:33:55  ツリーへ

Re: 「ゆう」様、ご助言ありがとうございます。 返事を書く ノートメニュー
JOHN_VOID <ikxiwlplhn> 2003/11/24 21:33:55
佐々木少将(歩兵第30旅団長)の12月13日の日記には
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
その後俘虜続々投降し来り数千に達す,激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそかたはしより殺戮する。多数占有の流血と十日間の辛惨を顧みれば兵隊ならずとも「皆やってしまへ」と云ひ度くなる。
 白米は最早一粒もなし、場内には有るだらうが、俘虜に食はせるものの持ち合わせなんか我軍にはない筈だった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(南京戦史資料集p378)
とありますから、少なくとも、最初に食糧不足を捕虜殺害の理由に挙げて言い出しているのは、南京事件肯定派ではないですね。
 
 日本軍が兵站を無視して上海から南京へ攻め上る過程で食糧不足に
陥り、徴発と略奪がごっちゃになり、略奪が常態化して軍のモラルが
低下した状態で南京場内に入場してしまったことが原因だという指摘
はこれまでありましたが、原田氏が記事で述べたような「南京市での
食糧不足が捕虜殺害を引き起こした」と肯定派が主張した研究は
ちょっと知りません。
 何か根拠があるなら提示していただきたいです。 
 

      ├JOHN−VOID様 原田 実 2003/11/24 22:10:25  ツリーへ

Re: 佐々木少将(歩兵第30旅団長)の12月1... 返事を書く ノートメニュー
原田 実 <pphvpxmxtt> 2003/11/24 22:10:25
JOHN−VOID様
私信でもお伝えした通り、
本当に人と議論をしようという気があるのなら
せめて相手の書いたものをきちんと読んでから
にして下さい。
なお、食料不足をもって南京大虐殺の原因と
しているのは福田和也氏の『地ひらく』です。

      └JOHN−VOID様 原田 実 2003/11/24 22:27:38  ツリーへ

Re: 佐々木少将(歩兵第30旅団長)の12月1... 返事を書く ノートメニュー
原田 実 <pphvpxmxtt> 2003/11/24 22:27:38
JOHN−VOID様
『新潮45』の拙稿をきちんと読んでさえいれば、もしくは私の書いたものを少しチェックする労を惜しみさえしなければ、奥宮批判の箇所は別人の受け売りだろう、とか食料問題を南京虐殺の原因にあげた肯定派の主張は知らない、などという間の抜けたことはいえないはずです。
と学会会長・山本弘先生の『神は沈黙せず』の南京論争の箇所についても重大な文脈の読み違えを行っているようですし(ちなみに南京問題について山本会長と私の見解は違いますし、さらにいえば会員間でもまず意見の一致は見ないでしょうが、お互いそれで角突き合わせるような大人気ないことはいたしません)。
現代日本人が書いた文章さえきちんと読みこなせないようでは、半世紀も前の史料が本当に読みこなせるのか疑われることになりますよ(古代史の世界では安本美典先生は古田武彦先生の史料読海について同様の問題を指摘されておられます)。

       └ちなみに、と学会での南京問題の扱いについ... 原田 実 2003/11/24 22:44:06  ツリーへ

Re: JOHN−VOID様 返事を書く ノートメニュー
原田 実 <pphvpxmxtt> 2003/11/24 22:44:06
ちなみに、と学会での南京問題の扱いについては下記日記の11月16日付での言及がかなり実情に近いものと思われます。
 http://www.tobunken.com/diary/diary.html

        └皆様 原田 実 2003/11/25 00:35:19  ツリーへ

Re: ちなみに、と学会での南京問題の扱いについ... 返事を書く ノートメニュー
原田 実 <pphvpxmxtt> 2003/11/25 00:35:19
皆様
11月24日付の私のレスの中で
つい(声に出したなら)お聞き苦しい
表現を用いましたこと、お詫び申し上げます。

         └JOHN−VOID様、引用された佐々木日... 原田 実 2003/11/25 03:05:49  ツリーへ

Re: 皆様 返事を書く ノートメニュー
原田 実 <pphvpxmxtt> 2003/11/25 03:05:49
JOHN−VOID様、引用された佐々木日記は前の私の書き込みとは矛盾していませんし、その記述の前の箇所によると、包囲殲滅戦の最中の描写となっていますね。
乱戦・激戦の中での戦死者を虐殺の犠牲者としてカウントしうるかは水掛論になると思いますよ(実際、否定派の論客でも佐々木日記のこの記述に基づいて13日の戦闘状況を説明した方はおられますし)。
しかし、私信でタメ口・受け売り・憶測・言いがかりによる攻撃をくりかえし、相手がうんざりしてきたところで、議論の場をネット上に移して、そこでは一見紳士的にふるまう。
相手の動揺をさそって自滅に導く、ということでは一つの論争上のテクニックといえるでしょうが、あまり生産的な議論になるとは思えません。
今後はもうこの手はつかわない方がいい、とご忠告する次第です。


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